荒れ地の民:異文化との遭遇
あれからひと月、僕たちはローレンシアの果て、東方世界との断絶点である無間砂漠手前の集落にお世話になっていた。彼らは自らを聖地の守り手と呼び、すでに聖地としての役割が消えた今も彼らは其処に在る。
アーク王が此処に連れてきたのは、ネーデルクス方面に逃げたと追手に勘違いさせ、追手を撒き、ほとぼりを冷ますためと言っていたが、おそらく本音は見せたかったから、その一言に尽きると思う。まだ短い付き合いであるが、大体この人のことがわかってきた。
この人は――
「ガッハッハッハ! 我の勝ちである。これで二十戦十九勝一敗ぞ!」
根っこが子供なのだ。
勝てば喜ぶ、負ければすねる。一度策を尽くして勝利を掴んだ時など――
『まあ我の負けであるが、騎士の風上にも置けぬ勝ち方であったし、そもそも騎士道とは――(中略)――、つまり力こそ大事なのだ。まあ今回は我の負けで手を打っておこう。うむ。仕方なし、であるぞ。感謝せよ』
などと長々と語った結果、何故か勝たせてもらったみたいな構図になっていた時は笑いをこらえるのに必死だった。
あと、とても力強い剣を用いる。技をすべて粉砕する膂力、特に気を入れた必殺の一撃に関しては、カイルさんの剣に近い破壊力を持っていた。まさに王道を往く騎士王の剣、自らに足りないモノをこれでもかと見せつけられているような、そんな気分になる。
明るく、活力に満ち、明朗豪胆な性質は自らと対照的ながら、とても良い人だと好感を覚えた。時折見せる遠い眼の意味を、まだ僕は知らないが。
「アルー、狩りに行こうよぉ」
「稽古ありがとうございましたアーク様。ちょっと子供たちと狩りに行ってきます」
「うむ、我も腹が空いた。トカゲではなく鳥を所望する」
「承知致しました」
集落では幼児を除き、自らの食い扶持は自ら手に入れるのがルールであった。まあそれほど厳格なものではないが、この荒れた土地で生き抜くためには子供であっても甘えさせるべきでなく、自ら生きる方法を学ばせる目的もあると思う。
客人であっても三日以上長居する場合、彼らと同じルールの中生きねばならない。僕の場合は起きたその日の時点で三日を経過していたため、しばらくはアーク様のお世話になっていた。その際に「貸しであるぞ」と言われた通り、動けるようになってから今日に至るまで僕がアーク様の食い扶持を稼いでいる。
「アル、アドゥ・サギールだ!」
「うん。見えてるよ」
身を隠し、気配を消し、相手に警戒する余地すら与えぬ一射、ここに来てまだひと月だけど僕は多くのことを学んだ。岩場での狩りもその一つである。
「同じサギールでも食べられるのと食べられないのがいるんだね」
今撃ち落としたトンビのような外見をしている鳥を彼らはサギールと呼ぶ。アルカディアで見たこともない種類であることから、おそらくこの辺りにしか住んでいないのだろう。
「違うよ。おいしいのとおいしくないのがいるんだよ」
「……なるほど。アドゥはおいしい?」
「おいしいよ! 身体も大きいからいっぱい食べるところがあるし」
「ならよかった。もう少し調達しておこう」
僕が一射で鳥を射ても彼らはもう驚かない。最初は驚かれたけど、慣れてくると現金なもので外すと白い目で見られたりする。
彼らとのコミュニケーションで一番驚いたのは、言語が通じることであった。それについてはアーク様や集落の長がいろいろと教えてくれた。
『そもそも言語と言うのが重要視されたのは大気中のマナが枯渇し、世界から最も重要な意思伝達の方法が出来なくなったから、と言われておる』
『その昔言葉とは、意思を、意味をマナに乗せて、変換し、他者へ伝達するものであった。発声などは変換の術式であり、国単位どころか地域地方、集落、下手をすると隣の家の者とでも異なっていたそうだ』
つまるところ意思伝達は簡易の魔術を通して行われており、むしろ当時は文字の方が体系化されていたらしい。魔術と言っても非常に簡易なもので、マナに満たされた世界であれば物心つく頃には自然と誰もが出来るようになるらしく、言語を学ぶと言う意識すらなかったそうだ。発声にこだわっていたのは当時の魔術師、研究者のみでそれとて共有化のためではなく、いかに効率的に魔術を発生させられるかと言うのが主目的。
必要は発明の母と言うが、当時の人々にとってそれらを統一、共有化することは必要なかったのだろう。今となっては考えられない話であるが。
『この地はどこよりも早く、マナが失われた土地じゃったそうな。ゆえに意思を伝達する手段として言語が発達、体系化した。それに目を付けたのが当時賢王と呼ばれておった魔術式ウラノスの人柱じゃ。此処で学び、そちらで広めた。今、おぬしらが使っておる言語の大元がこの地で生まれたもの。通じて当り前ということじゃな』
ガリアスの支配領域由来の言語体系であり、閉じられた国でも無ければ大体共通化されている言語、その発祥の地に今自分が立っているのは何とも不思議な気分である。
「む、大量だな。これなら分け与える必要はないか」
「はい、子供たちが穴場を知っているので楽をさせてもらっています」
「知っていても子供たちにサギールを射抜くことは出来まい」
「あはは、どうでしょうか。そうだ、タミーマさん。このトカゲと交換で――」
「いつのも、か。良いだろう」
この地での生活は厳しいし貧しい。でも、充実している。身体も心も、厳しいがゆえに全てが生きるために動いているから。そのシンプルさが、たまらなく心地よいのだ。
それに、違う価値観、異なるモノに触れるのは知的好奇心がくすぐられる。
どうやら僕は、そういうモノを吸収するのが好きみたいだ。
「組手形式だ。私は『発勁』を用いて戦う。教えはせん。見て盗め」
「ありがとうございます!」
あとどれくらいこの地にいるのかわからないけれど――必ず吸収してみせる。
○
黄金の森、比喩ではなくそれはまさしく金に輝く葉に埋め尽くされた森であった。今まで見た景色の中で何ものよりも幻想的で、神秘に満ちた光景。されどその森を東へ進むにつれ、徐々に黄金は銀へ、灰色へと姿を変え、地面も豊穣を約束された柔らかでふくよかな土から、生気の感じない痩せた灰色へと変貌していく。
そして境界線、この先に生命は生きられぬ。其処に住まう民でさえ忌避する――
無間砂漠が其処に在った。
現代の無間砂漠を知るがゆえにこの光景は怖気が奔る。自分はあの無間砂漠を何ものよりも恐ろしいと感じた。しかし、これを見る者、つまりはアレクシスの時代においての無間砂漠とは、本当の意味での虚無であった。
絶対の空洞、生命の断絶、色の無い景色。彼ら魔術世界に住む者にとって息すら出来ないのだ。その場では。マナがない。空気と同じ、空気と混じり合い、自然と絡み合い、生命に寄り添うはずのものがない。
『貴方たちは、この場所で生きていけるのですか?』
金色の騎士の問いは震えていた。民は苦笑して――
『我らは……無理でしょう。この境界線に近づくだけで息苦しくなる。しかし、少しずつ、世代を経るにつれて適応の兆候が見られまする』
『適応、とは?』
『この境界線を越えて、マナが完全に喪失した空間においても生きていける者たちが少しずつ生まれ始めております。今生まれる子供たちのほとんどは、そういう子たちです』
『その子たちが先ほど言っていた――』
『ええ、魔術の使えぬ、言葉の通じぬ、我らとは異なる人間でございます』
騎士の顔に絶望の色が浮かぶ。彼らはすでに知っているのだ。どちらがこの世界において異常と成りつつあるのかを。この地は最先端であり世界の中心故、この先西側が辿るであろう未来を突き付けられている。
そんな気がした。
夢を見るのも慣れたもので、特に慌てることも無く起床するアルフレッド。柔らかな金の髪が寝ぐせでぼさぼさになっているが、やはり気にせず大きく伸びをして外に出る。
乾燥していることもあり突き刺さるような日差しが降り注ぐ。
「よーし、今日も一日頑張ろう!」
すでにこの地へ到達して三カ月が経過していた。怪我も癒え、体力は以前よりもついたほどである。しかし、まだあれを体得していない。
東方の武術、発勁。これは技の名前ではなく、あくまで基本動作の一つ。独特の動きから生まれる摩訶不思議な武術を成立させるために不可欠な動作の名称らしいのだが――
(全然、出来ない!)
その動作の第一段階、震脚の時点でアルフレッドは二カ月立ち往生していた。何度力いっぱい大地を踏みしめても、あの異常な破壊力は生まれてこない。発勁の使い手であるタミーマと自分でそれほど力の差はないはず。腕相撲ではアルフレッドが辛勝した。
足腰だって大した差はない。それなのに彼女の踏み込みは岩の足場にひびを入れるのだ。土の足場であればそれなりのくぼみが出来るほど。
(力じゃ、ないのだろうけど)
タミーマの動きに力感はなかった。脱力、ゆったりとした動き、そこから生まれる破壊力なんてたかが知れているはずなのだ。少なくとも、アルカディアの常識ではそうなっている。こんな技をアルフレッドは見たことがない。
取っ掛かりすらなく見て、真似て、辿り着けない時間が続いていた。器用で、何でも苦労なくこなしてきた己からするとありえない試行回数。苦心の二か月間、無為に過ぎ去る時間。アルフレッドは笑う。笑みがこぼれて仕方がない。
(出来ないって、こんなに楽しいんだ)
タミーマは戦士たちからの口伝で体得に十年かかったと言っていた。己の父が、無間砂漠を越えてやってきた老人に教えを乞いながら、練習法も学び、老人が去ってからも修練を続けて十年。当時の村一番の戦士でも五年はかかった技術。ちょっとやそっとでは学べないとタミーマは言う。
それでも、それだからこそアルフレッドの意欲は増す。一見しただけでは真似の得意な自分でも取っ掛かりすら得られない。他の者も同様だと考えれば――これは強い武器になる。価値は計り知れないモノと成るだろう。
そんなこんなで修練を続けるアルフレッドを寝ぼけ眼で見つめるのはアークとタミーマであった。彼にとって日課と成ったそれを眺めるのが二人の日課である。
「ふーむ、なかなか難しいものであるな」
「簡単に体得されては困る。私も十年かかったのだ。十年だぞ。おかげで行き遅れた」
「……そこは別の要因がある気もするが」
「何か!?」
「いいえ、何も言っておらぬですはい」
戦士タミーマの殺気に気圧される元騎士王。ガルニアの騎士たちが見たら泣きそうなほど情けない一幕である。
「ごほん、とはいえ近づいてきている。恐ろしい速度で」
「そうは見えぬが?」
「微妙な差異であるが、二か月前から今日まで、一度として同じ動作での試行をしていない。これは恐ろしいことだ。全ての動作を記憶しているとしか思えない。違う動きは弾き、一歩ずつ、着実に進んでいる。脇道にそれたりしていても、進んではいる」
「果てしない話であるなあ」
「それが武だ。むう、どうせ中途半端になるならと教えはしなかったが、この少年ならあるいは――」
習得する可能性はある。助言もなしでここまで近づけているのだから。センスもあり、真面目で努力を継続することも怠らない。
「迷ってはいたが……教えてやるか。でかいアルナヴかバガラで手を打とう!」
乾燥地帯に生息するウサギに似た生き物(アルナヴ)と牛に似た生き物(バガラ)を戦士タミーマはご所望のようであった。
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