プレリュード:闇夜の大立ち回り

 夢を見ていた。幸せそうに笑う三人。白亜の都市、銀翼輝けし自由の都。アルフレッドは知っている。この都市が最後、どうなってしまうのかを。されど今はかの滅亡よりも前、王と勇者、魔女と成りし三人も夢見る少年少女でしかない。

「いずれ俺が世界の崩壊を止める!」

「力だけで止まるなら苦労はない。頭を使えよ兄さん」

「頭でっかちだなぁ。まずは行動! 動かないと始まらん」

「まずは思索、のちに行動だ」

「思索という名の言い訳だろう?」

「猪突猛進、辿り着くのは崖っぷち」

 そのまま取っ組み合いになる二人。金と銀、炎が絡み合う。

「阿呆じゃのお」

「「どっちが!?」」

「どっちもじゃ」

 顔は見えないが、きっと美しい少女なのだろう。タイプは違えど顔立ちの良い少年二人が熱い視線を送っているのだ。笑う時も、泣く時も、喜劇も、悲劇も、どんな時でもそれは変わらない。この三人はずっとこうであった。

 夢で見る限り、それは最後まで変わらなかった。

 それでもこの時代は微笑ましくて、ついアルフレッドは気が緩んでしまう。幸せな光景、他人の、見知らぬ時代の、妄想かもしれない幸せでも、彼にとってはあたたかくて――

 ふと取っ組み合いをしている二人をよそに、少女は誰もいないはずの空間を眺める。視線の先には虚像でしかないアルフレッドが――

『此度はわしの夢見が邪魔をした形故、手を貸してやる。じゃが、二度はないぞ王の器よ』

 少女に顔が浮かぶ。この世のものとは思えぬ幽玄を生きてきた怪物。否、生きていない。死してなお、死すら超越して彼女は現象と化した。それは死、まごうことなき死の笑み。背筋が凍る。心が委縮する。幸せの景色は掻き消え、目の前には死の権化が一人。

『これが『死』、じゃ』

 思い出すのはいつの日か――あの剣が見せたのは瞬間の死ではない。もっと遠く、もっと安らかな、それこそ先ほどまでの光景にどこか――

『消えよ』

 消える。否定される。拒絶される。嘘、嘘、嘘、嘘、その嘘だけは、許容出来ない。

 あの日々だけが今に至るまでの、少年にとっての救いだったのだから。


「――上ッ!」

 思い浮かべた人物も、今まで見ていたはずの夢も消え、アルフレッドは跳ね起きていた。

「……おい」

 眼前には黒い装束をまとった男が一人。細い針のようなものを構えて今にも突き立てようとしている。対象は、自分。

(隣室の殺気? いや、その手前だ。何で熟睡してんのに起きた? 物音ひとつ、気配の欠片すらなかったはず。まあ、良いか。そういうこともあるさ)

 しかしてまだ寝惚け、男は千本と呼ばれる暗器を振り下ろす。振り下ろした音すら聞こえない、暗殺者としての絶技。完全な暗殺術を前にはうたた寝ですら致命。されどアルフレッドは今、謎の悪寒により目が覚めていた。

(誰の犬だ? だが、動く気なし? 舐められたもんだぜ!)

 そしてあまりの恐怖からか――

(……あっ)

 心身共に異様な冴えを見せていた。

 掛け布団の中で身体を咄嗟に半身とし、紙一重で千本を回避。したことさえ見え辛い動き、からの勢いよく跳ね上がって掌底をお見舞いする。

「元気だな、王子様」

 それを余裕で回避する暗殺者をアルフレッドは瞬時に格上と判断。その時点で勝って切り抜ける選択肢を排除。そのままベッドの上からバク宙し、暗殺者からほんの少し距離を取る。その動きに暗殺者が「ほお」と感嘆の声を上げた。

 アルフレッドの背にはこの部屋唯一の出入り口たる扉が。あるにもかかわらず暗殺者に焦りはない。気づきは其処が取っ掛かり、あとは集中すれば見えてくる。いつも以上に感覚が機敏、勝手知ったる我が家故、自分でも驚くほど様々なことが手に取るように分かった。暗殺者が余裕な理由は――

(後ろッ!)

 アルフレッドはごく自然な動作で、壁にかけてある自らの剣に視線を向けた。ほんの一瞬、極極わずかであるが、それでも生まれた確認の視線、その動き。瞬間、アルフレッドは大胆にも振り向きざまに後ろ回し蹴りで扉を開放。扉の後ろに構えていた暗殺者が面食らっている隙に、その懐に入り込む。

(こっちの人は、僕より弱い)

 そこから大きく振り被った拳を放つ。当然それは暗殺者の眼にも入り身構えられるが、それは詰みの手順通り。懐に入り込み視線を切った。振り被った拳で上に意識を向けた。だからこそ簡単に決まる足払い。冗談みたいに暗殺者は倒れ込み、丁度大回りしてきた拳が暗殺者の顎をこすり落とした。

 暗殺者の意識が飛ぶ。次の瞬間には、流れるような動作で扉を閉め、足音が一歩、二歩。その時点で先ほどの暗殺者、黒星と呼ばれる男は苦い笑みを浮かべて追撃の姿勢を取っていた。自らを格上とおごり、獲物を逃がした愚か者。

 気を引き締めて取り掛かろう。この獲物は、思っていたよりも少し厄介だ、と。

 黒星は扉を開ける。聞こえてきた足音は徐々に遠く、すでに対象との距離はかなり開いてしまった。だが、この程度何の問題もない。己が部下たちも適所に配置している。隙などないのだ。この状況の時点で彼は詰んで――

「しィッ!」

 自分が勢いよく開けたはずの扉が、今度は蝶番が破壊された勢いでもって扉が突進してくる。黒星は目を疑った。次の瞬間には吹っ飛んできた扉に押し潰されるように倒れ込む。そこの裏には当然のごとくアルフレッドが。

(このガキ、まさか待ち伏せてやがったのか!? なら、足音はフェイクか。その場で踏み込む音を少しずつ小さくして、俺の耳を騙しやがった。つーか、突然の状況、寝起きでそこまでやるかよ!?)

 アルフレッドはすり抜けるようにそのまま自室へ。愛剣を手に取り、躊躇うことなく木窓を蹴破り二階である自室から飛び降りた。

(だが!)

 想定外であっても殺し間はであることは変わらない。外にも暗殺者は控えさせてある。闇夜で効果的な見えざる矢。音もなく飛翔せしは暗器吹き矢の針。

「見えるよ」

 空中で剣を抜き放ったアルフレッド。舞うが如し動きで見えないはずの針を叩き落としていく。その光景は見えずとも、叩き落とされていく音で黒星は状況を把握した。相手を侮っていたわけではない。十分に準備し、念入りに包囲したはずであった。

 しかし――

「腐っても、あの王の息子ってか」

 現実としてそれは突破されてしまった。あまりにも素早く、機転に富んだ動きの数々。ただ強いだけではない。頭も回るし、思いっきりも良い。

「長い夜になりそうだな、王子様よォ」

 黒星は久方ぶりに加熱する己が心臓に気づいた。自分はやはり暗殺者向きではない。この状況を楽しいと思うようでは二流以下。しかしそれでいい。夜の王無き今、暗殺者が暗殺者でしかない時代は終わった。闇の住人として型どおり生きる義務もない。

(鬼ごっこに参加する気もねえのか。それとも、確信してるってか? 寝込みさえしのげば生き延びるって)

 黒星は一瞬だけ、隣室に気を向けるも其処にはただ静けさだけがあった。誰かいるはずなのに誰もいない。見に徹するという意思表示。不愉快であるが、今はやるべきことがある。それ以上に興味深い対象がいる。

 今宵の獲物は上玉。それだけで胸が躍る。

 此処より、王子と影の追いかけっこが始まった。


     ○


「状況は?」

「いくつかの痕跡は捉えたが、捕捉には至っていない」

 黒星は大げさな身振りで頭をかきむしる。

「……ただの王族なら容易いが、あれはあの男の英才教育を受けている天才だ。良いか、凡人が天才に追いついてみせた生き方を、あのガキもトレースしている」

 アルカスはアルフレッドにとって庭のようなものであった。王族や貴族では立ち入らぬような路地も、商人にとっては飯の種と成り得る。商人すら近づかぬ場所も、下層の人々との付き合いの中で立ち入ることもあるだろう。結果、彼はアルカスを知り尽くしている。王族が貴族を、市民を、奴隷を知る。

「天才が天才を超えるための生き方してんだ。そりゃあ厄介さ」

 痕跡もいくつかはフェイクだろう。本物もあるだろうが、おそらくはあえて残した真であり、そこにこだわればむしろ無駄に時間を奪われるだけ。

「要所は押さえてあるな?」

「ぬかりなく」

「ま、もう金は貰ってんだ。必ず仕留めるぞ」

 黒星らが依頼を受けたのは随分と前のこと。武芸大会の開催、その発表とほぼ時を同じくしてであっただろうか。その時期に、今更、黒星は苦笑いを浮かべる。

(ほんと、王宮ってのは魑魅魍魎の巣窟だな、おい)

 ここまで読んでいた。ここから先をどう読むのか。キングか、クイーンか、それともプリンスか。何処に何が潜むかもわからない。全ては今宵のためにあったのだろう。誰の思惑が現実のものとなるのか――

 黒星は頭の片隅で思索を玩びながらも、常に仕事を中心としていた。

「……今日の『ゴール』は押さえてある。袋のネズミが奇跡を起こせるか、楽しみだね」

 終点はない。すべて潰した。布石は万全、人員は充分、金は十二分にもらっている。

「何が出てくるか、白騎士の息子」

 これを引っ繰り返したら、それこそ第二幕の幕開けとなるだろう。

 成るか、開幕。

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