無敗の剣闘士:先へと進む者

 リオネルは加速した。もはや誰に対してのモノかすらわからぬ怒りを糧に、さらに燃焼し加熱し加速する。痛みなど一瞬、そんなことはどうでも良い。心が、魂が折れることを拒絶する。地獄の日々でも折れなかった。いつか自分が上に立つという執念があった。

 あの地獄から眺めたトゥラーンの輝き。幾度も、幾度も、泥にまみれ、血にまみれながら眺めてきた。いつからだろうか、あの屈辱の日々が薄れていったのは。いつからだったろうか、もう十分だと、倦怠に身を任せ始めたのは――

「ぶっ殺すッ!」

 躍動する手負いの獣。考えても勝てない。なら捨てる。痛みで身体の動きが鈍る。ならば捨てよう。全部要らない。だから、勝利が欲しい。

 勝ち続けることでしか生きられない。負けたら終わり、そんな世界で生きてきた。

「ここに来て、一皮むけたかよ!」

 ロランの叫びと共に観客が一斉に吠えた。

 王者から吹き荒れる尋常ならざる気配を察して。

「リオネルッ!」

 アルフレッドは一瞬でその変化を察知し受けに回る。相手の動きを予知、そこから引き算して確定――

「ぐ、ぬ!」

 にまで至れない。リオネルの動きが速過ぎた。動き自体に粗は多い。身体能力に任せた変則的な動きはむしろ最短ではない分、早い段階で読み切れば対処は容易い。基礎が出来ていない。この部分でアルフレッドは少なくない時間を稼いでいた。

 そこは変わらない。ただ、速くなっただけ。もしこれで基礎が出来ていたら、此処に立つ人並みに剣技を習得していたら、この時点でアルフレッドは負けていた。

(先読みしても、追い切れない。押されて、いる!)

 単純に速い、強い。これもまた武と言うモノのアンサー。

「白騎士の剣に対する黒狼の攻略法がこれだ。あの若造も本能で辿り着きよった。これで勝負は引っ繰り返った。さて、どうする王の器よ」

 アークの視線の先には猛追され剣技が崩れつつあるアルフレッドの姿があった。精緻な剣と言うのは、それこそちょっとしたズレで崩壊する。その意味で、あの状況でも崩れ切っていないのはさすがの精度。それを支える精神力もまたやはり常人ではない。

 されどこのままでは崩れるのも時間の問題。限界を超えたリオネルの体力が尽きることもあり得るが、それを狙っているとすれば、アルフレッドは負ける。運任せ、神頼み、相手の失着に期待するは敗者の常なれば。

(負ける。どう考えても、勝ち目がない。体力切れ、馬鹿か、彼の精神力はそういうレベルじゃないだろう!? くそ、何か、何かないのか、考えろ、考えろ、この均衡が、わずかでも続いている内に、答えを弾き出せよ!)

 リオネルは考えない。どうせ考えたところで大したものは出てこないのだから。ならばより速く、より強く、全力の先で身体を稼働させること、それだけを考えればいい。そのシンプルさが現状と噛み合う。

「どーしたカス虫ィ! ここ止まりかよォ!」

 何よりも今、リオネルは楽しんでいた。壁を超えた先の景色を。誰よりも自由で、何者にも縛られぬ感覚を。遮るものは何もない。上も下も関係ない。

 ただ、そこには強いか弱いか、それだけがある。

(ハハ、何も出てこないや。無いんだ、今の僕じゃ、彼に勝つ手が、ない)

 何度目かわからぬ後退。すぐさま、息継ぎの間もなく、リオネルが追い縋ってくるだろう。もう、手がない。敗色濃厚、負けるのは初めてではない。むしろ、カイルにもミラにも、クロードにもマリアンネにも、父にも、負け続けてきた。

 でも、同世代の、同性の、勝ちたい、勝たなきゃと思う相手と言うのは――

(負けて、リディアーヌ様の補佐として生きる。悪くないさ。悪くない。世界を見るチャンスなんていくらでもある。そんなのよりも居場所のない僕に、それをくれるって言うんだ。良いじゃないかそれで。何が不満なんだよアルフレッド)

 勝てない。負ける。圧されて、後がない。

(嗚呼、本当に僕は――)

 窮地のアルフレッド。その思考の奥にあったのは純然たる想い。一つは、自分以外の存在、背負っているもう一人の女性のこと。彼女には美しくあって欲しい、そんな心よりのエゴがあった。負けるまで挫けるわけにはいかない。簡単に諦めて良い訳がない。

 そしてもう一つ、それは――

「我儘な奴だなァ!」

 初めて見た景色。初めて触れた空気。美しいものではなかった。楽しい景色ではなかった。でも、衝撃は凄まじかった。きっと世界にはあんな景色がたくさんある。銀色の砂塵が舞う世界よりも美しく、おぞましく、空想を超えた景色がきっとある。

 見たい。聞きたい。嗅ぎたい。触れたい。トゥラーンは素晴らしい。でも、これは一度見た景色だ。ウルテリオルは素晴らしい。でも、それらはもう十分満喫した。

「……それで良いの。貴方は、退屈が嫌いなのでしょう?」

 シャルロットは微笑む。彼はこんなところに止まるべきじゃない。例え自らがそうあって欲しいと、こんな日々が続けば良いと願っても、それで縛ってはいけないのだ。アルフレッドがシャルロットを美しいと感じたように、彼女もまたアルフレッドを新しいと感じていた。王の子でありながら王にも貴族にも染まっていない男の子。自分の知らない価値観を持っている男の子。きっと、今はまだ途上。

 さらに変わる。より新しく――それが良いことなのかはわからない。それでもシャルロットは新しい男の子が好きだった。しばらく一緒にいて、なおその想いは募った。

 だからこそ、立ち止まるべきじゃない。彼こそが立つべきなのだ。

「……もう一人も、壁を超えやがった」

 ロランは苦々しくその光景を見ていた。観客は壮絶な光景に絶叫する。リュテスは無言で打ち震えていた。新しい武、新しい――世界。

「ボスの動きをあの野郎!」

「でも、在り得るのか? だってあんな動き、真似しようたって出来ねえだろ」

 誰もがその光景に驚いていた。

 否、ただ一人、眼前の男のみがそれに対して笑う。

「それでいい、そうじゃねえと面白くねえだろうがァ」

 白騎士の剣とリオネルの動きを掛け合わせた新たな動き。アルフレッドが到達した新たなる境地に、自身が一番驚いていた。とっくに限界だと思っていた現状の肉体、そこがまだ稼働限界ではなかった。

 驚き、そして――

(――きっつい! 馬鹿じゃないの!?)

 想像を絶する負担にアルフレッドは笑いながら渋面を浮かべる。リオネルが平然とこなすことも体幹の弱い己であれば相当無理して、工夫して何とか再現できるレベル。それでさえ先ほどまではやろうとすら思わなかった。

 否、出来ないと判断していた。

(でも、ハハ、これなら捌ける!)

 従来の剣で受けられる範囲は白騎士の剣で受け、そこを逸脱する部分だけリオネルのスウェーや柔軟な身のこなしを用いる。負担は大きい。動けていることが奇跡。だからこそ見返りは大きい。

 勝機は、見えた。

「ぶち抜くぜ!」

「受け切る!」

 ただ受けるだけではない。攻めの手を緩めさせるためのカウンターは当然撒く。ゆえに入り乱れるカウンター合戦。反応速度の極限がそこにあった。超反応と先読み、二つの才能が火花を散らす。

「すげえ」

 観客は言葉を飲み込み二つの限界を超えた才が絡み合う闘争を眺めていた。普段、この闘技場に足を運ぶ者ほど、今この瞬間が特別であることを感じていた。この世界に本物は少ない。少ない本物が向かい合うことはもっと少ない。

 ウルテリオルとはいえ市井の闘技場でそれが見れる機会など、皆無と言っていい。

「…………」

 リュテスは無意識に力が入っていた拳を見る。若さという才能、性別の壁、己を苛む呪詛の数々。しかし、今この場で繰り広げられている光景を見ると、それらは重要ではないと知る。大事なのは、逆境でも折れぬこと。折れず立ち上がり、前へ進む者。

 その心を持つ者だけが先へと進むことが出来る。亀の歩みでも兎の歩みでも、踏み出さねば進まない。

 今の自分に満足していないか、どこか諦めかけてはいないか、日々の鍛錬を言い訳としていないか、本気で上を目指す覚悟はあるか――

「参ったね。説教、されている気分だぜ」

 ロランのつぶやきはこの場にいる多くの武人、熟練のつわものたちの代弁でもあった。勝手に己の限界を定め、そこで出来ることを探し始める。上手く生きようとそういう雰囲気を醸し出し、大人のふりをする。

 それの何と恥ずかしいことか。見よ、今彼らが繰り広げている闘争を。この戦いが始まるまで、二人はこのステージにいなかった。しかし今、彼らは限界を超えた先で戦っている。代償は大きいだろう。この後、彼らは動けなくなるかもしれない。

 それでも彼らは遮二無二前へ進んだ。迷いなく、超えてみせた。それを若さと笑うモノに先はない。この眩しさを、己が原動力に変えねば、此処に来た意味がない。

「泣いても笑っても勝者は一人、残酷で、素晴らしい結末が来るぞリュシュアン」

 アクィタニアの王ガレリウスは静かに目を瞑った。先へ進む者、後進へ道を譲る者、己は後者であることが分かったから。もう、戯れであっても剣は持つまい、そう思った。

「リオネルッ!」

「アルフレッドォ!」

 剥き出しの二人、その剣は互いに空を断つ。超越の、超理の、空振り。かわした身体が、肉が、骨が、限界だと音を立てる。もう、アルフレッドに残されたモノはあとわずか。

 アルフレッドはこの闘争を我慢比べと位置付けた。共に限界を超えた先で、どれだけ稼働していられるか。簡単な話、動けなくなった方が負けるのだ。

(この動きはあと一手、いや、二手が限界か)

 冷静に己の活動限界を知る。これを超えれば今の状態どころかいつもの剣ですら再現できなくなるだろう。限界は近い。だが、限界まで粘ってみせる。

「さあ来い!」

 堅牢な受け、柔軟な受け、軽快で自由な受け――父の得意は子に受け継がれた。剣もストラチェスも、闘争である以上根幹は同じ。リオネルの動きという駒も含め、相手の大軍勢を捌き切る。途方もなく難解な局面を詰められることなく捌き切る。一手でも違えれば即詰み。違えずとも相手の攻めが途切れねば、受けを超えれば、詰み。

 四方八方詰みだらけ。当たり前なのだ。自分より彼は強い。ストラチェスで言えば多くの駒を持っている。それに比べて己の何と貧相なことか。やはり足りない。根本的に欠けている。本当に――情けなくて泣きそうになる。

「……あァ?」

 だが――

「ここ……だァ!」

 後悔も反省も後回し。今は勝つことだけに集中する。そう、今この瞬間が全てであった。

「な、んで、おい、ふざけろ」

 リオネルの膝が崩れた。本人の意図せぬ動き、今まで羽のように軽かった身体が、逆に感じたことがないほどに重く、動きを封じてくる。

「ウォォォォォオオオァァァアア!」

 アルフレッドはこの一点に全てを注ぎ込んだ。限界に近い身体を奮い立たせ、剣を正眼に構える。ここからは気力と、積み重ね。

 アルフレッドの連続攻撃。最速ではない。変幻自在でもない。だが、それは何よりも力のこもった騎士の剣。先人たちの積み重ねの果てに成った、闘争において最もバランスのとれた、正道の剣である。

「くそが、ふざけろ、視えてんだよ。全部、視えてんだ。動け、動け、俺を裏切ってんじゃねえ! 動けよカスがァ!」

 見えている。でも、身体が動かない。発勁によるダメージ、零度の剣によって捌かれ続けたことによる疲労、何よりも限界を超えた動きを続けてきたツケが押し寄せてくる。距離を取れば、一呼吸さえつければ、まだ戦える。

「まだまだァ!」

 だが、アルフレッドはそれをさせない。勝負所と判断したがゆえに、全てを振り絞って攻撃に注ぐ。枯れ果てるまでこの攻撃は続くだろう。いつまで続くのか、リオネルにはわかるはずもない。

「ふざけ、ろ。俺は、俺様は――」

 揺らぐ、足場が、消える、栄光が、戻ってくる、暗くよどんだ地の底で、うずくまってやり過ごすしかなかった、あの日々が――

「俺が最強だァ!」

 連続攻撃で崩れた体勢を無理やり起こす。その勢いのまま剣を振るう。才能、まさに珠玉の才能であろう。アルフレッドには、たとえ限界を超えてすら出来ない動き。それをこの土壇場で出してきたのだ。

「僕の最強で――」

 やはりリオネルは凄い。アルフレッドは想像通り限界を超えてきたリオネルを迎え撃つ体勢を取っていた。アルフレッドにしては珍しい上段の構え。それを少し崩し、背負うように構えたそれは自身の出せるまさしく最強であった。

「――君をぶっ飛ばす!」

 力感の無い重心移動、そこから生まれる力の流れ、撃ち抜かれた石畳が砕ける様を見てリオネルは嗤う。鞘でも打てるなら剣でも打てるか。忘れてたぜ。頭に過る言い訳全てを飲み込み、今この瞬間に全てを注ぎ込む。力いっぱい、振り抜く。

 力は自分の方が上。体勢は不利でも押し勝ってみせる。

 だが、その一撃は――

「覇ァ!」

 想いも覚悟も、才能すらも打ち砕いた。

「ぐ、がァ!?」

 折れる剣、崩れる膝。倒れ伏す獅子に突き付けられた剣。

 発勁が込められた上段からの袈裟切り。それはアークの必殺と発勁を組み合わせたモノであった。アルフレッドの持つ手札で最強。それは技術と信念の結晶であり、単純な才能を凌駕する黄金の輝きを放つ。

「僕の勝ちだ」

 剣を引くアルフレッド。それを見てリオネルは――

「まだ、勝負は終わってねえ。剣が折れても、関係ねえ。俺はまだ」

 何も、出来なかった。膝に力が入らない。全身の痛みはともかく、動き方を忘れたかのように頭の命令に対して身体が動こうとしないのだ。

「俺は――」

「またやろう。その時は僕も、もう少し強くなっておくよ」

 アルフレッドは剣を納め歩き出す。地に伏し動けぬリオネル。

 その光景は誰が見ても――

「勝負あり! 勝者、黄金騎士アレクシス!」

 完全決着であった。

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