無敗の剣闘士:アルフレッドの旅

 アルフレッドが構えた瞬間、対峙する男の雰囲気が変化した。

「何故剣を使わない? 居合いが持ち味なんだろ?」

「……これも、僕の持ち味ですよ!」

 わざわざ自分の手札が欠けていることをさらす必要はない。脱力、流れるような動作で震脚、そこからの拳打で相手の腹を射抜――

「試合、見てたぜ。監視対象だったからな」

 力溢れる拳を、ほんの少しだけ横から手を添えてやることで、力の流れが虚空へ消える。驚くほど柔らかなタッチ、赤子を撫でるかのような優しい動き。

「発勁、どこで学んだ?」

 アルフレッドの動きをトレースするかのような所作。しかしそれは、アルフレッドのモノよりも遥かに滑らかな流れであった。より水に近く、流れに一切の淀みがない。透き通った水流、そんな幻覚を覚えるほどその動きは美しく――

「ぐっ!?」

 見た目に反しておぞましい威力の拳打を生む。

 アルフレッドは思いっきりかわした。恥も外聞も無く、次の攻撃に繋がる動きなどなく、ただ逃避するためだけの動き。

「まあ、どこで学んだにしろ――」

 そこからの動きは圧巻であった。

「――半可通が入り口に立っただけで持ち味とは笑わせる」

 それは氾濫する河川の如し荒々しさ、不規則さをもってアルフレッドに猛威を振るった。恐ろしいのはそれら全てに発勁が、力の焦点が合っていたこと。震脚が起点であることは同じだが、そこからの派生がもはや別次元であった。拳に合わせるのはもちろんのこと、蹴りにも合わせるし、上手く体の中で幾重にも流し、一度の震脚で何発も分割した発勁をあらゆる攻撃に織り交ぜてくる。

 アルフレッドでは再現できないほど、高度な動き。男は流れを征していた。自身の技術が児戯に見えるほどの差。児戯と芸術、積み重ねの、理解の差はあまりにも大きい。

「俺の名は黒星、ここより遥か東方、九龍の拳士に名を連ねていた者だ。貴様が見せた芸当は我らの技で基本とされる流の初歩。流は水、流は龍、流は蒼、天海束ねて拳士成」

 技への理解が違い過ぎた。技への熱意が違い過ぎた。

 これほど技と言う分野で開きを感じたのは初めてのこと。

「まああれだ、その構えを拳士の前で見せるな。たぶん、優しくは出来ねえぜ」

 疲労を度外視しても手も足も出ない。針や暗殺者として振舞っていた時とは比較にならないほど強い。まるで山のように積み重なった技術は、きっと彼のみで積み上げたものではないのだろう。それこそ彼の国で、東方世界が長い時間をかけて磨き上げた技の極致。

「ほれ、剣抜け。そしたら俺もこの針で戦って――」

 アルフレッドは、笑みを浮かべながら、発勁の構えを取った。

「――笑えねえって、言ったぜ俺は」

 黒星は薄ら笑いすら消し、一切の感情も無く流れを作り出す。呑まれたなら最後、打ち倒されるまで叩き込まれる拳打、蹴りの嵐。それは――

 今のアルフレッドにはどうすることも出来なかった。


      ○


 今までの認識の限界は技を学んだ相手であった。彼らには感謝しているが、本物を目の当たりにした今、彼らの技は不完全であったと言わざるを得ない。本物ではなく、あくまで彼らの一部を分け与えられただけ。自分はその入り口である程度満足していた。

 自分の技は彼の流れに飲まれるさざ波。同じ威力の震脚、つまり同じだけの力を生んでも放たれる拳、その破壊力には大きな差があった。

 力の差だけではない。流れに無駄がない。全ての動作に意味がある。それがわかるのに、意味があることはわかるのに、その中身がわからない。もう少しでわかる、そういう類のモノではないと思った時点で敗北を認めたようなもの。

「……お前らは自分ばかりだ。世界にどれだけの力が満ちているのか、それを理解していない。重さとは何か、世界に満ちている空気とは何か、降り注ぐ陽光、風は、雨は、大地に根ざすことの意味を知らない。だから、未熟なんだよ」

 自分が思考に含んでいない要素まで彼は技術に組み込んでいる。だから、勝てない。勝てる理由がない。体で負け、心で負け、技で負ける。

「こっちに来て体に驚いたことは多々あれど、技に驚いたことはあんまねえ。それこそ、白騎士の、あれを技と言っていいのかわかんねえが、あれくらいのもんだ」

 技に対する深さが違った。技に対する執着が違った。

 執念すら感じる技への信仰。それが彼の柱である。

「此処までだ坊主。こんだけぼろ糞に言ったが、正直イイ線いってるよ。震脚だけで十年、それでも出来ない奴は出来ない。俺がいた場所も、本物の拳士ってのはごく僅かだ。震脚一つ満足にできない連中がふんぞり返っている中、遥か西方の地で、これだけ使えるって時点で称賛に値するさ。俺が育ててえくらいだ。世辞抜きでな」

 黒星はあえて諦めさせるために技量の差を見せつけたのだろう。おそらく、本気でやればもっと早くケリをつけられたはず。そうしなかったのは、諦めさせて任務を完遂するため。自分の身柄を、依頼主へと届けるためである。

「さあ、冒険ごっこは終わりだ。お前さんは優秀だ。優秀な奴ってのは、相応の地位にいるべきだろ? 責任ってやつがある。ガリアスは、お前にその場をくれるってよ」

 差し伸べられた手。それは、もしかすると最善の道なのかもしれない。ガリアスに下り、ガリアスと共に生きる。其処にはシャルロットもいればリオネルもいる。切磋琢磨し、競い合い、高め合う。退屈しない毎日だろう。幸せ、なのかもしれない。

「……貴方は何故、危険を冒して無間砂漠を越えたのですか?」

「……それが今何の関係がある?」

 アルフレッドは一歩、後ろへ下がった。

「貴方だって強い。貴方は、数少ない本物だったんでしょ。なら、責任があったはずだ。それ相応の地位にだって、いたんじゃないですか?」

「…………」

 さらに一歩――

「それでも無間砂漠を越えた。その先に何があるのか、貴方は知らなかったはずだ」

「それを後悔している。俺の望むモノは、こっちにもなかった」

「でもその後悔は、踏み出したからこそ得られたものだ」

「俺ァ現実を見ろって――」

「知りたいんだ。僕がこの世界にいる意味を。知りたいんだ。僕がやりたいことを。知らなきゃいけないんだ。だって、みんなそれを持っている。強く生きている。僕には、それがない。彼らのようになりたい。僕も、自分の意志で立ってみたい」

 アルフレッドは笑った。

 心底、この苦境を楽しんでいるとでも言うかのように――

「僕は死なない。僕が死んでたまるか! まだ、見つけていない。知らないことばかり。今日も、また一つ知らないことを知った。凄く、良い気分だ。まずは、知ろうと思う。知らないことを、知るのが僕の、俺の、アルフレッド・フォン・アルカディアの旅だ!」

 黒星も気づいていた。気づいていながら、そんな馬鹿な手段を取るわけがないとタカをくくっていたのだ。後ろは崖、その下には河川が流れている。だが、彼は知っている。この高さから水面に落ちる意味を。水は鉄にも成り得る。

「まだ旅は、始まったばかりだ!」

 ふわりと、後ろへ跳んだアルフレッド。その笑みには覚悟があった。彼もまた知らないはずはないだろう。この高さから飛び降りる意味を。知って、彼は飛んだのだ。

「……はは、親父譲りで、やべー馬鹿だあのガキ」

 報告すべきことは一つ。彼が死んだということ。客観的に見て、奇跡が起きてでもない限り彼は死んだ。もし生きていたとしたら、それは奇跡のせいで自分のせいではない。

「前金だけでさようならだな。ったく、嫌な仕事と思いきや、あのガキが絡むと面白くなっちまう。ま、生きてたら会おうぜ、大馬鹿野郎」

 黒星もまた闇夜に消える。こんな報告を携えてガリアスに戻ろうものなら自分の首が飛ぶ。戻るのは愚かな選択。自分は賢しいのでその道を取るだけ。決して、決して何かに影響されて、新しい道をさっさと踏み出したくなったというわけではない。

 ただ打算的なだけ。それだけのこと――


     ○


 アークは血まみれになりながらも筋を通した。騎士全てを命を取ることなく戦闘不能にしてのけたのだ。初めから彼はそれが出来た。あの苦境は、本物ではなかったのだ。

「何故、それだけの力がありながら――」

「これが、最も星が輝く道であるがゆえ」

「……何を?」

「苦難か、それとも出会いか、我と共にいるだけでは得られぬ何かがこの先にある。我にはそれが視えるのだ。我には、なァ。ガリアスの王妃に伝えよ、貴殿が求むる物は永遠に得られぬ。こやつらはすでに世界のモノ。人柱である、とな」

 アークは哀しげに微笑んだ。星は、燦然と輝く。しかしそれは彼らが望んだことなのか。彼らは望んで輝く道を選んだのか。それは眺める者にとって何の意味も無く、推し量ることなど考えもしない。星は輝く。人はそれを下から眺める。

 そこに疑問を抱く者など、この世界にいったいどれだけいるだろうか――

「救いなど何処にもない。この世界は、今もって地獄よ」

 アークもまた歩き出す。新たな道を得た英雄を、あるべきところへ導くために。

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