無敗の剣闘士:トゥラーンの支配者

 馬車に揺られることいくばくか。結局、誰かの作った流れに乗せられてしまう己の不甲斐なさに悶々としていたが、考えても仕方がないと無為な思考を振り払う。そうして初めて馬車に自分の知らない人物がいることに気づいたのだ。遅過ぎる反応である。

「あ、そう言えばそちらの女性は?」

「ん、ああ、リオネル君に奉仕する立場だがちょっと拝借してね。当面、君の身の回りの世話をしてもらおうと思っている」

「「え?」」

 初耳とばかりに驚く二人。

「いや、僕に気を遣う必要なんて」

「気に入らないのであればリオネル君に返すよ」

 びくりとするシャルロットの表情を見てアルフレッドはリディアーヌの意図を察した。同時に、彼女の境遇を察してしまった。ふつりと俄かに沸き立つ感情。ほの暗い、どす黒い感情を抱くことはあまりない。

 自分がそのような感情を覚えたことに驚くほど――

「いえ……僕に不服などないですよ。貴女が宜しければ僕を助けてくださるとありがたいです。異国の出ですので何か無礼があってもいけませんし。色々教えてください」

 仮面を身に着けたままだが微笑んだことは伝わったのだろう。少しほっと安堵する彼女を見て小さな既視感が芽生える。どこかで見たことがあるような――

(いや、ありえない。以前来た時は王宮から外に出ていないし、彼女のような境遇の人に会う機会なんてなかったはずだ。気のせいか、似ている人に会ったのか)

 既視感を振り払うアルフレッド。それよりも考えるべきはリオネルと言う男。リディアーヌが戦う場を用意すると言った以上、避けては通れぬ障害であろう。否、そうでなくともアークの用意するハードル、その先には必ず彼がいる。巡り合わせは必然。

(僕は勝てるのだろうか。あの、怪物に)

 痛感したのは身体能力と言う壁。決して同世代の中で劣っている方ではない、むしろ優秀なアルフレッドだからこそわかる。あれは優秀などと言う壁を越えた先、突き抜けた才能、天賦の才と呼ぶモノなのだろう。ミラやカイルが持つモノ、自分が持たぬモノ。

「さあトゥラーンが見えてきた。と言っても、あれが見えない場所などウルテリオルでは逆に探さねばならないだろうが」

 リディアーヌが指し示す必要などない。誰だって知っている。あれが世界最大の建造物にして超大国ガリアスの王宮、トゥラーンであると。

「さて、トゥラーンに入る前に数点、注意点がある。それは――」

 内容を聞いてアルフレッドは首を傾げる。同乗するリディアーヌ、ロラン、シャルロットは客人の疑問符に対し困ったような顔で答えた。

 世の中には理屈では済まないことがある。これはその内の一つ――


     ○


 その一、トゥラーンでは極力アルカディアの話題は避けること。

 これは両国の関係性を鑑みればおかしなことではない。無論、貿易などの戦略的な部分では避けようもないが、世間話程度避けるくらいの配慮は必要だろう。何しろガリアスはアルカディア相手に歴史的大敗を喫しているのだ。その後、最後の大戦にて少しは改善したが、今となっては並び立ちし超大国が二つ。仲良くお手手繋いでとはならないだろう。

 その二、トゥラーンでは極力ウィリアム・フォン・アルカディアの話題は避けること。

 これも理由は同じ。大敗の元凶であり、両国の仲を取り持った功労者でもあるかの王。それぞれの立場で思うことは違えど、今もなお最大の敵と言う認識は変わらないはず。であれば彼の話題は避けてしかるべき。

 ここまでは良かった。理解も出来た。

 その三、エレオノーラ・ド・ガリアスには絶対アルカディア王家の、ウィリアム・フォン・アルカディアの話題を振ってはならない。

 これにはアルフレッドも驚いた。だって彼女は元アルカディアの王家で、前に会った時にはとても優しそうなまなざしだったのだから。

 そのことを指摘すると――

「まあ、ね。色々あるんだよ。複雑なのさ、人の気持ちってやつは」

 困ったような顔でリディアーヌは口を濁した。それが先ほどの話。


 そして現在、政務をほったらかしにして大会見学に行ったリディアーヌは正門からの入城を諦め、いつも使っている裏口からの侵入を試みた。

 その結果が今である。

「あら、おかえりなさいリディ。遅かったわね」

 くだんの人物、エレオノーラが『偶然』そこにいた。

「そちらの方はリディのお客様? 良ければ私にご紹介いただけないかしら」

 蕩けるような笑顔。それなのに何故だろうか。あの時感じなかった不自然さが其処に在った。クラウディアやエルネスタ、彼女たちと同種の、何かが其処に在る。

「旅の剣闘士、アレクシス君だよ。そう言えば君の好きな物語の主人公――」

「リディ。好きだった、よ。もう、好きじゃないから」

 リディアーヌの背から、ロランの背から伝わってくる緊張感。その一、その二も含めてあのルールは、もしかすると彼女のためのモノなのかもしれない。前に会った時はこんな雰囲気、微塵もなかったはず。

「ようこそトゥラーンへ。私の名はエレオノーラ・ド・ガリアス。もしこちらで何か不都合がありましたら私に言ってくださいね。よきに、計らいますので」

 そう言って去っていくエレオノーラ。道行く者に貴賤なく挨拶を交わす彼女は、皆から愛されている王妃なのだろう。ここまで伝わってくる敬愛の念。しかし、確かに感じたのだ。自分を見つめるその眼に、何か暗い感情があるのを。

「その仮面、絶対に外すなよ。あの御方の前では、絶対にな」

 小声でロランに言われて、アルフレッドは自分が仮面をしていたことを思い出した。忘れていたのだ。自分が仮面をしていたことを。何故なら彼女は、仮面など見ていなかったから。これに意味があるのかと、疑問に思うほど。

「不敬ですわよ。一国の王妃相手に仮面をつけたままなんて。まあ、王妃様がご指摘されなかった以上、わたくしがとやかく言うことではないのでしょうけど」

「まあまあ、とりあえず部屋に案内しよう。部屋でくらい外すと良いさ」

 リディアーヌに案内され、王宮の中に入る一行。歩き始めて少し、シャルロットの発言から、ふと気づいた事実。そこに背筋がぞくりとするアルフレッド。

 そう、彼女は指摘しなかったのだ。仮面をつけていることを。普通一番最初に気になるはずの、その理由も含めて一切言及しなかった。勝手に合点してくれたなら良いが、もし、嫌な予感が当たっていたら。最初から知っていてあえて言及しなかったのであれば――

 アルフレッドは歩いている通路を見回す。辺りに不自然な人影はない。でも、何故だろうか。何故か、視られている気がする。気にし過ぎか、それとも――


     ○


「ぶは、息苦しいや」

 案内された部屋で仮面を脱ぎ捨てるアルフレッド。外してなお拭えぬ感覚。アルカスの王宮と同じ、此処もまた巣窟なのだ、怪物たちの。王子と言う権力を持たないことで多少は気楽であるが、あの眼を思い出すとやはり息苦しい。

 あとでアークもこちらへ訪れると言っていた。数名と夕餉を共にする予定だそうだ。参加の是非をアルフレッドは問われていない。

(たぶん、強制参加なんだろうなあ。まあ、お腹を減ったし夕食を頂けるのは助かるけど。僕、冷静にお金ないし。ちょっとやばいくらいに)

 勢いで金貨五枚全部渡すことになったが、銀貨数枚くらい分けてもらえばよかったと後悔する自分の格好悪さに呆れるという忙しさ。

(あ、そう言えば――)

 今、お茶を入れてくれている女性。とても美しく、立ち姿にも妙な気品がある。背中だけでこうも自らを高貴だと主張する姿に、やはり既視感があった。

「君の名前を聞いてなかったね。僕はアレクシス、ってさっき聞いてたか」

「……偽名でしたわね。別に構いませんけれど……わたくしの名はシャルロット――」

 カップを手に持ち振り返るシャルロット。さらりと揺れる亜麻色の髪。既視感が膨れ上がる。以前もこうやって、彼女は振り返りながら自己紹介を――

「――ド・セラフィー……ヌ。あれ、仮面、え、その顔、無駄にぷにっとした――」

「シャ、シャルロット・ド・セラフィーヌ!? え、だって、セラフィーヌって言ったら大貴族じゃないか。え、と、でも君は、あれ、え?」

 カップが落ちて割れる。しかし、二人ともそれを気にする余裕はなかった。互いに持っていた既視感の正体。ちゃちな仮面と立場に対する勘違いから除外していた知り合い。互いにとって今持っている条件で再会することなど想像の埒外であろう。

「アルフレッド、ですの?」

「……人違いです」

 取り繕うのが遅過ぎた。まさに悪あがき――見る見るうちに紅潮していくシャルロットの頬。それにも強烈な既視感がある。むしろ一番印象に残っている。何故なら、短い間であったが何度か見たその姿の後、決まって彼女は――

「憤ッ!」

 何故か暴力行為に及ぶのだから。今日は、手元にあった陶器のポットを投げつけてきた。熱々のお茶が入ったものを。普段なら、冷静であれば容易く回避できるものでも、冷静さも何もないアルフレッドには不可避の一撃となった。

「いだ、あつゥいッ!」

 アルフレッドの絶叫にアークが血相を変えて飛び込んできたのは別の話。


     ○


 アルフレッドの部屋にリディアーヌ、アーク、ランスロの三名、互いに気まずそうなアルフレッドとシャルロットの計五人が集い食卓を囲んでいた。

「……アークさんは最初から王宮にいたんですね」

「うむ、ランスロと会っておってな。つい昔話に熱が入って時間を忘れておった」

「そこで貴殿の悲鳴が聞こえたわけだ、サー・アレクシス」

「まだまだ青い小僧っこにサーなど不要。騎士たる者、何か証を立てねばなあ」

 かっかと笑うアークを見つめるランスロの表情もまた柔らかい。今は袂を分かてども同じ戦場を生きた彼らにはどこか繋がりがあるのだろう。楽しそうなアークの顔を見ると少しだけ複雑な気分になるアルフレッド。別に自分が特別なわけではない。出会ってから日も浅いし、それほど深い関係でもない、そう理解しているのに――

「リディアーヌ様。わたくしとあの、アルフレッド様が知己であったことを」

「もちろんご存じだよ。そもそも、君たち二人を引き合わせたのは私だからね。以前彼が此処に来た時、周囲が忙しさにかまけてほったらかしにしていて、あまりにも退屈そうだったからそれなりの地位で、同世代の子をあてがったわけさ」

「へー、そうだったんですか。あまり覚えていないですね」

「……そう、覚えていませんのね」

「……いや、君のことは覚えていると言うか思い出したよ」

「ふふん、当然ですわね」

 暴力行為の結果、若干のトラウマめいた記憶が残っていただけなのだが言わぬが花とアルフレッドは笑顔で沈黙を守る。それもこれもリディアーヌが王子と伝えずに子供を預かってくれとばかりにぽんと渡したものだから、相手方に敬意があるはずもなく、まだ王子になったばかりでマナーのなっていなかったアルフレッドはビシバシ躾けられることとなってしまったのだ。苦い、子供時代の記憶である。

 あの頃のことをリディアーヌと語る彼女の記憶と自分の記憶が、何故か合致しないことに首を捻るアルフレッド。

(……彼女の中でどういう記憶なんだろう? 何かやけに美化されている気が――)

 気づけば微笑ましそうな表情で聞き入る三名。嬉々として語るシャルロットに幾度となく首を捻るアルフレッドは釈然としない想いがあった、が、言わない。

 沈黙は金である。

「仲が良かったんだね」

「それほどでも。わたくしはお任せされた使命を全うしただけですわ」

(立ち方で一時間は説教されたなあ。テーブルマナーはフォークが飛んできたっけ。……あれはどっちの方が行儀悪いんだよって突っ込みたくなったなあ)

 しみじみと思い出す記憶は中々にバイオレンスであった。父に構ってもらえないばかりで不貞腐れていた時期であり、無気力が極まっていたことも良くなかった。器用にさらっと受け流すことをしなかったのだ。

 真面目で何事においてもきちっとしていた彼女にとって苛立つ態度も多かっただろうし、あの頃に関しては猛省していることもあり、むしろあの自分の面倒を見させられたことに申し訳ない気持ちすらあった。

(……そんな彼女が何故、なんてこの場じゃ聞けないよなあ)

 一番気になっているのは、セラフィーヌと言う大貴族の生まれの彼女が何故リオネルなどと一緒にいるのか。ましてや彼女は奉仕する立場だというのだ。そんなことがありえるのだろうか。

「そうだアーク殿。今、アルフレッド君の後見人は貴殿で良かったのかな?」

「藪から棒に……まあ、そうなるのであろうな」

「彼が剣闘士であることは聞き及んでいてね、今日色々あって彼をうちのリオネルと当てたい。賛同して頂けるとありがたいのだが」

 リオネルと聞いてアークとランスロの顔色が少し、変じる。彼らも承知しているのだ。彼がどういう存在であるかを。リディアーヌも、ロランも、みんな知っている。この国いるものであれば皆、知っている。

(……何故だ?)

 そのことにアルフレッドは自分でも驚くほどの苛立ちを感じていた。その気持ちの整理がつかない。リオネルと言う人物が己と合わないことは承知した上で、やはりこの感情は掴み難いモノであった。憎悪とも、憎しみとも違う、暗くもあり、光のようでもある。

 この感情は何だろう。

「決めるのは小僧である」

「……え?」

 きょとんとするアルフレッド。考え事が吹き飛ぶ。だって、今までの実績から言って、アークは自分をリオネルとぶつけるつもりであったはずなのだ。いつものように嬉々として挑戦せよと背中を押してくれるはず。

 戦え、そして勝って来いと、言ってくれるはずだったのに――

「我は強制せん。このままこの国を発つも良し――」

「……僕が負けると思ってます?」

 今日は、本当に驚くことばかりである。自分でも形容しがたい感情が、いくつも見つかったのだ。今度の感情は、わかりやすい分眼を背けたくなってしまう。間違いなく負の感情、渦巻くそれの熱量に頭がくらくらする。

「あんな奴に僕は負けませんよ。リディアーヌ様の御手を煩わせるまでもない。彼の庭で僕が彼を否定してみせます。弱きを食い物にする彼になど――」

 これは怒りか。怒りであれば何に対してのモノか――わからないのが怖い。

「と、本人は言っているがね」

「であれば戦うがよかろう。よいか、それは己が選択であることをゆめ、忘れるでないぞ」

「はい、もちろんです」

 アークはちらりとリディアーヌを見る。肩をすくめてみせる彼女からはすぐに視線を外し、アークは自らの食事に注力し始めた。

「さて、善は急げと言う。日時を決めねばなるまいよ」

「特別扱いは必要ありません。堂々と、順番に階段を上ります。そっちの方が良いでしょう? 興行的にも、美味しくなりますし」

 そう言ってアルフレッドもまた食事を再開する。その様子に何を感じるかはその者の立場次第であろう。リディアーヌは目論見通りとほくそ笑み、ランスロは蒼い熱情にほんの少しの笑みを見せる。シャルロットは――まるで知らない人間を見る眼で、今のアルフレッドを見つめていた。

「明日、早速登録を済ませてきます」

「それは良い。丁度、面白い勝負もあったはず。見てくると良いよ」

「はあ、面白い勝負、ですか」

「うん、私も暇なら観に行きたいほどだ。あ、あと今後外を出回る時は仮面をつけることの他に、シャルロットを同行させることも付け加えてもらいたい。まあ、監視だと思ってくれていいよ。特に報告とかさせる気はないけどね」

「別に構いませんが」

 アルフレッドはちらりとシャルロットを見る。丁度目が合ったらしく「ふん!」とそっぽを向かれてしまった。つくづく奉仕する立場が似合わない少女である。

 そんなこんなで会食は終わり、アークとランスロ、リディアーヌは退出する。食器類を片付ける使用人たちを眺めながら、気まずそうにするアルフレッド。

(……ベッドが一つしかないんだけど。どうしよう)

 しゃんと立つシャルロットを見て、こっそりとため息をつくアルフレッドであった。


     ○


「思惑通り、であるか」

 部屋から退出し、しばし歩いたのち、アークが口を開いた。

「どうだろうね。でも、彼はわかりやすくて良いね」

 リディアーヌは微笑む。あの少年にかの王ほどの深さはない。歳を考えれば当たり前のことであるが、それでも底は見えた。御することは難しくない。しっかりと毒も仕込めたこともあり、今日の立ち回りは満点であっただろう。

「そう思ったか。我は、そうは思わなかったがな」

 眉をひそめるリディアーヌ。アークはそのままランスロに連れられて通路の先に消えた。すべては自分の掌の上、準備は着実に整っている。リオネルが負けてなお、自分は勝てるはずなのだ。この勝負に負けはない。そう作った。

「杞憂か、それとも……彼には何が見えているのかな」

 優れた王を前にすると思う。自分が王でないということを。彼もまたガルニアの統一王として大陸に打って出た怪物。出会った相手がエル・シドという規格外であったため、その道が途絶えることとなったが、もし、エル・シドがいなければ――

 そうでなくとも『あの眼』は、警戒に値する。リディアーヌはそう思っていた。

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