プレリュード:闖入者
アルフレッドはそこらで買った上着と帽子を被って屋台で軽く腹ごしらえをしていた。木を隠すなら森の中、まだこの時間であれば繁華街の方が捜しづらいと考えての行動である。上着と帽子は容易く印象を変えることが出来るため購入した。すべて変えなかったのは一式の購入では多少目立つと考えたから。帽子や上着をその場で着ていくのはおかしな話ではない。だが、一式着替えて出ていけば店の印象にも残るし、それを掴まれたら変装が手掛かりに化けてしまう。それでは意味がない。
食事はこの夜は長くなると踏んだため。可能なうちにエネルギーは確保せねばならない。
(父上にしろ、別の誰かにしろ、暗殺者を雇って、行使し、枕元にまで到達した。今日、突然に……原因は武芸大会の敗北、父上の失望か? 最後の機会を与えて、駄目だったから殺す。父上なら、白の王なら、やるか?)
心がずきんと痛む。アルフレッドはそれを無理やり無視して思考を続ける。
(でも、その必要があるだろうか? 父上が僕を取り立てねばそもそも出る杭にも成れない。そんな僕を殺すために、わざわざあれだけの技量を持った暗殺者を雇うだろうか? それも複数、ちょっとやそっとじゃ雇えないだろう、あの人数と質は)
思考の合間も食事の手は休めない。捜しづらい状況ではあるが、見つかる可能性はゼロではないのだ。何をするにも時間は限られてくる。今はまだ人がたむろしていてもおかしくない時間だが、此処から少しずつ人通りは減っていくだろう。そうなってくればここは森としての役割が反転、見つけやすい絶好の狩場と成りかねない。
(理屈として、僕を殺すメリットじゃ釣り合いは取れない。なら、きっとあの人だろう。蛇のように狡猾で、魔女のように残忍で、悪魔のように邪悪を楽しむ、あの人しかいない)
第一王女クラウディア・フォン・アルカディア。こんな割に合わないこと、やるのは彼女くらいのものだろう。彼女は楽しむためなら平気で割に合わないことをする。王の皿に毒を仕込ませるなど日常茶飯事。されど彼女の立場と尻尾を掴ませない狡猾さから、彼女と誰もがわかっていても咎められない状況が続いていた。
大概、王宮での血生臭い出来事は彼女に帰結する。そのはずなのだが、かの王でさえその尻尾を掴んだことはなかった。
(だとしたら、もう国内に安寧の場所はない。父上も僕に労力を割いてまで守ろうとは思わないだろう。だからこそ、義母上は動かれたのだから。誰かを頼るのも無理だ。相手が王妃なら多少の無理も通ってしまう。王妃の迷惑を受け切れる知り合いなんて、いない)
厳密に言えば国内にそんな存在はいないのだ。唯一、王であれば受け切れるであろうが、あの『眼』を向けられた以上、きっと王は動かない。それが判断出来たから、今日王妃は駒を動かしたのだろう。庇護者無き政争の火種を完全に消さんがために。
(アルカスにはいられない。いや、アルカディアの中はどこも……国外、しかないか)
冷静な思考はそこに帰結する。『ゴール』は国外、今日に限ればアルカスからの脱出。わかっていてもアルフレッドは顔を曇らせてしまう。北方から、ずっとこの地で生きてきた。第二の故郷、急な展開に心の準備が出来ていないのは仕方がない。
(それに、脱出ルートだって潰されているだろう。普通の道は、絶対に押さえられているだろうし、そもそも夜間はどこも出入りが規制されている。抜け道もあるにはあるけど、相手は暗殺者、その道のプロだ。彼らの領域に突っ込んでも、勝ちの目はない)
最初に出会った暗殺者は明らかに自分より強かった。まともにやり合えばまず勝ち目はないだろう。撒けたのも相手に油断があったから。次はない。
(この夜を上手く切り抜けて明日の昼間、勝負に出る。僕個人の勝負は其処からだ)
大いなる不安を前に曇る表情。しかし、もしそれを注視する者がいたとしたら、彼をよく知る者が見ていたとしたら、その奥に宿るもう一つの感情を抽出することが出来たかもしれない。本人ですらわかっていない、その感情の正体を――
(でも、個人以外のところは、今すぐ整理しておかないと。生きている内に)
食事を終え、自然体のまま勘定を済ませ、何の警戒もなく人ごみに紛れるアルフレッド。ほんの少しの機微でさえ、集団の中では異質と成り、それが引っ掛かりと成ってしまう。彼はそれを知っていた。知識として、経験として、だから実行できる。
(まずは――)
アルフレッドは堂々と往来を歩む。そこに異質さは、ない。
○
「ごめんねイーリス、ダシに使っちゃって」
「いいのよレオニー。オティーリアのためなんでしょ?」
「そうなの。あの子も馬鹿よねえ。だってランベルトよ、あのお調子者の。ちょっとやそっと活躍したってモテるわけないのに、心配性なんだから」
「でも……意外と人気みたいよ」
パロミデスの人垣に及ぶべくもないが、ランベルトの周りにも女の子が集まっていた。今日の活躍を見て将来性ありと踏んだのだろう。また、パロミデスでは競争率が高すぎる。なのでとりあえずランベルトをキープ、そんな思惑も透けて見えた。
「……うわー。ミーハーってこれだから」
「オティーリアは……あー、隅っこでしょぼんとしてる」
ランベルトと仲良くなろうと勇気を出してこの会を開いた女の子は、内気さと卑屈さも相まって動けずにいた。
「あの子だって堂々としてたら美人なのに……もー、しょうがない。このレオニーお姐さんが一肌脱いできますか」
「オティーリアの想いが成就しますように」
「ま、人のことは良いけどイーリスも気を付けてね」
「……何で?」
「あたしという盾が消えたら、あの辺のそわそわしている男連中が押しかけてくるから」
「……新しい盾(ニコラ)を捕まえてきます」
「あの子も美人だけど損よねえ。いつも貴女が周りにいて、嫌でも比較されるんだから」
「ニコラは良いの。私のお婿さんになるんだから」
「……ふーん、じゃあアルフレッドちゃんは誰が射止めるのかなあ」
「え!?」
「じゃあね。さーて、オティーリアのお尻『も』、叩いてきますか」
「もう、レオニーの馬鹿!」
颯爽とオティーリアの下に向かう姉御肌のレオニーを尻目に、イーリスはニコラを探し始める。すでにレオニーが離れたことを察知したのか、男の群れが動き出そうとしている。すぐに話し相手を見つけなければいけない。ただの話し相手ではなく、鉄壁の、人を寄せ付けない雰囲気を持った、そんな相手を。
「ニコラ、どこ?」
大親友にして幼馴染の姿を――
「キャアアアアア!」
突如、婦女子の悲鳴が会場であるオティーリアの邸宅、その庭全体に広がった。
「何事だ!」
パロミデスは悲鳴の方へ駆け出していく。ランベルトも同様に。この二人の反応を見て、他の男連中も追従する。
「おいおい、こっちは気分よく酒を飲んでるのによォ」
全く動く気配がないのはランベルトの師匠であり、タダ酒が飲めると聞いて稽古の後無理やり参加してきたクロードであった。
(敵意はねえ。害意も、ねえ。つーか、どういうつもりだ)
薄く目を細めるクロード。視線の先には――
「失礼するよ。急用があるんだ」
市民が着るような普段着をまとうアルフレッド・フォン・アルカディアであった。この場において随分で目立ついで立ち。使用人よりもよほどラフな格好をしている。
「此処は貴様のような市民が立ち入っていい場所ではない!」
たまたま近くにいた、武芸大会にも参加している貴族の男がアルフレッドに拳を向けた。やはり人を見る上で格好というのは重要な要素になる。改めてアルフレッドはそれを再確認する。
「駄目よ、バルタザール。その人は!」
同じく近くにいたレオニーは制止しようと――
「ごめん。急ぎなんだ」
アルフレッドは向けられた拳をひょいとかわし、そのままカウンター一閃、巨漢の男であるバルタザールは一瞬で意識を刈り取られた。崩れ落ちる巨体、アルフレッドはそれに視線すら向けない。
「やあレオニー、久しぶりだね。ところでニコラを知らない? 用があるんだけど」
「え、え、と。たぶんその辺りにいると思うけど」
「ありがとう。そのドレス、とても似合っているよ」
「あ、ありがとう」
色々と事態が重なって顔を真っ赤にしたレオニーの横を、アルフレッドは悠然と通り過ぎていく。バルタザールの姿を見て、男連中に当初の勢いはない。彼とて武芸大会の参加者。パロミデスやランベルトほどの実力はなくとも、かなりの使い手であるはずなのだ。
「何のつもりだよ、アルフレッド」
ランベルトの問いにアルフレッドは申し訳なさそうな表情を作る。
「ごめん。実家の方に顔を出したら、此処に居るって聞いて。招待状は貰ってないけど、少し話すだけだから。終わったらすぐに帰るよ」
「何してるのよアル!」
騒ぎを聞きつけたニコラが少し怒った顔で近づいてきた。
「貴方はいきなり現れて、それにその恰好――」
「仕事場の書棚、机の真後ろ、下から三段目、右から五冊目だ」
「……いきなり何を言って?」
「任せられる人物が君しかいないんだ。迷惑なのはわかっている。君だって忙しい。でも、僕にはもう君に縋るしかないんだ。商会の皆を、路頭に迷わせるわけにはいかない」
アルフレッドはニコラの肩をぎゅっと抱きしめてうな垂れた。無責任なことを言っている自覚はある。彼らの面倒を見るのは、市場で圧倒的に力を持つテイラー商会で金を稼ぐより、何倍も労力が必要で、その何百分の一も稼げないのだから。
「もう道筋は作った。契機と成る契約も取れた。少し辛抱してくれたら、きっと大きな案件になる。でも、儲け心が大きいと失敗する。ただの商人じゃ駄目なんだ。社会のインフラ、これからの当り前になっていく、一つのシステムだから。だから、君しかいないんだ。優秀で、僕のことを理解してくれる君しか」
「……アルのやり方を理解したことなんて、ない。あと、近い」
顔を横に背けるニコラ。通じたとアルフレッドは判断して肩を離した。ふと、アルフレッドは視線を背後に向ける。
「……そりゃそうか。テイラーにも顔を出して、こっちにも顔を出した。目立ち、過ぎたってわけだね。うん、でも、想定内だ」
アルフレッドは獰猛な笑みを浮かべて背後の、何も見えない鉄柵、その先に集結しつつある何かを――察する。
「アル、どうしたの、何かあるなら私にも――」
近づいてくるイーリス。それをちらりと見て、アルフレッドは哀しげな表情になった。このまま彼女の肩を抱いて、一緒に逃げ出そうか、そんな誘惑にも駆られてしまう。しかし、駄目なのだ。今回、ニコラに頼ったのも本来であればイレギュラー、本当であれば絶対に取りたくない選択肢であった。
イーリスにアルカスを、アルカディアを離れる理由はない。自分とは、違う。
「さようならイーリス、ニコラ、お元気で」
そのまま壁に向かって疾駆するアルフレッド。誰かが制止する暇無く、跳躍して鉄柵を乗り越えた。その先で金属音が数回、そのまま走り去っていく音が聞こえた。
「何だよアルフレッドの奴。何しに来たんだ?」
ランベルトは不思議なものを見る目で去っていったアルフレッドを見送っていた。パロミデスは険しい表情でバルタザールの姿を見つめる。自分に、バルタザールほどの使い手を、赤子の手を捻るかの如く倒せるか否か、そんなことを思案していた。
そんな混沌とした会場を――
「疾ッ!」
一閃するは一筋の閃光。鉄柵の間をすり抜けて、クロードの放った槍が何かに突き立った。「ぐがっ!?」と短い断末魔の声。
「ちょ、何してるんすか師匠!」
「ちょっとした確認だ。俺は当てて良い奴にしか当てねえよ。この国の王子様に、殺意を向けてんだ。死んで、当然だよなァ」
「殺意って……どういう」
「どっちだコラ。どっちもかオラ。ハハ、どっちにしても、度が過ぎてんぞ」
ランベルトとパロミデスがびくりと後ずさる。先ほどまで間抜け面で酒を飲んでいた男の顔は怒りに歪み、怒髪天を衝いていたから。
「タダ酒サンキュー。急用ができたから俺は帰るわ。明日、頑張れよ。死んでもパロミデスに勝て。オスヴァルトには負けんな。じゃあな」
クロードもまた鉄柵を乗り越え、その先で槍を回収、当てた人物を見て笑みを深めた。その笑みは哀しみであり、諦観であり、色々なモノが綯交ぜになって――
「あの様子なら、まあ、今日くらい逃げ切るだろ。なら俺は、元を断ちに行くかい」
その槍を王宮に向けさせた。
「何が、どうなってんだよ」
残された者たちは困惑のまま立ちすくんでいた。
「また、私だけのけものだ」
イーリスは悔しそうに視線を下に落としていた。ニコラは頼られたことに気を良くしたこともあり、さようならの意図を掴むのが遅れてしまった。彼女はしばらく自身の頭、その回転の鈍さを憎むことになる。事実を知るのは、この夜が明けてから。
アルフレッドが託したもの、その重さを知ってからである。
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