プレリュード:道化の王

「重い」

「……担いでくれなんて頼んでないよ」

 ミラは疲れたのかアルフレッドを放り投げた。くるりと着地するアルフレッドも器用なものだが、そもそもそのくらいは出来ると踏んで投げた方も良く相手を理解していた。

「ほんとに追われてんのね」

「わかるんだ」

「足音にしろ気配にしろ薄過ぎて逆に目立つって。夜は、別にあんたらの独壇場じゃないんだから、ねッ!」

 突如、予備動作無しで動き出したミラ。そのまま路地裏に消え、衝突音が数回、そこから足音がそこかしこで聞こえ、さらに幾度かの衝突音が響く。

「……相変わらず――」

 アルフレッドがため息をつきながら天を仰ぐ。そこから数秒後降り注ぐであろう影を見んがために。舞い降りるは華麗なる獣。しなやかな四肢は重力を感じさせない。

「――でたらめな身体能力だね」

「天才だから当然」

 何をどうやったのか路地に入って対面の屋根伝いから降りてきた。どこかで一度道を横切るように跳躍でもしたのか、とにかく素早く自由なのがミラなのだ。彼女は何物にも縛られない。誰よりも自由な女性であった。

「まあまあの腕ね。これ、結構やばい案件?」

「だから巻き込みたくなかったんだよ」

「もう手遅れだけどね」

「まったくもう」

 そのミラが多少なりとも警戒する以上、やはり追手は優秀なのだ。今の掃除でさえ彼らは痕跡と捉えるだろう。じわじわと彼らはアルフレッドを追い詰めつつある。

「ま、父さんなら何とかしてくれるって」

「カイルさんだって一応人間だよ。あまり頼っちゃ――」

「頼って良いの。そのために化けもんみたいに強いんだから」

 ミラは己が父に対して全幅の信頼を寄せている。そう成るのも無理はない。彼はアルフレッドの知る中で最も強い。純粋に、強い。力と速さが人間のそれを超えている。加えて長時間の稽古中も一度として息を切らせたことはない。

 無尽蔵の体力と圧倒的武力。単独戦闘で彼に勝てる人物をアルフレッドは想像すら出来ない。英雄である父でさえ、その卓越した技術でさえ、届かないと思うのは想像力の欠如であろうか。

「さっさと帰ろ。そうしたら何とかなる」

 二人は歩く。夜の街を。

「……そうだね」

 人の気配はない。欠片もない。此処には二人っきり。隣の息遣いだけが耳朶を打つ。二人の視線が重なった。ほんの一瞬、そこに込められた意図は、きっと二人とも同じもの。

「ねえ、気づいてる?」

「うん」

 二人の顔に浮かぶは――

「レベルが一つ二つ、違う」

 警戒心。

「何の痕跡もない。でも、いるのはわかる」

「わからされてんのよ。これ……誘導されてるじゃん」

「どこかで振り切らないと。でも、振り切れる気がしない」

 周囲のどこかに敵がいる。だが、先ほどまでの暗殺者たちとは違い、今度の相手は完全に気配を消していた。それでいていることだけはわかる。そういう区別が出来るレベル。暗殺者としては最高クラスであろう。

 彼らが空けている道を進むしかない。まさに誘導である。

 その道の先にはいったい何が待つのであろうか――


     ○


 カイルは難しい顔で鉄を叩いていた。剣や槍を作るのは手慣れたものだが、今宵作成しているのは鍋である。絶妙な丸みを作るのが難しく、独立して久しいがある意味武器を作るよりも集中していた。

「何の用だ?」

 集中するカイルの背にはいつの間にか人が立っていた。

「俺に背中をさらすとは……随分衰えたな剣闘王」

「仕事中だ。部外者に構っているほど暇じゃない」

 カイルは視線の一つすら背後に向けようとしない。これには背後の男も苦笑いを浮かべる。

「俺では敵にならんか」

「俺に敵はいない。お前が俺の大事な領域を犯さぬ限り、な」

 その背は雄弁に語る。犯せば殺す、と。笑ってしまうほど傲慢で、呆れるほどに強い。実戦から離れてなお剣闘王はその実力をしっかりと保持していた。それは戦うためではなく守るため。守り抜いてみせると言う断固たる意志がそうさせるのであろう。

 彼は今もってアルカディア最強。狼の王と比肩する怪物である。

「そうか……気を付けるとしよう。俺は、な」

「……含みのある言い方だな」

「陛下からの招待状だ。今宵の、茶番。その道化として貴殿に参加を乞う」

 カイルは鉄を打つ手を止めた。初めて視線を後ろの男に向ける。其処には昔、一度だけ出会った暗殺者のリーダー格、白龍の姿があった。

「あいつが、俺に、か?」

「ああ」

 カイルは鉄に向けていた意識を総動員して思考を巡らせた。今の自分に白の王が声をかける。普通の状況ではない。そもそも彼はいつだって無意識に巻き込むことを避けてきた。王に成る決意をする前でさえ必要のない場面で訪ねてきたことはない。

 そのウィリアムが何の用で自分に声をかけるのか――

「どんな茶番だ?」

「王の選定」

 その一言でカイルの考えはまとまった。ウィリアムが、白の王が、考えそうなことから逆算すれば難しくない。答えは決して遠くないところにあった。ただ、信じたくなかっただけで。

「……貴様の代わりはいないのか?」

「気づいていたか。そうだ、殿下に護衛はついていない。俺も、部下も手を引いた」

 カイルは招待状を開け、中身を読む。そこに書かれていたのは会場と成る場所。思い出深いあの場所で、わざわざ自分の息子を追い詰めると言うのだ。

「息子すら、例外にならんのか」

「王に例外なし。陛下の口癖だ」

「ったく、弱いくせに自制心だけは常軌を逸している」

 口癖ということは、常に口に出さねば揺らいでしまうと言う証左。あの男が強くないことなど親友であった己にとって百も承知の事実。

 それでも、王は曲げないだろう。そういう生き方なのだ。

「火の番を頼めるか? どうせ暇だろう?」

「……俺に頼むことか、それ」

「任せた」

 有無を言わせず押し付け家を出るカイル。

 その後ろ姿を尻目に白龍は無言で火を眺め――

「……ふん」

 とりあえず椅子に座り火を見守る。


     ○


 いつの間にか周囲からわからされていた気配の残滓すら消えていた。道は一筋、脇道はない。正面に立つは道化の男のみ。腰に剣を提げ、ゆらゆらと幽鬼が如く佇んでいる。

「……無理でも無茶でも……逃げるべきだったわね」

「…………」

 時が凍る。足が地面に縫い付けられたかのように微動だにしない。おぞましきは道化の内に潜む何か。他を寄せ付けぬ、凍れる何かが恐ろしい。

「アル?」

「……ぁ…ぁあ」

 震える少年はその凍れる何かに何を見る。怖れ、惑い、縮こまる彼の表情に普段の面影はない。そんな姿を見て、ミラは笑った。

「なーによ辛気臭い顔して」

 本当はミラだって恐ろしい。剣を交えるまでもない力の差。父親以外から感じたことのない隔絶した強さを感じる。今の自分じゃ敵わない。心が叫んでいる。

「駄目だミラ。あれは、あの人は、駄目なんだ」

「でも、あれを倒さなきゃ先に進めないでしょ」

「逃げよう。逃げるべきだ」

「逃げたらあいつの子分が来る。さっきまでの連中と戦った後でやるか、今やるか、その違いしかないでしょ? どうせ逃げられないんだから、正面突破するだけじゃん」

 結局は逃げられない。そんなことアルフレッドが一番よく理解している。それでも弱音が零れるほどに彼は眼前の怪物を恐れていた。身からこぼれる雰囲気で分かる。

 目の前の道化の正体は――

「せめて君だけは」

「あんたを置いてけって? それこそ冗談。置いてって死なれたら目覚めが悪くなるでしょ。それに――」

 ミラはアルフレッドの方を振り返ってはにかむ。

「それに?」

 問うアルフレッドの間抜け面を見て(嗚呼、やっぱり)とミラは思う。初めて会った時からこいつはヘタレだから守らなきゃいけないと思っていた。自分と張り合ってくるヘタレ。生意気にも、何度でも立ち向かってくるヘタレ。だから良いのだ。

 こんなヘタレがいるから、自分は笑って剣を持ち、毎日楽しく遊べるのだから。

「私は天才なのよ、っとッ!」

 よくわからない道化にはもちろんのこと。王様だろうが王妃様だろうが、貴族、市民、奴隷、その他、誰にもこんな玩具を渡してなるものか。天才の自分に負けても、何度でも、楽しそうに、張り合ってくるただ一人の存在を――

 助走無し。それでこの加速は道化の思考にもなかったのだろう。明らかに対応が一手遅れた。ぎゅんとのびやかに加速し、瞬く間に距離を詰めていく。

(……これは)

 しなやかに、力強く。親の良いところを受け継いでいる。

 ねじれ、体の柔軟性を利用した剣技。そこから生まれる破壊力は男の力の比肩する。その使い手が、もし女だてらに、例えば『白熊』シュルヴィアのような剛力すら兼ね備えていたならば――その破壊力は想像もつかないだろう。

 重苦しい金属音が響く。それも一度や二度ではない。連続して打ち込む剣全てが柔剛合わせた強力な剣と成り道化に迫るのだ。

 やわらかく、強烈に、高回転。受け手にとってこれほど嫌な手合いはいない。剣を巻き込み、捻転からの解放が剣に力を与える。

「あんた強いね! でも、私もまだアガるッ!」

 ぎゅんとのびやかに、しなるように、可憐に、華麗に、美しき毛並みの黒猫を彷彿とさせる。ただしその牙と爪は獅子と比する化け猫の類。

(才能は親譲り、か。しかも両方)

 仮面は嗤う。その下もまた微笑む。その笑みが対象に伝わることはないが、それでも亡き友の面影がこれほどくっきり出ている。笑みがこぼれてしまうのも仕方がないだろう。そのための仮面でもある。

(もう少し戯れていたいが……愚息が控えているのでな)

 道化は仮面の下の笑みを消す。カイルの教育の成果か、眼前の原石はまだまだ未完成。磨けば世界が放っておかない。だから出来る限り抑えている。その考えはわかる。親としては同意できる。だが――

(その結果、彼女は力を求めることになってしまう、な)

 ミラは間違いなく強い。今もなお、加速度的に強くなっていく。抑えられていたタガが外れ、本来の才能に沿った強さが出始めている。速さ、力、戦闘センス、どれをとってもあの黒狼に近い頂点を目指せるもの。女であることを認めつつ、其処にしかない強みを引き出して天を目指す。その資格は十分ある。

 才能だけならば――

「……ハァ」

 ミラは思いっきり剣を打ち込んだはずであった。先ほどまで十全にあった手応え。この一振りに関しては何の手応えもない。まるで底なし沼のように吸い込まれていく。力も、速さも、何もかもが、打ち込むたびに呑まれていく。

「駄目だミラッ! その剣に打ち込んじゃ――」

 アルフレッドの叫びは届かない。

 ミラという光が、道化の剣に吸い込まれていき、残ったのは、闇、ただ一人の頂点を脅かす、足元を照らす光にすらなれなかった。反転する世界、底へ伸びる塔、その頂きにある男には欠片すら届かない。

「アルフレッド、貴様の弱さがこの娘を殺したぞ」

 あまりにも届かな過ぎて、あまりにも遠過ぎて、ミラは呆然と立ち尽くしていた。何も通じない。自分の全力が、相手に一切響いていない。その徒労感を前に、絶望を前に、ミラは剣を止めてしまった。

「やめてください。その子は、関係ない」

 懇願するアルフレッド。しかして無情にも道化は居合いの構えを取る。

「やめて、やめろ」

 今にも泣きだしそうなアルフレッドを見てミラは悔しそうに微笑んだ。

「ごめんアル。私、弱いね」

「やめ――」

 超速の居合いが少女の身体を通り過ぎた。暗がりで良く見えないが、それでも少女がくの字に曲がり、すり抜けざまに緋色の液体が撒き散らされたのを見た。それで十分、充分過ぎるほど理解した。

 倒れ伏す少女を見て――

「ぁ、ぁぁ、ああ、アアア」

 父に怯え、何も出来なかった自分が許せなくて――

「亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜ッ!」

 大事な人を奪われたことが許せなくて、少年は咆哮した。生まれて初めて明確な殺意が芽生えた。敬愛してやまない父であっても、否、敬愛してやまない父だからこそ、この暴挙は許せない。理由は何であっても良い。

 どんな理由でも奪われた事実に変わりはないのだから。

「ころ、殺してやるぞ、父上ェ!」

 激昂するアルフレッドはその剣を父に向けた。初めての殺意と共に。

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