無敗の剣闘士:暗夜行路

「百将が動き出す前に逃げる!」

「百将ですか!? ということは今回の件、やはりリディアーヌ様が?」

「ぬ、ああ、卿を狙っておるのはエレオノーラよ。ほれ、白騎士の女性関係がな、うむ」

「……エレオノーラ様と父上に何の関係が?」

「……何の関係もない。であるからこそ彼女は許せんのだろうよ」

「……え?」

「気にせんでいい。とにかく逃げることだけを考えよ。ほとんどがアルカスに放たれておった者と比較して格落ちする者ばかりであるが、一人二人厄介なのがおる。それに、百将も一枚岩ではあるまい。当然、エレオノーラが動かせる駒もある」

 ウルテリオルを疾駆する二つの影。

「あの、ウィル二世は」

「すでに脱出路の先、外へ出しておる」

「あるんですか、抜け道が」

「ある! と言うよりもあり過ぎていかん! 先代の王はよほど面白い都市が作りたかったのだろう。抜け道を見つけるたびにあの男のしたり顔が浮かんできてな、気分が悪くなってしまうわ」

「……評価に困る王ですね、革新王って」

「遊び心も含めて革新王ガイウス。抜け道の多さも欠点だけとは言えんよ。良くも悪くも風通しが良い。良し悪し含めて楽しむのもあの男の器の大きさであろう」

 いくつかユリウスの治世で有名になり過ぎた抜け道は潰されているが、それ以外はリディアーヌの判断であえて残されている。彼女もまた遊び心のわかる統治者なのだ。

「一気に駆け抜ける! しっかりついて参れ!」

「はいッ!」

 アルカスの時と違うのは、前にアークと言う男の背中があること。その安心感たるや自然と笑みがこぼれそうになる。自分のせいでこのような事態になっている節はあれど、前を往く男もまたそれを楽しんでいるのだから罪悪感も薄い。

 疾駆する姿を遠目で観察する影。黒装束の男は「はぁ」とため息をつく。

「なーんでこの煙突を押さえねえかな? せっかく色々見えるってのに。やっぱニュクス様の揃えた精鋭ってレベル高かったんだな」

 男の立っている場所から、あの二人が駆けている地点までの距離は相当離れており、常人の肉眼で人物を見分けることなど不可能。豆粒にも満たない影をどうして捉えられるというのか、助っ人として雇われた男の実力は常軌を逸している。

「……ほんと腐れ縁ってのかね。まあ、恨むなら自分の運を恨めよ。暗殺稼業引退、最後の路銀稼ぎで俺に出会ってしまった不運ってやつをよ。いや、今回は拉致だった。いっけね。完全に殺す気だったぜ」

 黒き暗殺者は静かに動き出す。


     ○


 あっさりとウルテリオルを抜け、用意していた馬二頭に跨り疾走する二騎。白馬であるウィル二世にはアルフレッドが、黒毛の馬にはアークが手綱を握る。あっさりとしているのもアークの段取りが良かったから、動き出しの早さが明暗を分けたのかもしれない。

「……我にも準備の時間があったように、王妃もまた万全の態勢であろう。油断してはならん。ウルテリオルを離れてからが勝負よ」

 アルフレッドは自分の甘さに恥じ入った。そう、アークに準備の期間があったように、アルフレッドが所用に時間をかけている間、エレオノーラもまた準備する時間は十二分にあった。であればウルテリオルで網を張るよりも、外の方が間違いはない。

「ほれ来た。左から三騎、たいまつは目印であろうな」

「これは、どうすべきでしょうか?」

「さてな。並走することでプレッシャーをかけ、このまま進路を誘導するのが思惑」

「なら、逆に左に寄せて彼らを落とせば」

「うむ、我でもそうする。しかし、その道に先はない」

 アークの眼には不思議な光が浮かんでいた。共に旅をする中、幾度か目にしたまなざし。何が見えているのか、何を見ているのか、計り知れぬモノが其処に在った。

「あえて敵の狙いに乗る。どこまで、何が正しい?」

 誰に問うているのか、それでもアークは自らが良しとした方を取らなかった。あえて相手の狙いに乗り、進路を右に、かすかに北向きに傾ける。旅をする以上、周辺の地図には目を通しているが、予定の進路から外れたなら一寸先は闇。

「……なるほど。安寧ではなく苦難を与えよと、そう申すか天命よ」

 何か合点がいったのかアークは真っ直ぐと道を見据えた。その顔は険しく、惑いがあるようにも見える。それでも前に進めるのはよほどの確信があるのか、それとも未来が見えているとでも言うのだろうか。アルフレッドには分らない。


     ○


「馬にも乗れるのか暗殺者」

「俺の国じゃ乗馬は騎士の特権じゃねーのさ。馬だろうが牛だろうが、熊でも虎でも俺ァ乗れるぜ。お前らとは年季が違わァ」

「……雇われの分際で減らず口を」

「偉そうな騎士様は理由も無く異国の人間を拉致るのかね」

「それが主君の命であればな」

「王妃様が主君か? そりゃあ知らなかったぜ」

「……ほざけ猿が」

 険悪なムードであるが、敵は狙いにしっかりとハマり、こちらは最初からその進路を取っていたため距離を稼ぐことが出来た。敵の馬に足はあるが、土地勘の差で距離は離されない。しかもその先は森、こちらは演習などでも使っている場所で、夜闇であっても動き回ることに支障はない。

 あちらは――そうもいかないだろうが。

「我らが太陽の願い、果たすぞ!」

「応ッ!」

 騎士たちの盛り上がりと逆に、雇われ暗殺者である男の気分は最悪であった。最後の仕事なのであっさり終わらせようと思っていたら、この前手こずった相手でありあまりやり合いたい相手ではなかった。面倒だし、もったいないし――

「まあ、でも仕事だからな。そういう運命なんだろ」

 雇われ暗殺者、黒星は面倒くさそうに欠伸をした。


     ○


 あの日から幾日か、少しずつ休みながら、必死に西へ馬を走らせる二人。しかし、彼らも追撃は十八番であり、距離はどんどん詰まっていく。その度に進路を変えることになり、つまりは動かされ、敵ならずとも自分たちがまずい状態に置かれていることなど明らかであった。

 気が休まらない。戦いの疲れが取れない。むしろ、膨れ上がっていく。

 そんな中でとうとう――

「後ろ、来てます!」

「さすがに速い。隊列に乱れ無し、練度も高いか」

 馬の脚は勝っていてもコース取りで負けていれば撒くことなど出来ない。徐々に詰められていく差、もはや方角もわからぬ森の中、二人に選択の時が迫っていた。

「……方角は把握しておるか?」

「いえ、さすがにもう……追い回されているせいで、星も見る余裕がなく」

「そうか。……我も自信はない。ないが、そろそろ腹を決めねばならぬ」

「……どうしましょうか?」

 不安げな表情のアルフレッドを見て、アークは渋面を浮かべる。

「二手に分かれ、その後合流する。戦力を分散出来れば、我が追手を打ち倒して卿を追うこともできる。何、我を信じよ、必ず上手くいく。卿はまだ死なぬ天命ゆえ」

「……信じます。僕は、どっちに行きますか?」

「右へ。天命はそう告げておるよ」

「はい!」

 迷いなく右へ手綱を切ったアルフレッド。その信頼に対して胸を痛めるアーク。これで振り切れるほど『彼』は甘くない。

 そして、そもそもの話であるが――

「俺はあっちを追う」

「駄目だ。王妃の狙いは白馬の方、であれば――」

「おい、余所見すんな」

「は?」

 一瞬全員が視線を右へ進路を変えた白馬に向けていた。その一瞬で、追われていたはずの男が、馬を回頭させてこちらへ足を向けていたのだ。鬼気迫る表情で、大剣を振り被り、こちらへ向かってくる。

 その圧力たるや――

「総員構え! 迎え撃つぞ!」

「ハッ!」

 騎士たちは応戦の構えを取る。目的を忘れるほど、その男の突貫は強烈であったのだ。ただ一人を除いて。全員が雰囲気にのまれていた。

「んじゃ、俺は仕事仕事っと。あれとやり合ったら、仕事の範疇超えちまう」

 黒星だけは目的を見失わず冷静に馬を操りコースを変える。

 後ろでは剣戟の音が響き始める。戦いが始まったのだ。ガリアス側の騎士たちは若く優秀な者ばかり、しかし、実戦経験に難があった。そこをあの老獪な騎士はついてくるだろう。下手をすると喰われかねない。

「ま、あいつらが死のうと生きようと関係ねえか」

 まだ白馬は視界に捉えている。であれば逃がす理由はない。上手く馬を操っているが、闇夜を走らせることに慣れていないのだろう。それに、この前彼は限界を超えて戦った。其処からほとんど休みなしでの逃避行では体力も限界近いはず。

「乗馬も得意か? 完全無欠だねえ。でも、その先に道はないぜ坊や」

 すでに詰んでいる。先程、進路を変えた時に未来は決まっていた。


「なっ!?」

 少し登っていた感じもあり嫌な予感はあった。しかし、こうも切り立った崖があるとはアルフレッドも想像できなかった。

「ウルテリオル周りは開発されているが、少し離れてしまえばこの通り。大規模な行軍をしようにも自然が敵の規模を絞る。結果、大きな軍は展開できないのさ。攻めるに難く、守るに易い。都市構造とは別にな。パパから教わらなかったかい、王子様」

 アルフレッドの仮面を射抜く針。その技、立ち姿には既視感があった。この黒装束を、アルフレッドは知っている。

「ここまで、追って来るのか」

「アルカディアの命令はねえさ。フリーランスの暗殺者でね。ま、それもこれで最後だが、運がなかったな。あれだけの男といれば、大概の障害は超えられただろうに」

「貴方は、例外ってことですか」

「そうなるな」

 軽口を言っているが、その眼に情は微塵もない。粛々と仕事を果たす、それだけの感情。改めて追っていた相手の強さを知る。

 これは――今の自分では勝てない相手。

「さあ、やろうぜ」

「……ええ」

 アルフレッドはウィル二世から降りる。そっと、そのお尻を押し出してやり、逃げろという意志を伝えた。この馬はマリアンネが大事に育てていた馬で、借り物。この状況では馬に意味はない。アルカディアに戻れるかはわからないが、逃がしてやるのが筋であろう。

「抜け。連戦で疲れているだろうが……楽しもうや」

「……まだ、やりたいことがあるので。負けられません」

 アルフレッドはゆっくりと、構えを取った。彼が知る由もないが、アルフレッドの剣は折れたままである。闘技場で使っている剣は刃引きされた借り物、毎回返している。

 だから取る構えは一つ――

「……ほお」

 ローレンシアの東の果てで得た技で戦うしかない。

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