ドーン・エンド:小さな戦場

 戦が始まって幾ばくか、戦場を外側からコントロールする弓手は退屈そうに欠伸を重ねていた。コントロールする必要がないのだ。集落に生まれ集落に死ぬ定めである彼らに戦いの心得などない。現場では阿鼻叫喚の図が広がっている。二つの集落の民が殺し合い、傭兵もそれに混じる。現場は燦々たる有様であった。

 されど、双方とも傭兵のみ損耗がほとんどない。無辜の民は圧倒的技量差で虐殺し、同業者である傭兵とは刃を交えても小競り合いのみ。本気で戦っていない。だが、それに気づく余裕など今死にゆく彼らにあるはずもない。

「……組織の稼ぎのためにってのはわかっていてもつまんねえ。俺は戦争で、戦士として死にたいもんだぜ。いつまでこんなカスみたいな連中と戯れなきゃ――」

 独白の最中、傭兵の弓手である男は怖気のようなものを感じた。

「……おいおい、これはまた随分と」

 怖気の方へ視線を向けると、そこには一人の少年が立っていた。あの熊で遊んでいた時、見かけた少年。相当の実力者であったが、戦いの匂いに欠けていた。殺し殺され、血の匂いがしなかったのだ。何処までも試合、試し合いの住人。そう思っていた。

「良い眼だ。引き込まれそうな、飲み込まれそうな、そんな気分になっちまう」

「武器を置き、退いてくれませんか」

「ハッ、萎えることぬかすなよ。仕舞いまでやろうぜ、殺し合いだ!」

「……でしょうね。貴方たちは、皆、そう言う」

 少年は走り出す。小刻みに頭を揺らし、不規則な動きで左右にブレながら、かなりの速度を保ち突貫してくるのだ。男は哂う。あの少年は弓手が嫌がることを知っている。弓使いにとって一番嫌な相手は、的を絞らせず、さらに前進してくる手合い。

 特に弓相手に前を向ける戦士は強い。外したら負ける。そのリスクが命中率を下げる。一発か、二発か、今度の相手はどれだけ余裕を与えてくれるのか。

「馬鹿が! 一射だボケ!」

 鼓舞するように放たれた矢。それは一直線に前傾姿勢の頭部へ吸い込まれていき、そこから信じがたい動きで回避された。まるで獣のような、紙一重かつ柔軟な動き。男の経験にはなかった、計算し難い動きである。

「なんだよ、そりゃ!?」

 獣のように俊敏で、人間を超えた野生の反応速度。この距離でかわされたなら二の矢はない。男は弓を捨て剣を握る。男の戦士としてかなりの場数は踏んでいる。かのカンペアドールとも轡を並べた歴戦の猛者。だからこそ、見える世界があった。

「名を、教えてください」

「……フラビオ・リコ。マクシミリアーノ様直属の弓兵、それが我が誇りだ」

「覚えました」

 ただの一合とて打ち合いには成らなかった。最初の抜き合いで機先を征した少年がフラビオの腕を断ち、武器を殺した。その上で首を刎ねる。流れるように、効率的に、その眼には何の感情も浮かんでいない。零度がたゆたう。

「貴方も、笑うんですね」

 死に際で笑ったフラビオを見て少年、アルフレッドは突如えずく。胃液を地面にこぼし、感情のない眼で前を向く。何を吐こうが関係ない。前に進むと決めたのだ。愚かな彼らを、それでも救うと決めたのだ。

「理解不能です」

 それでも、こうするしか道はない。まずは弓手を削り取る。誰にも気づかれず、それが最も被害を少なくする方法なのだから。

「……あと三人、か。加えて一人か二人、それで終わらせる!」

 やるべきことをやる。それだけのこと。


     ○


 双方の傭兵たちを指揮する男は一つの仕事が終わったと判断した。あとはこちら側の集落の民を皆殺しにして、あちら側を勝たせてやる。そう考えながら男は(どっちがどっちだっけか? まあ、どっちでも一緒だが)と自嘲した。

 思った通りに踊る愚者。しかし、新たな時代にとっては彼らのような愚者でさえ自分たちより上に来るのだ。役割が与えられている。麦を、ぶどうを、野菜を、彼らは作る。生きるために作り、その対価を糧に彼らは生きて、また作る。

 輪があった。昔は、自分たちも内側であったはずの輪。

 時代、世界、うつろい、消える。自分たちは消える側。わかっていて、変えられぬと理解した上で、彼らは自然消滅の道を選んだ。

 世界が殺してくれるのを待っていた。

「隊長、そろそろ終わらせますか?」

「ああ、茶番は十分だろう。終わらせてしまえ」

 双方の傭兵に指示が飛ぶ。片方は攻め、片方は撤退する。一つの集落が滅び、一つが残り、自分たちは双方から富を巻き上げる。それで終わり。それだけで――

「よーし、ぶっ殺すか」

「全員撤退するぞ。もう無理だ!」

「ま、待ってください傭兵様。此処でいなくなられたら、オラたちどうすれば――」

「悪いな。死ぬまで付き合うのは傭兵の流儀じゃねえのさ。ま、戦いっての水物でな。勝ったり負けたり、そんなもんだ。次の人生は、あっち側であるように祈りな」

「そ、そんな。あんたたちが絶対勝てるっていっだがら」

「戦いに絶対なんてねえのよ。勉強に成ったろ?」

 崩れ落ちる敗者側。頼りにしていた傭兵たちがいなくなれば、自分たちは滅ぶだけであろう。倒れ、死に絶える躯を見て、自分がああなることを想像し、ようやく彼らは実感を得た。戦い、負けて、死ぬという実感を――

「お前ら、これ以上は割に合わん。退くぞー」

 縋りつく民を蹴飛ばしながら傭兵たちは歩き出す。見上げればそこには心底馬鹿にした笑みが張り付いており、しかして彼らがそれを見上げて知ることはない。絶望を前に上を見る胆力など彼らにはないのだから。

「あー、疲れたぜ。さっさと戻って女でも抱こ――」

 誰よりも早く踵を返した男。全てが終わったと確信し後ろを向いた瞬間、その後頭部、兜の隙間を矢が突き立った。何が起きたのかわからず立ちすくむ男。それを見て傭兵たちは足を止めた。そして振り返る。退くべき『後方』から、戦慄の『前方』へと。

「まだ勝負は終わっていない。剣を納めるには早いぞ」

 高台に陣取る少年を見て、彼らは総毛立つ。その眼が、その雰囲気が、彼らの知る怪物たちに酷似していたから。まだ生まれたて、しかし、間違いなく少年は彼らと並ぶ。自分たちとは格の違う生き物。この時点でさえ、勝てないかもしれない。

「弓兵は『全て』処理した。地の利は俺たちにある」

 足で蹴飛ばした二つの頭部は『あちら』側の弓兵。だが、傭兵たちは知っている。此処で動きがない以上、『こちら』側の弓兵も仕留められていることを。まさに彼の言っている通り、弓手にとってこれ以上ない好条件、妨害ゼロの高所をその手にしたからこその地の利。一番離れたところにいる傭兵を、完璧に射抜いたことで説得力は増した。

「さあ戦え傭兵たち! 勝機はある。前金分は働いてみせろ。退く理由など何処にある?」

 アルフレッドは話しながら、無造作に弓を構えて矢を放った。それは放物線を描き、こっそりと裏へ回ってアルフレッドを強襲しようとした傭兵の一人を仕留める。その精度、体躯に見合わぬ飛距離、傭兵たちは完全に気圧されてしまう。

 ただ一人の少年によって。

「それとも、戦えない理由でもあるのか?」

 冷たい視線。見下ろすそれを彼らは知っていた。絶対的強者による睥睨。戦場の王が持つ眼。解答を違えれば死ぬ。気分を損ねたら死ぬ。敵に回ったら、死ぬ。

「はは、こんな時代でも、生まれるもんなのか」

 彼らは思い思いの王者を思い出していた。あの時代、煌く星は数え切れぬほどあった。それぞれの力を信じ、それぞれの覇道を信じ、進んだ道の果て――

「戦争だ。戦争が、あそこにある!」

 たった一人の戦争。其処に向けて吸い込まれそうな傭兵たちを見て、

「此処までだ。全員、退くぞ!」

 隊長である男は叫んだ。びくりと正気に戻る傭兵たち。

「小遣い稼ぎは終了だ。あれとやり合うのは、今じゃない。忘れるな、俺たちの終わりは組織に預けた。だから、俺たちはまだ終わっていないんだ。良い終わりのために、今は我慢しろ。でかい戦争はもうすぐだ。もうすぐ、来る」

 双方の傭兵たちが一斉に剣を納めた。呆然と、理解できずことを眺める双方の愚者たち。

「良い眼になったな少年! ここは退かせてもらう。それとも殺し合いが望みか?」

「いいえ、退くなら撃ちません。さっさと俺の前から消えてください」

「ははは、嫌われたもんだ。でもな、たぶん俺たちはまた会うぜ。俺はお前に終わりを見た。こいつらも、同じだ。俺たちの名は『夜明けの国(ドーン・エンド)』。お前は新時代、俺たちは旧時代。必ず、惹かれ合う。そして、どちらかが終わる」

 これだけ統率の取れた彼らを烏合の衆とはアルフレッドも考えていなかった。いくらなんでも練度が高過ぎるのだ。先程の弓兵フラビオのように正規兵崩れもいれば、あの三人のように傭兵崩れもいるだろう。それをまとめている者がいる。

「……間違いは正される。それが世の摂理だ」

「正されるんじゃない。人が正すんだ。他人事はやめろよ。お前はもう、当事者だろ?」

「…………」

 答えないアルフレッドを一笑に付して傭兵たちは颯爽と駆け出す。何一つこれ以上奪うことなく、少年の気が変わらない内に逃走を完遂する。逃げに徹した彼らの機敏さはやはり練度の高さを窺わせた。無論、背中から撃つ気など毛頭ないが――

「な、何故逃がした!? 奴らはオラたちを裏切ったのに、オメは――」

「お世話になった分は返しました。これ以上、どちらにも僕は関わりたくありません。好きにすると良い。では、僕はこれで」

 救ったはずの民から向けられるのは、まるで敵を睨むような視線。それを背中に受けて、アルフレッドは苦笑を禁じ得ない。これほど滑稽な話があっただろうか。結局、得をしたのは傭兵たちだけ。他は全員利用され、損をした。

 老若男女、多くを失った集落。いそいそと立ち去っていく隣の集落との関係性はいやがおうにも変わっていくだろう。今回の犠牲が尾を引いて、結局併合される道を取るかもしれない。しかし、それは自らの選択が招いたこと。

 本来、温厚で優しく、純粋な彼らは弱かった。弱さから眼を背け、強きが差し出した欲望に呑まれた。その結果が今、だが、それを直視できるほども彼らは強くないのだ。誰かのせいにしなければ、群れを保てないほどに。あれは、憎しみの視線ではない。

 憎しみの皮を被った、保身の視線である。

 それがあまりにも滑稽で、アルフレッドは嗤う。嗤いながら、泣いた。

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