プレリュード:茶番崩壊

 近くの水場で服や体を念入りに洗い、それでも臭いが落ち切らない気がして顔をしかめるアルフレッド。不安しかない現状だが、存外彼は焦っていなかった。まずは此処で一晩を過ごす。この時間に街道を歩けば無駄に目立ち、追手がかかった場合徒歩では手の打ちようがない。それよりもこの森で一晩を明かし、翌日から行動を開始する方が利口と言うもの。

「……少し肌寒いなあ」

 火を起こせば見つかる可能性は上がる。ここまで来たらいくらなんでも、と思うが父の本気度が読めない以上、これ以上リスクを上げることは出来ない。

「よし、動いて身体を温めて、ついでに服も乾かしちゃおう。汗、かかない程度で!」

 一石二鳥とばかりに剣の鍛錬を開始しようとするが、抜き放った剣を見てずんと気持ちが落ち込む。其処には折れた剣があり、まるで今の自分を見ているようであったから。

「……足さばきだけやろっと」

 今日知ったのは自分の地力の無さ。今まで器用に立ち回り、何だかんだとうまくやってきたつもりであったが、それは誤魔化しでしかなかった。

 本物を前に劣化した偽物が鼻息を荒くしたところで勝ち目などない。

(もっと速く、もっと鋭く)

 偽物が本物に勝つにはクオリティを上げる必要がある。最もシンプルな答えを今日父から教えてもらった。鍛え抜かれた身体能力、それが下敷きにあってこその強さ。自分にはそれがない。自分の何と中途半端なことか。

(もっと、もっと――)

 ミラの本領を見て、父の強さを肌で感じて、居ても立っても居られない。

 もっと強くなりたい。誰も守れないのは、もう嫌なのだ。

 いきなり鍛錬しても、効果が出るのは遥か先だろう。継続的に、気長に考えねば鍛錬など意味がない。わかっていても身体が動く。心が動けと叫ぶ。

(強くなるんだ、僕はッ!)

 気づけば汗が噴き出て、夜闇に白い靄が浮かぶほど彼は動いていた。一心不乱に、足さばきを続ける。土台がいる。強さを乗せる土台が。稽古をさぼったことはないけれど、稽古の質に関しては少し改める必要がある。

 自分の未熟を知った。弱さを知った。ならばどうする。

 そんなの――

「シッ!」

 決まっている。やるべきことをやるだけ、だ。


     ○


 ウィリアムは道化の格好でアルカスの街を歩いていた。この時間になれば人影もまばら。自分の頭のおかしい恰好も目立つが、これだけ夜も更ければ酩酊した者も多い。自分もまたその中の一部とでも思われているのだろう。まさか王と思う者はいないはず。

(白龍、はいないか。そろそろ合流しても良い頃合いだが……まあいいだろう。やつは役者ではなく黒子、仕事の大半は終わっている。ここからは――)

 ウィリアムの視界に入るのは旅装束をまとった騎士。若く、その若さに見合わぬ練達の雰囲気は、あまりこの茶番に合っている気はしないが――

「やあ騎士殿、良い夜だな」

「やり過ぎだ道化。俺が守らねば、最初の針使いで死んでいたぞ」

「ありがとうユーリ君。素晴らしい演技だ。百点」

「……一回死ね」

 ユリシーズ・オブ・レオンヴァーン、それでも彼以上の適役はいない。今ローレンシアで頂点に近い強さを持ち、その源泉が高い技術とくれば『あの子』には最適だろう。

「今はアルカスの外か?」

「無事なら、そうなる。下水路は俺が通った時よりも劣化が進んでいるからな、無事かどうかは知らんよ」

「……そうか」

 そう言いつつも突破したことを露とも疑っていないウィリアムを見て、この男が息子に抱く評価の高さを窺わせた。そもそも初手から異常に厳しい手練れを打ち込まれ、自分のちょっとしたアシストはあれど、ほとんど本人の機転で突破した形。

 彼は普通じゃない。王の器を測る眼をユリシーズは持たないが、優れた戦士の素養なら見抜くことが出来る。彼は一級品、間違いなく超一流の素材である。まだまだ伸びしろを感じさせる身体能力。偏りはあれどすでに技術は一流。センスもある。

「あの子は、貴様に似ていないな」

「ああ、俺には出来過ぎた、子だ」

 仮面の隙間から見える哀しげな笑みに、ユリシーズは少し驚いた気分であった。零度の心を持つ男でも、こういった表情が出来るのか、と思ったのだ。

「……ユリシーズ」

「……ああ」

 そんな表情も一瞬のこと。

「血の匂いがする」

「この距離、正門か?」

 もう茶番は終わった。すでに脚本の大半は過ぎ去ったはず。

「……どういうことだ?」

 仕掛け人であるはずの男が疑問符を浮かべる。その異常事態に脚本家と役者は双方雰囲気を引き締めた。まだ、夜は終わっていないのか――


     ○


 エルネスタは茶番の終わりに息を吐く。少しはあの人の役に立てただろうか。決して届かぬと分かっていても、あの人の愛した『彼女』に近づきたい。そのためであれば喜んで泥を被ろう。あの人の役に立とう。

 だからこそ、妹に幻滅されてなおこの役回りを求めたのだ。

「安堵しておるか愚者」

 外を眺めるクラウディアは視線一つ寄越さずに声をかけてきた。これはある意味珍しい状況なのだ。彼女はエルネスタに対してほとんど言葉を投げかけない。歯牙にもかけていないから――それなのに言葉をかけてくる意味は、何か。

「やはり愚かよの、貴様は。それであの男の視線が引けたつもりか?」

「……何の話でしょうか?」

「賢しく卑怯者、望むままに動き、利用価値の高い女としてある。まこと、反吐が出る」

「私の在り方など貴女様には何の――」

「妾は違う」

「……何を?」

「妾は、違うと言っておる」

 その表情はエルネスタの立ち位置からは窺い知れない。

「妾はあの男を振り向かせる方法を知っておるぞ。貴様には出来ん、誰にも出来ん、妾にしか出来ぬ、役回り。さあ、踊れ。ここからは妾が演出しようぞ」

 しかし雰囲気から、何かおぞましい気配を感じる。

「茶番よ終われ。さあ、これでぬしは、嫌でも妾を見るであろう?」

 恍惚の魔女。欲望剥き出しの怪物が其処にいた。


     ○


「……何故あれが此処にいる?」

 アルカスの玄関口、正門には凄惨な光景が広がっていた。およそ人が為したとは思えぬほど、原形を留めぬ躯、躯、躯――

 その中心で槍を支えに天を仰ぐは異形の怪物。機能不全の片目の代わりにせわしなく動く一方の眼。口元からは涎が零れ、怪物は拭おうともせず地に滴る。アシンメトリーの身体は見る者に言い知れぬ怖気を与える。

「亡国の騎士、主亡き世にまだ漂うか。『黒鷹』、レスター・フォン・ファルケ」

 怪物の名はレスター・フォン・ファルケ。優れた騎士であり忠義の青年であった。武の素養に満ち、武を解し、騎士道の真ん中を往くはずだった男。

 白騎士が亡国であるオストベルグを喰らわねば、彼はきっと戦史に名を遺したはず。正しき騎士として、オストベルグの誉れ高き英傑として。

 全てが狂ったのは――

 せわしなく動いていた目がただ一点を捉えた。

「ギィ、ガァ」

 全てが裏返り、誰よりも正しい男は誰よりも間違え、誰よりも真っ直ぐだった男は何者よりも歪んでしまった。もはや怒りも何もない。守るべき物は全て無く、生きる目的も喪失した。だから怪物は漂うだけ。

「……ギ」

 不規則に槍を旋回し始めるレスター。美しい槍捌きはすでに失われている。残っているのは不気味な、それでいて淀みのない槍模様。まるで不器用な者が無理やり槍を回しているような滑稽な光景が広がり――

「下がれ白騎士!」

 ただの一歩、ただの一突きで距離を詰めてきた。予備動作のない急な加速にも驚いたが、より脅威であったのはその突き。持ち手を滑らし石突を持つ、だけならばまだ理解の範疇。怪物はその上を行く。

「関節を外したか。痛みは、愚問だな。ふん、大した技だ」

 突きを受けたユリシーズの後ろで、ウィリアムは相手の技を褒め称えていた。ただの一突きで分かる。彼もまた喪失を重ね、痛みを超え、虚と成ったことで限界を超えたのだ。その性質は歪み切っているが、それゆえに彼の限界点も歪み、皮肉にも伸びた。

 今の彼は、自分たちと同じ領域にいる。否、狂気によって一歩先へ――

「俺がこの場を請け負う。ユリシーズ、貴様は己が役割を果たしてもらうぞ」

 ウィリアムは零度の笑みで剣を引き抜いた。

「断る。むしろ貴殿が行け。白騎士ならまだしも、今の貴殿では勝てんッ!」

 ゆうらりと動き出したと思えば、俊敏の極みたる動きも見せる。緩急自在、上下左右隙だらけのはずなのに、歪みと人の範疇を超えた動きがそれをカバーしてしまう。そもそも今の骨格自体、普通の人間とは違うのだ。

「わかっているだろう。知識で戦う剣でこの怪物は倒せない。もはや人の範疇ではないからだ。身体も、技も、精神すら、貴殿の眼をもって読み取れまい。相性が悪過ぎる」

 そう言っているユリシーズでさえ、二剣堅守の構えを持ってようやく捌けると言ったところ。ユリシーズとてウィリアムと言う男をなめているわけではない。むしろこの上なく評価しているし、油断ならぬ戦士と警戒もしている。

 それでもユリシーズはウィリアムでは勝てないと判断した。

「くっ、国を滅ぼした張本人を前にして妄執の欠片すら見せんか」

 無動作での跳躍。からの身体中をねじ切るほどに捻り、その反動で力いっぱい槍を叩き込む技は、ユリシーズでさえ受け切れぬと形の悪い回避を余儀なくされた。追撃の構えを見せるレスター。その動きにユリシーズはカウンターを――

「……カウンターを感じて、動きを止めた、か」

 妄執すら捨てた虚無の怪物。ただ戦い、生き、そして戦う。死ぬまでその繰り返し。

「偶然でこの怪物が、この夜に、このタイミングで現れるか?」

 ユリシーズとてこの馬鹿げた状況が作られたものであることは理解していた。ならば誰が作ったか、それは後ろの男が理解しているだろう。

「……やってくれたな、魔女め」

 全てが掌であった。エルネスタの演出も打ち合わせこそしていないが、茶番を盛り上げるエッセンスとして有効な働きをしていた。誤りなく、彼は障害を潜り抜け、父を恨みながらただ一人、この揺り籠から羽ばたいたことだろう。街道に人通りが見え始めたらそれに混じり彼は旅立つ。その道行きには偶然ユリシーズと言う先導がいて、二人の背を見送るために此処に来た。それでこの茶番は幕引きだったのだ。

 ウィリアムは自身の城、王宮を睨みつける。其処にいるであろう茶番を引っ繰り返した女を、久方ぶりに自分の思惑を超えてきた魔女を睨む。

「貴殿が、貴様が行け! もう、脚本がどうこう言っている場合ではないだろう! レスターを此処に呼び出せる手合いなら、あの子を仕留めるに十分な駒は用意しているはず」

 こうなれば誰でも理解が及ぶ。

「……アルフレッド」

 ユリシーズとレスターが激戦を繰り広げる中、ウィリアムは剣を納め走り出した。どういう理屈かそれを阻もうとレスターが動くも、それはユリシーズが完璧に抑えつける。

「邪魔はさせん。俺はあの男の茶番に乗ると、決めたのだ!」

 裂ぱくの気合で押し返すユリシーズを背に、ウィリアムは一人、血濡れの正門を潜った。

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