始まりの悲劇:いつかを目指して
ウィリアムは顔を歪めながら全てを聞いた。
「ようやく合点がいったよ。違和感の、全てに」
「伝えるべきではないと旦那様は判断されておりました。こうしてお伝えしたのは我らの独断、どうかお許しください、ウィリアム様」
「いや、許し難いのはこんな『裏』を抱えて旅立った方だ。何が、義弟、何が……あまりにも身勝手だ。あまりにも俺が滑稽すぎる。知らぬままなど、ありえない」
きつく、きつく、歯を食いしばり、わざとらしく怒りを見せるウィリアム。
その強がりに、男は確かな繋がりを感じた。
だから、本当は、これだけはヤンが伝えようと思っていたモノを手渡す。
「これは? ほとんど読まれていないようだが」
「はい。旦那様はお読みになりません。それは貴方様のものだからです」
「……私の?」
ウィリアムは本を開く。其処には簡単な、本当に簡単なアルカディアの言葉が並んでいた。りんごやたまご、ミルクにパン、石、空、雲、単語が並ぶ。これをヤンが読むとは思えない。だが、自分がこんなものを読んだ記憶も無い。
「アルレット様が貴方のために購入された本になります」
「……ねえ、さんが?」
「はい。自分には学がない。だからこそ貴方様には学を得て、真っ当な人生を送って欲しいと、その願いを込めてご購入されたものです」
「……そ、んな、馬鹿な。ねえさんは、足手まといの、俺を、置いて」
「いいえ。もう少ししたら、もう少し、落ち着いたならヴラド伯爵に弟も住み込みで働かせて欲しいと頼もうとしていたようです。そして、それはもう少しで叶った。旦那様が貴方様の前に現れなかった最大の理由は、自分のせいでアルレット様の努力を、身を削ってでも叶えたかった願いをも壊してしまったから。その悔いが、今日まで――」
「何だよ、それは。何なんだよ、それはッ!」
今のウィリアムらしからぬ狼狽。最終戦争を経て、完全無欠と成った男とは思えぬほど、至高の英雄白騎士は揺れに揺れていた。ずっと欲しかったモノが目の前にある。答えが、この手にある。疑心があった。最愛を知ってなお、姉もまたそうであったと確信が持てなかった。それは仕方がない。小さなアルには見えない世界があったのだから。
「一緒に住む? あの男と? ハハ、反吐が出る。あのヘルガがそんなことを許すと思うか? 姉弟そろって闇討ちされて死ぬのが関の山だ。本当に、愚かな人だ。こんなもの、何の価値も無い。本当に、簡単すぎて、嗚呼、そうだな、姉さんはこれだって読めなかった。あの頃の俺も、読めなかったんだ。こんな、ものすら」
答えが手の中にある。あの日抱いた痛みは正しかったのだ。
疑心を抱いた己の醜さが痛い。信じ切れなかった、汚れてしまった己が心底憎い。
「こっちは算術の本。足し算引き算、ふふ、実用性がない。でも、嗚呼、これも出来なかった。忘れていたよ、何も無かったあの日々を。当たり前のように知識があって、当然のようにそれを行使する日々。優しく、実の息子のように全部、教わった。ゼロから、ああ、そうだった。あの頃はいつもギリギリで、こんなことすら、忘れて、いた」
そして改めて知る。自らの業を。
自分の周りには愛が溢れていた。自分がそれを拒絶しただけ。少し手を伸ばせばあったのだ、それは。探せば、見つかったのだ。欲しかったものすべてが。
この手が汚れる前に見出すことが出来たなら――
「姉さん、俺、アルカディアにある本はほとんど読めるようになったよ。算術だってさ、実用的な公式は全部頭に入っているし、未だに算盤を弾かせたら大したもんなんだぜ? そりゃあ上には上がいるけど、アルカスの、王都の中でさえ上から数えた方が早いよ。それだけ詰め込んだんだ。たくさん、努力して……でもね、俺はきっと姉さんが望んだ大人じゃない。醜くて、汚くて、ありとあらゆる手段を使って這い上がったんだ」
間違える前に知ることが出来たなら――
「ごめんね、姉さん。ごめんなさい、ノルマンさん。俺は最初から間違えていたんだね。ありがとう、本当に、愛してくれて、ありがとう。だから――」
ウィリアムはとっくに乾いたと、失ったと思っていた涙をぬぐう。
「俺は征くよ。間違えた、間違え続けた俺にしか出来ないことを成すために。時間はそれほどないかもしれない。でも、土台は築いてみせる。次の時代が立ちやすいように破壊して、繋げてみせるさ。姉さんとヤンさんが当たり前のように手を繋いで歩ける世界を目指して。それが俺の道だから」
ウィリアムは王の仮面を被る。もう、其処に真実を知って泣いた男はいない。隠されていた愛を知って、止めどなく涙を流していたアルは、いない。
「ウィリアム様。ほとんど旦那様の手で処分されましたが、どうしても処分できなかった一枚の絵がございます。こちらも、お渡ししておきましょう」
埃被っていた布を男が捲ると、其処には――
「……なるほど、俺はこんな顔をしていたのか。馬鹿みたいに笑いやがって。貴方には悪いが、貴方の主人、再会の暁には一発殴らせてもらう。酷い話だ。空回ってばかりで、詰めが甘くて、本当に、不器用が過ぎるよ、姉さんも、義兄さんも」
三人が屈託なく笑う一枚の絵があった。あまりにも眩しくて、一瞥するだけで充分であった。これ以上は耐えられない。もしかしたら、幾度も考えてきたがこの『もし』は、刺激が強過ぎる。こんな未来があると良い。自分がいなくとも、これが当たり前にある世界が来るなら、それで良い。そのために戦おう。今日からを。
「貴方はこれからどうされるので?」
「私はガリアスに亡命しようかと思います。ゼークトの血は二つに別たれましたが、こう見えて実はグスタフとは飲み友達でして、あちらで余生を、と。それにオスヴァルトの空気が合わんのです。剣ばかりで息が詰まります」
「余生と言うには若いでしょうに」
「いえいえ、良い歳ですとも。時が過ぎるのは早いものです。父は今際に貴方様への謝罪を零しておりました。自らが見抜けなかったことで、全てを狂わせてしまった、と」
「申し訳ない。ただ、あの頃の私に何を言っても、届かなかったですし、全ては私の選択。狂っていたのは他ならぬこの私自身なのですから。名も無き獣の、ね」
「いつか、私の口から伝えておきます。本当であればここに立って、貴方様に全てを伝えたかった父に、此処で見た全てを」
「こそばゆいですね。ですが、お願い致します」
ウィリアムはこの小さな秘密の部屋を一望する。
「鍵を頂いてもよろしいですか?」
「もちろんです。ここはもう、貴方様のものなのですから」
「私も終わる時には自作の本でも寄贈しようかと。そして、鍵は元の場所に戻す。ロマンがあるとは思いませんか? いつかの誰かが、遥かな時を超えて、物語を知るのです」
「……驚いた。父に伝える事柄が増えました。貴方様はロマンチストであったと」
「お恥ずかしい限りです。さて、夢を語るのは此処までにしておきましょうか」
ウィリアムはもう一度絵を見つめ、本をそっと棚に戻す。今度来るときは終わりの間際、自分の終点を見出した時。その時にもう一度ここに来よう。愚かなる男の一生を綴った業を残して。この時代を、いつかの誰かが知る。
そのいつかが今よりも良い時代であることを願い、自分の御話がただの喜劇として、滑稽な物語であると皆が笑って見れる時代であることを、ただただ願う。
無知で優しい姉と、不器用で傲慢でその癖臆病な義兄の想いをも背負い、ウィリアム・リウィウスと言う仮面を被った男は新たなるステージへと踏み出す。
いつか三人で歩ける日を胸に、業の王は天を目指す。
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