ドーン・エンド:選択

 雪が解け、春を迎える頃にはすっかりとアルフレッドは腫物のような扱いになっていた。幾度も、あの手この手で人々の『過ち』を正そうとした。そのすべてが水泡に帰し、その度に人は離れていく。理屈を説けば説くほどに深まる溝。

「お前さんは頭の良い馬鹿だな。ある意味尊敬するぜ」

 ユランはその努力を笑い飛ばす。痛みを伴わず何とか悲劇を回避しようとする心根は尊敬に値する。本当に、彼は良い環境で育ってきたのだろう。この話の根幹は集落が、傭兵がどうこうではないのだ。其処に気づくには、まだ彼は世界を知らな過ぎた。


 そして来る。予定調和の如く傭兵団が。話は聞いた、自分たちはあちらの傭兵団より腕が良く、戦えば必ず勝てるなどと言い、自らの値段を口八丁で釣り上げていく。集落の者たちは生き残るために必ず雇う。それがわかっているからこその強気。

「あの時とは状況が違うだろ? 戦いになるなら、こいつが相場だぜ」

「ううむ、わかった。これで手を打とう。皆もいいな、隣の連中に勝って連中の土地を手にすれば、此処での出費なぞおつりが出る!」

「賛成!」

 大喝采の中、迎え入れられた傭兵団。彼らは嗤う。あまりにも純朴で、あまりにも考えが足りず、だからこそカモとなるしかない哀れな存在を。

「とりあえず乾杯と行こうか。集落の繁栄を祈って!」

「そうだ、宴の準備をしよう!」

「ガッハッハ、いいねえ。賑やかなのは好きだぜ」

 破滅への奈落が口を開ける。彼らはそこに希望を見ているが――

「あーそうだ、いっこ聞きてえんだが……熊殺しのガキについて、何か知ってるかい?」

 その問いの瞬間だけ、彼らの眼から笑みが消えたことに気づく者はいなかった。


     ○


「……何か連中の気に障ることしたのか?」

「身に覚えはないです。たぶん」

「ったく、イェレナ、下手に動くなよ。素人がどうにか出来る相手じゃねえ」

 ユランもこの集落に流れ着くまでにそれなりの修羅場は潜っている。しかし、今この屋敷に侵入している彼らはそこで出会ったチンピラたちとは一線を画す。職業軍人のような規律は感じられないが、歴戦の猛者らしく隙だらけのようで、隙が無い。

「剣、お借りしても良いですか?」

「馬鹿なことを考えるな。相手はプロ、それも複数だ。多少腕に覚えがある程度じゃ」

「大丈夫です。たぶん、僕の方が強いので」

 この少年にしては珍しく自信に満ちた表情。実際、アルフレッドには確信があった。立ち方、足運び、日常のしぐさからも実力と言うモノは伝わってくる。彼らは、自分が勝利してきた相手と比較してもかなり劣る。リオネルはもちろんのこと、リュシュアンよりも遥かに落ちるだろう。複数人でも片手で数えられる数なら、負ける要素がない。

「少し行ってきます。どうせお別れするなら、綺麗な別れにしたいですし」

「……お前、まだあきらめて――」

「では」

 ユランは不安を覚える。実力を勘違いして痛い目を見るような馬鹿には見えない。きっと、少年が勝てると言っているのならば勝てるのだろう。ユランの不安はそこではない。あの少年は、あれだけ拒絶されてもなお彼らを正しい道へ導こうとしている。

 それを当たり前のことだと考えている節、そこが怖い。

 彼は知っているのだろうか。彼の考える世界、その壁の高さを。当たり前を当たり前と、正しいことを正しいと言える世界、その遠きを、彼は知っているのだろうか。


     ○


「あー、ありゃつえーわ」

「やっべー、俺ら運悪過ぎて笑う。最高に運わりーな」

「よーし、誰が最初に死ぬか賭けるべ」

 屋敷を飛び出したアルフレッドは彼らを手招き誘い込んだ。ちょっとした崖があり、逃げ場のない状況。追い込んだと思ったら誘い込まれたという塩梅。ただし、途中からは双方とも承知の追走劇。

「三人ですか?」

「不服か?」

「……もう一人いた気がするんですが」

「そりゃお前、あの屋敷で世話になっていたんだろ? もしかすると人質になるかもしれねーからな。今頃は――」

「あまり傭兵稼業の方とはお会いしたことはありませんでしたが、なるほど、よーくわかりました。すぐに終わらせます」

 アルフレッドが構えた瞬間、傭兵たちは「ひゅー」と口笛を鳴らす。彼らの余裕に少しだけ怪訝な表情を見せるアルフレッド。笑う要素など何一つもない。

 自分の方が強い。見れば、感じればわかるはず。

「……冗談だよ。一人は報告用だ。それに、テメエは勘違いしているぜ。俺らより強いって見せて、それで俺らがビビるって思ってる時点で、やっぱり何もわかってねえ」

「何を――」

「俺らが今からやるのは、殺し合いってこった」

 傭兵たちが剣を抜く。笑みを浮かべながら、遥か格上のはずのアルフレッドに悠然と立ち向かう。あまりにも飄々と、死地に踏み込む彼ら。そこはすでに居合いの射程。

「舐めるなッ!」

 アルフレッドの居合いが迸る。その刃は喉元へと――


     ○


 喉元でぴたりと止まる刃。悠然とそれを見下ろす傭兵の顔に焦りは一つもなかった。

「おー、すげえ。全然見えなかったわ」

 そう言いながらも傭兵たちはどこかつまらなそうな顔でアルフレッドを見ていた。当のアルフレッドは何故避けなかったのか、視えなかったにしてもどうしてそうも余裕の表情をしていられるのか、何よりも力の差を見せてなお、彼らが退却の姿勢一つも見せていないことに驚愕していた。

「童貞確定だな」

「おい坊主、強いんだからずばっといけずばっと。一回やりゃああとは慣れだ慣れ」

「あ? 俺に死ねってのかボケ」

「じゃあ俺に代われや。ばっちり殺し合ってやるよ」

「……じゃんけんで決めただろうが。俺が一番、手前は三番。黙ってみてろ」

 唖然とするやり取り。彼らは当たり前のように自らの死も含めて語り合っている。そうなっても仕方がないという風な――否、もしかするとそれを望んでいるかのような語り口。

「んじゃ攻めるか」

 傭兵の剣は、雰囲気ほどの技量はなかった。捌く分には何の問題も無い。闘技場でなら彼は中堅も良いところだろう。それなのに――

「何で倒し切れないのかわからないって顔だ」

 わき腹にアルフレッドの蹴りが入る。多少顔を歪めるも一歩も引くそぶりは見せない傭兵。先程からこうなのだ。何度も攻撃は入れている。いくつかは悶絶してもおかしくないほどの威力であったはず。発勁も、入れた。

 それなのに倒れない。

「は、クソいてえ!」

 逆にその攻撃に対してはキレのあるカウンターを放ってくる。完全に読み切られていた。手順をどんなに複雑化しても、それら全てを読み切られているような感覚。

「チンタラしてんなよ坊主。色々考えてんのはわかるけど、殺さないってケツがわかっている以上、意味がねえんだよ。死なねえなら避ける意味もねえ。来るってわかってりゃあ気合で耐えられる。やべーのだけ警戒しときゃ良いんだ。阿呆なことやってないで、さっさと覚悟決めろや。テメエから誘ったんだろーが、殺し合いをよォ」

 他の傭兵が酒を飲みながら茶々を入れる。しかしそれは、アルフレッドが見て見ぬ振りしようとしていた真実で、彼らはそれを突き付けてきたのだ。一番簡単で、一番難しい選択肢を。本当の最善手を、取れと言っている。

「馬鹿で、その癖実力も大したことねえ俺らが生き残っちまったのは、ひとえにタフだったからだ。人よりタフで、生き抜いたから経験を積んじまった。のたれ死ぬには、生き汚くなったし、奪う手段も身に染み付いている。ほら、火が上がったぜ」

「え――?」

 傭兵が指さした方角、そこにはユランたちの屋敷が、奥には集落が――

「よそ見し過ぎだボケ」

 傭兵『たち』が呆然としてしまったアルフレッドを拘束した。先ほどまで一切手出しをしなかった彼らが動いた。もはや、彼らの思考がアルフレッドにはわからない。これほどわからないことはあまりなかった。

 心が、身体が様々に揺れ動く現実に追いつけない。

「さっきまで俺らに勝ち目はゼロだったから好きなように遊んでいた。今、勝ち目が出てきたから動いた。それだけの話だ。色々と難しく考え過ぎなんだよ、ガキんちょ」

「くそ、放せよ!」

「嫌だね。ってか今更何言ってんだ? いくらでも、どのタイミングでも、お前はどうにでも出来ただろうに。それをしなかったのはお前だ。お前の選択だ」

「うひょー火の手が上がってきたー。何度見ても夜空に炎、夜襲ってのは綺麗だねえ」

「さて、何人死ぬと思う? もし俺たちを殺していたら、お前、何人救えたと思う?」

「さあ刻み込め。これが戦争だ。どんなにちっぽけでも、ちゃちな戦場であっても、選択次第で生死が揺れる。あそこが、此処が戦場だ。ようこそ坊や、我らが故郷へ」

「そして死ね。覚悟無き戦士に居場所はねえよ」

 三つの刃が煌く。あえて彼らは剣を握っている方を残した。可能性を残した。さあ、やれるのであればやってみろ。これが最後の選択であると。

 我らが真に望むのは――殺し合いなのだ、と。

 アルフレッドの脳裏に駆け巡るのは様々な景色。今までの、景色。

 生き残るためには――選択するしかなかった。


     ○


 少し離れたところで舞い上がった戦火。ユランにとっては久しぶりで、特に珍しくもない光景が始まっていた。マーシアはその特異性によりあまり手を出されることこそなかったが、あそこで絶望し、世界中を回った際にいくらでも見た絶望。

「そりゃそうか。こっちを潰す気なら、前金さえ手に入れてしまえばあとは短い方が良い。昨日の今日で終わらせちまった方が得。ったく、俺もヤキが回ったもんだぜ」

 前金をごっそり頂いたあと、こちら側の傭兵は撤退。残りカスはあっちの集落にくれてやり評判すら落とさず彼らはことを成す。

「イェレナ! 持てるもん持ってお前は逃げろ!」

「パパは?」

「俺は、医者だ。価値はある。それだけの価値しかない。だから大丈夫だ」

「……意味がわからない」

「わからなくていい。もしあの坊主が良ければ一緒にとも思っていたが――」

 男の医者。医者としての価値しかない自分は悪いようにはされないだろう。しかし、女の医師見習い。この価値を傭兵たちがどう判断するかまではユランの知るところではなかった。女としての価値を見られるならまだ可愛い。もし異種族として、見世物として扱われるなら、それは人ですらなくなるのだから。

「……アル?」

 その娘がピクリと反応する。

「生きていたか坊主! さっさと支度しろ! お前には頼み、が……おい」

 イェレナが自信をもって声をかけられなかった理由、ユランが言葉を詰まらせてしまった理由、どちらもその根は同じ。

 アルフレッドは生きていた。血まみれで、眼に生気はなく、虚ろにぶつぶつとつぶやき続ける。何度も吐しゃしたことが見て取れる口元、そこに張り付いた嗤いは誰に向けられたものか。今こそ仮面が必要だろう。少年は今、人と獣の狭間にいる。

「……止めてきます。今の僕なら、それが出来るから」

「待て、駄目だ! 医者としてそれ以上は看過できん! 壊れるぞ!」

「大丈夫です。簡単な、ことだったんです」

 ぐにゃりと歪む笑み、それはとても「大丈夫」と言った者の顔ではなく、されどユランには止めることも出来なかった。何故なら、きっと彼は成してしまうのだろう。この少年を修羅の道に落とすのが、この場での最善。思い至ってしまったから、言葉が出ない。

「俺なら、やれる」

 歩き始めた道は、正しい道か。人の道に背き獣ヶ原を歩むが彼の道か。


     ○


 まだ残雪の残る崖のそば、三つの死体が笑みを浮かべていた。彼らの今際の言葉が、アルフレッドと言う少年を破壊した。彼らは死を前にしてこう言ったのだ。

「終わらせてくれてありがとう」

 異口同音に、感謝を述べた。心の底から、死を待ち望んでいたかのように。

 古き時代の残滓、これより始まる。

 新たな時代との衝突が。

 この集落での一件など、序章に過ぎないのだから。

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