無敗の剣闘士:アルフレッド、立つ

 緩やかに日々は過ぎていた。着実に闘技場では勝利を重ね、最短で王者の喉元まで迫っていく一方、それ以外ではシャルロットと共にウルテリオルを散策していた。シャルロットが勝手知ったる上流層から二人とも訪れたことのない下流層まで、ウルテリオルを味わい尽くしたと言っても良い。

「さーさ行った行った。あのクソガキに会ったらたまにゃ帰ってこいって伝えときな」

「はい、わかりましたシスター・アンヌ。一言一句違えず伝えます」

 クロードが昔お世話になっていた教会での出会い。そしてそこで聞いた父と一人の女性、クロードたち孤児みんなの話。ここでの生き方、今もなお続くクロードとメアリーの援助のおかげでここの子供たちは生きている。

 クロードが援助を開始する前は父が――

 ただの教会ではない。昔から変わらず、人身売買の中継地点でもある。売り先が色町や奴隷商から商会や軍に変わっただけ。シスター・アンヌはパイプを燻らせながら語った。自分は子供を食い物にして生きているろくでなしだと。ここの出身者が有志で勉学を教え、価値を上げた子供たちを売る。それが生業なのだと。

「でも、シスターがいたから私たちは今も生きている。あの御方が別の道を作ってくれたから、今の私たちが、クロードがいる。別の道で生きている私たちがいるから、此処の子供たちは選択肢を得られる。だから私たちは感謝しているの、今までの全部に」

 ここには昔、もっと凄惨な地獄が広がっていた。誰もが生きるために必死だった。ひょんなことから白い騎士とここの出身者である女が出会い、選択肢が少し増えた。生きる術を与え、未来への投資に応えた者たちが今のここを支えている。

「父はその人のことが好きだったんですか?」

「さあねえ。知らないよガキの色恋なんざ。良い歳して色も知らねえガキと良い歳になって恋も知らねえガキの話さね。まあ、どっちかにゃそーいう感情もあっただろーね」

 この教会を中心に、本当の底辺と言うのをアルフレッドはシャルロットと共にしかと目に焼き付けた。どうしようもない現実がそこかしこに広がっている。アルカスでも見られた光景。でも、近づかなかったのはきっとミラやカイルの心配りがあったから。

 ここまでそこに踏み込んだのは初めての経験であった。


「ねえシャルロット。君は自由になったら何をしたい?」

 様々なモノを二人で見てきた。上も、下も、たくさんのモノを見た。

「……ただ、必死に生きますわ。精一杯、自分の足で立てるように。家も名も関係なく、ただ一個のシャルロット・ド・セラフィーヌとして、立っていたい」

 とても綺麗な答えだとアルフレッドは思った。すっと、ただ二本の足で立っているだけなのに、どうして彼女の立ち姿は此処まで美しいのだろう。一本の芯がある。ぶれず、揺らがず、しゃんと立つ。

「きっと立てるよ。君は美しいから」

「……貴方はもう少し言葉を選ぶべきですわ! ……勘違いしてしまうでしょうに」

「ん、何か変なこと言った?」

「そーいうところが癪に障ると言ってますのよ!」

「ちょ、殴らないでよ! つねるのも駄目!」

 だから彼女が選ばれたのだ。リディアーヌのお眼鏡にかなったから、あの時彼女とアルフレッドは出会った。綺麗な彼女を覚えていたから、今の雁字搦めな状況がある。でも、窮屈には感じない。例え全てが王の頭脳の掌の上であったとしても、彼女が美しいと思う自分は変わらないし、彼女に美しくあって欲しいという自分は変わらない。

 ゆえに戦うのだ。己を通すために。

 シャルロット・ド・セラフィーヌには美しく立っていてほしい。そんなエゴを通すためにアルフレッド・フォン・アルカディアは戦う。


     ○


 良い朝であった。突き抜けるような蒼空。少し冷える大気は秋の終わりを告げるかのようであった。もう少ししたら冬が来る。ウルテリオルにはアルカスほどの雪は降らないそうだが、もっと南へ下れば雪のゆの字も無くなるらしい。

「雪が来る前に南へ下る。小僧の行く末がどうであれ、我は往くぞ」

 アークは此処まで待っていてくれた。彼には全く関係のない状況とアルフレッドのエゴにここまで付き合ってくれたのだ。

「わかっています。今日で、一つケリはつけるつもりです」

 トゥラーンから少し離れた訓練場。朝日が昇ったばかりの時間であれば誰もいないため、此処に来た日からずっと朝、夕と欠かさずに修練を積んでいた。それは決してリオネルに勝つための付け焼刃を磨いたわけではない。じっくりと、心身を鍛え、未来へ繋げるための修練である。焦る必要はない。慌てることに意味がない。

 自分に出来ることは、この旅が始まってから怠ったことはない。この修練も、街を巡ったことも、彼女たちとの出会いも、全てが自分を形成する大事なモノ。

 今の自分を出し切る以上を求める必要はない。全身全霊で出し切る、それだけで良い。

「リオネルは強い。我の見立てでも五分の相手よ。剥き出しの才能が小僧を襲うであろう。勝算の高い戦いではあるまい。それでも戦うか?」

「はい」

「何がために」

「自分のために」

 迷いなくアルフレッドは言い切った。それを見てアークは微笑む。

「であれば何も言わぬ。勝ってこいサー・アルフレッド。己が信念、貫き通して勝ち取ってみせよ。それでこそ戦士、それでこそ騎士であるッ!」

「承知!」

 かつてないほど今の自分は研ぎ澄まされている。自分を賭けた戦い。同じく自分を賭けたストラチェスの大会とはわけが違う。あれは高確率で勝てると判断したから仕掛けられた。思い返せば自分の戦いとはそういうモノばかりで、本当の窮地などそうはなかっただろう。それこそ、アルカスから出て行ったあの日くらいのものである。

 今もって勝利の確信はない。確信の無い一歩がこれほど恐ろしいとは思わなかった。

 負けた先にある未来が不幸とは限らない。勝って進むことが不幸に繋がることもあるだろう。しかし、それでもアルフレッドは勝って進むことを選びたいと思う。与えられるのではなく掴み取る道を選びたいと思う。

 アルカスと言う鳥籠から出た、あの一歩目で感じたことを忘れたくないから。

 まだ自分は何も掴んでいない。何も成していない。

 だから今日、勝利を掴もう。勝利を掴んでエゴを成そう。堂々と、胸を張って掌の上で立つ道を選ぼう。彼女のように、しゃんと芯の通った立ち姿で――

 今日、アルフレッド・フォン・アルカディアが立つ。


     ○


 闘技場には大勢の民衆が押し寄せていた。無敗のチャンピオンと一撃必殺の挑戦者、剣闘に少しでも興味のある者ならば垂涎モノのカードである。

「おや、珍しいね。君がウルテリオルにいるなんて」

 リディアーヌの横に仁王立つのはガリアス最強にまで上り詰めた王の左右が一人、『疾風』のリュテス。天才と謳われ、ある挫折から努力も欠かさぬようになったロランすら抜き去った女傑であり、生涯を武に捧げんと独身を貫いていた。

「ロランから話を聞いた。面白い戦いが見れるとな」

「そうそう。ささ、こっちに座りなよリュテス」

「……リオネルと言う小僧なら前に見た。才覚は認める。だが、それだけだ。才能だけでは届かんのは貴様が証明しただろう。見るに値せん」

「ちょ、ちょっと、いやいや、絶対面白いから。対戦相手が良いんだまた。だからね、始まるまで見てくれよ。この通り!」

 いきなり土下座を敢行するロランに呆れて声も出ないのか、無言でその場に立ち続けるリュテス。一応始まるまでは見る気にはなったのだろう。

「……大変だねえ。色男も形無しだ」

「……昔はあんなに可愛かったのに、今じゃ口調まで武人! って感じで」

「あははは。それだけ武に吹っ切れたから今の彼女がいる。それでも気は抜けないんだろう。今の彼女にはそれしかなく、後ろからは馬鹿げた才能が猛追してきてるわけで」

「アルカディアのクロードとエスタードのゼナ、まあ化けもんですよ。二人とも」

「今日はそれに比肩する二つの才能だ。まあ楽しめると思うよ、私も保証しよう」

「リディアーヌ様がおっしゃられるのであれば」

「……信頼無いなあ俺」

 がっくりと肩を落とすロラン。

 要人はそれだけに止まらなかった。

「いやー公務をさぼって剣闘を見る! 王冥利に尽きると思わんかね」

 アクィタニアの王ガレリウスとその懐刀であるリュシュアンも観戦に訪れていた。

「左様でございますな。しっかりと仕事は残しておくように申し伝えておきましたのでご安心ください陛下」

「……王はつらいよ。おや、あそこにボルトースとガロンヌがいるな」

「茶飲み友達だそうで。両名とも勇退された身ですから好きに生きているのでしょう」

 最終戦争と呼ばれている戦を最後に多くの武人が一線を退いた。あの二人も同じである。自分たちの時代は終わった。あとは若者の時代、彼らは迷いなく剣を置いて余生を過ごす。

 黄金騎士団団長であるアルセーヌの横には先代ジャン・ポール・ユボーが。黄金騎士団の中にはこの前チャンピオンに敗北を喫した騎士も混ざっている。ちなみに彼もユボー家に連なる者であった。

 未だ現役のバンジャマン、アダンも屋台で買ったエールを片手に観戦している。少し離れたところには武人をやめたエウリュディケとその息子が、それを守護するようにグスタフが腰を落ち着けていた。

 そして、最も遠くから見守るはアーク・オブ・ガルニアスと元部下であるランスロであった。舞台を、未来を見据えるために彼らはそこにいる。

「さあ、幕開けである。勝って掴め、未来の王よ!」

 アークの咆哮は歓声にかき消された。

 最強の挑戦者が姿を現したのである。

「……ほう」

 リュテスだけではない。他の、物見遊山気分であった武人全てが押し黙る。挑戦者だけではない。チャンピオンもまた、彼が現れた瞬間跳ね上がった。同じ舞台に立った瞬間、二つの才能がぶつかり合い、高め合っているのが伝わってくる。

「我らがチャンピオン、無敗の王に挑戦するはこの男! 彗星の如く現れ、ウルテリオルが誇る猛者たちをすべて一撃で葬ってきた最強の挑戦者だ! その正体はアルカディア王国でデビューを飾り、九十九戦無敗と言う戦歴の持ち主、黄金騎士アレクシスだァ! 本名は……負けたらその仮面と共にすべてを白日の下へ曝け出す約定を交わしております」

 歓声が爆発する。王者が勝てば謎まで解ける。一番大きな胴元の賭けは王者有利のオッズであるが、もはや観客にとって賭けなど些事。この大一番を一瞬たりとも見逃さない、それが重要なのだ。

「それでは早速始めましょう。本日のメーンイベント、無敗対無敗! 両者、構え!」

 歓声が消えた。

 リオネルは無造作に剣を抜き、無造作に立つ。あれがチャンピオンなのだ。この場にいるものならば誰でも知っている。彼は構えない。準備をする必要がないから。

 対するアレクシスは居合いの構え。その構えを取った瞬間、素人でもわかるほど圧力が跳ね上がった。雰囲気が噴き出しうねる。蒼き炎、風と共に飛翔する。

 アルカディアとの戦を経験した者であれば、視るだけで怖気が走る光景であった。あの英雄と瓜二つの構え。忘れようとしても忘れ難き苦い記憶。超大国に刻まれた傷が疼く。

「嗚呼、あの人が見えます。とても、美しい」

 主催者側が用意した特別席。観衆からは見えない場所に彼女はいた。恍惚の表情でアレクシス、アルフレッドを見つめる。武人とは別のベクトルで彼女も感じていた。覇者の血を受け継ぐモノを。いつかはそれをも超え得る未完の大器を。

 観客席の隅でシャルロットが見つめていた。彼女は知らない。この戦いに己が未来が賭けられていることを。知らずとも祈る。彼の勝利を。その先に別れがあることを知りながら、それでも祈る。

 彼もまた新たなる一歩を求める者だと、知るがゆえに。

「始めッ!」

 一つの運命が始まる。

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