無敗の剣闘士:騎士と怪物の前哨戦

「お見事アレクシス君。素晴らしい活躍だったよ」

 拍手をしながら近づいてくるリオネル。その顔には綺麗な笑顔が張り付いていた。敵意ばかり向けられていたアルフレッドは困惑の表情で彼を見つめる。

 リオネルは彼の側近と思しき女性に目配せする。女性は外套の内側から羊皮紙を取り出し、それをリオネルへと手渡す。

「約束通りそこの家族は自由だ。おめでとう、君たちは本当に運が良い」

 契約書をアルフレッド、他の者にも示し、そしてその場で――燃やす。

「ありがとう、あー、君の名を聞いていなかったね」

「リオネルだ。リオネル・ジラルデ」

 すっと差し出された手を見て、ようやくアルフレッドも警戒を解いた。思っていたほど悪い人間ではないのかもしれない。約束をしっかりと履行し、こうして握手も交わせる理性ある人間。初対面の印象などなかなかあてにならないモノ。

「僕はアレクシスと名乗っております。わけ合って今は本名を明かせませんが――」

 にこやかにその手を取った瞬間――

「テメエ、剣闘士なんだってな」

 手を握りしめ力いっぱい振り回した。抗うことの出来ぬ力、まるでネズミでも振り回しているような、そんな錯覚を覚えるほどに、リオネルと言う男の力は規格外であった。

「その割りにゃあタッパもねえ、力もねえ、挙句警戒心もねえと来た」

 人垣はどよめき全力で後退することで、二人の周囲には小さな円状の闘技場が生まれていた。嗤いながらアルフレッドをモノのように振り回すリオネル。

「こ、のォ!」

 設置されていた机にぶつけられそうになった瞬間、身を捻ってそれを足蹴に軌道を変えるアルフレッド。「おっ」と意外そうな顔をするリオネルの顔面に蹴りを――

「センスはある方か。凡人にしちゃ」

 リオネルは躊躇いなく手を放す。しかしそれは無意味。すでに勢いのついた蹴りは彼の顔面へ吸い込まれて――

「はい残念」

 その蹴り足を逆の手で取り、そのまま再度振り回す。蹴りの威力も、アルフレッドの体重もお構いなし。そもそも軌道が変わって蹴りを入れる段階から掴みに行ったとすれば反応が早過ぎる。力も、反応速度も、アルフレッドが今まで見てきた人間とは違う領域。

「はは、カスだなオイ」

 片手で、人間を振り回し、宙へ放り投げる。そんな芸当、いったいどれだけの人間が出来るだろうか。今まで、日頃の訓練、体捌きなどの技術で力のある人間はいくらでも見てきた。しかし、此処まで非合理に動いて、無造作に動いて、これほどの力を発揮する人間にはお目にかかったことがない。

 彼よりも力の強い人間は何人か知っている。でも、彼のように好き勝手動いて同じ力を発揮できる人間を、アルフレッドは知らなかった。そもそも強い人間は皆、多かれ少なかれ技術を持っていた。戦うための知恵があった。素体としては最高峰であるカイルでさえ、しっかりとした技術があればこその理不尽である。

 彼にはそれが感じ取れない。才能に胡坐をかき、才能のみでここまで来た。動きがそう言っている。そして彼の姿は雄弁に語るのだ。

 努力とは、工夫とは、弱者の行うモノである、と。

(二階より高く……馬鹿げた力だ)

「ほォ」

 空中で姿勢を整え、落下の速度を乗せて攻撃に移行する。無論、先ほどの反応を見るにただの攻撃では反応されてしまうだろう。けん制、化かし合い、フェイク、何を使ってでも主導権を取り返さないことには、いつまで経っても玩具のまま。壊れるまで、遊ばれてしまう。それを許すほどアルフレッドはお人よしではなかった。

「喰らえ!」

 落下の速度と体重、体のひねりで生み出した力を蹴りに乗せる。それを視てから、リオネルは捕まえに来た。やはり、彼は見てから動いても間に合うのだ。そういう反応速度を持っている。視て、頭が指示を出し、身体を動かすまでの時間が異常に短い。

(やはり、か!)

 アルフレッドは無理やり身体を丸め膝を曲げることで、その蹴りをわざと外した。さすがのリオネルもそのアドリブにはついてこれなかったのか、空中でアルフレッドを掴み損ねる。逆手は空いているが、その手は動かない。否、動けない。今度は掴ませるほど手足をぶらつかせているわけではないのだ。少しでも掴む場所を削るため、体全体で、身体の向きで、ポイントを潰す。そうして、無理な体勢とはいえようやくアルフレッドは地を得た。顔面から落ちそうなところを捻りで回避、そのまま――

(い、くぞォ!)

 着地の衝撃を、下から昇ってくる力の奔流を使って――その力と共に拳は天へ、斜め上の対象へと放たれた。完璧な奇襲、不十分とはいえ発勁もどきが乗った拳。

「…………」

 それは回避されていた。回避し、顔の横でアルフレッドの腕を掴むリオネル。愕然とするアルフレッド。これでも彼は反応して動きを制すことが出来るのだ。

「何をした、テメエ」

 だが、腕を掴み優位に立ったはずのリオネルの眼は嗤っていなかった。先ほどまで浮かべていた嘲笑は消え、在るのは敵意とわずかな警戒心。彼を知る者ほど、その表情を見て気圧されてしまう。嗤わなくなった時が怖いのだ、この怪物は。

「はいはいそこまで。折角の戦いを何もストラチェスの大会会場でやることもあるまい」

 仲裁に入ったリディアーヌを睨みつけるリオネル。その視線にすっと側近であるロランが割って入る。睨み合う両者であったが、先に折れたのはリオネルであった。アルフレッドの手を放し、先ほどまでと同じように人を小ばかにした笑みを浮かべる。

「皆さん、本日この歴史ある大会で優勝した彼、アレクシス君は、何と実力派の剣闘士でもあるのです。ガリアスに入ってからの戦績は無敗、かのアクィタニアの武人リュシュアンですら退けた猛者。当然、このウルテリオルでも頂点を目指すことでしょう」

 仮面を外したリディアーヌを見て皆がやんややんやと喝采を送る。ストラチェスを指す者であれば存外、この国で二番目に権力を持つ彼女は身近であるのだ。ちょくちょく市井の大会に顔を出し、優勝をかっさらっていくこの国最強の指し手が彼女であるがゆえに。

「つまり、この二人は戦うべき宿命にあるのです! 今日はその顔合わせ、運命が二人を引き合わせた。共に無敗、このリオネル君にとっても最強の挑戦者であるでしょう。こんなにおいしいカードはない。さあ、皆、この戦いの続きが見たいかー!」

「おー!」

「私も見たーい! なのでここはわたくしリディアーヌ・ド・ウルテリオルに預からせて頂く。必ず勝負の場を私が用意する。その時は皆、大いに楽しんでほしい。たくさんお金を賭けて経済を活性化してくれるとなお嬉しい。以上!」

 観衆の歓声を一身に浴びるリディアーヌ、頭を抱えるロランをよそに、リオネルはふんと鼻を鳴らしその場から立ち去ろうとする。

「すまないね」

 去り際の背にリディアーヌが小さく声をかけた。

「いきなり口を挟みやがったな」

「だから謝っているだろう。それに、契約違反は私だけじゃないさ。君、殺そうとしてたよね? 最後に腕を掴んだ後」

「…………」

「筋書きは私が書こう。なに、君は大観衆の前で彼をいたぶることが出来る。殺さない限り、あの場では何でも許されるのだから。しっかりマウンティングすると良い。あの円状の世界は、君のモノなのだろう、チャンピオン」

 無言で去っていくリオネル。慌ててその背を追うチンピラたち。

 それを肯定と受け取りリディアーヌはうんと伸びをした。そして満面の笑みで、こっそりと逃げようとしているアルフレッドに視線を向ける。

「逃げちゃダメじゃないか。私の王子様」

 びくりとする背中。肩に手をかけるのはロラン・ド・ルクレール。

「私を覚えているかな?」

「……え、と、僕はその、人違いと言いますか。ほら、仮面もしてますし」

「真贋関係なく、君は私と来るしかない。だってここはガリアスで、ウルテリオルなのだから。私がそうと決めたなら、覆せるのは王のみ、だよ」

「そ、そんなあ。僕待ち合わせが」

「使いを出しておくよ。此処で問答してもしょうがない。ロラン、拘束」

 ロランはアルフレッドの肩に手を回した。一見すると仲が良さそうに見えるだけだが、実際に込められている力は容易に抜け出せるものではない。

「さー行こう。我が家、トゥラーンへ」

 諦めの境地に達したアルフレッドは力なくうな垂れながら会場を去る。

「君もこっちへ来たまえ、セラフィーヌ嬢」

「で、ですが」

「とりあえず、だよ。ああ、君、優勝賞金は戻って来るであろうチンピラに渡しておいてくれ。景品の酒は私がもらおう。それは対価に入っていなかったはずだ」

 係りの者を呼び止め指示を出すリディアーヌ。唖然とするシャルロットも主不在の今、リディアーヌについて行くしかない。

「き、君、すまない、道を開けてくれ。私は、彼に感謝の言葉を――」

 人垣をかき分けて近づいて来ようとする男。しかし、野次馬と言うモノは一度集まり始めると際限がないもので、なかなか前へ進めていなかった。

「会っていくかい?」

 リディアーヌの問いにアルフレッドは首を振る。感謝されたくてやったことではない。ただ、泣いている女性と少女、それを見て笑っている者たちが不快であった、それだけ。気持ちよく勝負が出来たし、改めてストラチェスの面白さを再確認できただけで充分。何よりも最後、自分の傲慢さが出た。魔が、差してしまったのだ。どう繕おうとも正義の行いではない。

 ゆえに礼を受ける資格など――

「あの、ま、まって」

 そんな中、小さな彼女だけは人混みを抜けてくることが出来た。

「すいませんロランさん。ほんの少しだけ」

 空気を読んで手を放すロラン。アルフレッドは少女の前でかがんで頭を撫でてあげた。昔、父にそうしてもらった時のように、優しく、優しく――

「これからも家族仲良く、ね」

「うん、ありがとう騎士様」

 少女はアルフレッドに感謝のキスをする。紅潮した頬を見ると相当勇気を出したのだろうとアルフレッドは解釈した。

「どういたしまして小さなレディ」

 小さなレディの頭をもう一度撫でてやり、アルフレッドはリディアーヌらの待つ馬車に乗り込んだ。少女は生涯忘れぬだろう。アルフレッドと言う騎士を。そしてこの一件で得た教訓、家族との穏やかな日々は絶対ではなく、だからこそ守るべき価値が在るのだと、素晴らしいものなのだと、彼女は今日を忘れない。

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