ドーン・エンド:盲目の槍士
青年は月夜に歌う。リュートを奏でながら、活気のあった小さな町を思い歌う。青年に月の美しさはわからない。しかし、人がそれを美しいと思った時の音はわかる。だから青年は月が好きであった。皆が好きな月が好きなのである。
この町には小さいながら良い音が満ちていた。青年はたまにしか現れないが、彼らの音はいつも居心地が良く、本当に居ついてしまおうかと思ったこともあった。
「オルフェ! また来たぞ、奴らだ、ドーン・エンドだ!」
「……無粋な音ですね。悲劇を運ぶ音、自らのエゴを通さんとする強い音」
青年の名はオルフェ。リュートを報告に来た男に預け、普段は杖として使っている槍を手に取った。向かう先は、悪しき音のする方へ。
「少し行ってきます」
「ああ、こいつは責任をもって俺が預かっておくぜ」
「ありがとう」
オルフェは月明りだけの世界で迷うことなく深淵の森を疾走する。彼にとって闇は隣人であり、恐怖する対象ではない。彼は見ない、見れない。生まれた時から眼が見えない、それが彼の当り前。見えない代わりに、彼は残りの感覚で世界を視る。
盲目の槍使い、オルフェ。世界の流れに翻弄されし狭間の世界が彼の故郷である。
○
オルフェは誰よりも早く現場に辿り着いた。闇は彼の特性が最も際立つ領域。同じ足の速さでも闇の中では倍近い速さで駆け抜けることが出来る。
いくつもの死が香る。それ以上に対面する男の全身から死が『見』えた。
「……何と言う、どれだけ殺せばこれほどおぞましい音が生まれるのか」
視覚以外の四感が圧し潰されそうなほど禍々しい雰囲気。どれだけの業を積めばこのような雰囲気が醸し出せるのか、ただただそれが恐ろしい。
世界全てを憎んでいるような音。心音、吐息、立ち居振る舞い、全てが世界を否定していた。それは鉄のようで、されど如何様にも変化しうるモノ。
(……今ならまだ……私でも)
何を入れるにしても巨大な器。
「……生きるか、死ぬか」
「その問いに、意味はありませんよ」
オルフェは強烈な音を、匂いを、肌がひりつくような雰囲気を持つ相手に槍を構えた。
動き出し、ゆったりと雰囲気たっぷりに間を詰める。
(戦い慣れている。しかし、同時に若さも垣間見える)
槍の間合いギリギリで一瞬、立ち止まり――そこから一気に加速する。
「なるほど。頭も良い」
後退しながら連撃を捌くオルフェ。一手、一手に意味を持たせた剣技。けん制、フェイク、本命を混ぜながら相手の力量を測っている。敵もさるもの、こちらの力量はこの短い間に充分把握しているのだろう。
「何故戦う!?」
「……それは、こちらのセリフです!」
中空で爆ぜる火花。此処からが本番とばかりに両者一歩後退し――
「何故正しくあろうとしない!」
「随分傲慢な物言いですね」
そこからは瞬く間の出来事であった。
下段からの切り上げ、それはフェイクで本命は鞘での打ち込み。死角、眼の見える者であればそれは見えざる攻撃であっただろう。しかし、オルフェにとってそれは見え透いた動きであり、一段目をかわしたのち、決まったと心の緩んだ相手の死角を逆につく。
その動きに目を見張った男は、無理やり身体を捻ってかわして見せる。その動きの柔軟性と反応速度に今度はオルフェが驚嘆する番であった。
そこから攻撃を出せる。その自由度はオルフェの経験値にない動き。彼は知らない。リオネルと言う怪物のことを。だから、この動きを見切るのは不可能であった。普通であれば――普通のタイミングで反応していては対応しようがなかった。
「……なっ!?」
「決まりです」
だが、彼は普通ではない。
彼は見ていない。見えないからだ。彼は他の四感でモノを捉える。音であり、匂いであり、空気の振動など。それらは明確に、身体の奥から発する兆しをオルフェに伝えてくれる。目で見るよりも遥かに速く、行われるべき行動が『見』えてしまう。
すくい上げるように槍が弧を描く。まるで三日月の如しその軌道は不可避の一撃となった。オルフェは勝利を確信する。これを覆す手は思いつかなかった。
(……素晴らしい)
だから敵の、男が取った選択肢にオルフェは惜しみない称賛を送る。
槍に乗るという馬鹿げた選択。驚異的なバランス感覚と一瞬でも違えられないタイミング、何よりもそれしかないと判断してからの心音が素晴らしかった。
(バランスがいい。槍に乗ったことではなく、それを選択し決断するまでの早さ、そしてそれを確実に遂行する正確さ。とても高次元に、バランスが取れている)
くんとわずかに機微を込めるだけで男はくるりと後ろへ跳躍し距離を取った。お互い、手の内をさらに見せた形。盲目ゆえの先読みと超思考力の激突は、まず互角と言ったところか。ここからの戦いはさらに熾烈なものになるだろう。
「目で見ていないのか。初めて体験する」
やはり勘付かれていた。目で見ていては捉えられない機微を捉えた。否、今思えば捉えさせられたのだろう。この攻撃をどうかわす、試しの一撃だった。非常にクレバーな相手でもあった。やり辛いと、オルフェは思う。
「私も、これだけ戦いの中、平静でいる人間は初めて見ます」
「……そうかな」
「ええ、普通ではない。私と同様に」
さらに張り詰める両者の雰囲気。ここから先は小手調べを超えた先――
空気が、張り詰め、爆ぜ――
「オルフェ! その人は違う! 俺たちを連中から守ってくれたんだ!」
「落ち着いたと思って様子を見に来たら、味方のはずの二人が戦っていて驚いたぞ」
再度ぶつかり合おうとしたその前に、イェレナの治療を受けていた二人が仲裁に入る。オルフェとは顔見知りなのだろう。ぽかんとするオルフェに説明する二人の雰囲気は少しだけ柔らかい。それだけ彼が信頼されている証であった。
「……なるほど。また私は早とちりを」
「仕方ないさ。オルフェは寝っ転がっている死体だけは誰か判別できないもんな」
「面目次第もございません。旅の騎士殿にも深く謝罪を」
「良いですよ、気にしないでください。僕も剣を引いて話し合うべきでした」
あのおぞましい雰囲気は掻き消え、さわやかな風が吹く。その変わり身が恐ろしいとオルフェは思った。彼は、コントロールしているのだ。あれだけの殺意を、剣を構えるのと同じように、人に向けることが出来る。
「私の名はオルフェ。山道の案内人を生業としております」
「僕はアル。旅人です。こっちはイェレナ」
「お初にお目にかかります。とても風変わりな格好をされているようだ。初め私は貴女を人だと認識出来ませんでした。外の世界に疎く申し訳ございません」
「……イェレナ。お医者さんを目指しています」
オルフェは彼女の音を聞き、ふわりと微笑んだ。とても優しく強い音。きっと彼女は曲がらないだろう。真っ直ぐに目標を目指す力を感じる。
この二人は似ている。一人は道を定めていて、一人は道に迷っている。器の大きさだけ揺れ動くと大きな影響を生むのだ。魔王か賢王か、どちらにも成り得る音。
しかし一つだけはっきりしていた。
彼は――傑物であると。
「宜しければ私に村まで案内させてください。夜道は、大概の人間にとって不便なものですから。私にとっては昼間と『見』える景色にそれほどの違いはございませんので」
「ありがたい申し出です。僕らも道に迷っていて……助かります」
「何、彼らは私の愛すべき隣人。それを守って頂いたのであればこのようなこと恩返しの内にも入りません。では参りましょうか。足元にだけお気を付けを」
オルフェは注意深く観察することにした。今、眼を離すべきではない。何となくそんな感覚がしたのだ。共にあって見極めんとする盲目の槍使い。彼との出会いもまたアルフレッドにとって大きな意味を持つことになった。
ここからの戦いと共に――
○
オルフェに案内された村はお世辞にも大きな集まりではなかった。しかし、旅人が訪れていた形跡は垣間見える。昔は小規模ながら栄えていたのかもしれない。
「おや、もう始めていましたか」
「おー、オルフェだ! お前もこっちに来て飲めぇ」
「下戸ですので」
「知ってるー」
完全に出来上がっている知り合いをしれっとかわして、いつもの場所とばかりに隅の席に座るオルフェ。二人を手招いて座らせた後、店員に会釈するだけで飲み物が出てきたのはさすがは常連というところか。
「騒がしいところですいません」
「いえ、全然気になりませんよ。ただ、少し意外に思いまして」
「もっと静かなところを好みそうだと?」
「……失礼でしたかね」
「いいえ、良く勘違いされるので。私は、こういう賑やかな音が好きなのです。良い日もあれば悪い日もある。最近は悪い方が多いですが。ちなみに先程飲んでいた方は、おととい御子息を亡くされました。それでも、こうやって馬鹿騒ぎに身をうずめ、空元気でも笑い合う。哀しいほどに美しい」
オルフェと言う青年は独特の感性を持っていた。浮世離れした雰囲気を持ちながら、このような世俗的な場所が好きだと言う。その癖、楽しみ方が人間観察なのだから一周回ってやはり変人であろう。
「絶望の淵でも笑う。踏まれても踏まれても、立ち上がる。お酒を片手に、調子はずれの歌を口ずさみ、ほら、こんな狭間の世界にも光が射した」
アルフレッドたちに見えている者が彼には見えない。その代わりに彼はアルフレッドたちには見えないモノが見えている。
「情勢次第でここはガリアスにも、アークランドにも、一時はヴァルホール領にもなりましたか。今は、もはや誰の領土かもわからぬ混沌。それでも、此処の住民たちは慣れている。そういう世界で生きることに。笑い方を知っている」
好きでこのような土地に生まれついたわけではないだろう。それでも人は環境に適応するため様々な方法を生み出す。馬鹿騒ぎもその一つなのだ。
「オルフェ! 預かりもんだ」
ふわりと放り投げられたモノを『見』てオルフェはぶすっとする。
「リュートは副業の道具なのですから、もう少し丁寧にといつも言っているでしょう」
そちらに振り向くこともせず背面で掴み取り、それを堂に入った構えから弾き始める。皆が待っていましたとばかりに騒ぎを中断し、いきなり酒場が演奏会場へ早変わりする。一音、奏でた瞬間に、アルフレッドとイェレナは目を見張る。
力強く、太い音。見た目に反して激しい旋律。こんなリュート弾きをアルフレッドたちは知らなかった。リュートがこんな強い音を出せることも、激しく奏でても音楽が崩壊しないことも、これほど高揚させるものだとも、知らなかった。
「さあ、思い思いに歌ってください」
軽くオルフェが煽ると皆が一斉に歌い始める。アルフレッドも乗せられて歌いそうになるが、あることを思い出しぐっと我慢する。イェレナは歌い出しそうになる五秒前と言った様子。身体でゆらゆらリズムを取っている姿は、瘴気服とも相まってフクロウのようにしか見えなかった。
「……ァ」
そのフクロウから――
「ッ!?」
オルフェが瞼を開けてしまうほどの美声が飛び出してきたことに驚愕する、全員が。
「いい感じです。そのまま、旋律に乗せて、声を途切らせず、そう、そう、素晴らしい」
イェレナはオルフェに乗せられてさらに声を張った。透き通るような、遮るもののない星空のような歌声。乗せられたことでオルフェもまた口を開く。
珍しい光景が其処に広がっていた。妙な格好をした少女と、いつも弾き手として裏方に徹するオルフェがリュートの旋律に乗せてハーモニーを生み出していた。
「……きれいだ」
アルフレッドは久方ぶりに張り詰めていた心の糸が緩むのを感じた。すっとしみ込んでくる。それは子守歌のようで、初めて聞いた歌なのに、言葉なのに、懐かしさが、郷愁が、胸に広がっていく。お疲れ様。お休みなさい。
ただいま――いってらっしゃい。
「……お粗末様でした」
気づけば音楽が終わっていた。ぽかんとする皆を見てやらかしてしまったと勘違いするイェレナであった。ある意味でそれは間違っていない。
「いい歌だったよ。本当に、良かった。今日は、無理をしなくても寝れそうだ」
「また聞かせてくれよお嬢ちゃん。ところでその恰好って都会じゃ流行ってるの?」
「変とは言わないけど……やっぱ変じゃないか?」
「……こ、これはマーシアの由緒正しい服で――」
かつてない勢いで詰め寄られ、人の輪に飲み込まれていくイェレナを見て、アルフレッドは良い光景だと微笑んだ。これがきっかけになればと、思う。
「素晴らしい歌声でした。音には、人の本質が出ます。彼女は優しく、万人に慈しみの心を持ち、人を癒すことに生涯を捧げるでしょう。とても、美しい」
「……それだけ聞くと不幸にも聞こえるね」
「美しいモノの到達点は、大概悲劇の先にありますから」
「酷い世界だなァ」
その声に秘められた音をオルフェは聞き逃さなかった。
「貴方の声には、音が混じっていない」
「感情がないのかな。最近、僕も僕がわからないんだ」
「……私から言えるのは、先ほど槍を向けたのは、そういう相手だと思ったからです。踏み込み過ぎて、貴方も彼らと近くなっている。危険だと、感じました」
「危険、かぁ」
「ドーン・エンドと貴方は違う。彼らは終わった時代の遺物。世界が彼らを滅ぼすでしょう。その日は、さして遠くない。貴方には未来がある。気を強く持って頂きたい」
「彼らの終わりが近いって、どういう意味?」
アルフレッドの眼がギラリと鈍く光る。
「……エル・トゥーレの自警団が動き出しました。詳しくは知りませんが、戦力差はかなり大きいようです。おそらくは彼らがそのまま勝つでしょう。もし負けたところで、大義を持った二つの国が動き出す。それで終わりです」
「自警団が!? それは、あの共同体の理念に反するんじゃ」
「建前ですよ。今では立派な軍です。いずれ、独立するんじゃないでしょうか。まあ、それはどうでも良いことです。肝心なのは、世界が動き出したということ」
食卓の上にあったナイフを掴み、オルフェは壁に貼られている大きな羊皮紙の地図にそれを投擲した。それはこの周辺地域の地図で、ナイフが突き立った場所は現在地からそれほど離れていない。それ以上に、各国との境界が近くて驚いてしまうが――
「その昔、鉄の国と呼ばれていた小国跡。それが彼らの根城です」
「……エスタードとヴァルホールが動くと?」
「もう、動いています。ここはこういう村ですから、存外耳は早いのです」
アルフレッドは強い光を浮かべながら地図を睨みつけていた。それを遠くで心配そうに眺めている気がしないでもないイェレナ(瘴気服着用のため表情は見えない)。
オルフェはため息をつく。
(話がそれてしまいましたが、私の『眼』には終わりの見えたドーン・エンドよりも貴方が怖い。知っていますか? ご自分が、酷い世界だと言った時の、貴方の貌を)
強大な才能が憎しみに溺れてしまえば、その影響はドーン・エンドの比ではない。いずれ彼は世界を壊すかもしれない。その危惧が少しだけ、オルフェの脳裏に過った。
勘違いであればと――思う。
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