無敗の剣闘士:よくある話

 アルカスのモノとは比べ物にならないほど大きな闘技場。そこでは二人の男が戦っていた。一人は純然たる騎士のように真っ直ぐな剣。胸に輝く黄金のエンブレムはこの国で最も優秀とされる騎士団、黄金騎士団のものであった。其処に所属する者に不足している者などいない。皆優秀、彼もまた満ち足りている者。

 しかし、対する男はその剣技全てを凌駕していた。男は剣すら抜かず悠々と相手の剣をかわし続ける。あれだけ打ち込んでなおほんの少しすらかすりもしない。右へ左へ身体を揺らし、前へ後ろへ身体を捻る。人の動きではない。獣でもない。

 そのマニューバは、生物を超えていた。

「……相手、とても優秀な騎士ですわ」

「うん、視たらわかるよ。かなりの練度だ。だからこそ際立つ、リオネルは、強い」

 アルフレッドとシャルロットはその光景を目の当たりにする。力強く、柔軟で、素早い。およそ戦いに必要な要素全てを兼ね備えている男の力を見て、アルフレッドの心に沸き立つ感情は、やはりあの不思議な感覚であった。

 先んじる苛立ちの奥に根ざす感情の名は――

「いつもならあそこまで遊びませんわ。今日は、相手が悪かったですわね。貴族で、騎士、真っ直ぐな剣。およそ、あの男が嫌う要素をすべて持っていますもの」

「……貴族が嫌いなんだ、彼」

「厳密には自分の上に立つものすべて、ですわね」

 アルフレッドは複雑な面持ちのままリオネルの戦いを眺めていた。彼の動き、一挙手一投足が言っている。お前に、俺以外の誰にもこんな動きは出来まい。こんな戦い方は出来まい。俺は出来る。俺は強い。俺が最強だ、と。

「彼に勝つのは無理ですわ。誰も、勝てませんもの」

「……少なくとも、ロランさんなら勝てる。ランスロさんだって勝てるさ」

「彼らは王の左右、国家の武力、そのトップですわよ。彼らが勝てたとしても、わたくしたち市井の人間、この闘技場で戦うような人には何の関係もありませんわよ」

「……そうだね。その通りだ。でも、止めることは出来たはずだろ? 敗北を教えることだって出来たはずなんだ。どうして、何もしないでいられるんだよ」

「苛立ってますの?」

「どうだろうね。わからない。登録、済ませてくるよ。もう、この戦いから得るものはないから」

 アルフレッドが背を向けた瞬間、遊びは終わりだとばかりにリオネルが攻め立てる。緩急を交えた攻めに、対応し切れていない対戦相手。剣の技量で言えばむしろ上かもしれないが、圧倒的な身体能力がそれらの差を塗り潰した。端から勝ち目などない。

 ゆえに見るべきものはない。


     ○


「早速明日からかぁ。さっすがガリアス、割も多いんだね」

「当然ですわね。ここは超大国ガリアスの首都ですわよ」

「まあしばらくは当てられることはないだろうし気楽にいくよ。咬ませ犬にも少しは箔をつけないとでしょ。今は一歩ずつ、ゆったり勝ってくよ」

「緊張感がありませんわね」

「これでも闘技場ならそこそこ場数も踏んでますので」

「……信じられませんわ。あのぷにっとした生き物が」

「ストラチェス大会の会場で戦ってたじゃん。見てたでしょ」

「振り回されていただけにしか見えなかったのですけど」

「……あ、あれは不意打ちだったしね。ちゃんとした勝負の場でならもう少し格好はつくよ。勝てるかは、わからないけど」

「昨日は勝てるって言ってましたわね」

「嫌味だなあ。もちろん勝つ気だよ。でも、僕の知っている同世代の中で、たぶん、彼が一番強い。そりゃあ上の世代ならそこそこいるんだろうけど、彼がその世代になればきっと、上の世代なんてごぼう抜きするはずさ。簡単じゃない。負ける気も、ないけど」

(また、知らない顔ですわね)

 一瞬垣間見えた勝負の場での顔。あの頃の印象とはかけ離れている。

「そろそろお昼にしようか。その辺の屋台で良いかな? 僕、お金なくて。ちょっとアークさんに借りてきたけど、節約しなきゃだし」

「構いませんわよ。わたくしもすでに堕ちた身、泥水だろうとすすってみせますわ」

「……そんな目にあってるの?」

 アルフレッドの眼が細まる。

「……少し話を盛りましたわね。今はまだ、そのような扱いは受けてませんの。むしろ大事にされているくらいで、それなりの扱いは受けてますわ。でも、他の子たちを見てれば、いずれ自分がどうなるかなんて想像がつくでしょう?」

「そっか……ねえ、聞いても良い?」

「没落した理由?」

「うん。嫌だったら全然かまわないけど」

「今更取り繕っても仕方がないでしょうに。それに、わたくしも有名人、トゥラーンに居れば嫌でも耳が入ってきますわよ。で、何処で話しましょうか騎士様」

「からかわないでよ。まずはお昼を済ませよう。で、ゆっくり話そうよ」

「ええ、そうしましょう」

 ウルテリオルでも比較的貧民層が集う区画。だからこそ安く、それなりに美味しいものが隠れている。アルフレッドは己の勘を頼りに探索を開始。あれやこれやと迷っている内に一時間が経過し、シャルロットの蹴りが飛んでようやく食事が出来たのは別の話。


「あー、美味しかった。まずい部位もとにかく煮込めば食べられる。たっぷり煮込めば美味しくなるってね。これの原価いくらだろう? 市場でばらした後のくず肉、廃棄品を集めたらそこそこ稼げる気が……いや、すぐに競合が真似して終わりか」

「まだわたくし食事中なのですけど」

「ん、何か食欲なくすこと言った?」

「……貴方、女の子にもてませんわね」

 ぎくりとするアルフレッド。人生この方、まともに付き合いのある女性はニコラとイーリス、ミラだけ。他は会っても挨拶程度、男女交際などその芽すらない。また、父が不干渉と言うのもあるが、家同士のお付き合いというのも希薄であり、結果今の駄目な状態を打開する手立てすらなかった。

「……失敬な。僕にだって話をする女性くらい一人、二人、三人はいるよ!」

「さ、三人しかいませんの? お付き合いとか関係なく、話をする相手が?」

「うん、まあ……何で憐れみの眼を」

「腐っても王子でしょうに……何をどうしたらこうなってしまいますの? まったく、わたくしがしつけていればこんな有様には」

「酷い言われようだ。僕、泣きそう」

「泣きたいのはこっちですわよ!」

「……何でさ!」

「……色々、ありますのよ乙女には」

 釈然としないアルフレッド。口を開けば怒られるので、しばし腹ごなしに空をぼーっと眺めていた。そそと食べ終わるシャルロット。目の端に捉えているだけでも周囲から浮いている。彼女にこの場は似合わない。彼女の生まれに関係なく、彼女は高嶺であるべきなのだ。

「今のガリアスは、ただ貴族と言うだけではダメ。誰よりも稼ぎ、誰よりも優位に立ってこその貴族。良く、御父様が言っていましたわ。そういうモノが何もない今の家はダメなのだと、自分がセラフィーヌを復権させてみせると、良く、言っていましたわ」

 話が始まったのだろう。アルフレッドは静聴に徹する。

「実際、御父様は商才があったのだと思います。貴方に会った時、私が生まれてからセラフィーヌ家が一番輝いていた時期でしたもの。でも、御父様は急ぎ過ぎた。もう少し、他の家と足並みを合わせていれば、的になることもなかった。出過ぎた杭は打たれる。貴族とて例外ではありませんわ。むしろ貴族社会の方がよっぽどその気は強いかもしれませんわね」

 アルフレッドにとっても目に浮かぶ光景。貴族社会は華やかな表層と泥沼の中身で形成されている。嫉妬、猜疑心、怨恨、負の感情が渦巻いている中で彼らはうまく生きているのだ。足並みをそろえて、出過ぎず、遅れ過ぎず、生きていく。

 才能が、結果が、彼女の父のバランス感覚を崩してしまった。良くあることである。成功と失敗は表裏一体。簡単に覆ってしまうものなのだから。

「最初は御父様の事業に対する悪口が社交界でささやかれました。無視して、波風を立てぬようにしても、噂話と言うのは尾ひれがつくもの。次第に肥大化し、それらがさも事実であるように広まり始めましたわ。少ししてから、誰から始めたのか、直接的な妨害も行われ始めましたわね。貴族と言うのは巧いもので、足のつかないモノを使って邪魔を繰り返してきました。その中の一人が、リオネルでしたの」

 リオネルの立ち位置はおおよそ想像した通りであった。そして、セラフィーヌ家の凋落も良くある話。かつての栄光に満ちた時代であれば、こんなことにはならなかったのだろう。力が弱まり、叩く隙があった。だから貴族たちはその隙をついた。

 足を引っ張り、一個の集団として的になったモノを引きずり下ろす。とても貴族的で、最高に醜悪な人間の性質が其処に在った。

「御父様は自らの手で家名を貶めたことを恥じ、自害なさりました。母も、妹たちも後を追ったそうですわ」

「……その時、君はその場にいなかったんだね」

「ええ、リディアーヌ様に推挙して頂き、エル・トゥーレで学んでいましたの。凶報が届いて、慌てて戻ったら全てが終わっていましたわ。家も無く、家族も無く、残ったのは謂れのない悪口雑言で地に堕ちた父の事業、それが残した借金のみ。そんなものわたくしにどうすることも出来ず、膨らむ借金を返済する術も無く、あの男に縋るしかなかった。生きるためには、そうするしかなかった。生き汚い、醜い女ですわね、わたくしは」

 良くある話だからこそ、どうしようもないのだ。現実、動かし難い、どうしようもない分厚い壁が其処に在った。きっと、彼女の父には本当の意味での商才はなかったのだろう。一時の成功で、身の丈に合わぬ報酬を得てしまった。人の上に立つ才も無く、人心を掴む術も知らなかった。そうしなければならぬということも理解していなかった。

 自分が知らなかっただけで、セラフィーヌ家と言うのはとっくに堕ちていたのだ。長い歴史と、偉大であった先祖の遺産だけで生きていけた時代はとうに終わっている。革新王が、白の王が築きし世界にただそこにあるだけの存在では上に立てない。

「君は勇気があるよ。死を選ばなかった。君の家族には悪いけど、僕は死を選んだ人間が高潔だとは思えない。生き汚いなんて言うなよ。僕は君のありようが美しいと思っていたし、今だって同じ気持ちで隣にいる。何も変わらないさ。君は高貴だ。今もなお」

 シャルロットを見つめるアルフレッドの視線はとても穏やかなものであった。その発言に頬を染め、俯くシャルロット。

「前言撤回ですわ。面と向かってこんなことばかり言っていたら、そこら辺に――」

 ぶつぶつとつぶやくシャルロットの声は小さすぎて聞こえない。それに、アルフレッドは少し考え事をしたい気分であった。どうしたら――

 悲劇があった。よくある悲劇が彼女を襲った。まだ、抵抗する術を持たぬ若い彼女に、度し難い現実がのしかかってきた。それだけのこと。良くある話。


 だからこそ――

「やあリオネル。少し話があるんだけど良いかい?」

「あァ?」

 そんな現実、ぶち壊したいと思ってしまうのだ。

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