無敗の剣闘士:レディ・ストラチェス

「その男は俺から金を借りた。そのおかげで事業が盛り返した。俺はそいつを助けてやったんだぜ。感謝されこそすれ恨まれる筋合いはないだろーが」

「あ、あんな契約書は反則だ! 細かい字で何重にも――」

「でもテメエはサインしたよな?」

「……ッ」

 金貸しの常とう手段である契約書への仕込み。詐欺じみた手段であっても契約書の形をとって、そこに承諾のサインをした以上、そこには拘束力が発生する。もちろんこんな手段、すぐに噂は広がるだろう。だが、それでもすぐに金が欲しい者、表側で金を用意できぬ者は借りてしまう。

 人間は切羽詰まれば思考が乱雑になり、普段であれば間違えないことでも間違えてしまう。彼は間違えてしまったのだ。

「ちゃんとしたビジネスの話だぜ。部外者は黙って――」

「金利は、いくらですか? お金を借りた年は?」

「……何の関係がある?」

「二年前、エル・トゥーレにて一つの条約が採択され、ガリアス含む多くの国で締結、批准されました。その中で金利の上限を統一する文言が入っており、利率は元本の三割未満でなければならない、とされたはずです」

「んなもん関係ねえ!」

 外野の茶々が入る。リオネルはアルフレッドを静かに睨みつけていたが、周りはざわつき始めていた。彼ら末端の末端が条約がどうこうなど知るはずもないし、気にすることもないだろう。高利貸しというよりも闇金融、裏の金貸し、つまりそもそもがグレーではなく黒なのだ。

「契約書を正とするにはこの国の法をクリアしている必要があります。僕にはガリアスの法を知るすべはありません。でも、きっと法はそうなっていると思いますよ。なぜならその条約を発議したのはガリアス王の頭脳、リディアーヌ様当人なのですから。いの一番に変えているはずです」

「何が言いてえ?」

「裁判で白黒つけましょうと言っているんです。法がどうなっているのか、今定義があったとして、それがいつ施行されたのか、その法に遡及性はあるのか、いくらでも考えることはありますし、正しい答えを導くことは世のためになります。結果、どう転んだとしても恨みっこなしということで」

「…………」

 リオネルは口を開かない。この件は別として、自分が黒である案件などいくらでもある。それらが表沙汰になれば、国家は自分たちを見逃しはしないだろう。あくまで地の底であるがゆえに彼らは許されている。

 表に出れば、見せしめとして捻り潰される可能性も十分あるのだ。ガリアスにとって吹けば飛ぶ彼らを潰して、その結果良き方向に向くのなら多少無茶をしてでも彼らはやる。良くも悪くも彼らはガリアスなのだから。

「とは言え……そんなの面倒ですよね。双方にとって」

 アルフレッドは仮面の下で微笑む。

「何か折衷案を考えませんか? この場で収まりがつく、シンプルな案を。例えば、僕が優勝してその賞金を貴方に渡す代わりに、この場は手打ちとしていただく、とか」

「……あア? テメエが負けたらどうするんだよ」

「何でも。僕の身柄を好きにしていいよ。奴隷として死ぬまでこき使うも良し、靴をなめさせて服従を強いるも良し、お好きにどうぞ」

「き、君、自分が何を言っているのか――」

「大丈夫です。僕、勝ちますから」

 一切の淀みなく発せられた勝利宣言。この場には男よりも強い指し手はいる。相性次第で優勝を狙える差ではあるがそもそもは薄氷。勝ち急いだがために墓穴を掘ったが、これからもあの戦法で勝ち続けていくのは難しいだろう。急戦に弱いのは間違いなく、序盤に大きな有利を取られた上で、相手は急がず其処で得た有利を使ってしっかりと立ち回れば――

(それにあの陣形はおそらく……勝つためのモノではない)

 男は対峙したことであの陣形の狙いに気付いた。あれはストラチェスを楽しむためのもので、勝ちへのこだわりが薄いのだ。運の要素を廃するためにあえて不利を取る。楽しむだけの実力があって初めて成り立つものだが、それは強者の驕りともなるだろう。

 不利の生かし方次第で実力差は埋まる。もちろん慣れぬ戦型に対応する必要はあるが、その試行回数はこれからの対局が稼いでくれる。すでに上位層の仲間たちはアルフレッドの対局を並べて検証していた。上に行けば行くほど、丸裸になるのは避けられない。

「どうでしょうか? 足りないなら出せるだけ全部僕に賭けてください。まだ実力が不明瞭だと思われている今なら、賭けになるはずです」

「本気で言ってんのか? テメエに何の得がある?」

「気持ち良く勝負ができる。それで十分ですよ。レクリエーションで人の涙を見るのはつらいし気が滅入る。僕は楽しみたいんですよ。折角の旅なので」

「最高に馬鹿だなテメエ。いいぜ、テメエの口車に乗ってやる。勝ち切ったら優勝賞金でそいつらは自由だ。契約書は破棄してやるよ。負けたらテメエは俺様のペットとして永遠に靴をなめてろ」

「ありがとう。感謝するよ」

 話が終わった途端、颯爽と階下に降りていくアルフレッド。その背を見送るリオネルの目に一切の光はなかった。あるのは――

「良いんですかボス?」

「カモが一匹減ったところで何の痛手もねえよ」

 すっと漏れた言葉。だからこそ垣間見える真意。

(あのリオネルが……まるで減ると決まったかのような言い回しを)

 シャルロットは一連の流れに驚きを隠せなかった。リオネルがこうして相手の流れに乗ることなど稀。こんな話など文字通り一蹴して、言葉を紡がせる前に叩き潰していたはずなのだ。

(それに彼の声、どこかで聞いたことがあるような)

 誰よりも早く対局が終わったことで皆の様子を見ているのか、熱心に盤面を覗き見ていた。掲示されている初期陣形と今の盤面を見て――

 すべて見終えた後、アルフレッドは隅の方でうずくまる。頭の中をフル回転させ、全力で思考を開始する。目指すは絶対の勝利。楽しむための勝負はここで終わり、ここからは勝つための戦いである。


     ○


 三戦目、アルフレッドが選択した陣形に皆怪訝な視線を向けていた。ダルタニアン・ストラディオットを雛型とし、リディアーヌが手を加えパターン化したうちの一つ、今のガリアスで最もポピュラーな陣形とされるリディ・ブラッド。

 リディシリーズなどと言われている戦型の中で攻防共に安定した強さを見せる。無論、マリアンネ殺法のような左右中央どこからでも攻める守れるほどの自由度はないが、雛型であるダルタニアン・ストラディオットや同じリディシリーズ相手であれば比較的自由度は高い。右翼から攻めて良し、左翼で受けて良し、非常にバランスは優れている。ただ、それゆえに狙いがぼやけがちだと言われてもいるが。

「変化の多さから玄人好みとされる戦型だが、なるほど、確かに彼の性分には合っている」

「ヴァンサンか。君は彼をどう見る?」

 リオネルが何も言わなくなり、家族ともども少し距離を取ったところで観戦していた男の隣に、様々な大会で何度も指し合っている盟友、ヴァンサンが現れた。

「変幻自在、楽しそうに指し回す印象だった。中盤の混戦、終盤の詰め、読みは凄まじいものがあったと思う。ただ、序盤はどうにも安定しないようだね」

「ああ、相手があまり巧くなくて助かったが、いくつか疑問手はあった。君や私なら咎められる粗だ。当然ここから当たる上位層は皆、咎めてくるだろう」

「おや、どうやら終局のようだ。お早い決着で」

「一手一秒もかけていないだろう。相手も強くないがやり辛かったろうな」

「また、他の盤面を見回っているね。初期陣形を現在の盤面を見比べて、全部見終わったらまたうずくまった。……何のつもりなのやら」

「勝ってもらわねば困るのだが……彼にとっても人生がかかっているし、ナイーブになるのも仕方がないか。であれば何故、あんなことをしたのか」

「根が善人なのかもしれないね。とにかく貴方は大いに反省すべきだ。あんな輩に頼るくらいなら、いくらでも頭を下げる相手はいただろうに」

「わかっている。私が愚かだった。ちっぽけなプライドが邪魔をしたんだ。君たちに、仲間内に知られたくない、それでこのザマ。無様だし、家族に申し訳がないよ」

 焦った上にプライドが邪魔をして最悪手を指した。ストラチェスを嗜む者として最低の生き恥をさらしてしまった。もう、あの仮面の少年に賭けるしかないのだ。自分の命運、家族の命運、彼自身の命運、全て背負って――

「次は準々決勝……相手は、ブリアックか。優勝候補の一角だね」

「勝てるだろうか。彼の得意戦型は超攻撃型の――」

 立ち上がったアルフレッドを心配そうに眺める男。自分には祈るしか出来ない。

 何とか勝利を――彼はそう願う。


     ○


「おやおや、見慣れぬ指し手だね。どちらから来られたのかな?」

「え、あ、は、はい! ご無沙汰しておりますリディ――」

「おやおやいけないお口だね。私は仮面のスーパーレディだよ。レディ・ストラチェスとお呼び。こっちの従者は執事のバトラーさ」

「バトラーです。よろしくー」

 やる気のない言葉を放つバトラー(仮称)は、仮面をつけたリディアーヌ・ド・ウルテリオルの護衛であるロラン・ド・ルクレールであった。王の頭脳と王の左右、二人とも超要人であるが、そんなことお構いなしなのはいつものこと。

「レ、レディ、それで、見慣れぬ指し手と言うのは」

「ふむ、君は相変わらず愚鈍だなあ。八人の内、いつも大会で見る者を除けばすでに一人しか異物はいないだろうに。で、彼は何者だい? 私と仮面が被っているが」

「あんたのそれは白騎士の真似じゃん」

 無言で鋭いローキックがロランを襲う。上司の蹴りは甘んじて受けるのがダルタニアンの後任である自分の務め。良くこんな傍若無人な女と上手くやっていたなと前任者に対して昨今畏敬の念を抱いているのは内緒である。

「ああ、彼は飛び入りの参加者で名前はアレクシス……ですがおそらく偽名でしょう。出身等は誰も聞いていないのでわからないですはい」

「何故誰も聞かない? ここまで勝ち進んでいるんだ。強いのだろう?」

「一、二回戦は面白い戦型を使っていたので皆興味はあると思います。ただ、厄介なのと衝突しまして、誰も声を掛けようとしないのです」

「厄介……おやまあ、随分場違いなのがいるじゃないか。それバトラーからかいに往くぞ」

「えぇー、あいつ結構マジに厄介なんすけど」

「だから面白いのだろう?」

 何を当たり前のことを言っているのだろうと首を傾げるリディアーヌにロランを頭を抱えた。良い歳になって未婚かつ子供みたいにあっちへこっちへ首を突っ込む性格は相変わらず。むしろ年々ひどくなっている。

(結婚して落ち着いてくれたら……まあ無理か。想い人が敵、だもんなあ。リュテスも含めて女は妥協しないねえ。まあ、妥協しなかった姐さんが勝ち組になったしな。世の中何があるかわかんねえぞっと。短い春だったけど)

 半ば引っ張られるような形でロランはリディアーヌと共に――

「やあリオネル君。相変わらず偉そうだね。ところで軍へ入隊する件は考えてくれたかな」

「んだこのうさんくせえ野郎は!」

「はいはい。こんなのとつるんでるとレベルが下がるぞ」

 出会って秒で襲い掛かってきたチンピラを、ロランがやる気なさげに腕一本で首を拘束。そのまま一瞬で気を失わせた。あまりにも手慣れた動きに後に続こうとした者たちの足が止まる。へらへらとした男だが、これでも王の左右、今のガリアスで二位の実力者である。

「……何の用だ?」

「お、不機嫌だね。さては仮面の男が気になると見た!」

 冗談めかしてリディアーヌが放った言葉に、リオネルは何の返答もしなかった。その様子を見てリディアーヌとロランの表情が変わる。ふざけ半分であった雰囲気が消えた。階下の人物に対してリオネルと言う男が何かを感じている、それは一つの事件なのだ。

 リオネルは、その傲慢で粗暴な性格はともかく、才能だけで言えばロランすら凌ぐモノを秘めていた。ボルトース並みの巨躯にリュテスら小兵の俊敏性も兼ね備えている。何か一つ切っ掛けさえあればかの黒狼にも届くのではないかとロランは見ていた。

 そんな考えをリュテスにぶつけてみたら一言「あれには無理ね」と切り捨てられたのも良い思い出である。

「……ガリアスのストラチェスに慣れていないからか、序盤は相当苦戦しているみたいだね。ただ、指し回しから妙な気迫を感じる。それに何だろうか、ところどころ――」

 リディアーヌは階下の少年に既視感を覚えた。見た目も雰囲気も全然違うが、ストラチェスの指し回しに何かを感じたのだ。特に、勝負所での受け方は『彼』を彷彿とさせた。ただし奔放な攻め方はまるで違う風に感じたが――

「ストラチェス全然わかんないんですけど、どっちが有利なんすか?」

「微妙だね。序盤はさすが攻めのブリアック。メタを張られてなお有利に持って行ったよ。しかし、中盤戦は混戦模様。まだ終盤戦には早いが、一手で揺らぐ局面だ」

「メタとは?」

「ブリアックは攻撃寄りの戦型を好むからね。特にリディ・デュエルという戦型に関しては七割以上の使用率らしい。対して仮面の、アレクシス君はリディ・アポーという戦型を取った。これはデュエルに強い戦型で……説明してあげているのになんだいその目は?」

「……自分の名前つけるの好きなんですね」

「……私が名乗ったわけじゃない。勝手につけられたんだよ」

 しょぼんとするリディアーヌ。新しい戦型を考案するたびに、リディシリーズなどと勝手呼びされるのを彼女はあまり好ましく思っていなかった。

「とにかく。有利な状況からまくられたのに、もう一度彼はまくり返している。力はあるよ。それだけに序盤が不可解なんだけど……ん!?」

 リディアーヌが身を乗り出す。その一手に会場もまたどよめいた。

「……無理押し? いや、違う。戦車をあえて切って、壁を作って、兵士の連打で宰相らを釣り上げて…………詰む、のか? いや、詰むぞ!」

 興奮するリディアーヌをよそに、会場全体では無理攻めだという言葉がちらほらと漏れていた。攻めの要である戦車を切る手順である以上、押し切らねばカウンターで潰されてしまう賭け。皆はリスクの高い手だと読んだ。リディアーヌでさえ一瞬そう思った。

「……ハァ」

 仮面の少年の雰囲気にロランはぞくりと肌があわ立つのを感じた。ストラチェスはわからない。だが、戦いの機微は理解しているつもりである。切り裂くような一手、冷たく、常に先読みされて掌で踊らされているような、そんな感覚。

 嫌でも思い浮かぶのはあの大戦。最初の挫折にして最大の挫折。忘れ難き敗北の記憶。

「す、すごいぞ! あれで詰んでいたのか!?」

 気づき始める者たちが現れ、ブリアックの表情も蒼く染まる。何かの間違いであって欲しい。そう思いながら最善手を進めるも――結果は詰み。あの時点で読み切られていた。その読みの深さに、それを一手十秒と言う制限の中で導き出した瞬発力に、絶望にも似た差を感じさせられた。

「……年のころは、合致するか?」

 リディアーヌのつぶやき。ロランも同じ考えに至っていた。一度だけ見た『彼』の息子。こんなところで暢気にストラチェスを指している身分ではないはずだが――

「彼はとてつもないぞヴァンサン! すごい、すごすぎる! 知らないはずの戦型に、ガリアスの最新に、彼はこの大会だけで追いつきつつある!」

「ああ、間違いなく彼は本物だ。素晴らしい、素晴らしい序盤戦だった!」

 少し離れたところで騒ぐ二人を見てリディアーヌは怪訝な表情になる。どちらも幾度か大会で見たことのある優れた指し手であるが、褒めている観点が一番の欠点であるところに疑念が浮かぶ。彼らとてわかっているはずなのだ。序盤のせいでこれだけもつれたことは。なのに彼らは序盤を褒めている。それも妙な褒め方で。

「おそらく、彼がガリアス最新の戦型を知らず、指したことも無い状態からあそこまで上手く指し回したことを褒めているのだと思いますわ」

「……君は、確かセラフィーヌの」

「シャルロットでございます。ご無沙汰しておりますリディアーヌ様」

「ああ、いや、私はレディ……いや、どうでも良い。ちなみに君はストラチェスの心得はあるかな? あったよね? 今の話も含めて、少し教えてくれないか!?」

「おい、そいつはボスのペットだ。勝手に触――」

「じゃあ貸出料」

 そう言ってリディアーヌは金貨一枚を投げつけた。額に当たって転がっていくそれを慌てて拾いに行くチンピラをよそに、リディアーヌはそわそわした顔でシャルロットを見つめる。その答えが自分の予想を上回ることに期待しているかのように。

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