プレリュード:落とし穴

 ミラは店番をしている間、ずっとプレゼントされた腕輪を眺めていた。父親以外からこういったものをプレゼントされた経験はあまりない。母譲りの美人であるミラであったが、コナをかけてきた男のほとんどは父親カイルの圧力を前に心が折れ、そこを乗り越えた先でもミラ自身の強さを前に男としての自信を喪失させられる。

 つまり、彼女にとってこの腕輪は少し、ほんの少しだが特別なものなのだ。

(イーリスのために買ったんでしょ。それを私が持つのって違うよね)

 揺れる心。複雑に入り組む想いを彼女自身正確に掴めてはいなかった。

(でも、この飾り気のないデザイン、結構好みなんだよねえ。キラキラのイーリスには似合わないってのは……正直同意。あいつも何でこんな地味なの買ったのよ)

 ちぐはぐなプレゼント。本当に送るつもりだったのかもわからない。そもそも、アルフレッドが何故イーリスの誕生会に出なかったのか、それもミラにとって理解し難いことであった。自分が行かないのはわかる。それほど親しくもなく、生まれも含めてあまりに場違い、そこに建前で招かれたとて、ひょこひょこ出ていくのは身の程知らずの馬鹿だろう。

 しかし彼は曲がりなりにも王族で、イーリスの幼馴染で、きっと彼女のことが――

「一応持って行って、要らないって言われたらもらおうかな」

 深まるもやもや。とりあえずの妥協案。

 それに、彼女の性格ならきっと喜ぶ。喜んで受け取り、持ってきたミラに感謝を。直接渡せなかったアルフレッドの不器用さに少しの文句と、やはりありがとう、と笑顔で言ってくれるはず。一番みんなが丸く収まる、ミラはそう考えた。

「ただいま」

「丁度良いところ。少し出かけるね」

 圧倒的速度で駆け出していく娘を見るカイル。返事をする暇もなかった。

「……今から工房に籠ろうと思っていたんだが」

 店番、雇おうかな、とカイルは思った。


     ○


 ひょいひょいと裏道、もはや道ではなく壁だが、そこを器用に昇っていくミラ。以前より入り込み辛くなった貴族街。自分の身分では正道は手続きがかかり過ぎて面倒極まるため、入り辛くともこちらの方がマシとミラは考えていた。

「イーリスの家って確か……王宮の近く、よね。んもー、何かめんどくなってきちゃった」

 それでも足を止めない。人を避け、建物の影を駆け抜け――

「はい到着。私ってばコソ泥の才能あるかも」

 ガードナー邸に到達するミラ。正門には門番が一人。さすがはガードナー、ただの門番とは思えない実力の武人を置いていた。自身が負けるとは思わないが、騒ぎを起こさず突破出来るほどの実力差はない。そもそも、そんなリスクを冒す気もない。

「物陰、程よいサイズの木、登ってくださいと言わんばかりの壁」

 物音ひとつ立てずするするとミラは木に登り、そこからそれなりの距離を躊躇いなく跳んだ。地面までの高さは人間何人分か、落ちたら死なずとも怪我はするだろう。

「楽勝」

 あっさりと壁に着地。ほんの少しのバランスを崩すこともない。

 一瞬、周囲の風景を目に収めにやりと笑みを浮かべた。そのまま壁の内側へ降り立つミラ。今日はいい天気である。昼食を取って、お腹も満たされたなら中庭でも散歩しよう、と考える人間は少なくない。特に、貴族の令嬢などあまりやることのない連中であれば、確率はうんと跳ね上がる。まあ、いないならいないで屋敷に忍び込むだけであったが、

「こんちわ、イーリス、ニコラ」

 目的の人物は優雅な御昼をお過ごしのようであった。

「ミラ!? どうやって此処に――」

 突然現れたミラに警戒心を抱くニコラ。対して――

「御機嫌ようミラ! すっごい久しぶりね! 会いたかったぁ」

 イーリスはイーリスで何の警戒もなくミラへ突進、そのままミラを抱きしめる。在学中、よく彼女は同性に対してこうやって愛情表現を示してきた。少し、否、かなり過剰なのだ。彼女のそれは。変わらぬイーリスにミラは苦笑を禁じ得ない。

「誕生会、来て欲しかったのにぃ」

 イーリスの恨み言にミラは苦笑を重ねた。

「それで、忍び込んだコソ泥の目的は何?」

 ニコラの冷たい声。イーリスはむっとしてニコラの方へ向いた。その眼は「そんな言い方駄目! ニコラの馬鹿!」と言っている。

「……あんたには関係ないよ、根暗女」

「生まれや育ちで色眼鏡をかける気はないけれど、少なくとも貴女は下品のままね」

「業突く張りの商人様が品性を語るかよ」

 張り詰める空気。ご覧の通りニコラとミラは在学中からこれでもかと仲が悪かった。アルフレッドの教育係を自称するニコラにとって、彼に悪影響を与えるファクターであるミラは取り除くべき障害。ミラにとっても初めから敵視されて気分が良いわけもなし。

 犬猿の仲、と人は言う。

「陰険女もいるしさっさと要件済ましとこっと」

 ミラは腕輪を外し、それをイーリスに差し出す。首を傾げるイーリス。

「何の真似?」

 訝しむニコラ。

「誕生月のプレゼント」

「え、嘘!? ミラが用意してくれたの!? すっごく嬉しい!」

「センスなし、私ならそんなの絶対に選ばないし、イーリスに似合うとも思えない」

「ニコラ! それ以上言ったら怒るからね!」

 ニコラの冷たい態度に憤慨するイーリス。それは裏を返せばこのプレゼントを嫌がっていないと言うことで、喜んで受け取ってくれるのであれば――

「私じゃないよ。これ、アルから」

 やはり渡すべき。アルが渡せなかったプレゼント。正しい持ち主の場所へ。

 それは間違いなく善行であった。悪気などない。

「――え?」

 だが結果として、それは期待と裏腹の効果を生んでしまった。イーリスの顔から笑みが薄れる。ニコラは顔面蒼白になり、額を押さえた。

「アルって、アルフレッドよね?」

「そりゃあまあ、そうだけど」

「それを、アルフレッドが? 私のために?」

「あー、たまたま会った時にそう言ってた。でも忙しくて渡せないから――」

「ミラに、あげたのね?」

 イーリスの顔にはミラが、ただの一度として見たことのない表情が張り付いていた。

「そっか、二人とも、仲が良いんだね。良く会ってるの?」

「たまに会ったらメシ食べる程度だって。そんな気にすることの程でも」

「私はもう、半年近く会ってないよ。ミラは、その間に何回会ったの?」

 ミラはイーリスの暗い表情を見てたじろいだ。この場をすぐさま逃げ出したい思いに駆られる。その様子を見ていたニコラは、こっそりとこの場を離脱しようと――

「ニコラの嘘つき」

 じろりと睨む眼にはうっすらと涙が浮かんでいた。

「いつだって私だけ仲間はずれ。どうせ私は何の取り柄もない女ですよ! ふんだ」

 そのまま踵を返してどたどたと走り去るイーリス。途中、何もないところでこけたが、振り向くことなく起き上がり駆けて行った。残されたのは額を押さえるニコラと何が起きたのかよくわかっていないミラのみ。

「……私、やらかした?」

「やらかしたのは私。どうせアルじゃ渡せないと踏んでの嘘だったんだけど、思わぬところに落とし穴があったみたいね」

 落とし穴であったミラは何とも言えない顔になっていた。

「あの馬鹿最近会いに来てないんだ」

「ええ、貴女は良く会ってるみたいね」

「会うたび剣振り回してるだけ。誤解されても困るって」

「まあ、今のイーリスに何を言っても効果なしよ。あの子はあの子で寂しがり屋だから、子供の時から仲の良かった幼馴染と疎遠になるのは耐えられないみたい」

「繊細過ぎ。あーあ、善意のつもりがなぁー。これ、どうしよ?」

 ミラは腕輪をぶらぶらさせる。モノを見てニコラはさらにため息を重ねた。

「こうなった以上、イーリスが受け取るわけないでしょ。そもそも貴女がもらったものなんだから好きになさいな」

「ん、まあ捨てるのももったいないし、一応もらっとく」

 ミラは腕輪を装着した。無骨なデザインは飾り気のない彼女によく似合っている。まるで、彼女のために用意されたかのような――

「それがいいわね。さて、あの子をなだめてこようかしら」

「私は帰る。何かどっと疲れたし」

「ご苦労様。アルによろしく伝えて。いい加減会いに来ないと、本当に手遅れになるわよって。まあ、貴女にとっては手遅れになる方が良いんでしょうけど」

「……やっぱあんたのこと嫌いだわ」

 風のように去っていくミラ。その背を見てニコラは苦笑する。

「私は、貴女たちが嫌いよ。ずっと前から、ね」

 彼女は自らの手で顔に触れる。そこに張り付いているであろう醜い気持ちを、何とか押さえ込もうと顔を覆う。隠さねばならない。誰にも、悟られるわけにはいかないのだから。


     ○


 複雑に状況が入り混じり、まさに混沌(カオス)と呼ぶにふさわしい状況。自分の身の回りが混沌とした状況になっていることも露知らず、アルフレッドは黙々と本を読んでいた。どれだけ忙しくとも、時間がなくとも、父の猿真似から始まった読書の時間は確保する。このルーティンを彼はあの日から欠かしたことはなかった。

 ジャンルはランダム。良くニコラなどからは活字中毒などと言われているが、別に活字を欲しているわけではない。求めるは中身、増やすは知識という点。

『知識は点だ。それだけでは役に立たずとも、点同士を繋ぎ線と成った時、文様を形成した時、新たな革新は生まれる。この世に知らなくていいことなどない。知っておいて損はないのだ。誰よりも収集せよ、いつか、どこかで役に立つ日が来る』

 父であるウィリアムの言葉。白く冷たく、しかし穏やかな時間が流れていたあの頃。時折垣間見えた陰。今思えばあれは王の顔であったのだろう。当時のアルフレッドにはほとんど見せることはなかった一面。

 だからこそ、その顔で語られたことは頭の中に刻み込まれていた。

「ばあや、医術ってなんでこんなに難しいんだろうね」

 アルフレッドの傍らで空気のように佇むのはテイラー家に仕えて半世紀、この屋敷にただ一人残る使用人であった。

「さあ、何ででしょうか。ばあやには学がありませんので。坊ちゃまは何故難しいと感じておられるのですか」

「難しい理由、かあ。一番は人間が治るように出来ているせい、かな。手を加えなくてもある程度は治ってしまう。つまり、その薬が効いて治ったのか、人間がもともと持つ治癒力で治したのか、そこが見え難いから答えも見え難い」

 しゃべりながらも本を読む手は止めない。その速読は父の物真似から始まったこともあり、父に匹敵する速度となっていた。

「民間療法はコミュニティーの数だけあるし、それらは平気で相反したりする。本当に効果があるのか、有意なデータを取るには本腰を入れて時間とお金をかけないと駄目だ」

「色んな治療法があって、それぞれに良いところがある、ではいけませんか?」

「それじゃあ進歩がないよ。それじゃあ、本当に必要な時に何も出来なくなっちゃうでしょ? いつか人間が病を超越しようと思うなら、面倒でも探求を続けるしかない。地道に、ひたすらに、進み続けた先に、光があるはずなんだ」

 苦しそうに微笑むアルフレッド。老女は悲しげに視線を落とす。この眼はあの北方での日々を見ている。父と母、穏やかに、温もりに満ちた世界。今となっては夢幻か、失われてしまった幻想を彼は追い求めているのだろうか。

 その姿は、何故か彼の父に、この国の王に被る。

「そんなこと言ってる僕は、一歩すら進めてないのだけれどね」

 足踏みをしている己を恥じるアルフレッドを見て使用人は心の底から思う。進まなくていい。その道の先に、たとえその他大勢の笑顔があったとしても、そこに導いた者の幸福はないのだから。

 それはあの男を見ていれば嫌でもわかるだろう。


     ○


 東方、砂塵舞う無限砂漠より来るは老齢の男。その瞳には不思議な光が瞬き、未来を垣間見る。天命を背負い、その男は西へ足を向けた。

 西方、諸国を旅する自由の騎士。守るべきものを失い、戦う場所も失った男はそれでもなお牙を研ぐ。守れなかった過去を切り裂き、いつか来たりし守るべきモノのため、男は東へ足を向ける。

 南方、世界各地から集いし俊英に揉まれ、高めた剣は決意をまとう。若く才に溢れ、多くを学んだ若き新星は生まれ故郷を経由し、北を目指す。

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