プレリュード:遭遇

「何で二度も目撃しといてガキ一人捕捉できない?」

 黒星は苛立ちの眼で部下である暗殺者たちをねめつける。

「一瞬、視界から外れたらそのまま消えて――」

「人間は消えねえよ。見逃した路地は此処か。あの木から見下ろしてたなら……ここと出てすぐの飲み屋通り、壁によれば其処も死角だな」

「そこはすぐに別の視点が補完した。抜けはない」

「数秒は抜けが出るだろうが」

「数秒で何が――」

「今それを考えてるんだよ。人間は消えない。この路地に入って、出るまで数秒、せいぜいが十秒程度。何が出来る、何が……あのガキの服装は、どんなだった?」

「軽装だ。家から出た時と同じものを着ていた」

「家から出た時と同じ……あの服装なら上着を加えても不自然じゃない。あれだけ頭の回るガキが、これだけ時間があって服装を変えていないのも妙な話。上着に帽子、死角には人の群れ……紛れりゃ、意識の外なら、なるほどな」

 黒星はにやりと笑みを浮かべた。

「ほんと、あの男の息子だな。追い詰めりゃ追い詰めるほど味が出てきやがる。見つかることも想定内。あえて見せつけ、此処まで視線を誘導し、死角で用意していた上着と帽子を着てすっと人の流れに乗れば、服装と髪の色が焼き付いている俺たちの眼は誤魔化せるってわけか。やるねえ、こんだけ活きのいい獲物は久しぶりだ」

 すべて段取り通り。踊らされたのはプロである自分たち。

「勝負は人が少なくなってから、だな。分け前は減るが、『眼』は増やしとけ。宿は片っ端、夜の間ずっとやってる店なんて限られている。必ず仕留めるぞ」

「承知」

 散開する黒衣の群れ。これだけアドリブで演れる人間、雇い主がどんな思惑があるのか知らないが、確かにポテンシャルは高い。本気を出せば火種じゃ済まないだろう。『彼女』の立場なら脅威に感じるのもわかる。

(おっと、悪い癖だな。無駄なことは考えるな。雇い主の意向なんて、何の意味もねえよ)

 黒星もまた闇に紛れる。もう少し成長した彼とサシでやりたい。そういう想いに蓋をしながら――


     ○


 アルフレッドはアルカスの街を堂々と歩きながら、時間の経過と共に少しずつ減っていく人波に危機感を抱き始めた。わかっていたことだが、少しずつ自分は不利になっていく。この瞬間も何所に眼があるかわからない。目立たぬ歩みでも、至近で出会えばすぐにばれてしまう。そろそろ逃げ場を探さねば、先ほどからずっとそればかりを考えている。

(宿なんて死にに行くのと同じ。夜中やっている店もまずい。さて、どうするか)

 路地裏で浮浪者のように寝るのも考えたが、たぶん彼らはそういう目利きに優れている。本物と偽物、夜闇だからこそ浮かんでくるものもあるだろう。外はまずい。内側も数が限られてくる。いよいよもって逃げ場は――

(まあ、一つだけ選択肢はあるけど)

 アルフレッドは考えて考えて、やっぱり選択肢が一つしかないことに至る。出来ればこの方法は取りたくないが、それでも逃げ切るつもりなら徹底的に、彼らを騙す必要がある。自分がやりそうもないこと、そうでなければ彼らの目を欺けはしない。

(ごめん。イーリス。別に謝ることはないけれど、何となく)

 アルフレッドの目の前には歓楽街の入り口が。ここは飲み屋街よりも少しだけ奥まったところにあった。さらに奥へ行けば女人咲き乱れる快楽の巣が待ち構えている。性風俗、アルフレッドが至った取りたくない選択肢。自然と一夜を過ごす方法。

 王子であり高貴かつあまりそういう事柄に関心を示さず生きてきた。だからここは彼らの、父や義母の思惑の外になる。当然、自分(パーソナルデータ)を知るであろう暗殺者の頭にも入っていないはず。

「さて、往こう!」

 ちょっぴりドキドキしながらアルフレッドは第一歩を踏み出した。


     ○


 クロードはずんずんと王宮に向かって歩いていた。はらわたが煮えくり返る思い。信じていたのだ。彼にも親心があると。だから、いつも何かを近くに潜ませていた。護衛をつけていたのだと。それは王子がどうこうではなく、一人の父として、守っているのだと。

 だが、この『タイミング』で護衛が外れ、暗殺者が動き出した。

「そら見たことか、あの男に貴様が求める情などない。いい加減気づけ、へなちょこが」

 王宮の門前には王宮警備の責任者であるベアトリクスが立っていた。かすかに香る血の匂い。おそらく彼女はどこかで、街中至る所に潜む害意の一人を斬ったのだろう。クロードも気づくと思い此処で待っていた、そんなところか。

「何でマリアンネもいる?」

「いちゃ悪い?」

「わりーよ。荒事になる。場合によったら、斬った張っただ」

「そこまでやるの?」

「場合によったらな」

「ウィリアム・フォン・アルカディアも、斬る?」

 マリアンネがあえて「にいちゃん」ではなく名前を呼んだ、その冷たさにクロードは内心苦笑する。彼女の方がよっぽど自分より覚悟が出来ている。

 だから自分も顔色一つ変えず、揺らがず応えよう。

「場合によったらな」

「なら往くぞへなちょこども。討ち入りだ」

 ベアトリクスは剣を抜く気満々であった。オスヴァルトであること、アルカディア王国軍団長の地位であること、それらはすでに思慮の外。亡きカール・フォン・テイラーにどこか雰囲気の似ている少年、直接血の繋がりのあるイーリス同様、遠くから守ろうと剣を磨いてきた。何も出来なかった幼き自分はもういない。

 抜くべき時は間違えない。もう二度と失ってたまるものか。

 門が開く。死出の道か、それとも――


     ○


 アルフレッドは緊張の面持ちで今まで立ち入ったことすらない通りを歩いていた。むせかえるような香水の香り。甘く妖艶な、どこか浮世離れした空間に居心地の悪さを感じる。

「お兄さん、こっちこっち」

 胸元のぱっくり開いた服装の女性が手招く。戸口に立つのは美人ばかり。ここはまるで食虫華の花園。怪しげな魅力に惹かれたが最後、飲み込まれ這い出ることすらかなわぬ虚空を感じ、アルフレッドは気分が悪くなっていた。

「あら、若い子ね。かわいい」

 しかし、どこかに腰を落ち着ける必要がある。そうこうしている内に状況は悪化していくのだ。如何に歓楽街とはいえ、少しずつ皆も落ち着ける場所を見出してきたのか人の密度が減っている。

「こっちよ」

「優しくしてあげるから」

「気持ちいいわよ」

 吐き気を催すほどの芳香の中、建物がしっかりしている、一夜を明かすにはうってつけの場所。もうここで良い。此処で手を打とう。一夜を明かすだけの方法であり、決して何かやましいことがあるわけではない。

 だから――

「……アル?」

 知人に見られても平気なのだ。ただ捕まると厄介なのでさっさと行方をくらまそう。

「待ちなさいよ」

 逃げる構えを取った瞬間、一瞬で肩を掴まれがっしりとホールドされる。相手が悪過ぎた。素早く強い、自分の知る中で、同世代ではトップの戦力を有する女性――

「何であんたがこんなとこにいるのよ」

 ミラが何故か歓楽街の奥地、色香の都にいた。

「それはこっちのセリフだよ。僕は忙しいからこれで」

 逃げようとするも力の差があり、身動きすら取れない。

「何か勘違いしているみたいだけど、私はここで働いている友達の様子を見に来ただけ。少し体調を崩したみたいで食べ物を少し持ってきたの。ってなんで私が言い訳みたいなことしないといけないのよ。頭叩くわよ」

「僕も大変なんだよ。人に追われていて隠れる場所を――」

 アルフレッドは発言の途中で自分の失言に気づいた。普段なら絶対にしないミス。たまたま好ましくない場所で、親しい知人に会い緩んでしまったのだろうか。どちらにしろらしくない失態である。

「……追われてる?」

「……嘘だよ。僕だって男なんだからこういうところにも興味があったんだ」

「それこそウソね。あんたが発情するのはイーリスの前だけ。みんな知ってるもん」

「……えっ?」

 ミラの発言に虚を突かれた瞬間、「よいしょ」とアルフレッドは担がれてしまう。これで主導権は完全にミラが握ってしまった。目立ちたくないのに悪目立ちし過ぎている。アルフレッドの中で唯一の選択肢が潰えた瞬間であった。

「とりあえずウチで話を聞くから」

「待って、僕は巻き込む気なんて――」

「残念。私より強くなってから抵抗なさい」

「そ、そんなあ」

 ミラはアルフレッドの抵抗を一蹴し、そのまま歓楽街から離れていく。

「あんたは良い生まれなんだから、あんなとこ行っちゃダメ。女だって売りたくて売ってるわけでもないし、いろんな事情があるんだから。わかった?」

「……はい、すいませんでした」

「素直でよろしい」

 いつも通りの力関係にいつも通りの会話。自分の置かれた状況に良くないと思いつつ、どこかほっとしている自分がいることを嫌でも再認識させられる。やはり彼女のそばは居心地がいい。安心してしまうのは、悪いことなのだろうか。

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