無敗の剣闘士:麗人、立つ

 観客はこの状況を上手く呑み込めないでいた。静寂の中、振り返ることも無く去っていく勝者アレクシス。膝を屈し地に伏す敗者はリオネル。判定が決された以上、それが覆ることはない。それでも彼らにとってリオネルは無敵の存在で、負けることなど考えられなかったのだ。

 さっさと負けろ。あんな傲慢な男は勝つべきでない。外野は色々言ってきたがいざ負けてみると不思議な感覚に襲われてしまう。

「…………」

 負けて欲しかったはずなのに、負けて欲しくない。二律背反の中で声一つあげることが出来なかった。彼らが思うよりもリオネルと言う男は深く彼らの中に在ったのだ。ヒールであり、ヒーローであり、王者である彼のことが――


「見事でしたわ。半可通のわたくしでさえ、貴方たち二人が特別で、あの瞬間が奇跡のようなものだと、理解させられましたもの」

「あはは、ちょっと、しんどかった、かな」

 アルフレッドもまた膝を屈する。紙一重の勝利、薄氷の勝負であった。意地で静寂の中、退場してのけたが、それは観客が平静を取り戻すまで立っている自信がなかったこともある。これ以上ない、本当に全てを出し切った。

「……参ったな。まだ、やることがあるんだけど。ちょっと、ちょっとだけ――」

 アルフレッドはそのまま薄闇に沈んでいく。ふわりと、誰かに支えられた感覚はあったが、それを確認するほどの体力も残っておらず、静かな闇に堕ちた。

 シャルロットは微笑む。人影のない通路で疲れ切って眠る様子は、とてもリオネルを打ち破った戦士には見えない。間抜けな表情、ぷにっとした頬も彼。怜悧なまなざし、強気で負け知らずな部分もまた彼なのだ。

「これで、お別れですわね」

 目的を終えた彼はウルテリオルから去っていく。そうなれば己はまた地の底へ落ちる。それは当然のことで、今までが幸せな夢を見ていただけ。そう自分に言い聞かせながら、アルフレッドの滑らかな金の髪を指で優しく触れた。


     ○


「……見てよかったろ?」

「ああ、新しい時代が来る。とうとう私たちは迎える側になったわけだ。笑顔では、いられん。私は、屈さんぞ。足掻いてやる、どこまでも」

 リュテスは凄絶な笑みと共に去っていく。とうとう彼女たちも時代を迎える側と成り、時代の流れに押し流されていく存在となってしまった。そう思ってしまった自分を、その時代を吹き飛ばす。時代に逆らい続けた先人たちのように。

「……俺だって諦めたわけじゃねえよ。大人のふりを、したかっただけさ」

 ロランもまたあの日から一度として諦めたことはない。天才だと信じて疑わなかった怠惰な己はもういない。どれだけふざけようとも、どれだけ気楽に見えても、あの挫折から一度だって緩めたことはないのだから。

「あの大戦以来の刺激だね。良いことだ、君は本当に私の国を強くしてくれる。直接的に、間接的に、まったく、いつまで私は君の後塵に拝すればいい?」

 こんな形でさえ成長させてしまう。もはや意図しているのかさえわからない。それでも、意図してようが意図していまいが、どちらにせよ許し難いことには変わりない。

「私はどうすべきかな? 彼を生かすか、殺すか」

 リディアーヌの視線の先には、お忍びで観戦していたエレオノーラの姿があった。建物の中ゆえ見通すことは出来ないが、それでも今の彼女がどういう表情をしているか、どういうことを考えているかぐらいはわかる。

 リディアーヌの目論見が己の望む方とは違う方向に転がった今、必ず彼女は動き出すだろう。望みを、ほんの一欠けらでも手に入れるために。


     ○


 アルフレッドが目を開けた時に飛び込んできたのは赤い光であった。血のような紅い色、何か夢を見ていたような気がするが、どうにも朧気であった。天空に浮かぶ宮殿で二つの正義がぶつかって、決着はつけども答えは出ず。騎士は去り、賢王は血を持って未来を繋いだ。天空から子供たちの明日を見守りながら――

 そんな夢を見た。

「良い夢、見ました?」

「ん、どうだろう。でも、悪い気分じゃなかったと思うよ。きっと」

 シャルロットの膝枕で目を覚ましたアルフレッド。夢の記憶はないが、この状況を鑑みれば悪いものではなかったと思える。いい匂いがした。とてもいい匂いだ。

「明朝、ウルテリオルを発つ。嫌な予感がするのでな」

 アークがいることでこの状況に合点がいく。ウルテリオルの自然公園の端、穏やかな眠りが出来たのは此処まで彼が運んでくれたからだろう。そして、彼が明言した以上、明朝と言う刻限は動かない。

「やるべきことは今日済ませておけ」

「わかっています。もう、準備は出来ていますので」

「うむ。であれば良い。あと、王宮には近づくでないぞ。宿は別の場所で用意せよ」

「……わかりました」

 怪訝な顔で頷くアルフレッド。しかし、アークの表情が有無を言わせなかった。彼は何かを感じている。そしてその元は、王宮にいるのだろう。

「行こうシャルロット。次は君が立つ番だ」

 立ち上がったアルフレッドはシャルロットに手を差し伸べる。その表情は穏やかで、その眼は何者よりも深い光が揺蕩っていた。


     ○


「……どういうことですの?」

 シャルロットの視線に嫌な色が浮かぶ。それもそのはずで、目の前には彼の主人であるリオネルのアジトに連れてこられたから。先に言い放った言葉からも何かを察しているのだろう。明らかに警戒の色も強まっている。

「少し話をしようと思ってね」

「何の意図があって?」

「……内緒」

 この時点でシャルロットは多くを察した。だからこそ――


     ○


 ぱぁんと乾いた音が炸裂した。リオネルやその取り巻きすら驚くほどの音。打たれたのはアルフレッド。打ったのはシャルロット。リオネルの手にはシャルロットの身分証が握られており、それを手渡す最中のことであった。

「……同情されたから打ったとお思い?」

「うん」

 もう一度平手が飛ぶ。この細腕の何処にこれほどの力があるのか、先程とは逆側の頬が真っ赤に染まる。シャルロットのまなじりには薄く液体が浮かぶ。

「わたくしを買った。でも、貴方にはお金がないはずでしょう。他に、金品だって持っていないはず。であれば必然、貴方の賭けられるものなどその身しかありませんわよね。わたくしはそこに怒っているのです。貴方が軽々に自分を賭けた、その事実が許せませんの」

「……ごめん。でも、言い訳はしないよ。僕は僕がそうしたいからやっただけだから」

 それきりシャルロットは口をつぐんだ。アルフレッドは、彼女の想像通りの振る舞いに苦笑する。打たれておいてなんだが、少しほっとしたのだ。きっと彼女なら自分の愚行を叱ってくれる。我が事だからこそ、正してくれる。そんな確信があったから。

「さっさと受け取れカスども。俺も暇じゃねえんだよ」

「ありがとうリオネル。君が取引に対して誠実であってくれたことに感謝する」

「俺は取引を反故にするほど間抜けじゃねえよ」

「仕込むなら事前に仕込む、だろ。それにしても取り巻き、ずいぶん減っちゃったね」

 リオネルの周りにいたチンピラまがいの連中は随分数を減らしていた。

「初めからカスが何人いようと関係ねえ」

「ああ、わかりやすくて良いね。残った彼らは、無敗以外の部分に惹かれたんだ。大事にしなきゃ。良い部下は宝だよ」

 それに対し否定せず無言を通したリオネルを見て、取り巻き全員が驚きを見せる。今までのリオネルならたとえ事実であっても思いっきり否定しただろう。こんなカスが何人いても一緒、消えてくれた方が風通しが良くなる。それくらい彼なら言ったはず。

「……うぜえから失せろ。何なら今からやるかおい」

 リオネルが放つ猛獣のオーラに周囲はたじろぐも、アルフレッドは動かない。

「……話がある。君に一つ頼みがあるんだ」

「断る。いつから俺とテメエは友達になったんだ? アァ?」

「すまない。頼みと言うのは少し語弊があった。商売の話だ」

 アルフレッドがまとう空気が変わった。それを察せぬリオネルではない。

「……いずれウルテリオルから去るテメエが、商売、だと?」

「ああ。君にとって悪い話じゃない。ただ、実はまだその大元に話を通していないんだ。一応怒られてから話そうと思っていたから」

 アルフレッドはシャルロットに目を向けた。険のある視線が返ってくる。

「君は前に、自由になったら自分の足で立ちたいと言った。でも、君は立ち方を知らないだろう? ご両親はそれを君に教える前に他界した。何よりも、自由を手にした今、君は寄る辺がない。主人も、家人もいない。僕と同じで手元に資金も無い。立てないんだ。今の君では。それじゃああまりに無責任。だから、僕が一つ、道を提示する。受けるか受けないかは君次第。好きにしたらいい。それが自由だ」

「下女としては使えねえ。下の世話もやったことねえ。やる気もねえ。その癖プライドだけは一人前の女に何の商売が出来る? 聞かせろよお人好し、嗤ってやる」

 リオネルの見立てではシャルロットは生きていく術を持っていない女であった。捨てるべきモノを後生大事に抱えている。其処が珍しいから買ったのだが、世の中そんな好き者ばかりではない。客観的に見て彼女の生きる道は一つ、飼われるくらいしかないはず。

「彼女には教室を開いてもらおうと思っている」

「算術でも教えるのか? んなもん巷に掃いて捨てるほどいるぜ」

「いや、貴族の当り前を教える、教室だ」

「……ほお」

 リオネルの眼の色が変わった。彼もまた非合法であったりグレーであったりもするが、商いをしているモノの一人。彼もまた感じ取ったのだ。

 金の匂いを。

「ターゲットは貴族に、今後成り得る者たち。金は持っているが格を持たない者だ。彼女は生粋の貴族育ち。格も教養も申し分ない。彼らが知りたいことを彼女は知っている。貴族の当り前を。マナー一つとっても彼らには未知。それなりの金を出しても、彼らは知りたいと思うはず。というよりも現にそれなりの額を払って彼らは学んでいるだろう?」

「ああ、個人の家庭教師なら何人もいる。……教室にする理由は……そうか、コネか!」

「ああ、これから貴族になろうとする者は、下手な下級貴族よりも力がある。勢いもある。そんな彼らが集まる場を、しかるべき人物が設ければ――」

「……金になるな。そこに肉親をぶち込むだけで人脈が広がる。一度集まれば後は……上手くすれば、確かに……いや、だが無理だ。セラフィーヌってのが足を引っ張る」

「だから君に頼みたいんだ。君のバックと彼女を会わせて欲しい。意味は、わかるね?」

 リオネルは絶句する。咄嗟にシャルロットの方を見るが、まだ彼女はこの話の肝を察していないらしく、視線に対してきょとんとしている。

「この女が頭を下げると思うか?」

「下げられないなら堕ちるだけ。そこまでの覚悟だったというだけだ」

「……何の話をしていますの?」

 二人の間に流れるただならぬ気配に、とうとう口を開いたシャルロット。

「察しのわりい女だなおい。いいか、こいつが言ってんのは、テメエが父親を嵌めた元凶に頭を下げろってことだ。俺のバックにいる、ドナシアン・ド・リエーブルに」

 シャルロットの表情がさっと青く染まる。衝撃だったのだろう。動揺の色が隠せていない。隠す余裕もない。

「元凶だったのか。その一部くらいのイメージだったけど……尚更好都合」

「何を言ってますの!? 貴方、正気で――」

「正気さ。今の君には商品価値がある。家名と教養だ。でも、家名に関して一つ汚点がある。他の有力貴族に疎まれ、没落したという汚点だ。ありていに言えば、貴族社会から嫌われているとされるセラフィーヌに教えを乞いたいものなどいない。それもまた事実」

「お父様は嵌められたのですわよ!」

「商売の世界はね、すくわれる足を残した時点で、負けなんだ。どんなに綺麗ごとを言っても、儲けるってことは誰かから奪うということ。恨みつらみなんてどこにでもある。負の感情はあって、その中をどう切り抜けるかを考えなきゃいけない。継続して商売をするためには、その方が大事だ。ひと時、儲けるくらいなら運次第。其処から続けるのが、本当の実力だから」

「侮辱ですわ」

「商売の世界は残酷だから。勝った者が正義。君は今、悪の汚名を背負っている。それを拭わねば舞台に立つこともできない。君は自由を得た。でも、自由ってことは自立しなきゃいけないってことだ。君が今出来ることを考えてみて。何が最善か、考えるんだ」

「……でも、それはあまりにも――」

 シャルロットは押し黙る。必死に考えているのだろう。現実と憎しみのはざまで。

「んで、リエーブルに紹介して俺は何を得る? まさかただで紹介しろってわけじゃねえよな。今の話の何処に俺の儲け話があった?」

「ん、変なことを言うね。君のバックに挨拶するんだ。当然、彼女は君のシマで教室を開く。君はシノギを得ることになるわけだろ? しかも将来性豊かな。君は教室を守る。教室は君にその対価を支払う。その一部が上へと流れる。敵が全部味方になるって寸法さ」

「……ハッ、マジで鬼畜だなテメエ」

「それが一番手っ取り早いからね。教室って発想は商売になると僕は思っている。しかも、金のある層がターゲット。利益率は高いし、容易に競合は真似をできない。だって、問題点さえ解消した状態であれば、セラフィーヌクラスの格を持った女性は、市場においてほぼオンリーワン。条件さえ揃えば絶対に勝てる勝負さ。あとは、覚悟次第だね」

 お人好しの発想ではない。アルフレッドは彼女に必勝の策を授けている。ただし、そこには筆舌し難い、許容し難い大きな壁が横たわっている。そこを超えろと彼は言っているのだ。感情を捨て、脇に置き、そうして生きる道を取れと。

「……気休めにもならないだろうけど、君は御父上の件で頭を下げる必要はない。むしろその件はなかったかのように振舞うんだ。そうしたら相手も応じてくれる。建前上、むしろ心配すらしてくれるだろう。あとは計画の利点と自分の強み、しっかりプレゼンすれば、きっと上手くいく。自分にも、彼らにも、大きな利益があると提示すれば、君は立てる」

「随分他人事ですのね」

「……事実、僕が手助けできるのは此処までだ。ここから先、僕がいることで下手をするとマイナスになりかねない。白騎士の息子っていう看板は、この国においてはセラフィーヌなんて比較にならないほどの悪名。僕は、交渉の時、君の隣にいない」

「……貴方は、残酷ですわね」

「うん。僕もそう思う」

 そんな世界だから逃げた。王宮(プリンス)から、商売(テイラー)から、逃げ続けてきた自分にこれを強要することは出来ない。残酷な現実を直視することに耐えられなかったから、正しいことであっても間違いとなる世界があって、矛盾に満ちた世界につかれた自分が、そこに飛び込めなどと偉そうに言えるだろうか。

「……それしか、ありませんの?」

「……僕は、そう思っている」

「一緒に、手伝ってはくれませんの?」

「うん、それは出来ない」

「本当に、残酷ですわ」

 シャルロットは大きく息を吸い込んだ。父が急ぎ過ぎたこと、周りにもう少し気を遣うべきだったこと、全部わかっている。アルフレッドの指示した道が一番簡単で、一番誇りが保てる道であることもわかっている。それ以外の道で、綺麗に生きることは出来ないだろう。心も体も汚れねば生きていけない。

 己には手に職がないのだから――

 この方法であれば、心だけで済む。

「良いでしょう。我がセラフィーヌ家復権のため、あえてわたくしはその道を選びます。教えて頂きますわよ、わたくしがもう一度あの世界に立つために」

「もちろん。詳細はもう書き記してある。この羊皮紙に書かれたことをかみ砕いて説明する。それだけで充分だ。君はリオネル庇護のもと、リエーブルの傘下として教室を開く。これで条件は整う。こんなご時世だからこそ、君は需要がある」

 これで全てが終わった。アルフレッドがやるべきことは全て。彼女に自由を与えただけでは無責任。立ち方まで整えて初めて、自らのエゴの責任を取ったと言える。

(一緒に行こうって、言って欲しかったと言ったら、欲張りですわね)

 さようなら気高き麗人。未だ彷徨い人である自分は、近くにいない方が良い。立ち方がわからないのは自分も同じで。道すら見えなくなった自分と彼女は違う。だからさようならなのだ。見つかった者と、そうでない者は一緒に歩むべきではないから。

(さようならシャルロット。君は、昔以上にとても美しかったよ)

 ゆえに、別れの時が来る。

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