無敗の剣闘士:頭脳の掌

 夕餉の後、誘われるがままにアルフレッドはリディアーヌとストラチェスを指していた。初期陣形は互いにダルタニアン・ストラディオットと少し古典めいているが、それゆえに中盤に差し掛かると読みの深い勝負になってくる。

 リディアーヌの指し筋は軽妙な手もあれば重厚な手もあり、未だ読み切れていない。この遊戯は深まれば深まるほどに対戦相手の特徴が出てくる。

(僕では、そこまで至れないということか)

 リディアーヌの深さ、自分はまだその領域ではない。父と指していた時と同じ感覚。嫌が上にも展開が導かれてしまう。望む望まぬにかかわらず。

 それはまさに今の己と被っていた。

「一つ聞いても良いですか?」

「何でも聞き給え。私はこう見えて問いに応じるのが好きなのだ。難しい問いであればあるほど、ね」

「では、僕の身柄を、貴女はどうお使いになる気なのですか」

「ほお、とても難しい問いだ。はてさて、何のことか私に説明して欲しいところだね」

 リディアーヌは見透かしたような眼でアルフレッドを見つめる。どうやら彼女は答え合わせがご所望らしい。アルフレッドはすっと駒を進めながら口を開いた。

「最初の違和感は、リオネルから無理やりシャルロットを奪い僕にあてがったことです。だってそうでしょう? わざわざ彼の所有物を奪わなくとも、王の頭脳である貴女にはいくらでも人手はあった」

 リディアーヌは「うむうむ」と頷きながら駒を急所に打ち込んでくる。アルフレッドは頬をぴくりとさせ、苦笑いを浮かべながら駒損覚悟で捌いてみせる。

「次の違和感は、彼女の境遇を聞いた時、でした。知人をあてがい、ストラチェス大会での『実績』を鑑みれば僕がリオネルと対決するのは必然。お人好しに付け込んで対決させる。彼女を救うために、僕が唯一持つ価値あるモノ、自分自身を賭けることで勝負を成立させる。貴女の目論見通り、僕は踊りました」

「ふむふむ、まあシャルロット嬢は可哀そうだからね。助けたくもなるよ」

「最後の違和感は、貴女と言う存在です」

「……ほう」

 リディアーヌは興味深そうに目を細める。

「リディアーヌ・ド・ウルテリオル。貴女がこんな手間をかけてシャルロットを救うか、これは明確に否です。そうしたいのであれば、もっと容易く出来るし、今までそうしなかったのは不自然極まりない。つまり目的は、別にある」

 アルフレッドが思考をフル回転させ導き出した一手。攻めと守り、この局面においてどちらにも効果を発揮する手は、リディアーヌの想定を半歩、少しであるが超えていた。

「シャルロット本人ではなく彼女を救うに当たって差し出すしかないモノ、自意識過剰かもしれませんが、僕の自由を奪うこと、それが目的なのではないかと邪推致しました」

 リディアーヌ優位の盤面が俄かに揺れる。

「さすがに無理やりが過ぎたかな」

「王の頭脳にしては無理筋が過ぎたかと」

 シャルロットを使う。確実に、彼を押さえるための一手が全てをさらすことに繋がってしまった。だが、もう全てが成った後。バレたところでリディアーヌにとって支障はない。むしろ、暴いてみせた分自分の考えが正しかったことの証左にすらなっていた。

「君の言う通りだ。私は、市場はある程度自由であるべきと考えている。多少クロでも、行き過ぎなければ手を出さない。いや、行き過ぎたところで市場には自浄作用がある。本当にまずいケースであれば、同業他社が許すはずもない。政府はね、市場に極力介入すべきでないんだ。それが私の考え方だよ」

「セラフィーヌの件は――」

「クロだが行き過ぎてはいない。君はどう思う?」

「……僕も、そう思います」

 リディアーヌは満足げに頷く。

「話を戻そうか。君の言う通り、シャルロットは楔。リオネルが勝利し、君の自由を奪い我がものとする。それが私の目的だ。だが、知ったところで状況は変わらない。君は賭けを仕掛けて成立させた。もう逃げられる局面じゃない」

「ええ、理解しています。彼女を捨てて旅を続けるほど、僕は強くないので」

 そう、もうどうしようもないのだ。アルフレッドと言う人間がシャルロットと言う幼馴染の不幸を見て見ぬふりが出来るか否か、出来ないと踏んだからリディアーヌはシャルロットを使ったし、出来ないと思ったからアルフレッドは賭けを仕掛けた。

 賽は投げられていた。初めから、こうなることは決まっていたのだ。

「その上で君を私がどうしたいのかを問うているのだね」

「はい、あまり意味のある問いではありませんね」

「確かに。無意味だね」

 リディアーヌは揺れた盤面を押さえ込むかのような強い手を放った。勝利に対する執着、絶対に勝つという強い意志。彼女もまた世界の頂点、その一角なのだと分からされてしまう。勝利が遠のく。先程の手がまるで焼け石に水であったかのような、そんな差があった。

「僕を使ってアルカディアに何かを要求しても、たぶん何も出てきませんよ。追い出すどころか、暗殺者や傭兵を使って処分されかけましたし」

「……父君が?」

「そうですね。自ら出張ってきたところを見ると、本当に邪魔だったんだと思います」

 悲しげに微笑むアルフレッド。リディアーヌはしばし考え込むそぶりを見せた。

「世間体を傷つける道具くらいには成ると思います。でも、実利では何のお役にも立てないでしょう。無価値どころか、父にとって僕は有害だったのだから」

「……君は私がどうやって君を使うと考えている?」

「そうですね。アルカディアの王子が他国で人に飼われている。このことを喧伝するだけで充分傷つけられますし、世間体から回収に動き出す必要にも迫られるでしょう。そこで交渉して、いくばくかの何かと引き換えに回収。いや、回収前に暗殺してそれをガリアスに擦り付けるか。父上なら、そうする」

 リディアーヌはそれを聞いて哀しい気持ちになった。何か、歪だと思っていたのだ。これだけ色々出来る子供が、何故時折卑屈さを垣間見せるのか。もっと堂々としていればいい。自分は強いと胸を張ればいい。しかし、この子はそれをしない。するとしてもそれは必要に迫られた時、自分を優秀に見せるためのブラフに使うだけ。

 本質は卑屈、己が一番自分を過小評価している。

「答えを言うとね、私は君を後継者にしたいと思っているんだ」

「……は?」

「ガリアスの、王の頭脳に。もちろん先の話だ。私もまだまだ現役だからね。でも、最終的にはそうしようと思っている」

「いくらなんでもそれは――」

「これは、我が祖父が君の御父上に望んだことでもあった。まあそれに関しては足掛かりで、王に据えたいってのが本音だったみたいだけど。とにかく私は本気だよ。君が負けた後は、しばらく私のビジョンに従って成長してもらうからそのつもりで」

「……そんな、馬鹿げている」

 騎士の駒を玩ぶリディアーヌ。打ち込む先は――

「君を王に据えたいってのはどちらかと言えばエレオノーラだね。あっちは女のあれこれが混ざっていると思うけど、私は違う。リディアーヌ・ド・ウルテリオルは慈善事業をするほどお人好しじゃない。才能ある君が欲しいから、私はあれこれ暗躍するのさっと」

 騎士を飛び込ませた一手。これは二十手先の詰みへといざなう手であり、この瞬間勝負が決した。あの一手以降、やはり主導権は奪い返されて最後まで覆ることはなかった。一瞬天秤を揺らしただけ。それがアルフレッドと今のリディアーヌとの差であった。

「まあ頑張りたまえ。私としては負けてくれると嬉しいが、あっさり負けてもらうのもつまらない。是非、当日は楽しませてほしい。あの男の息子が何を掴み取るのか、見せてもらおうアルフレッド・フォン・アルカディア」

 遥か高みから見下ろす眼。きっと、今の自分が見えているモノなど彼女には自明のことで、それ以上のモノが見えている。今だってそう、彼女がどうして哀しそうな目でアルフレッドを見ているのか、その理由など皆目見当もつかないのだ。

 アルフレッドは身震いする。掌の上で踊るのは承知の事実であったが、自分でも読み切れない目論見があるのは想定外。勝った負けたの目先だけではない、全てに布石があって、どの道を選択しても導かれてしまう。

 そんな恐ろしい考えが過ってしまった。


     ○


 アルフレッドが部屋に戻ると、足音を聞いていたのだろうすでに紅茶を淹れるシャルロットの姿があった。ただ紅茶を淹れているだけなのにどうしてこうも品よく立てるのか、不思議に思い質問すると立ち方の講習が始まるため聞かないようにするという教訓は初日で充分に学んでいた。

「そう言えば先ほどエレオノーラ様がいらっしゃいましたわ」

「え、何の用だったの?」

 どさりとベッドを兼務するソファーに腰掛けるアルフレッド。シャルロットの発言に驚きながらもふかふかのソファーの安心感にぷにっと笑みがこぼれる。

「さあ? 世間話をして終わりましたわ」

「へえ。君のことを心配しているのかなあ」

「……全部貴方絡みの話でしたけど」

「……へ、へえ。そうなんだ。ふーん」

 心臓が跳ね回っているが、何とか表情には出さずに平静さを保つアルフレッド。シャルロットが世間話というからには探りを入れてきたわけではないのだろう。本当に内容はただの世間話、毒にも薬にもならない話であったはず。

「好物は何かとか。朝は早いのか遅いのかとか。そんな感じでしたわね」

 シャルロットはそう言いながら紅茶の入ったカップをアルフレッドの目の前に置いた。ふわりと香る甘い匂いが気分を落ち着かせてくれる。ただの世間話、客人に会いに来て失礼にならないよう会話を繋げただけ。それだけのはず――

「今日はわたくしがそっちで寝ますわ」

「それは駄目だよ。僕にも意地ってもんがあるからね」

「そんなぷにっとした顔で何を言ってますのよ」

 アルフレッドの頬をつねるシャルロット。昔から老若男女問わずアルフレッドの頬はつねられてきた。両親は当然としてばあやもつねればニコラもイーリスもつねった経験が多々ある。ランベルトなど会うたびにつねったり指でつんつんしたりしてきた。その周りの女子も――ミラに至っては遊び道具かなにかと勘違いしていた節がある。

 誠に遺憾であった。

「最初に言った通り、ベッドは君が使えばいいよ。僕は野宿も経験しているからね。こっちでもぐっすり眠れるもん。土の上に比べれば天国だよ、このソファー」

 遺憾であるが楽しそうなので断り切れないところがアルフレッドらしさでもある。シャルロットはつねるのに飽きたのかつんつんと頬を指でつついて遊んでいた。

「一応あのベッド、二人でも寝れますわよ」

 背後、耳元へのささやき、つんつんしながら言うのは反則である。アルフレッドはりんごのように頬を赤らめて口をぱくぱくさせていた。

「よ、嫁入り前の女の子が、そ、そんなはしたないこと言っちゃダメじゃないか!」

「……冗談ですわよ。紅茶、おかわりいります?」

「じょ、冗談でもねえ。良くないと思うなあ僕ぁ。あ、おかわり頂戴」

「ふふ、やっぱり変わりませんのね。そういうところ」

 気恥ずかしさのあまりアルフレッドはシャルロットの顔を直視出来なかった。もし、直視していたら、さらに顔が赤くなっていたかもしれない。ツンとした表情の彼女であったが、頬の不自然な赤みまでは制御出来ていなかったのだ。

 そんなこんなで考えなきゃいけないことをすっかり忘れたアルフレッドであった。彼もまた健全な男の子なのだ。


     ○


(少し露骨に『入れた』し、あの子なら気づくだろう。私は、実利として君を求めている。だがね、彼女は違うんだよ。君ではなくそこに流れている血を求めているのだから)

 リディアーヌは夢想にふける。もし、などと言う考え方は無意味極まりないが、それでも人間なら一度や二度、考えてしまうだろう。そしてそれは、強い後悔を持つ者ほど顕著である。彼女は、ずっと後悔していた。

「失礼しますねリディ。夜分遅くだけど、ちょっとお話しない?」

 にこにこと陽気な笑顔のエレオノーラがリディアーヌの自室に入ってきた。昔は頻繁に出入りしていたが、最近ではあまりなかったことである。

「良いね、女子トーク。いくつまでが女子なのかっていう定義の話でもどうかな?」

「楽しそうね。でも、用件はわかっているでしょう?」

「……彼のことなら私に任せてくれよ。上手くしたら手に入るし、そうじゃなくても今後のための種まきはしている。ガリアスに損はない」

 エレオノーラの笑顔が消える。

「私がいつ、ガリアスの損得の話をしたの?」

「そうだね。君の考えと私の考えは違う。でも、君のやり方じゃガリアスは損をする。そもそも本気で通ると思っているのかい、あの子を君の子供にするなんて」

「ええ、ユリウスにお願いしますもの」

「君にはちゃんとした、ユリウスとの子供がいるじゃないか」

「お兄ちゃんが出来るのは良いことでしょう?」

 絶句するリディアーヌ。エレオノーラは本気なのだ。そして彼女はそれを通す力がある。ユリウスという王を意のままに操る力が。

「私はずっと後悔してたの。ずっと、ずっとよ。お兄様の言う通り、あの人は王家の血さえあれば良かった。誰でもよかったの。私があっちで、お姉さまがこっち、そうすることだって出来たのよ。私が踏み出しさえすれば」

 あの男に対してだけ歪んでしまった。それ以外は完ぺきな、皆から愛される王妃エレオノーラ。その歪みは彼の残した子供の来訪により大きくなってしまった。

「君は、間違えている」

「そうであっても進まなければ欲しいものは手に入らない」

 ガリアスに来たばかりの頃にはなかった歪み。全てが狂ったのはあの情報が入ってから。全てが彼の策謀で、そこに愛などなかったことを、必死で見ないようにしてきたそれを、彼女が理解した時から、全てが狂った。

「とにかく、今は私に任せてほしい」

「ええ、わかっているわ。でも、私はもう諦めないことにしたの。もう二度と。そこはわかってね」

「……心得ているよ」

 リディアーヌの目論見、本来であれば勝っても負けてもガリアスの損にはならないはずであった。しかし、もし彼が勝利を収めれば彼女が動き出す。そうすれば最悪、ガリアスにとって大きな損と成り得るかもしれない。

 無理を通すとはそう言うこと――

(……負けてくれると嬉しいなあ)

 双方にとってありがたいのはアルフレッドが負けてくれること。そうすれば丸く収まる。リディアーヌの息子として育てるならエレオノーラにとっては親戚筋、などと考えている己に苦笑するリディアーヌ。

(未練がましいのは、私も同じだな)

 エレオノーラが去った後を眺めてリディアーヌは頭を掻きむしる。

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