無敗の剣闘士:至るウルテリオル

 アルフレッドはこの一カ月弱の間に多くの経験を積んだ。今までにないほどの密度で戦いを続け、強い敵、弱い敵、やり易い相手、やり難い相手、様々な手合いとの勝負を重ねた。ただの一人として同じ相手はおらず、だからこそ、たとえ弱い相手であっても学ぶことは多い。人の数だけ武があるとはアークの言。

 それを噛み締めながら今日も戦う。

「でやァ!」

 相手の出足を見てそれなりに使える相手だと判断。今日の課題は魅せる動きで勝つこと。剣闘士たる者、人気者でなければならない。どんなに強くとも地味な戦いばかりしていては人気者には成れず、その分頂点まで無駄な足踏みをすることになる。

「よっと」

 相手を舐めているわけではないが、彼ら生活のために剣闘に取り組む者と自分では目的が違う。経験を積むために戦う、それが今の目的。一戦一戦に課題をもって取り組むことで、相手の剣をより深く観察することが出来る。自分も含めて、深く考えることが出来る。

 戦いとは相手があることで、自分がそうしたくとも――

(ん? そう言うことか。この人、堅実なタイプだ)

 魅せる戦いになるとは限らない。

(派手に動かせってことですか。もー、アークさんは意地が悪いんだから)

 アルフレッドは相手に少し申し訳ないと思いながら、目的遂行のために動き出した。今までよりも緩急をつけて、変幻自在に立ち回る。ベースはミラと同じ剣。しかし、動きはたったの一カ月であるが色々な剣を吸収してより自分向きに昇華させたもの。

「ついてこないと、負けますよ!」

 速度を上げ、落とし、さらに上げる。チェンジオブペースに対応しようと相手もそう言った動きになっていく。手を変え品を変え、気づけばアルフレッドのペースに引きずり込む。相手の良さを引き出し、しっかり視て、学ぶ。

「ぐぬ、若造め! あの戦乱を生き抜いた俺を、なめるなよ!」

 最近ようやく慣れてきた経験値から出てくる圧力。肌がひりつく。背筋が凍る。心が震える。実戦経験者の強さ、リュシュアンからも感じた技術とは別の強さ。今の自分に足りぬモノ、これが欲しい。

「もっと、見せてください!」

 アルフレッドは仮面の下で笑う。アルカスで漫然と戦っていた頃とは違い、注視すればなんて戦いは面白いのだろう、と。見れば見るほど、やればやるほど、味が出る。

 そして理解するたびに、自分が強くなっているのがわかる。

 今がまさに成長期。楽しくないわけがない。

「なんちゅう顔をしておる。まったく、あとでフォローしてやらねばなァ」

 アークもまた、若者の成長を目の当たりにする日常に自然と頬が緩んでばかりであった。

「まあ、もうこの辺でやることもなかろうよ。そろそろ、本丸へ殴り込みであるな」

 まだまだ粗はあるが、かなり経験を積んだおかげでさらに隙が無くなった。これならばそう簡単に負けることはないし、名も充分に売れた。腕試しの土壌は整ったのだ。

 なれば目指す先など一つ。超大国が中枢、ウルテリオルである。


     ○


 コマタからウルテリオルに向かう道中、キテリオルという都市でアルフレッドもとい黄金騎士アレクシスは連戦連勝を飾っていた。リュシュアンに勝ったという噂が到達する前に先んじ、楽をすることなくこの地でも頂点を目指す。

「お坊ちゃま、闘技場にいらっしゃったのですか。お母様がカンカンです。ケラウノスまで持ち出して、何故かグスタフが追い回されておりました」

「んー、それも面白いけど。こっちはすごく面白いから」

 翡翠の髪をひとくくりにした少年はりんごをかじりながら興味深そうな視線を向けていた。向けているのだが、親譲りで目の形が細く、一見するとどこを見ているのか分からない。

「すごく、ですか? お坊ちゃまが?」

「うん、すごく」

 紳士然とした男は驚いた様子で闘技場を見る。あの少年が人の武を見て面白いと言ったことなど、ウルテリオルで『あの男』を見て以来のこと。

「体の使い方が上手いなあ。淀みがないよ。だから綺麗に見える。どうやっているんだろう? すごく、独特で、やっぱり、面白いや」

 きっちり観客を楽しませ、またも勝利を飾る黄金騎士。

「たぶん次か次で、チャンピオンと当たってさようなら、かぁ」

「気になりますか?」

「うん」

「では、情報を集めてみましょう」

「ありがとう爺や」

「まだ、爺やと言うほどの歳ではございません」

「すぐだよすぐ」

「お坊ちゃまは手厳しいですな」

「あっ、場合によっては母様を説得しなきゃ、かぁ。それもお願いして良い?」

「御免被ります」

 ぶすっとする少年を見て紳士然とした男は微笑む。

 時代は巡る。様々な想いが絡み合って今が在るのだ。この少年も、きっとあそこで観客に手を振る少年も、その結果としてここにいる。

 そして彼らもまた次へと――

 ここはただの通過点。二人の天才が見えるのは遥か先のお話。


     ○


 超大国ガリアスが首都、ウルテリオル。国力ではアルカディアと二分すると言われ始めて久しいが、首都を比べた場合ガリアスに軍配が上がるだろう。いと高きトゥラーンを中心として円状に広がる壮麗な都。市場は年中通して栄え、人々の姿が消えることはない。

「凄い活気ですね」

「ウルテリオルは初めてであったか?」

「いえ、昔父に連れられて一度……ただ、その時は街を回る機会がなかったので」

「ふむ、なるほど。それは実にもったいない。これほど栄えた街は二つとないからな。闘技場に顔を出すのは明日にして、今日は各々好きに散策というのはどうか?」

「気を遣って頂いてありがとうございます」

「なぁに、我も知り合いがおってな。挨拶でも行こうと思っていたのだ」

 アークの知り合いと言うのも気になったが、それよりもウルテリオルという街に対しての興味が勝った。何の縛りも無く、ただの人として歩き回る楽しみには代えがたい。

「気が済んだら宿に戻ってくるがいい。あまり遅くなってはいかんぞ」

「はい!」

「あと仮面も外すでないぞ!」

「わかっています!」

 脱兎のごとく駆け出すアルフレッドを見てアークは微笑む。熟練の戦士顔負けの実力を備えつつある男も、ああして見るとただの少年にしか見えない。興味に向かって一直線、若き背中の輝きに眼を細めてしまうのは年だからだろうか。

「さて、久方ぶりにランスロでも会っておくかの」

 自分は老いた。あの輝きは遠い昔、すでに擦れ果て記憶にも残っていない青春の時。いや、思い出せないのではない。思い出したくないのだ。あの頃の、根拠のない自信に満ちた若さを。それが結局破滅へと繋がった、己が愚かさを。

 神に選ばれた自分なら何でも出来る。この『眼』があれば、道を違えるはずがない。そんな自分を悔いていた。才覚に溺れていた己を心底嫌悪していた。

「今度こそ、間違えてはならぬぞ、アーク・オブ・ガルニアスよ」

 最後くらいは正しく生きてみせる。そのために自分はもう一度舞台へ上がったのだ。アルフレッド・フォン・アルカディアの物語、その端役として。


     ○


「生鮮食品の物価はウルテリオルの方が安いな。土地は高い。うぉ、カシュメアの毛織物がこの価格で買えるのか。アルカスだったら倍でも買えないぞ。たぶん南東の異民族から直接仕入れているんだろうなあ。お、こっちは――」

 気づけば市場調査をしている商人にしか見えない動きで、アルフレッドは街を散策していた。モノの価格を見ればモノの流れが見えてくる。仕入れ値、物流、人件費、そして利益。所詮手慰み、推測でしかないが、それらを思い浮かべるだけで胸が躍るのだ。

「見たことない果実だ。すいません、これください!」

「ドゥリオかい? 仮面の兄ちゃんは食べるの初めて?」

「はい。食べ方の想像もつきません!」

「元気だねえ。ってか結構高いよ? 買える?」

 屋台の店主が指示した値段を見てアルフレッドはびくりと跳ねた。りんご換算で五十個相当。本場っぽいガリアスでこれならばアルカスで食べようとするとりんご百個分にはなるのではないかという値段。

 持ち合わせはそんなにない。それでもこれを逃せば食べる機会はないかもしれない。

「……冗談だよ坊や。まるっと一つ買ってく豪気な奴はあまりいないさ。うちは屋台だからね。こうやってぱぱっと――」

 店主はドゥリオと呼ばれたとげとげの果実を引っ掴み、切れ目の入った底部からナイフで器用に分解していく。その瞬間、アルフレッドは顔を背けたくなるような臭気に襲われた。発生源は明らかにドゥリオという果実であろう。

「はは、臭いだろ? でもな、こいつは先代の国王様も大好きだった、王の果実さ。割引しとくからひと房どうだい? クセになるかもだぜ」

 割り引いてくれたひと房でも高い。しかし、此処で退いたら男が廃ると店主に金を手渡すアルフレッド。「毎度あり」とドゥリオをひと房渡されて、立ちすくむ。

(に、臭いが……本当に人の食べるものなのか?)

「臭いがきつければきついほどイイってのが通の言葉よ。がっとむしゃぶりつくんだ。なかなか店やってても食う機会なんてない珍品さ。昔、アルカスで盗まれた時は痛かったなあ。警戒してたのにどうやって盗めたのか今でも不思議だけど――」

 アルフレッドは意を決して齧り付いた。その瞬間、口いっぱいに広がる独特な匂いと、それをかき消すほどのまろやかな――

「んんんんんん!?」

 アルフレッドに激震が走る。今までの人生で一番好きだった果実はりんごであった。しかし、ドゥリオを口に含んだ瞬間、その序列は見事に覆ったのだ。まろやかな甘み、クリームのような舌ざわり、ねっとりしていて、濃厚で、こんな果実は食べたことがない。

「うんまーい!」

 アルフレッド、咆哮。

「ドゥリオはそのまま食うのが一番よ。円熟したドゥリオを割ってその場で食べる。こんな贅沢な食い方はないし、これ以上に美味い食べ方もない! 下手な調理はご法度さ。クセになったらまた来てくれよ。その時は定価だがね。あっはっは」

 アルフレッドは深く刻み込んだ。果実の王様、ドゥリオの名を。


     ○


(手を洗う水までくれて……あの店主いい商人だったなあ。お金が出来たらまた行こう。サービスしてくれたんだし、恩返しは人として当たり前だからね。決して食べたいだけじゃないし。恩返しだし)

 素敵な出会いに心が躍るアルフレッド。やはりウルテリオルは素晴らしいところである。ドゥリオと言う最高の果実が売っているのだ。また買いに行こう。そう心に誓うアルフレッドであった。そんなふわふわ気分で散策していると――

「もう少しで締切間近だよ! 腕に自信のある人は是非参加を! ガリアスでも歴史のある大会だよ! ダルタニアン様やリディアーヌ様も参加されたことのある大会だよ!」

 喧騒の中でひときわ騒がしい区画があった。大きな屋敷の前に人だかりが出来ている。ふと、興味がわいてふらふらと近づくアルフレッド。そこには――

「さあ、ストラチェスをやりませんか!? 優勝賞金なんと、金貨五枚にかのヴァルホール産奇跡の銘酒もついてきます! 準優勝の賞金もありますよー!」

「……なるほどね。金貨五枚か」

 アルフレッドは自然体で妄想する。

(ドゥリオ何個分だよ!? やばい、準優勝でも余裕で買えるじゃん。三位でも、買えるぞドゥリオ!)

 金貨五枚を果実で換算するのが間違っているが、今のアルフレッドにそんな正論は通じない。彼は心底惚れてしまったのだ。果実の王様ドゥリオに。

 あまり目立つなとアークに言い含められているが、それも忘却の彼方。

「アレクシス参加で」

「ありがとうございます! こちらで参加料を」

「……あ、結構するんですね」

「ええ、まあ。賞金も賞金ですし」

「参加、します!」

 アルフレッドもといアレクシス選手苦渋の決断、大会参戦決定。なお残金、銅貨二枚。りんごも買えない。

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