プレリュード:颯爽登場

 疾風と化した一騎を発見したのは展開を指示したこの部隊の長であった。馬に隠れる少年の雰囲気の変化、黄金の炎が立ち上り御柱と成った瞬間には眉をひそめたものの、現実に変化はない。どれほどのオーラを持っていても一人の人間、死ぬときは死ぬ。

 彼らの主であった怪物もまた死んだのだから。

 しかし、そう割り切るまでの時間は目を奪われてしまったのも事実。他の者も同様だっただろう。武人であれば、ひとかどの者ほどあれは無視できない。

 隊長の男は気づいた。少しばかり気づくのが遅れてしまったが――

「右翼、後ろだ!」

 それでも命令は間に合った。駆け下りてくる疾風が如し一騎よりも早く言葉は届き、騎士たちもまた迎え撃つ用意は出来ていていた。弓を納め、槍を構えて――

「ぬるいわァ!」

 だが、その男は尋常ではなかった。

 一閃、大きな剣を振り回し、二騎を馬ごとバターをねじ切るが如く斬り捨てる。その手腕と膂力、何よりも加速を一つも落とさず二騎の間をすり抜けた馬術。何もかもが普通を超えている。

「手を出せい小僧! 活路である!」

「え、あ、はい!」

 男は馬を疾走させる。馬の躯の横を通り過ぎる一瞬、手を伸ばした。加速を落としてはやらない。生きたいのならこの一筋の活路、掴み取ってみせよとその眼は語る。

 アルフレッドはその腕に飛びついた。朦朧とする意識、思っていた以上に体は動かない。立ち上がった瞬間、地面を見ると馬の血と混じった己の血が水たまりと成っていた。とっくに限界を超えていた。それでも、掴む。

 生きるために。まだ自分はやりたいことすら見つけていないのだから。

「よき眼である! 小僧、弓は射れるか?」

 片腕の力だけでアルフレッドを馬の背に引き上げた男は問う。

「……得意です!」

「なれば背は任せるぞ。ほれ、来よったわ!」

 オストベルグ重装騎兵たちがこのまま黙って逃がしてくれるわけがない。獲物をかっさらわれて怒りに燃える騎士たちが怒涛の勢いで追いかけてきた。二人乗りとはいえ種族の差から最高速はこちらが優位。しかし、物事はそううまく運ばないものである。

「先ほどから全力で走らせ過ぎたわ。おそらく、一旦足を落とさねば息が尽きる。勘づかれぬ程度に足を落とす。弓の届く範囲までは追いつかれよう」

 対して全速力の敵騎。追いつかれるのは必然。

「けん制でも何でも構わぬ。休めている間に、何とか弓を射らせぬよう――」

 アルフレッドはアークの弓を構える。敵騎の先頭はすでに射程に入っている。だが、アルフレッドは弓を射ない。

「馬でも対象でも構わぬ! 当てよ!」

 敵騎の群れは一斉に弓を構えた。

「何をしておる!? まさか気を失って――」

 矢が放たれる。朦朧とする意識の中、アルフレッドは笑う。男の声が聞こえる。焦っている声、何故焦るのかアルフレッドには理解が出来ない。だって、こんな矢なんて――

(撃ち落とせばいいだけじゃないか)

 アルフレッドは矢を放つ。即座に三発、撃った余韻すら残さぬ最速の弓。

 それらはこちらに当たるはずだった三つの矢と衝突した。空中で爆ぜる矢。前の男が驚愕しているのがわかる。撃った連中が信じられない顔をしているのも見える。

(何で驚いているんだろう? だって僕は――)

 朦朧と、薄れ行く意識の中、アルフレッドが思い出すのはやはりあの日々。傍らで父が弓を射る姿を見てきた。自慢の父だった。格好良い背中が大好きだった。構えた瞬間の静寂が好きで、撃った後の余韻が格好良くて、そんな風景を思い出して――

(僕は、白騎士の息子なんだぞ)

 アルフレッドは崩れ落ちる。とうとう、限界が来てしまったのだ。疲労と失血、今まで意識があったのが奇跡。男は背後の少年が意識を失ったことに気づき支えてやった。

「足は多少休めたが……一騎、足の速いのがおるな。担いでいるのは……石弓か?」

 矢とは異なりつぶてを撃ち出すそれは盾も鎧も無力化する、歩兵の装備としては最強クラスの破壊力を誇る兵器である。オストベルグにとっては悪夢であっただろう重装騎兵を打ち砕いた破壊そのもの。それが今、逆に彼らが持つのだから皮肉が効いている。

「防ぎようはないが……まったく、これでも天命に揺らぎなしとは」

 男は、男にしか見えぬモノを見て呆れ果てる。恐ろしいほどの輝き、宵闇ですら消すことの出来ぬ黄金の炎。それが言っているのだ。ここは己が死に場所ではない、と。

「なればまっすぐ進むまでよ!」

 石弓を構える騎士。撃たれたならばアルフレッドの身体ごと己も死ぬだろう。だが、男は知っていた。今、自分が死なぬことを。そして後ろの少年もまた死なぬと。

「我らオストベルグの執念を、なめるなよッ!」

 今にも放たれんとする石弓。しかし――

「……えっ?」

 張り詰めていた弦、片方に矢が突き立っていた。いつの間に、そう思う間もなくつぶてはあらぬ方向へ飛び出し、原因を探ろうと首を動かした瞬間、兜の上から眉間に矢が突き立った。崩れ落ちる騎士。

「何者だ貴様!?」

 月光を背に一人の男が佇んでいた。月下に煌く白髪、怜悧な瞳が全てを睥睨する。

「愚問だな。貴様らが知らぬはずがないだろう亡霊ども」

 これほど月夜が似合う男はいない。

「貴様らの主を討ち、祖国を喰らい、余は世界の頂点に立った。余を知らぬとは言わせぬぞ。なあ、敗北者たちよ」

 騎士たちは皆嬉しそうに顔を歪める。ようやく出会えた。夢のような邂逅。

「ウィリアム・リウィウス!」

 こんな奇跡は二度とない。だってあの男がこんな場所に出てくることなどありえないから。頂点が手に届く場所にある。仕事も、やるべきことも彼らは一瞬で忘却した。

「総員、命を燃やせ。我らの眼前に、討つべき者がいる。何人死のうと構わぬ。必ず討ち果たすぞ。祖国の、陛下の、ストラクレス様の仇を討つ!」

「応ッ!」

 歓喜に燃えるオストベルグ重装騎兵たち。それを見てウィリアムは微笑んだ。けなげではないか。すでに滅んだ国、死んだ者に尽くす愚者たちは。

 とっくの昔にオストベルグの民は受け入れている。残った者たちも受け入れた上で新しい道を探している。そんな前向きな人々がいる中で、彼らの何と滑稽なことか。

「褒美だ。終わりをくれてやる」

 ウィリアムは弓を構えた。美しい立ち姿、とても極まっている。

「怯むなァ!」

 彼らは死を恐れぬだろう。それもそのはず、彼らは生きていないのだから。

 ゆえにその矢に躊躇いはない。殺すことに何の罪も感じない。これは亡者にとって救済でしかないのだから――

「ぐがぁ」「ぎぁ!?」「ぐぉ!」

 先ほどアルフレッドが見せた弓のオリジナル。速さも、正確さも、ローレンシアでも随一のものを持っている。特に正確性だけならば並み居る一流を押しのけてトップに君臨するだろう。彼は天才なのだ。己が道に唯一あった天性。

 だからあまり好きではない。

「くそ、なんて弓だ。だが、近づいているぞ!」

 続々と崩れ落ちる騎士たち。一人も残らぬかもしれない。これぞ白騎士、巨星を討ち取りその座に座っただけはある。騎士たちを率いる男は笑った。心の中で「さすが」と言った賛辞の心を押し込める。

 複雑な胸中。ストラクレスを討った男が、この程度で死んでもらっては困る。そんな思いもある。愚かな二律背反。彼らとて今更何をしてもオストベルグが戻らぬことも、あの日々に帰れぬことも知っていた。

 それでも、これしかないのだ。彼らには、この生き方しかない。

「あと一人」

 驚くほどに正確、精密。あっさりとオストベルグが誇った猛者たちを蹴散らしていく。

「俺は――」

 最後の一人にも矢が突き立った。だが――

「オストベルグ重装騎兵、ストラクレス様が鍛えたローレンシア最強の――」

 止まらない。白騎士の喉元に、その剣を刻み付ける。自分たちが、生きた証を。

「一歩、遅かったな名も知れぬ騎士よ」

 ウィリアムは騎士に背を向ける。驚くよりも先に騎士は理解してしまった。

(嗚呼、俺では――)

 馬から飛び降りて乾坤一擲の剣を打ち込む構え。それと同じタイミングで飛び込んできた男の姿を見て理解が確信に変わった。

「オストベルグの明日に、栄光を――」

 願いのようにつぶやいた言葉。言い終わる前に飛び込んできた騎士に男は両断された。

「お見事、さすがは天獅子。足も速いな」

「ぶは、ど、どうなった!?」

「もうとっくに終わっている。あの男が、連れて行ったよ」

「……そうか。ふ、まったく世の中は面白い。貴様の脚本を超えて、少年は己が道を往く、か。楽しみだ。彼がどう成長するのか、実に興味深い」

 ユリシーズは地平の彼方を見る。何かが動き出した。あの炎を、ユリシーズも見たのだ。予感がする。世界が変わる、予感が。

「俺も旅立とう。うかうかしていると、後ろから追いつかれそうなのでな」

 そのまま歩き出すユリシーズ。彼の道行きの先、彼らと重なることもあるかもしれない。

「さらばだ獅子よ」

「ああ、何となくだが、貴様と会うのはこれが最後のような気がする」

「だから、さらばと言っているのさ」

「……そうか。では、な」

 ユリシーズもまた去っていく。ふと、彼は目の端にアルカス郊外の森を映した。契約と対価として知った悲恋の物語。彼にとって初めて異性を意識した人、剣は誇りに満ち溢れ、斬閃軽やかに美しく、綺麗な人であった。それを、思い出す。

 初めての喪失を、騎士としての未熟を知ったあの日を思い出す。

(すみませんナナシさん。僕は、貴女の仇が取れませんでした)

 ユリシーズは首を振って視線を前に向けた。あれは過去でしかない。今、白の王の首を取るは容易いが、それをする意味がないのだ。彼がこれから成すことで、多くが救われるのであれば、死に意味を持たせる点でも静観すべき。彼には人柱と成ってもらう。

 無論、いつか己もそういう分岐点に立つ時が来るかもしれない。その時は――

 ユリシーズは笑顔で一歩を踏み出した。

「今日は良い日だ。新たな時代の足音が聞こえたから」

 新たな時代に向かって――

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