プレリュード:討ち入り

「クロード閣下。こんな夜分に何の御用でしょうか?」

「陛下に用がある。急を要するんで押し通らせてもらうぞ」

「いや、しかし如何に閣下でもそれは――」

「ならどうする? 槍を持った俺をテメエが止めるか?」

「……報告はさせて頂きます」

「ラファエルにか? 好きにしろよ」

 クロードは王宮を堂々と中央突破していく。所詮自分はネーデルクスとアルカディアを繋ぐ架け橋としての機能しか期待されていないが、それでも彼は間違いなくアルカディア軍に三席しかない大将の一角を担う人材。

「クロード様。これ以上先へは」

「火急の用向きだって言ってんだろうが」

「規則が――」

「しゃらくせえよ」

 加えてその武力は年を経るごとに練熟し、今まさに最高潮と成っていた。槍を持てばアルカディア最強。かの白騎士や剣聖がいるアルカディアでさえそう噂されるほど、今のクロードは強い。何しろ槍のネーデルクスで第一位の槍使いなのだから。

 地位と武力、それは多少の無茶を通すには充分過ぎるほどの大きさであった。

 ここまでは――

「クロード。こんな夜更けに何の用だ?」

「けっ、ラファエルか。火急の用向きだ。陛下に直接話す」

「私が聞こう」

「何で同じ地位の奴を通して話をせにゃならねえ」

「それが規則だからだ」

 同格の者。否、実質この王宮では格上の存在。同じアルカディアの大将を分ける男にして王の補佐、宰相として大臣らの上に立つのが彼、ラファエル・フォン・アルカディアなのだ。さすがのクロードでもこの壁を穏便には突破できない。

「退け。ラファエル」

「穏やかじゃないね、ベアトリクス。君らしくないよ」

「私はいつだって私だ。そう見えるならお前は私を理解していないだけ」

「…………」

 ラファエルの顔が少し歪んだ。それはある意味で、たぶん唯一の弱点だから。だからこそこれ以上つついてはいけない。

「アルフレッドが襲われているの。街中に暗殺者が潜んでいるみたい」

 割って入るマリアンネ。その言葉を聞いてラファエルは「なるほど」と頷いた。

「すぐに兵を割こう。捜索し、保護し、王宮に来て頂けば済む話」

「馬鹿かテメエ。その暗殺者を放ってるのが誰か、わかって王宮に連れて来ようってか?」

「確証はない。それとも、貴様は確証があるのか? 今宵、暗殺者を放ち、この国の第一王子の命を狙う輩の正体を」

「んなもんクラウ――」

 咄嗟にマリアンネがクロードの口を塞いだ。そしてキッとラファエルを睨みつける。

「今、言わせようとしたでしょ。クロードを追い込むために」

「……何のことやら」

「クロード。確証がない以上、その名は出しちゃダメ。いくら貴方の地位でも、彼女たちにとっては虫けらと同じだよ。わかって」

 マリアンネの眼にいつもの悪ふざけはない。必死に、ただただ必死に、物事を上手い方向に運ぼうとしているのだろう。普段、ちゃらんぽらんしているが、彼女は基本的に頭が切れるのだ。それこそ、目の前の男よりも――

「君は賢いな、マリアンネ。だからこそわかるだろ? この件はどうすることもできない。陛下が手を引いた以上、守護する者がいない以上、あとは彼次第であり、今宵の首魁次第なのだ。それが、政争と言うモノだ」

 マリアンネはぐっと歯を食いしばった。彼は全てを理解している。理解した上で、王の狙い通り動こうと言うのだ。王がそう選択した以上、規則の範囲以上で彼が動くことはない。彼が動かぬということは、この国の大半の勢力が動かぬということ。

「抜くぞ」

「しゃあねえな」

 小声で二人は取り返しのつかない無茶をしでかす構えを取った。ここまでは笑い話ですむ。しかし、この先は笑い話では済まない。どう転んでも血の雨が降る。

「馬鹿な真似はよすんだ、ベアトリクス。君は、そこの馬鹿とは違うだろう? 私たちはアルカディアの貴族で、武人だ。優先すべきは国家だ」

「私は私の生きたいように生きる。もう、失うのは沢山だ」

「君が何をしても、御父上や兄君、カール殿は帰ってこないぞ」

 ベアトリクスの眼が大きく見開かれた。瞬間――

「ラファエルッ!」

 咎めるようなタイミングでクロードが咆哮した。それは踏み込むな、そう叫んでいるような、叱責にも似た咆哮。ラファエルも己が失言に気づき、少し揺らいだ後、やはり真っ直ぐと二人を睨みつける。叶わぬ想いよりも――優先すべきことはある。

「来いよクロード。その槍を僕に向けた瞬間、貴様の命は潰える!」

「権力を笠に着ねえと、脅し文句すら言えねえのかテメエは」

「これが力だクロード。お前のは、原始的過ぎるんだよ」

 今にも飛び掛かりそうなクロード。それに応じるようにラファエルも腰の剣に手を添える。一触即発。遠巻きに見ている者たちは息を飲んでその光景を見つめていた。

「駄目、クロード。やめて!」

「俺ァ、あいつの兄貴分なんだ。家族は、守るもんだ」

「それが勘違いなんだよ。お前風情が恐れ多くも殿下の兄、すなわち陛下の息子の気分でいる。それほど滑稽な話があるか? 奴隷階級が、アルカディアの空気を吸って生まれ変わったつもりか? そういうところが癪に障るんだよ、貴様は」

「……ッ」

 クロードもまたベアトリクスと同様に揺らぐ。怒りと同様に湧き上がってくる感覚は葛藤。生まれるのはラファエルの発言が的を射ているから。本当は彼の兄でありたい。彼の父である男を、自分もまた父として慕いたい。その願いは叶わぬことを知りながら、強くなれば、役に立てば、いつかは――そう思う自分もいる。其処を突かれた。

 愚かな、男の隙を――

「貴様は二つの逆鱗に触れたぞ、ラファエル」

「君たちは世界最強国家であるアルカディアの逆鱗に触れようとしている。それに比べたらなんてことはないさ」

「わりーなベア。もう揺らがねえよ。とっくに覚悟はできてる。逆鱗、ぶち抜いてやろうじゃねえか。とりあえずテメエはぶっ飛ばす。比喩じゃなくて、ぶっ飛ばしてあそこの植木に叩き込んでやる。最高に恥ずかしい姿をさらしとけ陰険野郎」

「衛兵! こいつらを囲め。この男を大将と思うな。敵兵と――」

「ラファエル様!」

「何だ!?」

「随分、騒がしいわねえ。妾の眠りを妨げるとは、不届きな輩もいたものよのお」

「ク、クラウディア様!? 申し訳ございません。このような騒ぎにしてしまい――」

「……そこな娘。馬鹿そうな面をした、そう、そこの栗色の髪の貴様よ」

 クラウディアは目を細めて指をさす。その先にはマリアンネの姿があった。

「は、はい。クラウディア王妃殿下。何でございましょうか?」

「ベルンバッハか?」

「はい、マリアンネ・フォン・ベルンバッハにございます」

「……そこの粗忽者はお飾りの大将、もう一人は……オスヴァルトの……くく、なんぞ面白い組み合わせではないか。ぬしら、陛下に会いに来たのであろう?」

「その通りにございます」

 返答を聞いてクラウディアはラファエルの方に一瞥を送った。

「通せ」

 そしてただ一言を放つ。

「な、そのようなわけには――」

「妾が通せと言っておる」

「……っ」

 クラウディアの顔に浮かぶのはおもちゃを見つけた童女のような、その上で悪意に満ち満ちた、矛盾し歪んだ笑み。

「今宵は退屈で仕方がなかった。妾のあずかり知らぬところで誰かが遊んでおる。それは実に許せぬ。それが妾の玩具ともなれば、その怒りは天井知らずよ」

 マリアンネのみ、この発言の意図を察知した。否、やはり、と得心がいった。それを横目とするクラウディアは面白そうなものを見つけた、そういう類の笑みを浮かべた。

「のおマリアンネとやら、ぬしは賢い。ゆえに妾はぬしを好ましく思うぞ」

「あ、ありがとうございます」

「滑稽で、な」

「え?」

「あの女とぬしは似ているが、本質はそこの愚者と変わらぬ。賢く、打算的、手に入らぬことを知りながら、ごっこ遊びに興じる、道化よ」

「……王妃殿下は、何を知っておられるのですか?」

 クラウディアは嗤う。マリアンネを見て、そして王の寝室の扉が開き、そこにあるべき人物がいないと騒ぎ始める人々を見て、そして――

「全てよ」

 様子を見に来たとばかりに現れたテレーザと――もう一人のベルンバッハであるエルネスタを見て、嗤う。

 寝室から、王の、ウィリアムの姿が消えていた。


     ○


「かなり本気の布陣だな」

「殺す気、なのだろう。殺すも生かすも理由はある。どちらに転んでも、あの御方に損はない」

「あれらしい話だ。勝つ戦いしかしない」

「白騎士と何が違う?」

「違うさ。俺は勝つべき時に勝つ。敗色濃厚でも、勝つべき時は戦うさ」

 安っぽいかつらを被った道化。その仮面には常に滑稽な笑みが張り付いており、見る者に笑いを与えると同時に、一抹の不安、恐怖も与えてしまう。

 その笑顔の下に、道化は何を想うのか。それがわからないから――

「そして勝つ」

「貴様にしか言えんセリフだな」

 道化は、道化とは思えぬほど堂々とした歩みを見せていた。

「あれが本気を出せば追うのは難しい」

「追手は黒星、一流だぞ」

「それでも本気なら、逃げ切るさ」

「ならどうする?」

「俺が直接介入するのは気が引けるが……是非も無し。もう少し追い込むとしよう」

「哀れな子だ」

「俺の想定を超えてくるのが悪い。今日とてそうだ。あれだけ精神状態を乱せば、パロミデス相手に歯が立たず、無様な姿をさらすと思っていた。そうなるように仕向けたし、彼の剣を見てそれなりにやることも把握していた。だが結果は――」

「紙一重。ただの一手で勝敗を覆しかけた」

「握力を潰したのはパロミデスの剣あればこそ、だが。それでも、想定通りではなかった」

「貴様の手にすら余るか」

「まだ、そこまでじゃないさ」

「まだ、か」

 道化の王は明かり揺らめくアルカスの街並みを睥睨する。

「さあ、極限の先でお前は何を見せてくれる? 我が最愛の息子よ」

 道化は、今確かに笑った。

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