ドーン・エンド:夜明け前

「――目的地は?」

 夜、たき火を囲みながらイェレナが疑問をぶつける。旅なのだ。目的地は当然あるもの、その思い込みが再会して半日後まで目的地と言う根本的な部分を問うことなく来ていた。

「…………あ、お肉焼けたよ」

「……ありがとう」

 食事時だけ鳥型のマスクを外すイェレナ。これでも昔に比べたら進歩している方で、初めて会った時などマスクを装着したまま食事を摂るなどの無駄な技量を見せつけられ絶句したものである。

 と、そんな思い出に浸っているアルフレッドであったが――

「それで、目的地は?」

「……お水は要らない?」

「……もらう」

 ちょっとずつちびちび飲む姿は昔のニコラを見ているようであった。外見はミラに似ているが、彼女は基本的に一気飲みして「プハァ!」というタイプなので――

「目的地は?」

「……星がきれいだね」

「とても。で、目的地は?」

 さすがに誤魔化すのも限界なのはイェレナの雰囲気を見れば誰でもわかるだろう。元々喜怒哀楽の薄い彼女であったが、さすがに虚無の表情はあまりない。

「……ない、わけじゃないんだけど、明確じゃないというか」

「アルにしては歯切れが悪い。まさか、本当にないの?」

「いやー、一緒に旅をしていた人とはぐれちゃってとりあえず歩いてたら会えるかなーって勢いで。どちらにしろほら、あの集落には居辛くなってたし」

「ばか?」

「面目ないです」

 心底呆れたという風にため息をつくイェレナ。アルフレッドはとにかく謝ったもん勝ちとばかりに頭を下げ続けていた。

「考える時間はあった」

「集落のこと考えてたらそっちを考えるの忘れてたんだ。あっはっは」

「ばか」

「申し訳ございません」

「ちょっと待ってて。荷物に地図があるから」

 イェレナはごそごそと自らが持ってきた巨大なリュックの中を探り出す。ちなみにこのリュック、大きさも小柄なイェレナとほぼ変わらないほどであるが、重さも相応以上のものがあった。紳士を気取って代わりに担いでみたが、ものの五分も経たずに音を上げることになってしまったのは恥ずかしい記憶である。

 ついさっきの話であるが。

 医療道具に旅に役立つ薬草などは当然として、鍋や水筒、旅にお役立ちの道具類がこれでもかと詰まっていた。ユラン曰く医者は「身体が資本」だと言うがこれを担いで歩き回れるのは少々範疇から外れていると思うこの頃である。

「今、私たちがいるのはこの辺り。集落は此処。アルがどんぶらこと流れてきた川はここ。落ちた地点はパパの予想だけどこの辺り。そんなに離れていないけど、近くもない」

 ユランたちが自分のことを考えてくれていた事実に少しうるっときたアルフレッドであったが、イェレナの表情があまりにも虚無感漂っていたため割愛する。

「ここって一応ガリアスだったんだね」

「……それすら知らないとは……アルって意外と抜けてる」

「いやー、逃げてるときは無我夢中で、てっきりエル・トゥーレ付近には来ているかなあって。その後は色々と考えることがあって、えへへ」

「考えは間違っていない。エル・トゥーレはともかく旧アークランドの領土は近い。今はアークランドがいなくなってボコボコ生えてきた小国がいっぱいある。其処を越えるとエル・トゥーレの自治区。ちょっと遠い」

 笑ってごまかすアルフレッドを無視して淡々と語るイェレナ。

「エル・トゥーレ周りの小国群はかなり治安が悪い。アルカディアとガリアス側はともかくエスタードとヴァルホール側は未だにいざこざが絶えないって話」

「アークランドが力で支配していた部分が解放されて荒れたって話は聞いていたけど……そんなにひどいのかな?」

「わからない。私も話を聞いただけ。アークランドが治めていた時は色々と回っていたけど、その時は普通だった。その後は、知らない」

 最終戦争によって大きな戦争は消え去った。ローレンシア全体としては間違いなく平和になったと言えるが、その裏で色々動いていた部分も見過ごしてはならない。特にアークランドと言う一国が消えた領域は、様々な人種が入り乱れる無法地帯となってしまったことは記憶に新しい。それもアルカディアやガリアス、エスタードにネーデルクス、ヴァルホールと大国たちがある程度の秩序を取り戻したと聞いていたが――

「旅の同行者はね、冬は寒いから南に行くって言っていたんだ」

「じゃあ南へ進路を取る? 真央海の辺りはガリアスにしろヴァルホールにしろ賑やか。何よりもあったかい」

「僕も西へ行ってガリアスを抜けたら南へ向かおうかなーって漠然と考えていた。でも、今の話を聞いて気が変わったよ。僕はね、見たことのない景色を見たいんだ。それが良いモノでも、悪いモノでも。真央海は逃げない。僕は、混沌を見るよ」

「……なら、私もいっしょに行く。ごたごたしているところには怪我がつきもの。怪我人がいるなら、医者がいるべき。私は、お医者さんになるために旅に出たから」

 真っ直ぐなイェレナの言葉、姿勢、それを見てアルフレッドは苦笑する。何処か彼女には親近感を抱いていた。何者にも成れない、半端者同士だと。それは大きな間違いで、むしろ彼女は確固たる目的を持っていた。自分の周囲にいた彼らと同じ人種。

「君は、すごいなあ」

「何もすごくない。私は、まだ誰も治したことがないから」

 父の手伝いはいくらでもしてきた。しかし、自分が主体となって治療行為をしたことはない。ユランがさせなかったのだ。「命に責任を持てるようになったらな」と、結局最後まで後ろにいる間は主体的に動くことはなかった。

 いつまでも父の背に隠れていてはいけない。これはイェレナにとってもいい機会であった。それでも一人では、旅立つ勇気は生まれなかっただろう。

「私は、ママを治せるお医者さんになる。いつか、病気を世界から消したい。私や、パパと同じ気持ちになる人がいなくなると良いなって、思う」

 恥ずかしそうに、それでもきっぱりと夢を言い切る彼女の何と眩しいことか。アルフレッドにはまだ見つかってすらいないというのに。

「お母さんは?」

「病気で死んだ。異国の病だってマーシアだと研究もされなかった。パパは怒って偉い人と喧嘩して、国を出たの。ずっと怒っていた。マーシアに、世界に、病気に、治せなかった自分に。でもね、ある日遠くの国で、その病気が研究されているって話を聞いたの。何処よりも深く、執念深く……その研究はエル・トゥーレの医家たちに引き継がれた」

「……その研究を主導していた人って」

「アルカディア王ウィリアム・フォン・アルカディア。パパは、会ったことないけどすごい人だって言ってた。何事においても執念深く、諦めない。医者向きだけど、医者にするにはもったいない男だって。特に、この病気、黄黒病に関しては、凄まじいほどの熱量だって、言っていた」

「……そう言えば、ミラのお母さんも同じ病で、確か症状は――」

 途端に何かがフラッシュバックしてきて、軽い頭痛がその景色を乱す。冬、暖炉の前でシチューを食べていたら、いきなり大きな人と小さな女の子、そして――

「話がそれた。じゃあ目的地は、西、ガリアスを抜けた先」

「あ、ああ。そうしよう。きっと、やるべきことがあるよ、君にも、僕にも」

 浮かびかけた記憶の残滓を振り払い、今を見つめる。

 アークと再会するために南下する。それはきっと正しい道であろう。彼は自分により良い道を提示してくれる。いつも、まるで未来でも見ているかのように。

 でも、それでは成長しない。本当に見るべきものは、景色は、自分の足で向かった先にこそあるはずだから。例え心がボロボロになっても、世界を見たい。見なければならない。その焦燥感の名を、アルフレッドはまだ知らない。


     ○


「御無沙汰してます。幹部のお歴々」

 傭兵団のリーダーであった男が軽く会釈する。対峙する者たちはいずれも並々ならぬ雰囲気を醸し出していた。実際に、男よりも強い者ばかりである。

「……エル・トゥーレのガキどもが動き出した。なかなかに活きが良くてな、此処に居る連中もそれほど暇じゃない。くだらん話なら切り出さん方が身のためだぞ」

「おそらくですが、行方不明とされるアルカディア第一王子と交戦、撤退させらいちゃいました。こっちも相当活きが良いですよ。特に弓は、立ち姿から白騎士そっくりだ」

 全員の眼がぎらりと光った。白騎士、その名を聞いて沸き立たぬ者がこの場に居ようか。あの時代の勝者で、自分たちの時代を終わらせた張本人。もはや手の届く相手ではないが、息子が自分たちの舞台へ参戦するとなれば確かに面白い話である。

「おもしれえ。最後の祭りに役者が出揃い始めたじゃねえか」

 最も奥、上座にて男が微笑む。

「ヴァルホールはフェンリス王子の懐刀の一人に指揮を、脇を固めるのはあんたと同じ狼たちだ。加えてエスタードは近々カンペアドールの一角を出すらしい。本当に、面白くなってきやがったぜ。なあ、あんたらもそう思うだろう?」

 嗤うは歴戦の怪物たち。あの時代、名を上げた者たちの影には彼らがいた。戦乱の世、精鋭と呼ばれた彼らは生き延びてしまった。傭兵、正規兵、立場は違えどこれしか知らぬ者たちばかり。戦うことしか能のない大馬鹿者の群れ。

「夜明けは近い。ようやく、願いが叶うぞ。馬鹿野郎ども」

 彼らの名はドーン・エンド。その名の由来は夜明け、そして終焉。

 彼らは何を望み戦うのか、何にしろ彼らに迷いはない。迷いなく、進む。

 その先には何があろうとも――

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