無敗の剣闘士:二人の天才
動き出したのは王者からであった。まったく警戒の色も見せず、ただ距離を詰めるだけの突進。多くの猛者を一撃のもとに打ち倒してきた剣など歯牙にもかけていない。
黒銀の獅子の突貫。王者の行進。
「ほらよ、射程だぜカス虫」
王者はあまりにも無防備に踏み込み過ぎた。挑戦者の居合いが迸る。この場で見せていたブラフは前に使った。だが、それで仕舞いとは誰も言っていない。
あの時点で蒔いた種、今ここで――
「あァ、やっぱな。テメエ、あの時も少しだけ抜いていたか」
刈り取る。乾坤一擲の居合いは以前見せた時よりもさらに速さを増し、鋭い一撃は相手の胴を薙――ぐはずであった。居合いが放たれた瞬間、今まで誰もが間に合わなかったタイミングからリオネルは反応してみせた。そしてその思考を誰よりも早く肉体で表現する才を彼は神から与えられていた。
アルフレッドの脳裏に浮かぶ言葉は天才の一言。その男は全身でそれを表現してのける。居合いは最強の攻撃法ではない。所詮待ちの戦法であるし、出所が限定される以上、剣閃の軌道にも制限がかかる。対策は容易なのだ。神速のそれであっても、初志と理性を貫徹できる精神力、剣の精度があれば防げる。
事実、カイルには通用しなかったし、ミラも幾度か見た後同じように攻略してきた。
だが、リオネルと言う男の攻略法はそれらとは一線を画す。放たれた瞬間を見て、軌道が判明してからかわす。シンプルだが、本来人間の反応速度であれば絶対に間に合わない方法で、この男は間に合わせて見せた。
「……さすがだ。参っちゃうよ」
「嘘つけカス」
リオネルは居合いをかわした体勢から、体幹の力だけで体勢を戻してその勢いのまま剣を振るう。狙いは――アルフレッドの二撃目。最初から段取りを組んでいたのだろう鞘での二段構えに無理やり対応する。
二人の中心で炸裂する衝撃。刃引きをした剣闘用の剣でなければ両断されていたかもしれない。それでもこれは剣闘で、剣と鞘が鍔迫り合うのは必然。
「二段でも駄目か。厳しいね」
「これで打ち止めか? なら死んどけ」
力では己が有利。それはすでにわかりきっている事実。加えてアルフレッドは利き腕と逆、左手である。鍔迫り合いはこの場合、リオネルの領域なのだ。力づくで押し込み優位を確保する。それは力に勝る者にしか出来ないのだから。
最序盤を制したのは――
「でも、三段目は――」
アルフレッドは微笑む。リオネルはその微笑みは見た。しかし、微笑みの真意を把握するには彼の知識では足りない。否、この場の誰もが、それこそ日頃剣を合わせるアーク以外の誰もが知らぬ武。
「――わからない!」
ゆえに、それは通った。
発勁、万全の体勢から放ったモノではないが、微妙な重心移動と全身運動から生まれる力は震脚を起こし、跳ね返った力の奔流はアルフレッドの左手が持つ鞘へと、その先のリオネルの剣へと伝わっていく。
「破ァ!」
気合一喝。砕ける鞘、押し込まれ後退を余儀なくされたリオネル、三段連ねたアルフレッドが最序盤を制する。
「……参ったね」
「口を閉じろカスが。思ってもねえことをべらべらと」
だが、アルフレッドの顔に笑みはない。
(本音、なんだけどな)
全部込めた急戦の三段。普通の相手なら初撃でケリがつく。居合いが頭に在り対策を組んできた相手なら二撃目で仕留められる。三段目は完全にリオネル専用、彼以外であれば二段目の後に鍔迫り合いなどありえないのだから当然である。
それが、大した効果を生まなかった。アルフレッドはこの攻めで三割ほど、勝てるのではないかと思っていた。持てる駒を一気に使い、急戦で仕留める。身体能力で劣る以上、序盤で一気に決めるのが理想であった。
(……あの時の拳打と同じか。理屈はわかんねえが、足元見てりゃあいーんだろ)
己との力差を埋める謎の力。しかしそれは前回見せた兆し同様、足元の石畳に亀裂が生じるほどの踏み込みを要する。つまり、それを見てから対処すれば良いだけ。自分ならそこからでも対処できる。わかってしまえば恐れるに足らず。
「で、まだあるか頭でっかち」
「さてね、どうだろ」
二人のやり取りに歓声が巻き起こる。
観客はこの一瞬でどんなやり取りが行われたのか、理解している者などほとんどいないだろう。それでもすごいやり取りだったことはわかる。目にも止まらぬ早業で、死線を両者共に潜り抜けた。そのスリルは彼らにも伝わっていく。
そしてわかる者は、彼らよりも大きな衝撃を受けていた。一手目の居合いの鋭さ、それに対応したリオネル、対応されるとわかっていたかのような二手目に、やはり追いついてみせたリオネルの超反応、最後の三手目に関しては全員の理解を超えていた。
「ひゅー、キレッキレじゃねえかリオネルの野郎」
「あれは誰だロラン。まさか、あの男の」
「その先は口閉じとけ。何処に耳があるかわかんないからな」
「……そうか、確かに、面白い!」
「っても、たぶん別物だぜ。あの子、リオネルとは別の方向性で天才だからな」
自分たちが想起した男は、天才と言う言葉から遠く離れた男であった。本当の意味で開花したのは世に出てから相当後のことであったし、その前の準備期間も含めれば壮大な時間を要したことは想像に難くない。
すぐにリュテスは知る。あの少年とあの男が異なる存在であることを――
「おいおい、こりゃまた、雰囲気ががらりと変わりやがった」
ロランが目を見張った先では――
「借りるよ、ミラ」
変則的な動きでリオネルを攻め立てるアルフレッドの姿があった。柔軟に、縦横無尽に、変幻自在の剣はあまりにも騎士の定跡から外れていた。思わぬところから剣が、足が出てくる。戦闘センスの塊、そう呼ぶしかない動き。
「あれを捌くか……お前では勝てぬわけだ」
「面目次第もございません。私には、あのどちらにも勝てる気がしません」
「……案ずるな。私も、勝てぬよ」
アルセーヌは背筋の凍る思いであった。手塩にかけて育てた騎士たち、自慢の部下たちが霞んでしまうほどに彼らは強い。しかも、二人とも若く見える。下手をすると十代であれば、伸びしろから考えても部下たちに勝てる者などいない。
「ぐ、まだまだァ!」
「久しぶりに、視甲斐のある動きだなオイ」
圧倒的不規則、バトルセンスの雪崩を受けてなおピクリともしないリオネル。まるで容易いことだとばかりにアルフレッドの、ミラを模した剣をかわしていく。見て動いて、視て動いて、それで間に合ってしまうのだから反則であろう。
異様な体幹、身体能力もそれに一役買っている。どうしようもなくリオネルと言う男は天才なのだ。同じ天才であるミラの模造品では勝てぬほどに。
(本物でも、どうだろうか。予想もつかないや)
おそらくこれでは勝てない。オリジナルでも微妙なのだ。劣化コピーでは勝ち目などない。
(変幻自在で駄目なら、回転数で勝負だッ!)
模倣するのはクロードの槍。突きを主体とした剣は期せずランベルトのそれと酷似している。回転数、攻撃の速さと手数で勝負する型、これならば――
「ハッ! 凡人がァ!」
「シッ!」
二人の戦いは過熱していく。
○
努力では超えられぬ壁、才能の断崖を前にアルフレッドは笑う。これほどまでに高い壁をアルフレッドは初めて目の当たりにしていた。無論、父やカイルのように遠過ぎる背を見たことはある。才能と努力、計り知れぬほどの喪失を経て彼らはそこに至った。
だが、目の前の男はそうではないのだ。彼は何も失っていない。神から与えられた力を振るうだけ、それを伸ばそうとも伸ばす必要があるとも思っていない。彼は知っているのだ。これから先、今は目の上のたんこぶとして君臨する者たちも、数年もすれば力関係は変わる、と。何もする必要はない。自分は強くなり、彼らは弱くなる。
それから十年は己が天下。それを確信として持っている。そしてそれは正しいのだろう。個人の武力という観点において、彼はきっとそうなるし、だからこそ彼は努力をしない。する必要を感じていない。
「……品切れかァ?」
アルフレッドの攻めの手札は尽きた。自身の手札では攻め切れないことがわかってしまった。変幻自在の剣も、回転数と速度に特化した剣も、彼の眼と体の前には児戯と同じ。
「なら、次は俺様の番だ」
ぐんと加速し、一気に懐へ飛び込んでくるリオネル。手拍子で返しの一手を放ってしまい、それをかわしながら不自然な体勢から剣が出てくる。それを紙一重で回避しても、リオネルは当たり前のようにさらに距離を詰めてきて、鼻先でせせら笑うのだ。
「テメエのターンは二度と回ってこねえがな」
嗤いながらもアルフレッドの剣はしっかり見ている。動き出した瞬間に反応し、到達する頃には影すら切れない。それどころか異様な体勢から力の入った反撃まで飛んでくる始末。観客にとっては最高のショーであった。スリリングで、それでいてスタイリッシュ。
調子が出てきたのかリオネルの動きはさらに加速していく。かわして、反撃、さらに追撃、死線をあっさり通り過ぎ射程の中で無力な獲物を嗤う。
まさにチャンピオン、絶対王者の勝ちパターン。
「リオネル! リオネル! リオネル!」
王者をたたえる声が場内にこだまする。処刑の時間が訪れたのだ。
「運動量、落ちるどころか上がっているな」
「尽きぬ体力、冴え渡る超反応、最強の素質か」
ロランは感嘆の笑みを浮かべ、リュテスは複雑な表情で天賦の才を眺める。これほどの素質がある。まだ十代、それなのにあれだけの人間を束ねている。チンピラであろうとも、数は正義だ。力が人を集め、力で人を従わせる。それも立派な才能。
あの力が、此処で完結してしまっていること、本人がそれで良しとしていること、それがリュテスにとって気に食わぬことであり、そこを正せぬ己たちの不甲斐なさに反吐が出る。努力せねば超えられぬ、そう認識させることすら出来なかったのだから。
「良い才能だ。私が思っていたより、あのリオネルと言う男は伸びしろがある。でもね、こと才能と言う点において、私は彼が劣っているとは思わないよ」
リディアーヌは武人ではない。だからこそ、表面的な部分を見ることなく本質を覗くことが出来る。確かに理想的なのだろう。武人であれば垂涎モノの、そういう才能なのだろう。だからこそ彼らは少しだけ、目が曇っている。
挑戦者の眼が――折れるどころか力を増している。
其処に気づいていないのだから。
「息が切れてんな。そんなに遊んだつもりもねえが、所詮カスはカス、か」
「ハァ、ハァ、そりゃどうも。待ってくれるなんて優しいじゃないか」
「次で最後だ。終わるまで止まらねえ。だから、負け惜しみくらいは聞いてやろうと思ってな。王者の慈悲だ。ありがたく囀れ」
「じゃあ、遠慮なく囀らせてもらおうかな」
ちょっとやそっとでこの呼吸は戻らない。身体中に疲労は蓄積されている。ここまで色々と試した結果、攻めに対しての受け、その一点に関して彼は世界最高の才能と世界トップクラスの力を持っている。今の自分では、こじ開けられないことがわかった。
受けさせてはいけない。やるべきことは、その一点。
「君は強い。最初に見た瞬間、君は別格だと分かった」
「今更褒めても手抜きはしねえぞ。事後も含めてな」
「今日、刃を合わせてその想いは一層強まったよ。君は強い、特別だ。だからね、苛立つんだと思う。今、確信に至ったよ。僕は君が嫌いだ。僕と似た、君が嫌いなんだ」
ゾクリ、リオネルは戦慄の冷たさを背中に感じた。仮面の下から見える光、その奥にあるのは温室育ちの甘ちゃんとは思えぬほどの――深淵。
「力を持つのにそれを活かさない。はたから見るとこんなにも腹立たしい光景とは思わなかった。君は無様だ。君は醜い。停滞する才能の何と目障りなことか」
零度が、その眼にちらつく。観衆も、少しずつ沈静化していった。何かおかしい、雰囲気の変化を皆が察し始める。
いわんや武人たちは皆、それに注視していた。
「俺様をこれ以上刺激して、テメエはいったい何がしてえ?」
「……別に何も。ただ、君を通して僕を見ると、最ッ高にクズだなって思っただけ。もっと出来ることがあった。やるべきことだってきっとあった。逃げて、逃げて、捨てられて、理由を探していた己に腹が立つ。無様で、醜い、視るに堪えぬから追い出した、それだけのことだろうに! ありがとうリオネル、君のおかげで、僕は僕を知ることが出来た!」
「意味わかんねえんだよ。それに、前も言ったが……テメエが俺の何を知る!」
リオネルの脳裏に浮かぶのは屈辱の日々。自らよりも劣る連中に、ただ生まれがそうであったがために打たれ、蹴られ、泥をすすり、地を這って生き延びた。その地獄を、生まれついての勝ち組が知った風な顔をする。それは――嘲笑われることよりも腹立たしいことであった。怒りが全身を駆け巡る。問答は、もう不要。
「充分囀ったろ? そろそろ死ね」
これで最後、初めて見た時から不愉快な存在であった。
それはきっと――
「僕以上に君を理解している人間は、いないと思うよ」
対照的な存在への反発であり――
「死んどけ!」
同属嫌悪でもあったのだ。
「でも、もっと理解したいな」
リオネルはアルフレッドの射程に踏み込んだ。だが、先ほどまでとは異なりアルフレッドは微動だにもしない。諦めたのか、それとも何か意図があるのか――
(……どうでも良いか。こっからこの凡人に、何が出来る?)
リオネルが攻撃に思考を切り替えた。その瞬間、アルフレッドもまた動き出した。まるで思考をトレースされたかのように、最短距離で受け止められる刃。リオネルの背に悪寒が走る。掌から伝わる不気味な感覚に嫌な予感が止まらない。
「今度は、僕が視る番だ」
光が消える。深淵が、前に出てきた。
こんな冷たいモノを、リオネルは知らなかった。
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