プレリュード:冷たい背中

 レスターの不規則な槍をクロードは悠然と叩き落とす。動き少なく動作素早く、徹底された王道の槍。奇襲に付け入るスキを微塵も与えていない。

「ギガァ!」

「よっと」

 石突を持ちながら関節を外して埒外の射程を産む突きも、クロードは難なくかわして逆に戻り際の隙を穿つ。奇襲、奇策と言うのはハマれば王道を喰うほどの威力を持つが、外せば隙と成り一気に使い手を窮地へと立たせてしまう。

 持ち前の異様な身体能力で仕切り直して見せたが、レスター不利は変わらず、クロードも欲をかかずにしっかりと構えて王道を貫く。奇手を好む者にとってはこうされるのが一番嫌なのだ。攪乱しているのに眉一つ動かさず捌き切る。

「……ギィ」

 仕掛ける方が消耗は激しい。特にこの手の仕掛けは、捌き切られると如実に弱い点が出てしまう。攻め手がない。何をしても受け切られてしまう。

「わりーな。ネーデルクスにも少ないながらテメエみたいなゲテモノ使いってのはいてな。特に俺の世代だと強い多彩ゲスいって三拍子そろった蛇野郎がいるんだわ。テメエの槍は不規則だが、そいつほどのインテリジェンスはねえ。身体の異質さに慣れちまえば、あとは引き出しの差だ。つまり、テメエじゃ俺には勝てねえってこった」

 槍のネーデルクスへ単身乗り込み排他的な彼らを認めさせた才能と努力、特に後者こそ彼らは見ていた。貪欲にあらゆる技術を見て、取り入れ、実践し、実戦に生かす。外からやってきた男にネーデルクスの積み重ねが重なり、彼らは其処に夢を見た。

 才能と技術の融合、頂点の奪還。超大国であり、世界最強国家であり、世界最強の武人を輩出するトップオブトップ、全てを得ることは叶わずとも、世界最強くらいは、せめて槍の最強くらいはネーデルクスこそが、その夢が彼によって叶うかもしれない。

 異人だが誰よりも正統派、今となっては誰よりも深くネーデルクスの槍を理解し、行使し、愛している彼をネーデルクスは認めざるを得なかった。

「俺が最強だ」

 相手が槍使いである以上、自分が負けるわけにはいかない。その自負と責務が彼にこの言葉を言わせた。槍相手であれば誰でも相性は最高。負ける気がしない。おそらく評価を二分するであろうガリアスの『疾風』とて今の自分なら負けないし負けるわけにはいかない。それが国を背負うと言うこと。『疾風』もまた同じものを背負っているはず。

「……ぎ、ぐぅ」

 彼の槍は国を守る盾であり剣。彼こそが国家武力の象徴。

 その輝きは一等星の輝き。レスターの眼を焼き、その輝きの果てに忘れ去っていた黄金の時代を、黒金の背中を見せる。嗚呼、それのなんと――

「ぐぎい……ぃぃい……クロォォォドォォォオオオオ!」

 許し難い光景か。

「ッ!?」

 黒き鷹が飛翔した。王道で、真っ直ぐ基本に忠実。だからこそその槍は異質であったのだ。まるで伸び上がるような突きの軌道。美しく、それでいて素早く強靭な槍。

「へなちょこ!」

 いつの間にか追いついていたベアトリクスが叫ぶ。

「やるじゃねーか、黒鷹ォ!」

 鮮血が舞う。顔面を射抜く軌道であったが、ギリギリで回避し頬を深く削るだけで済んだ。もし、狙いが腹であったなら多少覚悟する必要があったかもしれない。

 レスター・フォン・ファルケ。黒鷹と謳われた彼の槍もまた、いずれは国を背負うと目されていた。生まれた時代と状況が悪かっただけでポテンシャルは頂点を目指すだけのものを持っていたのだ。ただ、それは亡霊と化したことで失われていたと思われていたが。

「ハッ、上等だコラ。尚更負けられねえぞオイ!」

 一瞬だが見惚れてしまうほどその槍は美しく完成されていた。槍のネーデルクスにもない希少種。かのテオやリュテスと同じく天性の、オリジナルがそこにあった。かつての暗黒期、ネーデルクスはその天性を前に幾度も敗れ去った苦い過去を持つ。

 今の自分が二の轍を踏むわけにはいかないのだ。

「勝つぞ!」

 どんと構えるクロード。力、スピードは相手に譲るが、技の多彩さで充分補える範囲の差。今こそ自分の積み重ねを見せる時とばかりに気合十分。

 だが――

「ぁ、ぁぁ、ぐぎ、ギガァァァアアアアアギィィィィイイ!」

 クロードに火をつけた張本人であるレスターは頭を抱えて発狂し始める。ぽかんとするクロード。頭を掻きむしり、涎を撒き散らしながら、まるで自らを罰するかのように狂奔するレスターへ近づく者はいない。

「ゆ、油断はしねえぞ」

 明らかに戦闘とは関係ない動きであるが、相手は狂人、何が出てくるかわからない。それこそ先ほどの正統派な槍と邪道極まる槍、二つを使い分けられるだけでクロードとて対処に困る強力な攻撃のバリエーションと成るし、油断など出来ようはずもない。

 ゆえにその後の動きに対応出来なくても、ある意味で仕方がなかっただろう。来るか来るかと待ち構えていたところに――

「ギィ」

 突如、無動作から跳ね上がったレスター。その行く先は――

「あ、逃げた」

 門。そのまま獣が如し速力で闇夜に消えていく。「へ?」と呆然とするクロードら武人たちをよそに、戦いに興味のないマリアンネは冷静であった。

「はい、おーわり。生きてる人は手当てしてあげるからこっちおいで。その間にそこの元気そうなおっちゃんたちはお医者さんを呼んでくる! はい急いで!」

 マリアンネの号令の下、一気に終戦と化した門前でクロードは槍を構えながら――

「やっべえ、逃がしちまった。怒られる」

 相手の方が足も速く夜目も利く。馬がない以上、追っても無駄なので呆然とするしかないのだが、何とも締まらない決着であったのは疑いようもない。

「ふふん、へなちょこが」

 何故か嬉しそうなベアトリクスの頭をマリアンネが叩く。

「人が死んでるの!」

「ごめんなさい」

 一緒に手当を手伝う軍団長の姿を見て、部下たちは困惑の色を浮かべていた。


     ○


 それからしばらくして馬に乗ったラファエルが到着し、レスターを取り逃がしたクロードに対する説教が延々と行われていた。その後、馬に乗った部下たちにレスターを追うよう命令したことに対しクロードが噛みつき、さらにその場は混迷を極めた。

「アルカディアに対し牙を剥いた凶悪犯をみすみす見逃せと言うのか!」

「逃がせなんて言ってねえだろ! ただリスクがたけえって話だ! 月明りだけで追うのも至難だが、下手に外で交戦してしまうのが一番やべえ。隊列組んで戦うなら別だが、索敵しながらだと基本単騎になるだろ? 朝までに何人行方不明になるかわかんねえぞ!」

「彼らは我が部隊の側近だ。精鋭をそろえてある!」

「そういうレベルの相手じゃねえって!」

「貴様と互角だったのだろう!? ならば問題はない!」

「……こんにゃろ……まあその暴言は捨て置いてやらぁ。あのな、真面目に話すぞ。互角だったのは此処が正門前で、明かりがあって、真っ当な一騎打ちだったからだ。実際、ユリシーズの旦那は混戦ゆえに苦戦していた。明かりのある場所でこれだぞ? ない場所で、あいつだけ見えている状況で、まともな戦いになると思うか? 俺でもごめんだぜ、そんなもん」

「卑屈な。それでもアルカディアの大将か!」

「あーはいはい卑屈で結構。とにかくここは王宮じゃねえ。現場で、俺とお前は同じ階級だ。叱責は受けるし、逃がした責は当然負う。だが、追跡はさせねえ。それが俺の、大将としての判断だ」

 睨み合う両雄。部下たちは緊迫感のあまり脂汗をだらだらと流していた。マリアンネとベアトリクスはいつものことと手当てに専念する。

「お飾りの大将が」

「お飾りでも大将だ。つーかお前、いつの間にか文官みてーになったな」

 火花が散る。いつ互いに武器を向けてもおかしくない状況。

 いい加減にしろと言い放とうと顔を上げるマリアンネ。その体勢でマリアンネは硬直する。隣で手伝うベアトリクスはマリアンネの様子を見てその視線を辿り、やはり呆然と硬直してしまう。

 その視線の先には――

「余は大将の席に飾りを座らせているつもりはない」

 此処に居るはずのない人物がいた。

 最初は「あン?」「何を言って――」と声の先に視線を向けたクロード。ラファエル両名も硬直する。彼らが見たことでこの場にいる全員が其処に視線を向けることと成った。

「私生活で仲良くせよとは言わぬが、公私混同は貴様らの立場でして良いことか? クロード大将、ラファエル大将」

 そこにいたのは彼らの主、この国の王。

「へ、陛下!」

 ウィリアム・フォン・アルカディア。この場にいる全員がひざを折り頭を垂れる。クロード、ラファエルも石畳に額を打ち付ける勢いで頭を下げた。ベアトリクスはしぶしぶと、マリアンネのみは軽く下げながら手当てに勤しむ。

「今一度己が立場を顧みよ」

「「ハッ!」」

 その言葉にマリアンネは不貞腐れながらウィリアムを見た。

「不敬かと思われますがその言葉、ご自身にもかかってくるのではありませんか?」

 手当てを受けている者がびくりとするほど棘のある言葉。周囲はあまりに発言に肝を冷やす。何故こんな場所にいるのかわからないが、それでも彼はこの国の頂点で、彼の気分次第で人の生き死になどどうとでも出来る立場なのだ。

「ふ、余が、己が国の何処をうろつこうと余の自由ではないか。誰が余を咎めると言う? 余はこの国の王で、世界の頂点であるぞ」

 頬を膨らませるマリアンネを見て、ウィリアムは「くっく」と笑みを浮かべた。

「冗談だマリアンネ。そう俺を虐めないでくれ。お前たちも顔を上げよ。ここは王宮ではなく、こんな場所でくらい王ではなく……っとこれでは二人を叱れんな」

 ウィリアムの冗談に全員の緊張が多少緩和される。

「血、ついてらっしゃいますね」

「返り血だ。俺もこの場は通ったし、門の外でも我が庭に立ち入った無法者どもを軽く捻ってやったのでな。いやはや、なかなか面白い夜であったぞ」

「人が死んでいます」

「そうだな。面白い夜と言うのは訂正しよう。ところでクロード、此処にレスターがいたはずだが、どこへ消えた?」

 びくりとするクロード。汗をだらだらと垂らしながらぐっと気合を入れて顔を上げる。

「わたくしめが交戦中に取り逃がしました。今は門の外に。処罰は何なりと」

 それについて抗弁しようとマリアンネとベアトリクスが同時に立ち上がり、互いの顔を見て一瞬押し黙る。その光景を見てラファエルの顔も曇ったのだが――

「ほう、あれとやり合ったか。ユリシーズではなく、お前が」

「はい。一騎打ちの代わりを務めながら勝ち切れなかった未熟者でございます」

「く、くく、あっはっはっはっはっは! そうか、あれとやり合って、生き延びたどころか追い返して見せたか。くっく、強くなったなクロード」

 ウィリアムはクロードの頭を無造作に撫でてやる。あまりの状況に完全に硬直するクロード。その内見る見ると顔が紅潮していき、それを隠そうとさらに頭を下げた。

「追わなかった判断も良い。あれと夜闇で戦って勝てるのはヴォルフくらいのものだ。人を超えた獣、ですらない何か。放っておけ、所詮は亡霊、そうある限り大局に影響はない」

「しかし陛下、レスターは我らが王国に無断侵入し、兵士たちを幾人も惨殺致しました。これを放っておくのはあまりにも無責任かと思われます」

「リスクとメリットの話だ。何も追わんとは言っていない。夜が明けたらしっかりと準備した捜索隊を出す。まあ、見つからんだろうがな」

「それではあまりにも――」

「相性が悪いとはいえ俺よりも強い怪物だぞ、あれは。むしろ追い返したクロードを褒めよ。とうとうこの男も俺に追いついた。いや、追い越されているかもしれんか。あのガリアスで拾った野ねずみが、今やアルカディア最強の武人とは……さすがの俺でも読めん」

 最高の誉め言葉。向けられた相手がクロードであるという事実がラファエルの胸を焦がす。それは本来己に向けられるもので、彼のような中途半端な存在に向けられて良いものではない。せめて王の寵愛くらいは、勝たなければならないのだ。

「私が直接率います。それで――」

「勝てるか?」

 ウィリアムはラファエルを見つめる。咎める視線ではない。ただ、問うているのだ。レスターに、クロードに、ひいては己に、自分とその手勢で、勝てるのかと問うている。ラファエルが勝てると言えば止めない。視線はそう言っていた。

 ラファエルは口を開こうとする。勝てる、と。それだけで対面は保たれる。レスターの首を上げれば自分もより多く褒めてもらえるだろう。だが、言葉が出てこない。

「それが答えだ。競い合うのは良いことだが、何事も適材適所。お前はクロードに成れんし、クロードはお前に成れない。お前たちは十分にやっている。焦るな」

 ウィリアムは気を張るラファエルの頭をぽんと撫でてやる。自分がこう言ったところで二人の関係が変わることはなく、この先ずっとぎくしゃくするのだろうが、軋轢も時として何かを産むこともある。そういう関係であって欲しいとウィリアムは願う。

「ん、医者が来たか。クロード、お前は此処に残り正門の守備につけ。ラファエルにはこの一件、俺が王宮を抜け出したことも含め上手く揉み消してもらうぞ。郊外の、野盗の死体も上手く処理してもらえると助かる」

「「御意」」

 ぞろぞろと兵士たちが医者を連れてくるのを見て、ウィリアムはまとめにかかった。皆が各々やるべきことに従事し、事態は収束に向かっていく。

 ウィリアムはゆっくりと歩み始め――

「陛下、護衛は」

「この先に用意している。無用だ」

「承知致しました」

 ラファエルの申し出を断り一人往く。後ろにちょこちょことついてくるマリアンネ。

「何の用だ、マリアンネ」

 小さな声で、マリアンネは問う。

「アルフレッドが屋敷におりません。何か、ご存知ですか?」

 色々手を回した結果、外に放逐したのは理解している。もしかすると殺したのかもしれない。ユリシーズを護衛につけて外に出したのであればまだ愛はあるが――とにかくその問いをぶつけてどう反応するのかが見たかった。

「……知らんな」

 冷たく切り捨てる。言葉に氷が張り付いている。マリアンネは怖くなった。

「……生きていると、思いますか?」

 あの優しかった人が――

「知らんと言っているだろう」

 本当に冷たくなってしまったのではないかと思い――

 そのまま歩き去っていく後姿はただただ冷たくて、触れるにはあまりにも遠くて――

「……まあ、あれでも俺の息子だ。簡単にくたばるようには出来ていない」

 でも、たまにこういう一面が見えるから、迷ってしまう。惑いが生まれる。

 やっぱり本当は、あたたかい、優しい人なのではないかと。

「……にいちゃん」

 その背はやはり冷たくて、一瞬だけ見せたあたたかみなど微塵も見えない。それでもそれは間違いなく其処に在った。あの時、マリアンネの前に現れた背中と同じ、忘れられないから、つらい。信じたくて、泣き出しそうになる。

 王は一人、あの人には、本当に、冷たい背中が似合わない。

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