無敗の剣闘士:邂逅

 大会の会場である屋敷はアルカスでもそうないほどに大きな建物であった。中は吹き抜けとなっており、二階には貴賓席含めて多くの席、そこに座り切らぬほどの人が詰めかけている。彼らの狙いは――

(賭け、かあ。その胴元が本当の食い扶持で、参加費がそこそこするのは多少は参加者を厳選するためってとこかな。やっぱりギャンブルは儲かるよなあ……胴元がさ)

 貴族たちの社交場兼ギャンブルの対象。だからこその膨大な優勝賞金。

(優勝、準優勝を当てるオーソドックスなのから順位の組み合わせを交えたもの、あとは個別対局の賭けもあるみたいだね。何でも賭け事にするんだなあ。まあストラチェスは向いてる方か。実力にそれほど開きが無ければ……初期陣形次第で勝敗は大きく揺れるし)

 アルフレッドは相手の紙に書かれた初期陣形を眺めて夢想する。あの北方で父と暇を見つけてはこういった遊戯に興じたことを。たまに訪れてきたクロードともやったし、ベアトリクスとは――あまり勝負にならなかったので割愛。

 その中で、北方からアルカス、今まで一番対局した相手。師匠と呼ばされていた女性の言葉を思い出す。あの人は面白いことを言っていた。

(ふーん、ガリアスの新型かな。でも、うん、やりたいことはわかった)

 何故みんな、いきなり勝負の手札をさらしてしまうのかがわからない、と。

「……あまりストラチェスを嗜まないのかね、仮面の坊や」

「久しぶりではありますね。早く勘が取り戻せればいいですけど」

「勘、ね。もう勝負はついていると思うよ」

 何度流行が廻ろうとも、結局は守備に寄るか攻撃に寄るか。何巡かして今の流行は攻撃よりなのか、アルフレッドから見て左側から戦車の利きを活かして独自の機動力を持つ騎士と攻撃寄りのユーティリティである将軍で攻め潰す策が見え透いている。遠間から魔術師が斜めに睨みも効かせており油断はできない。

 主戦場は盤面左。そうしたい意図が透けて見える。

 だからこそ――

「こんな中途半端な陣形、見たことない。これじゃあ効果的な攻めは出来ないね。こんな大きな大会に出る前に、まず坊やはストラチェスを学ぶべきだ」

「ええ、まあ。序盤はほぼ確実に不利を負うのがマリアンネ流殺法の数ある弱点の一つですから」

「マリアンネ流殺法? 数ある弱点?」

「序盤で一気に勝ち切ることをお勧めします、よ」

 アルフレッドが指した一手。一瞬、会場の視線がこの盤面に集束した。戦車を初期陣形から振る。盤面全体を縦横無尽に駆け巡るがゆえ、戦車と言う駒は攻めの要であり敵味方問わず多くの駒に対する楔となる。普通は動かさない。動かす場合は攻めのパターンを変える時、つまり初期陣形で決定的に相性が悪い場合に限る。それも中盤に差し掛かってからがほとんどで、この序盤で戦車を動かすのは悪手、と言うよりも――

「行儀が悪いな坊や」

「田舎者なので」

 敗色濃厚である場合がほとんど。かつあまり好まれる手ではなかった。

 そこからは防戦一方。相手の攻めががっしりハマり序盤からアルフレッドの陣内に騎士が切り込んでくる。そこを拠点としてぐいぐい気持ちよく斬った張ったを強いてくる対戦相手。アルフレッドはのらりくらりと受け、捌き、さらに受ける。

「……粘り強い!」

 終始優勢なのは相手。だが――


     ○


「くっそつまんねえなオイ。なあシャルロットお嬢様よォ。いつになったら面白くなるんだこのクソ貧体どもの御飯事は」

 貴賓席に大勢の取り巻きと女性を侍らせている男が会場を睥睨していた。心底つまらないモノを見る目で、一応賭けてはいるものの勝負自体には興味がない。そもそもストラチェスを知らぬ者にとってこの戦いを観戦するのは少し退屈になるだろう。

 そんな者がこの場にいるはずもないのだが――

「……お勉強なさったら面白くなりますわよ」

「おいクソアマ、ボスになんて口を」

「仕置きが足りなかったか、シャルロット・ド・セラフィーヌ」

 男のひと睨みに悔しそうに歯噛みする女性。

「誰のおかげでテメエのとこの家人は食えてんだ?」

「ッ……リオネル様のおかげ、です」

「歯切れが悪いなァ。元、大貴族の御令嬢は」

「……わたくしの態度で不快にさせ、誠に申し訳ございません」

 深々と頭を下げるシャルロットの態度に満足したのか、リオネルと言う男は再度会場を眺めた。神に愛されず剣を握ることすら許されなかった凡俗の群れ。戦争の模型で行われる手慰み。それを見ても失笑しか浮かばない。

 彼らは自分、リオネルのように神から愛されなかった。

「まあ今日は気分が良い。クズの足掻きを見下ろすのもオツだしな。ほれ、死に物狂いでやってるぞあいつ。ほぅら応援しろよ、折角連れてきてやったんだからなァ」

 リオネルの視線でびくりと怯える女性とその子供。階下では必死に父親がストラチェスを指している。債権者が起死回生で大会に臨む姿を見る。それがリオネルの目的であり楽しみでもあった。

「安心なさい。あの御方は強いですわ。きっと勝つでしょう」

「あ、ありがとうございますシャルロット様」

 勝手にしゃしゃり出てまたリオネルの気分を害したのではないかと周囲がびくつく中、リオネルの眼は階下の一点に降り注いでいた。

「…………」

 その眼は戯れで収まらぬほどに――


     ○


 アルフレッドもまた不愉快な視線を感じてそちらに視線を合わせていた。大きく、しなやかな体躯を持つ男。黒みがかった銀の髪は獅子の鬣のように威風堂々と。存在感があり、普段であれば面白そうな相手だと思い挨拶でもしようと考えるのだが――

(嫌な眼だ。どす黒くて、品が無くて、愛がない。人の悪意だけを映す眼だ)

 楽しい対局に水を差された気分。指し手にも自然と力が入る。

「……この一手は。いや、そんな馬鹿な。詰むはずがない。こっちにはこれだけの駒があるのに。そんな馬鹿な。考えろ、考えろ。考えるんだ」

 致命の一手ではない。とっくに戦局は決していたのだ。対戦相手が気付かなかっただけ。指し手の殺気で気づけただけ。優勢だった序盤の猛攻を凌がれ、駒の損得は同じでも主戦場が移動し、浮いてしまえば死に駒と同じ。のらりくらりから一転、一瞬で相手の喉元へ打ち込み、決壊した水流が如し急戦に対応しきれなかった。

 勝敗は決していた。攻めきれなかった時点で。攻撃に寄った陣形に加えて攻めきれないのに攻め過ぎた。その結果が今、盤面に現れている。

「変幻自在な、化かされたかのような戦い方……坊や、いや、貴方はいったい」

「ただの旅人です。師匠は、とても自由で強い人でしたが」

「なるほど。また機会がありましたらご教授願います。参りました」

「ありがとうございます。こちらこそまたお願い致します」

 楽しい一局であると同時に手応えも掴めた。やはり彼女は強かった。彼女独自の理屈は本場ガリアスでも通用する。大切な、姉のような女性を思い出しアルフレッドは微笑んだ。また会いたい、ふとそう思う。


     ○


「シャルロット、あれを知っているか?」

 リオネルが指さした方を見てシャルロットは首を横に振る。

「アレクシス……聞いたことがありませんわ。ただ、名前は誰でも知っていますわよ。有名な物語の主人公ですもの。勇者アレクシス、アルカディアが産んだ英雄譚」

「……あいつ、強いのか?」

「わたくしに聞くと言うことはストラチェスですわよね。……であれば強いと言えますわ。対戦相手のヴァンサンは様々な大会で上位に食い込む実力者。この騒ぎを見ればわかりますわよね……大番狂わせですわ」

 ヴァンサンに賭けていた者も少なくないのだろう。客も選手も一様に驚愕のまなざしで仮面の男を見ていた。その初期陣形を、盤面を見て騒ぎは少しずつ大きくなる。

「次、俺の玩具と当たるみたいじゃねーか」

「……えっ!?」

 一回戦を勝ち抜いた者たちで再度組み合わせが決まる。

「どっちが勝つ? テメエの意見で賭けようかなァ。俺も」

「それは――」

 シャルロットは今まさに戦わんとする男の夫人と娘を見つめる。夫人らが神に祈るその姿を見て、彼女は言葉が詰まってしまう。彼も弱いわけではない。ヴァンサンと同じくらい強い指し手である。だが、あの仮面の男は底知れない雰囲気を持っていた。

 妙な初期陣形、そして戦車をいきなり振った指し回し。ガリアスの、自分の持つ知識では測れない。ただ、仮面の男から漏れてくる雰囲気は穏やかで、少し懐かしくて、何よりも勝利に愛されている、そんな雰囲気があった。勝てると、彼女は言えなかった。


     ○


(ヴァンサンとの対局を見る限り、彼は中盤、終盤に大きな自信があるのだろう。序盤に不利を背負うやり方でも捲れる自信が無ければあんな戦型取れるはずがない。ならば取るべき戦型は一つ――)

 男には負けられぬ理由があった。金を借りる必要があるまで落ちぶれたのは己が責。しかし、あの契約書はあまりにも悪意に満ちていた。高利と言うよりも暴利。折角立て直した事業も、日ごと膨らむ利子を返済するだけで手一杯。気づけば八方塞がり。

「……はは、ストラチェスに人生賭けるようになっちゃおしまいだな」

「え?」

「いや、何でもない。並べようか」

「はい、よろしくお願い致します」

 ストラチェスと言うのはそのゲーム性からじゃんけんゲームと揶揄されることがあった。実力者であっても初期陣形で大きく有利を取られたら負ける。如何に相手の陣形を読み、そのメタを張れるかというのが肝なのだ。読み合いと言えば聞こえはいいが、実際のところ運が大きく絡んでくる。だから賭けが成り立つ。こうして大きな金も動く。

 そのおかげで起死回生の機会が転がっているのだが――

(賭けには勝ったな)

 男は賭けに勝った。相手は先ほどと同じフラットな陣形。ここから相手に合わせて変化していくのがこの陣形の特徴なのだろう。多少不利は背負っても試合が長引けば流動的に動いた方が有利になっていく。ゆえに長期戦はありえない。

 男の取った戦型は超急戦。中央突破を狙う二連の槍兵と戦車を重ねた原始突貫陣形。早指しであれば上級者同士の対局でも姿を現すわかりやすい戦型で、ストラチェス初心者殺しであり、最初に対策を覚えねばならない戦型とも言われている。

(決勝までは一手十秒の早指し。ゆえに皆わかりやすい戦型を好む。逆に彼の戦型は長引かせ、盤面を複雑化させ、対面する相手にミスをさせることも目論見の内なのだろう。であればこれだ。こいつなら、わかりやすく一気に押し潰すだけで済む。相手に合わせて動く暇は与えない。勝つぞ、私は!)

 勝ちに大きく近づいた。ただ一点、気になることがあるとすれば――

(何故、微笑んでいる?)

 この状況でさえも楽しんでいる風に見えたから。

 対局はよどみなく進む。王を逃がしながら左翼の駒を押し進めていくアルフレッド。その前に圧し潰すとばかりに中央を進める男。

(戦車を左に振った以上、その筋から攻める気なのだろうな。だが、こちらの方が圧倒的に速い。そちらの陣に触れたが最後、三連の長物が確実に相手を貫く)

「僕も昔、この戦型対策に同じことをしました」

 いきなり語り始めた対戦相手に視線を向ける男。

「超急戦で一気に詰ませる。結果として正しい方向性でした」

 まるで手拍子で指しているかのようにぽんぽんと駒を動かすアルフレッド。最初のうちに勝負を捨てたかと思っていた。それほどに速い指し手で――彼は最善手を指していた。気づいたのは中央を突破し切る前段階。

「嵌め手はあります。でも、貴方の陣形とは少し違う」

 アルフレッドの中央は完全に瓦解した。王の側近である宰相を失い、将軍もひと欠け、騎士も一つ失った。いくつか駒は奪えども圧倒的駒損。されど、王は左翼を駆け上がり、今にも敵陣へ飛び込む様相を見せていた。

「中央は二連で良かった。三本目の戦車は……敵が王を逃がした方に振るのが正解です。戦車だけフレキシブルに動かせるように道を開けておくのが、正解なんです」

 中央を突破した軍勢が、攻めるべき対象を見失っていた。男とて途中で気づいていたが、後戻りなど出来ようはずもない。がちがちに固めた一本の槍。自由度は、ないのだから。

「ぐ、ぐぬ、まだ、まだ負けていない!」

「相手に合わせて変じる陣形。唯一の正着以外は詰みまで届かない。嵌め手とはそういうモノ。有利を取るだけならば容易いですが、詰みまでは遠い。それを狙った以上――」

 男はがくがくと震えていた。顔色は青白くなり、駒を握る手が安定しない。

「……どうされましたか?」

 超急戦に合わせて変じた陣形。敵の本丸を攻めるには心もとない手数であるが、相手が取るべき王と共に敵陣へ侵入。返す刀でカウンター一閃。

「私は、私は、まだ――」

「体調を崩されたのでは――」

「私は負けられないんだ!」

 渾身の一手。自陣でケリをつけてやるとばかりに取った駒を投入する。アルフレッドは仮面の下で悲しげに微笑む。こちらの体勢充分、手持ちは相手の方が多いも、攻め手を手に入れる方法はある。

「……魔術師と将軍の交換。受けますか?」

「はは、そりゃ気づくか。一手足りない分は補充すればいい。交換を受けても将軍を交えて詰まされ、受けずとも魔術師がこちらの右翼に飛び込み逃げ道を潰される。自陣の魔術師よりも手持ちの将軍、終盤なら、そうなるな」

「はい。もう、終盤ですから」

 中盤をすっ飛ばし序盤から終盤へ。超急戦の恐ろしさである。

「どうやっても勝てんかな?」

「残念ながら」

 男は生気のない顔で天を仰いだ。そして魂が抜けきったような顔つきで――

「……負けました」

「ありがとうございます」

 敗北を宣言した。


     ○


「あーあ負けちまったなァ。残念でしたァ」

 ゲラゲラと笑う下卑た集団を前に放心状態の男。妻も娘も目に涙を浮かべながらこれから先、自分たちに降りかかる絶望を想像し震えていた。

「どーしちゃいますボスゥ」

「いつも通りだろ。雌はどっちも風俗堕ち。雄は首輪をつけて飼い殺しってな」

「うーわかわいそー。ってか俺このおばさん買っても良いぜ。意外とタイプだわ」

「俺は娘の方」

「ぎゃははロリコンかよおい」

 周囲の白い目も気にせず彼らは笑い続ける。シャルロットは内心煮えくり返る思いであったが、言い返すことなど出来なかった。結局この世は金を持っている者が強い。金を借りねばならなかった時点で弱者側なのだ。自分も同じ境遇、首輪のついたペットでしかない。もうセラフィーヌの令嬢であることなど何の意味もないのだから。

「なるほどね。あんまりにも途中から様子がおかしいから気になってたんだけど――」

 その笑いの輪に入ってきたのは仮面の男アレクシスことアルフレッドであった。

「君たち下衆だね」

 仮面越しでもわかる満面の笑み、明らかな嘲笑の雰囲気に笑いが一斉に引いた。

「テメエ、俺らが誰かわかってんのか?」

「わからないけど品がないことはわかるよ」

「殺すぞガキ!」

 飛び掛かってきた男の顎を擦り上げるように打ち付け気絶させる。アルフレッドもまた笑みを消して気絶した男を背負い投げた。目標は人垣の奥――

「行儀がわりいなチビ」

 気絶した男の頭部を掴んで別の方向に投げ飛ばした男が立ち上がる。

「君も結構行儀悪いよ」

 二人の男が睨み合う。先程目があった時、一瞬で理解した。とことん気が合わない手合いだと。今はなお、近づいた分そう感じる。

「俺様に何か用か?」

「特に用はないよ。でも、御夫人や少女を取り囲んで泣かせてるんだ。僕が君たちに苛立つのも、僕が彼女たちの涙を止めたいと思うのも、僕の勝手だろ?」

「ああ、勝手だな。勝手ついでに死んどけカス」

 予備動作無しでこの加速。アルフレッドは驚愕する。警戒していたが、この動きはそれを容易く上回った。チンピラの前蹴り、普段なら簡単に捌けるはずのそれを防ぎ切れないと判断し、腰の剣に手を添えた。中身は――折れているが。

 居合いの構え、ブラフだが相手には分らない。リオネルはそれを視て『から』動きを止めた。止められるタイミングではなかったはずのそれを。

(……今のを見てから止められるのか)

 ブラフの構えは少しでも動きが鈍ればとの苦肉の策。それが相手を止めたのだから結果としては上出来。しかし、中身は惨敗に近い。

「あァ、カスの割りには良い反応だな。あくまでカスの範疇だがよ」

「……どうも」

 アルフレッドとリオネル。二つの異なった才能が邂逅する。

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