荒れ地の民:また逢う日まで
今日はタミーマも含めて大勢がたくさんの獲物を獲得し、アルフレッドも宣言通り大物のバガラを狩ってきたので宴が繰り広げられた。やんややんやと皆で食べ、歌い、貴重品である酒もガンガン飲み、めいいっぱい騒ぎ切った。
「ガッハッハ、もう飲めん!」
そう言って倒れたアークが最後の一人。すでにタミーマを含めて戦士たち全員が潰れていた。子供たちはすでに各々の家に戻り眠りにつき、残ったのは酒を飲んでいないアルフレッドと飲んでいたはずなのにぴんぴんしている集落の長一人であった。
「随分と大きくなったのお。この地に来た時は、死にかけておったというのに」
「あはは、そうですね。皆に良くしてもらったおかげです」
「それだけではなかろう? 食事量も増えておろうが。間違いなく体は大きくなっておるよ。力をつけ、技も覚え、強くなって――」
長がアルフレッドの眼を覗く。
「さて、何を成す?」
その眼には長年の蓄積が煌々と揺蕩っていた。ただ目が合っただけ、プレッシャーを感じる必要などどこにもない。それなのに何故か気圧されてしまうのは何故だろうか。
「それは、その――」
今のアルフレッドにその問いは答えられない。答えがないのだ。
「なぁに、問い詰めようと思ったわけではありゃせんよ。ただ聞いてみたかっただけじゃ。答えがないと言うのもまた答えとなろう。誤った目的を持つよりもずっと良い」
すべてを見通すような光が消え、残ったのは優しげな好々爺の表情。
「おぬしの眼にはこの地、どう映った? 貧しく、生きるだけでも苦心するこの大地。其処に根差す我らを何と思う? 愚かか、滑稽か?」
「そんなことはありません! 確かに、畑作には向かぬ土地ですし、生きるのは大変です。でも、此処には温かさがある。自分の食料は自分で確保する、そう言いながら、本当に駄目だった時は仲間に手を差し伸べるあたたかさが、この集落にはあります」
「ふむ、そう見えたか」
「はい、僕の住んでいた都市は、ここよりもずっと栄えているはずなのに、冷たかった。皆上を見て、下で燻っている者になど眼も向けず、上へ上へ。たくさんこぼしているのに、誰もそれを気にしない。悪いのは落ちこぼれたやつが悪い、そう言って笑いながら切り捨てる。いくら儲けた、いくら稼いだ、そんなことばっかり。ぬくもりが、ないんです」
「人の欲望には際限がないからのお。ある意味で、生きるだけで精一杯というのは欲望の枷としては優秀なのかもしれんの。とはいえ、おぬしもわしらのすべてを知るわけではないぞ。本当に駄目だった時と、おぬしは言ったが、ぬしが来てからここまで、駄目だった時など一度もなかったわい。本当に駄目だった時はの、隣人すら喰らうが人よ」
また、あの光が長の眼に宿る。強く、語り掛けるように。
「雨も降らず、獲物も取れぬ日々が続く。餓え、渇き、生きるためには喰らわねばならぬ。生存のためなら人は容易く獣に堕ちる。五年前、わしらの集落と隣の集落で戦があったのもそうじゃ。多くの戦士が死に、タミーマの父もそこで死んだ。食い扶持のために、遠い隣人を喰ろうために傷つけあったのじゃ。今、その場所に集落はない。次はさらに隣か、はたまた手近な友か、家族か、それもまた人よ」
アルフレッドは何も言えなくなった。この眼を、彼は知っている。気圧されていたのは、知っていたから。この眼は、統治者の眼、父が、父ではなく王としてあった時の、眼。
「今こうして仲良うしとるのも人。隣人を喰らうも人。忘れぬことじゃ。何処に行っても人の性質は同じもの。細部は違えど、同じ生き物よ。綺麗なだけの人はおらぬ、汚いだけの者もおらぬ。違うのは環境、それだけじゃて」
「何故、僕にそのようなことを」
「おぬしが来て、世話もしたし世話にもなった。わしらはすでに良き隣人じゃ。土産話の一つでも渡したくなるのもまた、人の性質よ」
アルフレッドは静かに頭を下げた。この助言が役に立つ日が来るとは今のアルフレッドには思えない。何故ならば――これは王に向けた助言なのだから。
王が変えるべきは人でなく環境。そうすれば人もまた変わる。人とはそういう生き物なのだと長は言っているのだ。
「ありがとうございます」
「かっか、そろそろ寝るとするかの。明日は早いのであろう? ゆっくり眠ると良い。ここは時が止まった地、取り残された者たちの終着点の一つよ。疲れたならばまた戻ってくればよい。わしらが人としてある限り、わしらは良き隣人アルフレッドを歓迎しよう」
「……ありがとう、ございます!」
やっぱりここは優しい。優しさが沁みて、涙が零れそうになるほどに。
○
突き抜けるような青い空。遠くには銀色の砂塵が舞う。
今日は絶好の旅立ち日和であった。
「ウィル二世は我が良いと言うておる!」
「言ってないですよ! せ、せめて交代にしましょうよ」
「だまらっしゃい! 若者は歩く。年寄りは歩かない。世の理である!」
「そんなあ」
煌くような毛並みの白馬に跨るはアーク・オブ・ガルニアス。その昔騎士王と謳われた英傑の一人であったが、今は馬に乗る乗らないで口論するさすらいの老人である。馬に乗れなかった少年はアルフレッド・フォン・アルカディア。王子でありながら今は馬に乗る乗らないの口論に負け、従者のようなポジションに納まっていた。
「あ、タミーマさん」
「見送りだ。私だけで来るつもりだったが――」
「アルー! いがないでよお」
「いっちゃやだあああ」
「バガラ、もっとたべたい」
アルフレッドの足元に集落の子供たちが押し寄せる。弓は天才、狩りも上手くなり、子供たちに優しいアルフレッドは彼らから慕われていた。ヒーロー視する者までいる始末。実際、この地では狩りの上手い者は尊敬されるので間違ってはいないが。
「ごめんね、でも、行かなくちゃ」
女の子の頭を撫でながらアルフレッドは言った。
「なんで?」
何気ない問い。しかしそれはアルフレッドの芯を捉えていた。何を成すか、昨日も答えられなかった。今も、答えられない。
「なんでを探すためだよ」
少女の顔にはてなが浮かぶ。言ったアルフレッド自身もそう思うのだから仕方がない。
「お前たち、離れてやれ。何も今生の別れと言うわけではないだろうに」
タミーマの言葉にぶすっとしながらも子供たちは従う。少女が「行き遅れ」と小さく言い放った言葉は残念ながら聞き咎められ、頭を拘束し拳でゴリゴリとしつけられていた様が見えたが、アルフレッドはあえて視線から外した。禁句である。
「ふう、しつけは大事だ」
そう言って戻ってきたタミーマにアルフレッドは頭を下げた。
「ありがとうございました。また来ます」
「ああ、また来い」
「ぜったいだよ!」
後ろから聞こえる子供たちの声に二人は苦笑する。そして見つめ合い――二人は同時に同じ構えを取る。ゆったりと、脱力した状態から同じ動作で拳を放った。
とてつもない衝撃音。完璧な手順を取った発勁の威力を見てアークもご満悦。
「戦士アルフレッド。お前は我らの友だ。この地で技を学び、狩りをし、己が足で立った。なればお前は我らの仲間だ。いつでも戻ってこい。歓待はせんぞ。お前は客人ではないのだから。そうだろう、戦士よ」
「本当に、ありがとうございました」
アルフレッドにとって何よりも嬉しい言葉であった。よそよそしい特別扱いではない、本当の意味での特別扱い。彼女は自分を仲間と認めてくれたのだ。友と認めてくれたのだ。それが、何よりも嬉しい。
「最後に一つ、思い出したことがある。私は今まで本場の発勁使いに二度、会ったことがある。父からは一人目の言葉も余すことなく聞いた。三人ともが共通して言った言葉は、すでに伝えてあるが、三人とも異なった言い回しは、まだ伝えていなかっただろう? これをもって私の、旅立ちの手土産とさせてもらう」
タミーマは過去に思いを馳せる。
ずっと昔、父が楽しそうに教えてくれた可愛らしい少女時代――
「一つ、発勁は技術である」
次の出会いは発勁が出来ず不貞腐れていた少女時代、鮮烈に、苛烈に、野心もゆる格好いい大人の男との出会い。あれがなければ少女は発勁を修めようとは思わなかっただろう。あの時の下心が今日のタミーマを創る。
「一つ、発勁は爆発である」
最後は発勁を何とか体得し、応用に映り始めた最中、もうすでに少女はきつい歳であった。今度は別種のイケメンの襲来に心躍りここまでのモチベーションを手に入れたのは内緒の話。
「一つ、発勁は芸術である」
三者三様、今思えば彼らは全員別の方向を見ていたのだろう。東方より無間砂漠を越えて、この地で彼らは何を見て何を感じたのか。戻ってこなかったことを思えば上手くやっているような気もするが。
「私を見て技を知った気になるなよ。本場の三人は、今の私ですら比べ物にならぬほどの発勁使いだったそうだ。私が初めて会った『本物』に至っては発勁抜きの素手で岩を割る出鱈目っぷりだったのだぞ。あれはたまげた。人間極めると、何が出てくるかわからん」
だから面白い。タミーマはアルフレッドの表情を見て心配は無用だと悟った。彼のような人間こそ世界を旅するべきなのだ。貪欲に、あらゆるものを吸収し、いつかそれを使って何かを成す。彼はその準備のために旅立つのだろう。
「さあ行け。土産話、楽しみにしている」
「はい! 面白い冒険譚を携えて戻ってきます!」
ボロボロでやってきた少年は、しっかりと羽根を休ませ、身体を大きくし、また旅立つ。ここは冒険の始まりにしか過ぎないのだろう。戻ってこないことなど重々承知している。彼は先進の先でこそ活きる人材。此処に居続けて良いはずも無し。
屈託なく手を振る少年。彼がどう成長するのか、楽しみで仕方がない。
「戻るぞ。また会うために、今日も生きねば」
砂塵舞う集落。無間砂漠の手前に居を構える彼らは精一杯生きている。今日も、明日も、明後日も、生きる心配をしながら、それでも前を向いて、己の足で立って、倒れそうになる者には手を貸して、全力で生きる。
人である限り、彼らの生き方は変わらない。
○
「次はどこに向かうんですか?」
「気の向くまま風の向くままと言いたいところであるが……金がないのだ」
「はい?」
「金が、ない!」
「……なるほど。稼がないといけないわけですね」
「うむ、文明世界において一宿するのも金が要る。その辺の山で狩りをしても良いが、良い狩場にはすでに人がおるしな。とかく、何をするにも金が要るのだ」
「元手があれば何か考えてみますが。一応商人の端くれだったので」
「元手もない!」
「何故そんな自信満々に……となると、まずは飯屋で皿洗いでもしましょうか」
「馬鹿もん。騎士が皿など洗えるか」
「……僕がやりますよ」
「まあ待て。性急に事を進めようとするのが若者の良くないところである。我に良い考えがあるのでな。少し任せてみよ」
「はあ」
「まずはそれなりの都市へ向かう。南下しながらガリアスへ入るぞ」
「まあそれしかないですよね、僕のせいで」
「そう思うのであれば我の考えに身を任せよ。何、悪いようにはせんよ」
「わかりました。僕、アーク様を信じます!」
それが数日前の事――
そして今――
「我が闘技場に謎の剣闘士が現れたァ! その名も、黄金騎士アレクシス! 仰々しい名前のちびをぶっ倒してくれ、頼むぜ我らが地元のスター!」
やんややんやと降り注ぐ声援、罵声、アルフレッドは仮面をしながらその中心に立つ。
(……皿洗いの方が穏やかでよかったのに)
アルカスにて無敗の剣闘士アレクシス。アクィタニアの端っこにて異国デビューを果たす。
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