プレリュード
その夜、世界中で予感があった者、なかった者、多くが夜空を見上げ美しい月夜を満喫していた。遮るもののない空、世界はどこまでも繋がって、どこか心の端々で人もまた繋がっている。呑み込まれそうなほど絢爛豪華な星の海、手を伸ばせば今にも届きそうで――これはそんな夜のほんの一幕。
これより始まる大きなうねりの前奏曲である。
男は両手に妖艶な女性を抱きながら、夜の街を闊歩する。男には誰も逆らわない。男が前に立てば人混みは割れ、道が出来る。最高の気分であった。自分は強い、強いから金持ちで、金があるからこのご時世、大概のことはまかり通る。
「ボス、そう言えばあの貴族の御令嬢とはどうなったんですかい?」
周囲を囲うのはガラの悪いチンピラ崩れ。その一人が問う。
「ああ? あー、あれか。弱者の分際で俺様に楯突いたから、今は檻の中だな」
「うへー、元は大貴族でしょ。さっすがボス、ただもんじゃねえや」
「当たり前だろカス」
男の裏拳がおべんちゃらでゴマを擦っていた男の顔面を叩き潰す。悶絶する男を他の連中が足蹴にしながらケラケラと笑う。イカれた集団である。
「俺様が買った女だ。なあ売女ァ」
男はにやつきながら両脇の女の胸に手を入れた。彼女たちは嬉しそうな笑顔で応対する。そうしなければ何をされるかわからない。そういう男なのだ。この怪物は。
「今と成っちゃあタダのアバズレだが、こいつらも元は貴族の生まれだ。こーいうのを飼うのが良いんだよ。金がありゃあ身体が買える。もっとあれば心が買える。さらに積めば誇りが買える。本当に最高の世の中だぜ。俺様向きでなァ」
男は金を持っていた。下手な商人よりも多くの富を――
「じっくり誇りを奪って、全部擦り切れたら玩具はぽい、だ。だからテメエらも頑張れよォ。まだ、残りカスみてえなもんがあるだろ……それを俺様は潰すし、潰れたらさようなら。くく、いいねえ、その顔、その顔、ぶっ潰したくなるぜ」
男は女を頬をねちっこく撫でまわし、もう片方の女には指を口に突っ込んで玩ぶ。
「常勝無敗の剣闘士様の周りは随分賑やかだな」
突如前に立った騎士を見て男の顔が歪む。
「ロラン・ド・ルクレールか。何の用だ? ようやく俺様に殺される気になったか?」
「はっは、ただの見回りだよ。お前さんが法を犯さん限り、俺たちが手を下すことはない。お前は賢いからな、ガリアスを敵には回さんだろ? だから、俺とお前は戦わない」
「ちィ! 興が削げた、帰るぞテメエ、ら――」
男は空に視線をやった。遠く、北の大地。何かが、生まれた音がした。何かが爆ぜる気配がした。何かが立ち上り、まるで自分の目指す頂点に先んじるような、黄金の何かが天を衝く。
「おいおい、こりゃあ、随分とオカルトじみてやがるが……気のせいじゃねえよな」
ロランもまたそれを感じる。ただの予感、気のせいと切り捨てても良いが――
(こいつも、感じているのか。何だよ、やっぱ、見込み有り、だな。あとは素行がなぁ、どうにかならねえかな。そこが正せりゃあ頂点を狙える逸材なんだが)
男はロランを見ていた頃とは比べ物にならないほど怖気のする表情を浮かべていた。
「……俺の上に立つんじゃねえよ。俺が、最強なんだよカス虫がァ」
その眼は殺意を込めて黄金を見る。
少女は美しい夜空を見上げ、薬草を煎じる横で、別の薬草を念入りに混ぜ合わせていた。綺麗な夜空である。真円を描く月、まるで宝石のように輝く色とりどりの星々。夢のような、少女には想像すら遠い異国の王宮にいるみたいな、そんな気分。
そんな気分で薬草を混ぜる。棒でごりごり、ごりごり、延々と――
自分の境遇に不満はない。学ぶこともたくさんある。自分は未熟で、これから一生かけてこの村の医家として皆の健康を守るのだ。其処に不満はない、ないはずなのに、何故こんなにも胸がざわめくのだろうか。
空はどこまでも繋がっている。それなのに何故自分はどこにも行けないのか。
そんなことを、ふと、思う。
峻嶺なる山々、その山道に一人の男が星を眺めていた。と言ってもその男に星は見えない。星どころか景色も、今自分が立っている場所も、何もかもが見えないのだ。それでも全盲の男は涼やかな表情で夜を見つめていた。
「……おや、こんな夜分に」
険しい山道、夜にここを視覚に頼る者が行くは至難。
「獣すら通らぬこの道に如何用ですかな、そこな御仁」
「いやー、ふもとの村でちょいと粗相をね。慌てて逃げたは良いが、山道に入っちゃってまあ大変。降りるも地獄、登るも地獄たぁあんまりじゃねえか」
「……粗相とは?」
「野暮なこと聞きなさんなや、盲目の人」
「失礼を。しかし、私もこの道を繋ぐ村々とはそれなりの所縁がございます。であれば、事と次第によっては――」
「戦うことになる、ってかい?」
「ええ、まあ」
全盲の男は凛と鳴り物のついた槍をその手に取った。対する男は無手。
「強いねぇ」
「貴方も、お強い」
無手の男が軽く構えた瞬間、槍を持つ手が軽くしびれる。盲目の男はふわりとした笑みを浮かべた。相手は強い。強過ぎる。素晴らしい夜だと男は思う。
今宵は良い夜であると予感があった。きっと、彼のことだと男は思う。
「一応、悪いことはしてないんだがねえ」
「それでは此処へ逃げてくる道理がないでしょう?」
「まあ、そうなっちゃいますか」
「そうなりますね」
すらりと立ち上がる男。綺麗な立ち姿だと無手の男は思う。やはり強い。近隣の山で盲目の槍使いに会ったら礼を失するなと聞いていた。礼節をもって接すれば彼は旅人に安全を与えてくれる人物だ、と。
「では、尋常に――」
それでも、互いに武人であるゆえにここは道理など通じない。無手の男にも予感があった。今日、何かが起きる予感が。きっと目の前の彼との出会いだろう。
なら仕方がない。野盗に襲われた村を守り、撃退したことで仕返しを受け山へ逃げ込んだのだが、それは脇に置いておこう。まずは一本、腕試し。
「――勝負ッ!」
互いの踏み足は対照的。綿毛でも舞ったかのような無音の捌きと山鳴りのような轟音の捌き、両者は「「なるほど」」とつぶやいた。そして二人とも((面白い))とも思う。
だが、その拳と槍がぶつかることはなかった。
「「ッ!?」」
瞼を焼くほどの黄金。遥か北東の空に見えるそれは、まさに彼らの予感そのものであった。今宵、何かが起きる。この出会いですら霞むほどの何かが――
「……美しい」
「お師匠様とはまた違う、何と豪奢な炎か。まるで導くみたいじゃないかい、天へと」
「導く者、ですか。会ってみたいものですね」
「良い人間とは限らんがねえ。良い人間であって欲しいとは思うよ、切実に」
戦う気など掻き消えた。予感そのものの炎が夜空を照らす。
いつか出会う。これは確信にも似た何か。それが、両名とも楽しみだと思う。
黒き森の奥では幻想の残り火が興味深そうな笑みを浮かべていた。かの地でまたも王が生まれた。ただ繋ぐだけではない。その程度の器ではない。まだ、彼はきっと覚悟を決めただけ。方向性を定めただけだろう。しかし、自立して歩き始めたことには変わりない。
「さあ、騎士王。君はその器を正しく導けるかな?」
知識の杜、その最奥で残り火は揺れる。
遠く東の地、全てを失った男は生気のない目でそれを見上げた。また、かの地。しかし自分には関係がない。鉄も打たず、仇も討たず、ただ漫然と生きるだけでは――
「戦士たちよ許せ。ただ生きるだけの俺を、許せ」
何かが生まれようが関係ない。失われた時は帰ってこないのだから。
天を見上げにんまりと笑みを浮かべる巨躯の女。その手には槍、日に焼けた肌に浮かぶ鳥肌はきっと吉兆である。退屈な世界に風穴を開ける。自分を楽しませてくれる存在を想い、彼女は満面の笑みで待ち望む。
すでに目前まで迫っている大嵐。地上でなら家屋でも洞窟でも、いくらでも逃げ場はあるが、此処は海洋、真央海のど真ん中である。大慌てのクルーを尻目に船室から寝ぼけ眼の少年が甲板へ上がってきた。
「よー、船長。随分慌ててやがんなあ」
「……で、殿下。これは、その」
船の上では王族とて船長には絶対服従。それが船乗りの掟であるが、この船長は負い目でもあるのか視線を右往左往させ目を合わせようとしない。
「俺、言ったよな? 嵐が来るって。で、あんたはこう言った。嵐は来ない。船の上で素人が口を出すんじゃないって。結果はこうだ。何か申し開きはあるか、船長殿」
ぐうの音も出ない船長。提言をはねのけ、偉そうに説教した手前何も言えないが、船長の立場から海の上で頭を下げるわけにもいかず、硬直するわかりやすい反応。
「そんで嵐が来るから縮帆して、やり過ごそうってわけね。でもさ、あの嵐だと多分、沈没するぜ。ま、それもわかってるから何も言えねえんだろうけど」
少年は嵐を見て、船長を見て、にやりと微笑んだ。
「……船長、一つ提案がある」
「何でしょうか、殿下?」
「俺に舵を寄越せ。この船の全権を俺が握る。そしたらあんたの無礼も、ミスも、全部水に流してやんよ。あんたにも船長としての矜持があるのはわかる。だから昼間は引き下がった。でも、命がかかってんならあんたを海にぶち込んででも俺は生きるぜ」
取引とは名ばかりの脅し。普通なら船員ですらない者に船の生命線である舵を預けたりはしない。そもそもあれだけの嵐であれば縮帆してやり過ごす以外道はないのだ。誰が舵を握ろうと同じ事。運を天に任せるほかない。
「何をなさるおつもりですか?」
「イエスかノーかって聞いてんだよ。イエスなら船室で神に祈ってろ。ノーなら俺様が直々に海に叩き込んでやる。船に頭は二人も要らねえ。わかるよな?」
「い、イエスです殿下」
「オッケー、良い判断だ。あんたの判断で初めて最高の回答だったぜ。じゃあ、全員に伝えろ。この船の船長は誰で、誰の指示に従えばいいかってな。一、二のさんはい」
船長からの言葉が伝えられ、甲板には激震が走った。こんな状況で頭が変わることの意味を彼らは悪い方に解釈する。もう、無理なのだと涙を流す者もいた。旧船長に詰め寄ろうとする船員もいたが、それは少年が全て力づくで薙ぎ倒す。
「俺が船長を任されたんだ。文句のあるやつ、異論のあるやつは今すぐ俺と戦って死ぬか、海に飛び込んで死ぬか選べ。生きたい奴だけ俺の手足となって動け」
少年に掴みかかろうとする者はいない。彼らの国で少年の武力を知らぬ者はいない。偉大なる血統、最強になるべく生まれた若き俊英。ただ、それは地上での話で――
「まあ、わかるよ。俺はお前たちと同じ、海の子じゃない。サンバルトの血は一滴も流れてねえしな。でも、俺は義母上から全てを教わった。あの人を実の母上と同じくらい愛しているし、尊敬している。それじゃあ駄目かい? 俺は仲間に成れないかい?」
高慢を絵に描いたような男が一瞬見せる弱気。それは決してマイナスには働かない。
少年はわかっていて弱さを見せた。あくまで戦略、これもまた義母上から学んだ処世術。
「襲われてないってことは、一応認めてくれたってことで良いか? とりあえず今日一日、この嵐だけで良い。俺を信じてくれ。その後は、結果で認めてくれればいい」
船員は弱々しく頷いた。すべてに納得したわけではないが、王子が本気だと言うことだけは伝わった。それに、少年には不思議な説得力がある。こんな状況でも、力づくで切り開いていくような、そんな雰囲気があった。
「ありがとう諸君。では、縮帆やめ!」
そう、彼からは逃げの雰囲気など一切伝わってこない。
「し、しかし――」
「船の上では船長の指示に従う! 常識でしょー!」
唖然とするクルーを尻目に舵を手に取る少年。その眼は大嵐に、その奥に光る謎の光を見据えていた。真っ直ぐと、その先の好敵手に向けて挑戦的な視線をぶつける。
「さー、野郎ども。人生これ挑戦成り! せっかく生きるなら楽しんで生きようぜ」
(嗚呼、やっぱりこの子はあれの息子だ)
クルー全員が思い浮かべた男の笑みと同種のものが少年にも張り付いていた。
「ふーん、風が変わるな。ま、どんな嵐でも俺は乗り越えるさ。天才なんで」
面舵一杯、少年が舵を切った瞬間、予期せぬ方向から発生した突風がマストを軋ませる。もし、あのまま進行していたら正面から突風を受け、縮帆が間に合わぬままマストが折れていたかもしれない。その一動作だけでクルーは目を見張った。
(ぐ、偶然なのか?)
彼が陸で天才なのは全員承知している。しかし、海での少年を彼らは知らなかった。そして彼らは今宵知る。自らの王が誰であるかを。
遠き西の果てに浮かぶ島。島と呼ぶには大きく、大陸と呼ぶにはあまりにも小さいそこに一人の少女がいた。こんな時間まで剣の稽古を積む勤勉さは誰に似たのやら、愛娘を見るような気持ちで一人の女性がその努力を見つめる。
美しい女性であった。燃えるような深紅の髪は夜闇の中でも艶めいており、そのまなざしは優しさと穏やかさに彩られていた。その身には寸鉄も帯びず、あの日以来剣にも触れていない。それで良いのだ。ここは、そういう場所になったのだから。
「……うわー、何だろう、すっごく綺麗な――」
少女の視線を追うまでもない。彼女もまた感じている。ずっと前から、かの男の後継者はそこにいて、自ら立ち上がる時を待っていた。時が来たのだ。それにしても美しい炎だと彼女は思う。自分が感じ、焦がれた大陸の戦乱、血色の炎とはまるで異なる新たな光。
「あれ、伯母上!? このような時間にどうなされたのですか?」
少女の眼には憧れに溢れていた。きっと、少女はその者が現れた時、共に往くことを選ぶだろう。それを止める権利は己にはない。その気もない。
「目が覚めました。貴女も、無理をし過ぎないように。弟に怒られてしまいます」
「も、申し訳ございません」
「良いんですよ。その調子で精進なさい。分を弁えぬ望みは己を滅ぼしますが、努力しなければ分に見合う望みすら届かぬでしょう。貴女の努力は、いつかきっと報われますよ」
「は、はい! 精進致します伯母上!」
少女は満面の笑みを浮かべて稽古を再開する。才能あふれる剣、されどそれは頂点に手を伸ばすにはあまりに儚く、彼女ですら届かなかった場所に手を伸ばすにはあまりに小さい炎。だから彼女はこう思っている。
あの黄金と共に歩む道を選ぶなら背中を押してやり、敵対する道を選ぶなら斬り捨ててやるのが情けだと。彼女と彼女の弟はこの時が止まったガルニア島の守護者で、その平穏を破壊する破滅に対しては封じた剣を抜くことに一切の躊躇いはない。
でもきっと大丈夫。少女は聡い。愚かな自分とは、違うのだと信じている。
狼はその炎を見て「かっか」と笑う。まだ赤子の頃、あの少年を見たことがある。本当に似ていない親子だと、母親に似てよかったな等と馬鹿にしたものだが――
「本当に似てねえな、トンビが鷹を産みやがった」
自分の息子と比べて、否、その思考に意味はないと狼は切り捨てた。これから嫌でも結果が出てくる。勝者と敗者、勝ち組と負け組。
白か黒か、今の潜在的なものなど何の秤にもならない。時が、出会いが、世界を変えていく。自分がそうであったように――
「さあ、新時代の始まりだぜ」
敗者は野を往く。自らの戦いの場を探して。もう、好敵手は戦ってくれないのだから。
○
アルフレッドは薄ぼんやりとした明かりを感じ、眼を開けた。丁度日が傾いて来たのか、洞窟の入り口から日が差しているようであった。
「む、起きたか。それともいつもの――」
誰かの声が聞こえるより早く、鼻孔をくすぐる香りが超絶の空腹を思い出させて、そちらの方へ向かわんと意識を向けるが――
「ちゃんと起きたみたいであるな。何、生きようとする本能からか無意識で食事を摂ろうとしていたことが何度かあってな、それかと思ったのだ」
男の言葉は耳に入らない。それ以上に動かない身体に驚くアルフレッド。
「ほれ、しかと食べるがよい。この地の名産ぞ」
モノも見ずに噛り付くアルフレッド。口の中いっぱいに溢れる生命力は口では言い表せぬほど美味だと感じた。一心不乱に動きづらい身体を動かし、齧り付くたびに涙が零れそうになる。生きているという実感がお腹に満ち満ちてくるのを感じる。
「空腹は最高のスパイスとはよく言ったものである。トカゲの塩焼きをこれほど美味そうに食べる者は、ローレンシア広しと言えどもそうはおらんであろうな」
トカゲと聞いて一瞬びっくりしたが、(美味しいしお腹空いているし、別にいいじゃん)と心が叫んだので気にせず食べきりお代わりを所望する。
「水も飲むがよい。安心せよ、我も随分と狩りが達者になってな。数はある。存分に喰らうが良い。我も喰う」
ひとしきり食べ終わると今度はじりじりと身を焼く暑さが気になってきた。ここはどこなのだろうと疑問に思う。あと、この人が誰なのだろうとも思う。疑問が山と成り過ぎて、朦朧とした意識も相まって何を問うて良いかわからないのだ。
「ふむ、落ち着きは取り戻せたか?」
男の問いに首を横に振るアルフレッド。それを見て男は笑った。
「で、あろうな。まああれだ。近くに集落がある。二日ほどそこに厄介になっておってな。何となく今日、眼が覚めるのではないかと思い此処に連れてきた」
男の言葉に疑問は深まるばかり。
「旅の始まりは衝撃的でなければならぬ。折角の非日常、最高のスタートを切りたいではないか。ん、我だけか? そーいうこだわりは」
やっぱり言っていることが伝わらない。
「とりあえず、百聞は一見に如かずと言ってな。見れば落ち着くであろうよ」
男はひょいとアルフレッドを持ち抱えて立たせた。震える四肢、驚くほど力が入らない。
「手は貸してやろう。しかして始まりは、やはり自らの足で踏み出すべきである」
男の手を握りしめ、一歩一歩、外に向かう。足取りは重く、自分の身体とは思えない。支えがあっても倒れそうな、不安定な身体。それでも一歩ずつ、確実に進む。足を踏み出せば進むのだと当たり前のことを思い浮かべるアルフレッド。
たったの数歩、それで洞窟の外。
そこに広がる景色は――
「…………」
アルフレッドの想像を超えたものであった。
銀色がかった砂塵舞う砂砂漠。何処までも続くかのような、吸い込まれそうなほど深く、遠くそれは続いていく。言葉では知っていた。絵巻でも見たことがある。でも、見ると聞くでは全然違うのだ。この絶望感は、虚無感は、見ないと分からない。
「無間砂漠。かつてここには黄金の森があった。神族が住まい、様々な世界を繋ぐ大穴を管理しながら、芳醇な色に囲まれて彼らは生を育んでいたそうだ」
言葉にならない。こんな景色がこの世にあって良いのか、そんなことすら思う。
「これが始まりであった。大穴を媒介とした怪物の召喚、虚無が世界に生み出され、それによって世界中のマナの流れ、川のようなものが崩壊し、機能不全を起こし、のちの世で世界から魔術は消えたとされておる。つまりは、此処が始まりなのだ。今の人間にとって」
魔術を持たない人間。今となっては普通の者たち。
「どうであるか? 衝撃的であろう?」
「はい、すごく、凄過ぎて、何も、出てこない」
男は満足そうに頷く。折角連れてきたのだ。こういう反応でなければ連れてきた甲斐がない。そういう意味でアルフレッドの反応は満点であった。
「あ、一つだけ。色々聞きたいことがあるんですけど、まず、聞かなきゃいけないことがありました」
「ふむ、問うてみよ」
アルフレッドは深呼吸を一つして、男の顔を見つめる。
「僕を救ってくれた貴方の名を、教えてください」
問いを聞いて男はやはり満足げに頷き――
「我が名はアーク・オブ・ガルニアス。その昔は騎士王と呼ばれ、今はただの流浪人である。では、我も問おう。そなたの名は何と言う」
きっと、これが始まり。こんな景色の前だと言うのに、何故かわくわくが止まらない。だから言おう。胸を張って、自らの名を――
「僕の名前はアルフレッド・フォン・アルカディアです。少し前はアルカディアの王子で、今はただの、アルフレッドでしかありません」
「うむ、良き名である」
「ありがとうございます。僕も、好きなんです。この名前」
突然の始まり。いきなりの無間砂漠。一番最初から想像を超えてきた。これからどんなことが起こるのか、考えるだけでもわくわくしてしまう。世界は広い。たった一歩でこんなにも世界が広がったのだから。
これより始まる二人の旅。世界中で騒ぎを巻き起こす珍道中。
その幕が今、上がる。
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