プレリュード:宿命の剣

 怒りが全ての枷を外し、アルフレッドを疾走させた。握るは宿命の剣、放つは自らが知る最強。しなやかで、素早く、そして力強い剣。彼は知らぬだろうがその剣は剣闘王と呼ばれた者の剣で、眼前の道化は良く知るそれに嘲笑を浮かべた。

「よりにもよってその剣か」

 道化の王、ウィリアムはそのすべてを軽々といなしていく。受けて潰すまでもない。先程の少女の足下にすら及ばない。ウィリアムの思考が剣を伝わって流れ込んでくる。

「……くそッ!」

 勝てぬと判断し、アルフレッドはさらに剣を変化させた。その器用さにウィリアムは舌を巻く。何の不自然さも無く、急に別人が現れたかのような変化。

(お次はそこの少女か)

 しなやかな剣、自由奔放さと女性特有の柔軟性を加えた剣は、本来アルフレッドが模倣するには難しいものであっただろう。彼女にある超人的な肉体と女性特有の柔らかさをアルフレッドは持たないのだから。

(俺とカイルの模倣かと思っていたが……娘の真似だったとはな)

 模倣を合わせた柔軟性にあの時は驚いたものだが、結果としてただの真似であったことにウィリアムの評価は微減する。それでも難しい模倣を、動き出しを速め、無理やり身体を曲げ、模倣する内に鍛えられたのだろう強靭な体幹が再現を叶えた。あらゆる手段を使い似せている様は、自分と似ているようで似ていない、隔絶する才能を見せつけられる。

「ハァ……冷静さを欠いているな。その剣のオリジナルは、今俺に負けたばかりだろうが」

「……あっ!?」

 零度の剣。光を喰らう闇の剣がアルフレッドの模倣を飲み込んだ。何度打ち込んでも手応えのない剣を前にアルフレッドは顔をしかめる。

「どうした、お前はその程度か?」

「まだだッ!」

 鋭い突き、まるで伸び上がるようなそれはクロードの模倣。槍の突きすら剣で再現してみせるとは、ますますもって面白い――曲芸だとウィリアムはあざ笑う。

「久しくクロードと稽古していない、か。しかも手を抜かれている。今のあれは、俺よりも強い。真似をする相手としては最適だが、お前相手にあれが本気を見せることはないだろうよ。あれにとってお前は、守るべき対象であって敵には成りえないからだ」

 クロードの突きもまた児戯と切り捨てられた。ならば次は――

「ベアトリクスの、オスヴァルトの剣か。残念だがそれは俺も学習済み。それに彼らの剣は技術が売りではない。その使い手に強さがあって初めて輝くものだ」

 オスヴァルトの輝きも当然の如く飲まれた。

「どうした? 他に見せるものはあるか?」

「ちく、しょう」

 手札がない。今までの相手なら此処まで切る必要がなかった。ミラの剣は自分とミラで鍛えた半オリジナルの剣技で、カイルと自分の知る最強であるウィリアムを期せず雑ぜる形となっていた。それで勝てない相手など皆無だったのだ。

「ふん、やはりこの程度。猿真似しか出来ん出来損ない、か」

 何かないか、アルフレッドは考える。

「お前を見限って正解だった。知っているか? 美味いリンゴの作り方を。選別し間引くんだそうだ。出来損ないの果実に栄養が行き渡らないように。お前は出来損ないだ。だから間引く。王が規範を示さねばな。強い国造りのためには」

 嗚呼、どうして父はこんなことを言うのだろうか。これだけ怒っていても、これだけ殺意に溢れていても、こんなにも父を愛しているのに。何故父は、自分を愛してくれない。

 あの頃のように、母と三人で――

「僕は――」

 それだけで完結した世界が欲しいだけなのに――

「貴様を超える」

 ウィリアムは眼前の少年から発せられる零度に眼を剥く。自分が磨いた最強に対抗するための凡人の剣。相手の強みを消し、潰し、光を奪う剣。修練と思索の果てに辿り着いた凡なる究極。

「……ハァ」

 今までの真似とはクオリティが違う。笑えるほど忠実に、まったく異なったアプローチから真に達したそれは、本物が近くにいたとはいえ犠牲無しで辿り着くことの出来なかった己とは比較にもならない、センスの差を見せつけられた形。

 時間も、死肉を漁る経験も、彼は持ち合わせていないはずなのに――

(トンビが鷹を産んだかよ)

 父としての自分は歓喜し、王としての自分は危惧を覚える。彼は今まで出会った誰とも異なる才能を持つ。そして凡人の王であるウィリアムから凡人の努力を植え付けられていた。王子という枷も、アルカスという檻も、全てを消せばどれほど飛翔するのか、白の王をして想像すら出来ない。

 後継者、そんな程度で収まる器であろうか。

『今殺すべきかもしれない。彼はもしかしたら、僕らの王道を否定するかも。力をつけた彼が、そう決意した時、今の僕らに彼が倒せるだろうか。その時の僕らに力が残っているだろうか。そして彼が敷いた道の先、彼を亡くした世界はきっと――』

 討つべし、久方ぶりに亡者たちが囁く。

(力は来るべき時のため取ってある。要らん心配をするな。俺の覇道は、揺らがない)

 打ち込むほどに消える光。模倣は完ぺきであった。

(ここは俺の城、俺の都、俺の檻だ。其処に在る限り、お前は俺には届かないッ!)

 だからこそ、何度となく打ち合っている内に、明確な差が生まれ始めた。それは徐々に、確実に広がっていく。

「墓穴を掘ったのは理解出来たか?」

「くそ!」

「見事な真似だ。褒めてやろう。精度はほぼ同じ。だがな、俺とお前には明確な差がある。最初にお前が真似た剣が弱かったのも同じ理由だ。闘争とは総合力、その中で技術よりも上に来る要素、お前ならもうわかっているだろう?」

 同じ剣、ぶつかれば必然生まれる相殺。だが、アルフレッドは完全に圧され始めた。

「力の差、体格の差、身体能力の差だ。線が細く、背も高い方ではないお前が先の剣を使うべきではなかった。俺よりもその点で劣るお前が、俺の真似をすべきではなかった」

 如何にアルフレッドが天才であったとしても、超人の体躯を持つわけでも、凡人が尋常ならざる修練の果て手に入れた肉体を持つわけでもない。彼はアルカスでそれを必要とはしなかった。だからそこまでは網羅できなかったのだ。

 戦乱の世、生き延び、勝ち抜くために鍛えたウィリアムとアルカスで漫然と生きてきたアルフレッド。時は経てどもその名残だけで十二分にギャップは生まれる。

「お前は弱い。物真似だけで俺に勝てるほど、頂点は安くねえんだよガキッ!」

 圧倒される。その力と暴力的な闘志を前に。

「お前は知らない。勝負の場での俺を。勝った後の俺しか知らない。だから測りかねる。あの時代を、その前から続く闘争の連鎖を、人が人を殺す地獄を、そこで生まれた修羅を」

 力づく。なのに精度に一切のブレもない。

「弱いな、アルフレッド。俺を殺すには、何もかもが足りない」

 吹き飛ばされるアルフレッド。精度など保てるわけがない。この怪物を前に冷静でなどいられるはずもない。恐怖が身体を包む。あの時の父からさらにこんな貌が出ようとは、アルフレッドの想像の埒外。

「俺の必殺でケリをつけてやろう。ありがたく死ね」

 ウィリアムは居合いの構えを取った。強烈に噴き出るオーラを前にアルフレッドの心は折れかける。

「さあ、逃げても構わんが、逃げれば少女は確実に死ぬぞ」

 そう言われて初めて、少女がまだ生きていることに気づいた。かすかだが吐息がある。血の流出も見た目には収まっているように見えた。

 ならば――逃げることは出来ない。

「フ、ゥ!」

 相手がどれほど強かろうと、勝って、彼女を救わねば、自分如きのためにミラが死ぬなんてことはあって良いわけがないのだ。

 アルフレッドもまた居合いの構えを取った。

 それを見てウィリアムは呆れ顔で――

「俺の真似では勝てんと言ったばかり――」

 そこから動き出したアルフレッドを見て呆れが驚愕に変わった。

「必ず、勝つッ!」

 動きながらの居合い。自分も出来ないわけではないし、実戦で必要とあればすることもある。難度は高いし精度も落ちるのであまりやりたい技ではないが――

 驚いたのはその技の難しさではない。その動き出しから、抜剣に至るまでのしぐさが、どことなく『彼女』に似ているのだ。それは彼が握る剣の、本当の持ち主で、ウィリアムがそれを託した一因、真紅の美しき復讐者。

(因果な……復讐者よ、死してなお我が前に立つか)

 かつて愛する者を奪われた少女がいた。奪った男と死闘の末、敗れ去った復讐者がいた。彼女は今、適切に処理させた結果、愛する者の躯と共に郊外の森にいる。魂もまた共にあるだろう。何千里も超えてその刃は喉元まで届いたのだ。

 その執念ならきっと――

(しばし待て。貴様の持ち主が成熟するまで。貴様を振るうに値する力を備えるまで。その想いは果たせない。だが、いつか、いつかは――)

 自分を殺してくれるはず。

(――今は、眠れ。覚醒の、その時までは)

 ウィリアムは今持てる全ての戦力をその一筋に注いだ。まだ終わりには遠い。しかし、今日、終わりが始まった。今なら明確にウィリアムは断言できる。

 自分を殺すのは、この息子なのだと。

 超絶の刃がアルフレッドの技を剣ごと折った。呆然と、絶望する少年の顔にはこの地で芽生えた傲慢にも似た自信はない。完全に、へし折った。これでスタートライン。あとはきっと、このローレンシアが彼を育ててくれる。

 本当の強者へと。

 折れた剣が落ちる。絶望するアルフレッドはその顔を上げることすら出来ないでいた。

 ウィリアムは周囲に目配せする。そして、ゆるゆるとその剣を構え――

「此処までだな、死ね」

 首筋にそれを打ち込んだ。

 絶望が迫る。

 ウィリアムは笑った。其処に近づく男の姿を見て。

 絶望と共に希望が迫る。その足音にも気づかないほど、アルフレッドは消耗していた。

「茶番は其処までだ、道化の王よ」

 首に打ち込まれたはずの剣は、誰とも知らぬ剣に阻まれていた。

「何者だ、貴様」

 道化は白々しく問う。まこと、これは茶番なのだと男は思った。

「凡百の鍛冶屋を生業としている者だ。そこに倒れている娘と、今貴様が殺そうとした少年の、保護者をしている。名は、カイル」

 カイル、その名を聞いてアルフレッドが顔を上げた。今にも泣き出しそうな顔で、今にも崩れ落ちそうな身体で、カイルに縋りつく。

「よく頑張ったな。もう、大丈夫だ」

 カイルは招待状を送りつけてきた張本人を睨みつけた。あの少年がこうなってしまうほど追い詰めた、その意図次第では斬り捨てると言わんばかりの目つきである。

 茶番は続く。カイルという演者を加えながら――

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