プレリュード:南方より新鋭来る
「パロミデスが帰ってきたぞ!」
その日、貴族街に一人の男が舞い戻ってきた。彼がこの地を去って三年、大きく様変わりしたアルカスを見て驚きの視線を向けているが、それ以上に周りは彼のまとい持つ雰囲気を見て驚愕する。
「おいおい、こっちだって努力は続けてたっていうのに、この差は何だ?」
ランベルトは臨戦態勢ですらない、ただ立っているだけの男に気圧されていた。その時点で武人として敗北を認めたようなもの。ランベルトは悔しそうに歯噛みした。
「兄上! パロムはこちらです!」
手を振る一つ違いの弟は、三年前とは比較にならない成長を遂げた兄に羨望のまなざしを向けていた。
三年ぶりにいち貴族の長子が帰ってきただけ。しかもアルカディアにとっては外様、旧オストベルグの貴族である。本来、このような騒ぎになる立場ではない。貴族の令嬢たちがこぞって黄色い声援を投げかけるなどありえない。
つまりそれらは立場ではなく、パロミデスという男が持つ純然たる魅力であった。
「ああ、ようやく見つけた」
そのパロミデスの顔がほころぶ。耽美なる笑顔に黄色い声援のボリュームが増した。
「イーリス・フォン・ガードナー」
しかし次の瞬間――
「君に会うために俺は戻ってきた。俺は何度でも言おう。君が好きだ。そして、君と結婚するためならば何でもする。かの天才、アルフレッド殿下にも勝って見せる」
黄色い声援は悲鳴に変わった。そして野郎の歓声は怒号に変わる。
「君に見合う男になって帰ってきたつもりだ」
放心状態のイーリスの前に堂々と立ち。その手を取って甲にキスをした。
「答えはいつでも構わない。いつまでも俺は待つ」
パロミデス、鮮烈見参。
○
「――俺が何処の顔役か、わかって言ったんだろうな、小僧」
「もちろんです、ホルガー様。アルカスでも有数の武力派をまとめる組織の大旦那にして貧民街を三分する影の王。表側にもかなりの影響力をお持ちだ」
「その俺にアポイントを取って、言うに事欠きゴミ掃除の提案だと? アルカディア王家の出来損ないは、かなりのユーモアをお持ちと見える」
「恐縮です。しかし、存外こういった隙間を埋めることが、他者と差をつける一因になることもあります。私は大旦那、貴方にメリットのある提案を持ってきたつもりです」
アルフレッドはホルガー・ヒューグラーという男の屋敷に訪れていた。眼前の男は混沌を暴力により治め、彼らなりの秩序を与える代わりに富を喰らう怪物である。その怪物相手に商談を持ち込んだアルフレッドの眼は一歩も引かない強い意志を持っていた。隣で固まっている商会の補佐役は緊張のあまり震えが止まらない。
「ゴミ掃除に金を出すってのに、どんなメリットがあるってんだ」
「現在、ホルガー様がご面倒を見ておられる地域、貧民街、商工区、歓楽街、どこも競合、競争相手がひしめき合う中で、抜きん出る方法。それこそが、大旦那が鼻で笑われたゴミ掃除、街の美化です。汚い場所よりも綺麗な場所を人は好みます。同じレベルの飲食店なら、綺麗な方を選ぶ。入りやすい方を選ぶ。店の美化だけじゃない。街全体を美しく保つことで、人間の無意識を揺さぶるのです。何となくこっち、人間の思考などその程度のもの。だからこそ、隙間を埋めることで誘導できる」
「なるほどな、確かに、人は集まりやすくならぁな。ってことは金も集まる。道理だ」
ホルガーの眼が細まる。
「歓楽街のメリットはわかった。景気も高まりゃゴミも増える。正直、手は欲しいと思っていたからな。前向きに検討しよう。だが、他はどうする? 直接金に結びつかねえ地区も、貴様はこの見積に記載してるよな。こりゃあどういう了見だ?」
回答次第でホルガーは周囲の武力を行使する可能性もあった。軽はずみな言葉は死に繋がる。ここは虎穴、彼らの牙や爪を避けて目的を達成せねばならない。
正念場である。だからこそアルフレッドは爽やかな笑みを浮かべた。清涼なる蒼き風がふわりと空間を支配した。ホルガーは驚きの目を向ける。
「ホルガー様、無礼を承知でお聞きします。貴方に野心はおありですか?」
「俺の質問をはぐらかそうってのか?」
「まさか、野心の有無、そこが肝要なのです。無ければこの御見積、破いて頂いて結構。有りならば、此処からこそ本当のメリットと成ります」
「……続けろ」
「承知。今、アルカディアで他者と差をつけるには、武力ではなく金、それは当然ご存じのはず。金があれば位も買える。貴族にだってなれる。ホルガー様も成ろうと思えば、すぐにでも成れるでしょう。貴方は金をお持ちだ。それはこの国において、この時代において、強者ということに他ならない。だが、だからこそ、それだけではこの先は、ない」
アルフレッドの瞳に炎が揺らめく。風が熱を孕み始めた。今、この場の空気はこの年若い少年が支配している。まだ十代、王子というレッテルが無ければ会おうとも思わなかった、ただのガキが、これだけの雰囲気を隠し持っていたのだ。
「金がものを言う世界は、あくまで下界の話。本当の上流にとって金とは、あって当たり前のもの。わざわざひけらかすのは無粋。彼らが比べるのは歴史と実績、つまりは家名の格を比べています。きっと、ホルガー様が貴族にならぬのもここが理由でしょう。ヒューグラーが貴族になったところで、小金持ちの成金扱いされるだけ。それは、正解です」
無礼極まる発言に殺気立つ周囲。しかし、アルフレッドは動じない。むしろ笑みを深め、覗き込むようにホルガーの眼を見つめている。
「歴史は、今からでは間に合わない。ヒューグラーの歴史はホルガー様が作らねばならないのです。では、もう一つ、実績の方はどうでしょうか。これも難しい。戦が無くなった世界で、名を上げるのは非常に困難。偉大な発明、発見をし、革新をもたらすか、今よりも遥かに稼ぎ、貴族の財布をも握るか、色々あるかと思いますが、一番シンプルな方法がなくなったのは事実。それにアルカディアでは、金を稼ぐのもままならない」
「……テイラー商会、か」
「ご明察。彼らは国に喰い込み、異業種を取り込み、巨人と成った。ここより半世紀は彼らの天下でしょう。金の支配者、真なる強者こそテイラー商会。ここと同じ地平で組み合うのはおすすめしません」
アルフレッドは軽く手を叩いた。ぱん、と軽妙な音で空気が切り替わる。
「ではどうするか。そこで私の提案が活きてくる。ゴミの排除という目に見える形で地域民へ貢献し、他地域との差別化を図る。続けていけば周囲の目も変わる。この地区の顔役は違う。他よりも立派な人だ。周囲の声が、貴方を押し上げてくれるのです。そしてその眼が、声が、貴方に格を与える。街を綺麗に保ち続けること、これは、実績です。貴方が今儲けている分からすると微々たるもの。それだけの金で、格が買えるなら、如何ですか。十分な、メリットに成り得ると思いませんか。聡明なホルガー様なら、この損得、違えることはないはずです」
ホルガーは、にやりと獰猛な笑みを浮かべ――
○
「大旦那、宜しかったので?」
帰路につくアルフレッドたちをカーテンの隙間から覗き見るホルガー。
「試して効果がありそうなら続けりゃ良い。無ければやめりゃあ良い。そんだけの話だ。まあ、主戦場の歓楽街に手が回せるだけで充分。他はおまけみてーなもんだろ」
ホルガーはパイプをくわえ紫煙を燻らせる。
「無礼な小僧でしたな。何度か、踏み込み過ぎな場面がありましたぜ」
「テメエと違って弁えて踏み込んでんだよ馬鹿が。噂と違ってなかなかに大物。あの年で、勝負所がしっかり見えてやがる。良い雰囲気だ。同じ提案でも、テメエらぼんくらとあの小僧じゃ聞こえ方が違う。俺のホームで、空気を塗り替えられるとは思わなかったぜ」
小さくなっていくアルフレッドの背を見て、ホルガーは一つの確信を得た。
「俺ァ、つくべき相手だけは間違えたことがねえのさ」
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