荒れ地の民:発勁
「うっぷ、久しぶりにバガラを喰った。動きづらいな」
「……あの、ちゃんと教えてくださいね。探すの、すごい苦労したんですから」
戦士タミーマの要求を聞いてアルフレッドは早速狩りに出かけた。目標はどうせなら大物をとキビール・バガラ(大きな牛の意)に狙いを定めたのだが、如何せん発見すら出来ず三日三晩探し歩いてようやく狩れたほどである。
アルフレッドにしては時間をかけてしまったという認識であったが、集落の皆からするとむしろたったの三日で良く見つけられたものだと讃えられたほどである。
「う、うむ。まさか本当に見つけてくるとはな。偉いぞ」
(まずい。そんな大したこと教えられない。教えてもらったのなんて二十年以上前だし、可愛い少女だったし、そこからは独学だし、正直ほとんど覚えていない。困ったぞ。これは困った)
タミーマとしてはちょちょいとコツのようなものを教えて、あとは自分が十年かけた基礎練習を教えればいいだろうと適当に考えていた。と言うよりもそれしか彼女は知らないのだ。あくまで旅の老人が道楽で教えてくれただけのモノ、の口伝。あまり期待されても困る。
「ごほん。まずは発勁の基本型だ。良く見ておけ」
脱力状態からドン、と踏み込み拳を突き出す。地面にはくぼみが、拳からは尋常ならざる風圧が、これぞ発勁。やはり自分が行っているものとは何もかもが違う。
「発勁の基本は力の流れだと教わった。正直私もあまり理解していないから言われたまま教えるぞ。万物には向きがあり、力もまたしかり。流れを制し向きを一点に合わせる。わかるか?」
「……正直、わからないです」
「私もわからん。あとはそうだな……力の解放は一瞬で良い。一瞬、インパクトの瞬間にすべてを解放する。これは私も心掛けていることだ」
「それは試しています」
「う、む、確かにな。それっぽくやってたな」
「…………」
「……あの」
タミーマは必死に思い出そうとする。自身が生まれる前に現れた老人の教えを語る父との対話を、それからまもなくして現れた野心もゆる若き男を、さらに十年後現れた男を、全員同じことを言っていた。そして全員が違うことを言っていたような気がする。そもそも最後の男が現れた頃にはタミーマも使えるようになっていたしそれほど注力して聞いていなかったのだが――
「力を産む方法は脱力から成る。螺旋と重心移動、その際は大地を意識する。何故果実が木から落ちるか、地に引っ張られるか、理解せよ。その力を全身で感じて生まれし全ての力を地へ、その奔流を打ち込む。それが震脚成り。震脚を打ち込みし場が大地であれば、その堅きを信じよ。大地は必ずやその力を十全に返してくるだろう。その流れを、さらなる螺旋を加え放つ。これが発勁成り」
アルフレッドの脳裏に、手からこぼれたりんごが浮かぶ。それは下へ落ちていく。何故、考えたこともなかった。それは当たり前だから。モノを落としたら下に行く。落ちる。それは当たり前のこと。何故かなど考えたこともなかった。
「……バガラの対価にはならんだろうが、他には思い出せん。修練法は教えるから――」
考え込むアルフレッドを見てタミーマも途中で言葉を止めた。
(力の流れ、全てに向きがある。螺旋とは横方向の動きと縦の動きのミックス。これはきっと自らの動きで産む力の事。でもそれとは別に、常に働く力がある。これを、利用する? 意識したことなかったけど……利用するとしたらどうやって? それが重心移動、そうか、そうだ。僕の体重を使うんだ!)
アルフレッドの頭に濁流の如く流れ込む閃き。たった一点、上から下へと働く力を意識するだけで、こんなにも思考が広がった。自らの身体で産む力だけを意識していては到達できない境地。自然をも利用し放つが発勁。
「……あと、発勁は理屈だと、三人、私が直接聞いたのは二人だが、そう言っていた。私には魔術のように感じるがな」
「理屈、やっぱりそうだ。全部理屈なんだ。それなら大丈夫。僕なら再現できる」
アルフレッドの眼に映る光。それを見てタミーマは怖れを抱く。貪欲な、底無しの何か。彼の器は底が見えない。そして彼は、それを一杯にしたくて仕方がないのだ。
アルフレッドは力を抜いた。意識するは脱力、体は水、やわらかく――
(力を上手く流すための脱力)
上から下へ働く力を常に意識する。何も跳躍する必要はない。ただ少しずらしてやるだけで体重を利用することは出来る。上半身の捻転、其処から腰へと連動し、膝を曲げ、足首を伝い、放つ。全身の関節を水の如く動かし生まれた力を全て流してやる。
(力を生み、流してやる)
生まれるは衝撃。足元にはくぼみが――
(そして大地から返ってきたそれを足先から流しながら――)
さらに転じる上半身。下半身は果断なく力を流動し――
(力を合わせて打ち込む!)
生まれるは――発勁をまとう拳打。
「……馬鹿な。そんな、たった一度で、うろ覚えの教えを聞かせただけで」
それが理屈である限り、アルフレッドに体得できない術理はない。認識していないものはどうしようもないが、一度認識してしまえばあとは再現するだけ。それは得意なのだ。昔から、頭で理解したことを身体へアウトプットするのは。
「すごいです。タミーマさん。だってこれ、すごく応用が利く」
その眼は、玩具を見つけた子供のように輝いていた。それがタミーマには怖い。
新しい認識を得た。今までなかった知識を、点を得たのだ。そこから枝葉のようにつながっていく既知が新しいものを生む。未知一つでこんなにも広がる世界。
アルフレッドは新たなる力を手に入れた。此処でこの力を手に入れるのは筋書き、そう思えるほどに都合の良い偶然。物陰からそれを見ていたアークは思う。自分の意志でこの地へ連れてきたと思っていたが、もしかすると自分は選ばされただけなのかもしれない。
アルフレッドと言う男の天命に。
○
新たな技術を得て二週間後、アルフレッドは発勁を用いてタミーマと組手が出来るほどと成っていた。拳、蹴、突進、全てに発勁を込めて打ち込む。タミーマが二十年以上かけて辿り着いた境地にアルフレッドは立っている。
(最高の発勁を打ち込むなら、やはり拳が一番理にかなっている。でも、最高じゃなくても、そのエッセンスを加えるだけなら、かなり無理な体勢からでも、打てる!)
全身運動で力を生む、向きを揃える、天地の力を利用する。三点を意識するだけでただの拳にうっすらと発勁が乗る。それだけでも充分過ぎるほど優秀な技術なのだ。今、アルフレッドに足りぬ純然たる力、それを補うのにこれほど便利な技はない。
(技術は道具。僕はこの技を極める必要はない。実戦で利用できる精度まで高めれば、それで充分なんだ。もちろん、極めるに越したことはないけれど)
けん制の拳が重なる。見た目以上の衝撃が伝わってくる。発勁使い同士の戦いは見た目にゆったりしているように見えるが、その実一瞬の隙も許さぬ極限の戦いであった。技の見極めを失敗すれば相手に付け入らせる隙を与えてしまう。そもそも自らの技を放つにもとてつもない集中力を要求されるのだ。
技を学ぶだけなら十年で済む。しかし、それを実戦投入するまでにさらに十年かかると言われていた。実際、この集落に戦士は何人もいるが、発勁を用いて戦える人材はタミーマを含めて二人だけであった。
技の精度こそが全て。
(……やっぱり、発勁から得た感覚は、とても便利だ)
力の向きを意識する。これは何も己だけに限らない。相手の攻撃を利用することも可能。力の発生源が増え、向きを集約するタイミングはさらに難解と成る。それでも、理論上は可能ならば、やってみせるのがこの少年であった。
「いただき……ます!」
タミーマは驚きに眼を見開いた。自らの発勁をまとった拳を、受け止めた勢いでぐるりと一回り、その回転中に体勢を整え、しっかりと震脚、そのまま三百六十度回転して拳を打ち込まれた。自らの技の威力すらまとった発勁の拳を。
「ぐっ、ぬ!」
タミーマも今の一撃を受けるに当たり、何とか発勁で受けたものの、自らの技も加算した一撃を受け切るには足りず地面に叩きつけられた。この二週間、彼女は少年の進化を目の当たりにしてきた。一を掴んで十を学ぶとは言い過ぎかもしれないが、少なくとも彼には自分たちが見えていないものが見えていた。
理屈、理論、彼女たちとて口伝するために多少噛み砕いてはいる。しかし、少年ほど発勁と言う技術を切り開いてみようとはしなかった。解明すると言う欲が彼女たちには欠けていた。感覚で、至ってしまうことは悪いことではない。職人の世界とは言葉で言い表せぬ感覚に頼ることも往々にしてある。
彼女たちはそれを良しとし、少年はそれを良しとしなかった。それだけのこと。
「見事だ。戦士アルフレッド」
「ありがとうございます、タミーマさん」
短い間であったが、タミーマたちが少年を知るには充分な時間が経った。少年に並々ならぬ才覚があるのは全員承知しており、その部分で嫉妬する者はいる。しかし、それらを声高に主張する者はいなかった。それは少年のひたむきさ、真面目さ、その根源である貪欲な性質が誰にも真似の出来ぬものであったから。
少年が当たり前とすることの多くをここの民は出来ない。否、この地に根差す者だけではなく、大半の人間はどこかで甘えが出てしまう。そういう妥協がないのだ。やると決めたら一直線、発勁も体得し、それを実戦で使えるまでに昇華させた。
考えて考えて考え抜いて、暗中模索し、彼の中で体系立てて理屈を得た。日常の狩りでもそう。狩場を学び、獲物の習性を学び、より効率的に狩り方を工夫していく。今、この集落で一番の狩人は誰かと問われたならば、全員がアルフレッドであると言うだろう。
そう言った積み重ねが余所者である少年を自然と皆に認めさせたのだ。
「今日も狩りか?」
「昨日大物を見かけたので、それを狙いに行ってきます」
「お前が来てから宴が多い。とてもありがたいことだ。皆、お前を信頼している」
「……僕の方こそ、そんなこと言われたことないので光栄です」
そう言って、朝の修練を終えるとその足で狩場へ向かっていくアルフレッド。その背を見てタミーマは哀しげに微笑んだ。
「……酷い親だな。あんなに優秀な子を、褒めてやることもしなかったのか」
その溌剌とした笑顔の下に、いったいどれほどの孤独や悲しみが眠っているのか、それを思うと、涙が出そうになる。
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