無敗の剣闘士:さらば美しき人よ

 商談が終わった後、リオネルは一人自分の飼い主の前に立つ。吐き気を催すほど気に食わない相手であるが、ガリアスと言う国においてトップクラスの力を持っている男。さしものリオネルでも横柄な態度は取れない。百将、彼らとは異なる力を持つがゆえに、リオネルは彼に勝つことが出来ない。

 彼は、刃の届く場所に出てこないから――

 名門の貴族ゆえ政財界に太いコネクションを持ち、自身もまた多くの事業を手掛ける政財界の怪物ドナシアン・ド・リエーブル。清濁併せた彼のやり口に反感を覚える者も少なくないが、それを表立って口にする者はいない。

 敵対者は必ず潰してきた。最愛の妻を人質に取られても、息子を攫われて脅迫された時も、彼は笑顔で敵を潰した。その結果、彼に家族はいない。そのことに悲しんでいないわけではなく、人並みに悲しんだ上で彼は切り捨てるのだ。

 強者は常に君臨すべし。それが彼のモットーであるがゆえ――

「――実に面白い商談だった。まさに、商談と呼ぶにふさわしい場であっただろう。ただの貴族の娘が、この私を前に笑顔で商売を持ちかけてきたのだ。これほどの喜劇はあるまいに……そこで、笑えぬ私は演出家ではなく演者と堕していた。実に痛快だろう?」

「…………」

 此処で乗るのが正解か、はたまた乗らずにおべんちゃらを述べるのが正解か、わからぬ時、リオネルは黙るようにしている。沈黙は金、その辺りの賢しさが無ければとっくにリオネルは死んでいただろう。この世界は、特にウルテリオルでは、彼の持つ力こそが最大の効力を発揮するのだ。馬鹿な獣に生きる場所はない。

「あれの演出家は誰だ?」

 振り返ったドナシアンの顔には笑みが張り付いていた。いつも通りの、薄く、さわやかな微笑み。敵対者を潰した時も、家族を失った時も、彼はこの笑みを浮かべてきた。

「俺が負けた相手だ。黄金騎士アレクシ――」

「中身の話だよ、リオネル」

 ドナシアンは笑っている。どこまでも変わらぬ笑みで――

「…………」

「沈黙が、いつでも正答だと思わぬことだ。まあいい、察しはついているよ。かの王妃や頭脳がご執心となれば嫌でも浮かび上がってくる。問題はそこじゃない。彼の生まれなどどうでも良い。この、企画書を作った人間に興味があるだけだ」

 彼の眼前には商談の際に使用された羊皮紙の企画書があった。シャルロットが無意味なこだわりを捨て、自分の前に立ったことは認めるが、やはり今回の商談の肝は内容にこそある。其処には目先の勝利だけではなく、先々への投資という点での価値が描かれていた。其処にいた何人が、この企画書の先に書かれた意図を汲みとれただろうか。

 わざとらしくなく、目敏い者は見過ごせないほどの香り。

「貴族教室、面白い発想だ。個人でやっている者はいるが、大概下級貴族の次男坊、三男坊、女であれば売れ残りや、難ありの出戻りばかり。本流など滅多にいない。其処へ行くとセラフィーヌと言う看板は魅力的だ。しかもその名に刻まれた傷は、私が後ろ盾になることで消える。これ以上ない人材が、此処しかない隙間を抉った。勝てるだろうね、勝てない理由がない。これから需要は増えていく。歴史だけの貴族が堕ち、力を持った者が取って代わる中で、彼女の立ち位置は存外大きいモノになるかもしれない」

 彼らを結びつけるコネクション、その中心にセラフィーヌが、その後ろに己が立てるのであれば多少の投資は安いもの。目先を見ても、先を見ても、得しかない商売など滅多にあるものではない。これが時流に乗った商売と言うモノ。

「この絵図を描いた人間は、非常に優秀だろう。だが、同時に危ういモノも秘めている。彼は、絶対に私がこれで堕ちると思っている。得しかない商売、理性があれば誰だってそれを選び取る、と。だが、私の中に、誰の心にも蠢く醜さを、彼は知らないようだ」

 知識量と図抜けた感性、頭も柔らかい。しかし、純粋だ。純粋過ぎる。

「人は幻想を描く。これだけ整えられた、最高の企画書を前に、構えぬ者がいるだろうか? どこかに傷はないかと疑心暗鬼になる者は大勢いる。無い傷を見る者だっている。わかるだろう? 人は疑い、惑い、嫉妬する生き物だ。優秀な者の、足を引っ張りたくなるモノだ。彼は少し、綺麗なモノばかりに触れ過ぎている。人の本質から、少しだけ遠ざかっている。あまりに離れ過ぎたなら……様々な英雄譚の末路と同じよう……哀しい結末を迎えるだろうね。そして、それを肴に凡人たちは酒を酌み交わす。哀しい物語である、と」

 企画書からこれほど相手を読もうとする者をリオネルは他に知らない。だが、確かにと思う部分はあった。これを作った者は、全てが理知的に動くことを前提としていた。無論、ある程度セラフィーヌの顛末を聞き、色々と調べた結果これが一番だと結論付けたのだろうが、それでも拭えぬ違和感はあった。

「さて、私は彼が勝つ方を選んだ。シャルロット・ド・セラフィーヌを取るということは、つまりはそう言うことなのだ」

「……意味が分からねえ」

「彼女は、この国で誰よりも希少なコネクションを持っている。それを作ったのは誰か、真の演出家は誰か、いったい、どれだけ前から準備していたと思う? 私は、トゥラーンに置いて彼女ほど恐ろしい存在はいないと思っているよ。世界で最も強き王に影響を受け、自らもまたその近くに君臨する怪物。シャルロットは、二つの王冠に対する楔だ。正直に言うと、もはやこんな紙切れに何の価値もない。真に価値があるのは、彼女自身。自覚は、ないが、すでに場は整っている。あとは、吉と出るか凶と出るか、それだけのこと」

「…………」

 リオネルにはドナシアンの真意の欠片すら見えていない。この場に立ってこそ見えてくる。自分が目指す道に彼らはいない。

「君はつかず離れず、私と彼女を繋ぐ鎖として頑張りたまえ。決して、つまらぬ野心を抱かぬことだ。君は番犬、それ以上には成れない」

「……番犬の王には成れる」

「……それが何を指しているのか、今後の動向を窺うとしよう。私はね、君にも期待しているんだ。金を運ぶだけの豚ならいくらでもいる。だが、それ以上となるとなかなかいない。君は豚か? それとも――」

 ドナシアンが深く、歪むような笑みを浮かべた。きっとこれが、彼の本当の笑い顔。何と不愉快で、何とおぞましい笑みであろうか。それでも、この男の傘の下にいるからこそリオネルは仮初でも王であれた。この先、ウルテリオルで生きる以上、彼の下につく以外の選択肢はない。

 自分が持っていない力を他で補う。そうせねば、昇れないから。

 次に逆襲するまで、手段も体裁も気にしない。彼もまたそう決めたから――


     ○


 シャルロットは憤慨していた。それは好き放題自分のことをかき回して、ひと言も無く姿をくらました男に対しての怒りである。いくらなんでも酷い。せめて一言あっても良かったはず。急ぐ用がある旅でもあるまいに、何のお返しも出来なかったことに腹が立つ。

「……お膳立てに感謝致しますわ。でも、それとこれとは話が別。次に会ったら絶対に打ちますわよ。平手で、思いっきり、ばちんと。絶対しますわ」

 その時堂々と平手打ちをしても恥ずかしくない姿でいよう。彼が美しいと言ってくれた、そういう己であり続けよう。誰かに頭を下げても、心はしゃんと真っ直ぐにあろう。そうしていればきっとまた会える。そんな気がするのだ。

 だから今日、彼女は一つの憎しみを捨てた。美しくあるために――

「また会いましょう。愛しい人」

 夜空に向かって美しく一礼するシャルロット・ド・セラフィーヌ。満天の星々すら霞む、彼女はきっとそういう女性になるだろう。彼女が望むいつかは、それほど遠くないのかもしれない。されど今は、遥か彼方。

 いつかのために彼女は美しくある。


     ○


 夢、にしてはあまりにもぼやけている視界の端に、夢としか思えぬ人影があった。漆黒の外套を身にまとい、頭には鳥のようなくちばしが生えている。まるで物語に紛れ込んだかのような感覚。少しずつ闇に消える視界の中、さしづめ悪魔のような怪物が手を伸ばしてきた。その手が届く前に、闇に落ちる。

「…………」

 怪物は、そのまま――

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