始まりの悲劇:独白Ⅲ

 北方へ。こっそりと外からあの子の一日を眺める。

 早朝、剣の稽古。朝食は家族と共に。子供は妻に預け、工房で会議。議題は、弓、かもしれない。新しい弓でも製作するのだろうか。昼過ぎまで続き、お昼は婦人お手製のお弁当を工房内で食べる。別の場所で、あれは商会の人間だろうか、どこかで見たことがある。指示と、少しの会話を経て解散。次は別のところへ――

 そして夜。家族と夕食を共にし、寝静まった頃合いを見計らって、家を抜ける。工房の裏から地下へ。さすがに侵入するわけにもいかないので待機。深夜を回ったくらいだろうか、死臭を纏った彼が地下から出てくる。明らかに普通ではない。

 そして、それを出迎える夫人もまた、何かがおかしい。

「立ち止まれない、か」

 ずっと観察していると、人サイズの頭陀袋が運び込まれ、小さく、複数に小分けした袋が外に運び出される。人と仮定すると、何と言う恐ろしさか。

「怖いね」

「おう、テメエが一番こええよっと」

「……失敬だねグスタフ」

「ストーカー此処に極まれり、だな」

「ライフワークだね。一番向いているかもしれない」

「第三軍に今すぐ引き渡したいぜっと」

「それは困る」

 彼は立ち止まれない。この平穏でも駄目なのだ。この国にはもう一人の彼がいる。アンゼルム君も相当指せるようになった。今の自分では、おそらく壁として彼らと同じ程度にしか作用しない。それに、止めたいのなら、この状況でも足りないのだ。

「ガリアスへ行く」

「何のために?」

「彼を止めるため、だ。北方に封じ込めても駄目ならば、引きずり出して敗北をプレゼントするしかないだろ? 今の僕じゃ不足だ。でも、明日の僕は分からない」

「……それがテメエの選択か?」

「ああ。止めるなら、君とも剣を交えるつもりだ」

「止めねえよっと。俺も行くぜ」

 驚いたさ、とても驚いた。

「驚いてんじゃねえよ。何処までもテメエに付きまとうって言っただろ?」

「どっちがストーカーだよ」

「さあな。つーか、誘えばヘルベルトの奴も来てたと思うぜ。堂々と、今みたいな熱い眼で見つめりゃイチコロよ。俺もあいつも、テメエに槍を、剣を預けた。オスヴァルトを捨ててでも、ただのヘルベルトとしてあいつも、なァ」

「……そうか。墓前に挨拶してこなきゃな」

「テメエの分もしてきたよっと。あと、妹から伝言だ。もうゼークトじゃないからどうでもいいけど二度と帰って来るな馬鹿兄貴だとさ。あと小さくご武運をって言ってたぜ。言うなって脅されたけどよ。爺やの息子が段取りしてくれてる。いつでお行けるぜ」

「……本当に、僕は周りに恵まれていたんだね」

「気づくのが遅ェよ馬鹿たれ」

 僕は恵まれていた。そう思わなかったから、そう見えなかっただけで。愚かな自分が嫌になる。だから、僕も彼らを見習おうと思う。かつて格上に、ただのヘルベルトとして挑んだ彼を。絶対に勝てない『黒金』を前に散った皆を。

 ただのヤンとして挑戦しよう。

 世界で一番大切なモノのために、僕は世界を切り捨てる。

 世界に彼は渡さない。彼女の大事な宝物は、僕の大事な宝物に成ったから。


     ○


 ガリアスに渡ってすぐ、今にも死にそうなガイウス王の前に通された。

 本当に、いつ死んでもおかしくないのに――

「やだもんやだもん! 余は絶対にそれ以外認めないもん」

「もんって……どうなってんだ革新王はっと」

「諦めた方がいいよ。陛下は一度言い出したら聞かないし、たぶん、見届けるまで死なないんじゃないかな? あの眼は久しぶりに見たよ」

 王の頭脳であるリディアーヌでさえ無理だとため息をつく。

 でも、僕は嫌なのだ。何しろ彼女だけを愛すと決めていたし、そういうことは愛し合う者同士ですべき。僕はともかく相手が嫌だと言うだろう。そんなやり方、いくら何でも人道に反する。人の気持ちを踏み躙る――

「あれ?」

「おいこらッ! 何してくれてんだこの緑髪ッ!」

 僕の首元に矢が突き立つ。とても小さな矢じりで、殺傷能力はなさそうだけれど、とても眠くなって、意識が――

 気づいたら朝だった。

「……ウソだろ?」

 そして僕は裸だった。

 そして僕は一児のパパと成った。その懐妊を見届けてすぐ「余の言った通りであろう? 才は残してなんぼ、繋げてなんぼよ。では好きにせよ、王の槍」ヤンにはそれだけを言い残し革新王は散った。

「わたくし、的を外したことはありませんの」

「あ、そうですか」

 高らかに笑う彼女は、とても美しいが怖かった。ついでに隙間から『蛇』の取りまとめであるアダンが殺気をこぼしているのも辛かった。僕は何もしていない。誓って。

 ガリアスに来てからは情けない姿ばかりさらした。

「ありゃ? 僕も的は外したことなかったんだけどなあ」

「……まあ、あの日とは大違いでちゅねえ。情けないパパでちゅねえ」

「……そのパパってのやめてくれないかい?」

「事実でしょうに。男ならどんと受け止めなさいな」

「それはそうだけど、ねえ」

「弓は的を見てぐっとやってひゅっと射る。すぅっと美しい軌跡を描いて的に突き立つ。簡単ですわよ。この距離なら十割射て当然のこと」

 彼女も天才で、感覚派だから何一つ参考に成らなかったね。

「これでジャクリーヌに勝ったァ? 信じられないんだけど。弱過ぎない?」

「僕も驚いているんだけどね。ほんと、びっくりするほど弱くなったなあ」

「あのヤンが転がされてやんの。超おもしれえ、なっはっはっと」

 完全に点が見えなくなったことで、自分でもびっくりするほど弱くなってしまった。センスが枯れたのだろう。弓は的に当たらないし、槍は何もかもピリッとしない。

 剣は何とかマシだったんだけど――

「あの日、貴殿を見た全員が絶賛した至高の剣とは思えぬ凡夫っぷり」

「……参ったねえ。これは、参った」

 ボルトースに受け流すつもりが吹き飛ばされて、僕は本当に参ってしまう。遅まきながら欲し始めると、するりと消えていったセンス。正解が見えなくなった。辿るべき道が見えない。普通の皆は、そんなもの見えないと言う。

 僕は初めて同じ立場に成って、その怖さを、心細さを知った。

 それでも僕は諦める気など毛頭なかった。

 自分が弟だと思っていた、弟に成って欲しかった彼の背を、その姿を見ていた。才能が無くなったのなら、努力で補えばいい。それだけのこと。

 積み上げる。丁寧に、考えながら、最善を模索する。

 今の僕、それに全てを適合させていく。見えないモノを求めるのではない。見えないなりの戦い方を求める。幸い、僕は僕の答えをずっと見てきた。ならば、それをイメージする。かつては結果からの逆算で、今度は過程をもって結果に近づける。

「よしッ!」

「一射外れてまちたねえ。パパはじゅかちいでちゅねえ」

「……百発九十九中何だから良いじゃないか」

「その一発が戦場で出たらどうしますの? やり直し」

「……はぁい」

 少しずつ――

「こ、んのッ! しつっこい!」

「……まだ、まだぁ」

「……ったく、凡人の癖に強いなんて、先代のおっさんを思い出しちゃうじゃない」

「あ、ランベール? 僕が殺しちゃってたね。あはは」

「あははじゃねえよ糸目のおっさん!」

「あいつ、やっぱ人の心がわからねえんだなっと」

 近づいていく。

「随分取り戻したようだな、天才の剣を」

「いやいや、緩急自在、流麗たる湖の騎士様にはまだまだ」

「緩急に対応するだけではなく、取り込んでくるとは、気持ちが悪い」

 かつての自分を。いや、かつての自分を追っているわけではない。今の自分を高めているのだ。今の自分がどうやって彼に勝つか。そればかりを考える。

 ガリアスにて阻む。その不断の覚悟が――

「……お見事」

「ばぶ」

「どうも」

 才能を――

「……互角、ね」

「今僕が勝ったけど」

「十回中一回でしょ! 私の方が強いし!」

 かつての天才を――

「参った。これほどか、ヤン・フォン・ゼークト」

「いやいや、たまたま上手く受け流せただけですって」

「くっそうめえなあのおっさん」

「手合わせしてくればいい、白雲。いい勉強になる」

「おっけー。良いね、アガるぜ」

 超える、まではいかないけれど、良いセンには到達した。かつて見えていたモノは未だ見えない。それで良いのだと僕は思う。

 準備は整った。

「さすがはヤン殿。勉強になりました」

「気を付けて行ってくるんだよ。彼は強いからねえ」

「ハッ! レノー・ド・シャテニエ、行って参ります!」

 戦術ならばレノーが勝つ。彼の其処に対する貪欲さはスペシャリストのそれ。アンゼルムも相当特化しているが、それでもその才に特化し、それのみを磨き続けた神童には勝てない。きっと彼が出てくる。同じ駒ならば、同条件ならば、レノーが勝つだろうが――

「さてさて、どうなりますかね」

 秤としてはうってつけ。

 結果としては白騎士が復帰戦を大勝で飾った。見事な逆転劇、始めから仕込んでいた黒狼と言う切り札。さすがの広さだと脱帽するしかない。まあ、三つ目を動かさなかった以上、ガリアスを詰ませる気は最初から無かったのだろう。

 それをする気なら最後の一押しで彼女の力が必要に成ってくる。

 だから此処に僕は居たのだけれど――

「暇だねえ」

「暇だなっと」

 死闘の影でのんびりとお茶をすする僕たちは何とも滑稽であった。

 あとでエウリュディケたちにこっぴどく怒られたのは内緒だ。これが最善手だったと説明してもリディアーヌ以外聞いてくれないし、そのリディアーヌも悔しさを自室で本をぶちまけてヤケ読書で晴らしていたため、救いの手は無かった。

 あの子はとても周到の準備をした。だが、ガリアスにはまだ余力がある。どこかが動けば、仕掛ける力は常にある。まだまだ終わらない。まさか、ゲハイムまで利用してくるとは思わなかった。本当に無駄がない。

 エルンストの復讐心を利用し、自分を絶対とする仕掛け。

 なるほど、と思うと同時に勝てない、と思い始めていた。

 武も智も、戦場に限れば今の自分はともかく、かつての己であれば勝てると思う。だけど、盤外で勝負を決められてしまえば、所詮戦場でしか戦えぬ僕らでは太刀打ちできないだろう。そんな彼がガリアスに来る。狙いはわかる。分かるが――

 止められない。

 すでにこちらも仕掛け済み。何という周到さ。そして嫌らしさ。道理だけでなく人の感情すら操る様は、一種の芸術だっただろう。ガリアスまで来て、まさかここまで差を突き付けられるとは思わなかった。どこかで自分ならば勝てると思い込んでいた。

 それが引っ繰り返ったのだ。

「僕はのんびり出来なさそうだからやめとこう、かな。もっと気楽じゃ駄目なのかねぇ」

 勝負が決まった後の言葉。意味は無い。それでもあの子は少しびっくりした顔で僕を見て、ほんの少しだけ拗ねたような顔をしていた気がする。可愛い。

 戦場を超えた広さ、力。時代の流れが彼を選んだ。阻もうとした友もすでに亡く、かの国に阻む力は無いだろう。ガリアスとて、もはや掌の上なれば、答えは出ている。

 勝負をする前に、勝負が決していた。

「やる気なさそうですわね」

「どうだろう? それなりにはあるつもりさ」

「……弓はわたくしが教えます。剣は、貴方が教えなさい」

「……わかったよ。君も死なないようにね」

 そう言って彼女は彼女の相棒と共に疾風迅雷が如く駆けていく。想定よりも深く食い込んだ戦場。黒狼王と戦女神の組み合わせ、巨星が二つともなれば多少の不条理も仕方がない。かつて自分が受けた不条理を思い出す。

 ベルガーが、ストラクレスが、三大将が、彼らの背が見える。

 そして、見た。

「嗚呼、そうか」

 新しい時代を。新たな時代の戦場を。この戦場ですら始まりに過ぎないのだ。

「僕は、もう――」

 ならば、もう、自分では――今、この時、正しくかつての天才は、僕は、折れた。

 新たなる時代に僕の居場所は無い。

「……あっ」

 それでもやるべきことはある。

 一瞬、迷う。ここで死んだ方が幸せなのでは、と。終わった方が楽なのではないか、と。でも、そう思った瞬間、それを否定する自分がいた。死んだ先に意志があれば、きっと彼は同じように自分の罪を憎み続ける。

 せめて、死出の先くらいは穏やかに生きて欲しい。

 今の世に幸せは無くとも、いつかの彼方で、幸せを手にする己を許せる日が来るのなら。そのために僕は今日を戦う。

 僕の全力を出す。今、この時のために僕は生きてきた。

「これでも僕はね、天才って呼ばれていたんだ」

 かつての自分はもういない。

「絶望から立ち上がった彼と、立ち上がれなかった僕。その差が今だとしたら、覚悟の差は本当に、本当に大きい。そうは思わないかい、天獅子」

 今日、僕は勝てないと悟った。かつての己を秤に乗せてなお、届かない、と。

「いや、誇らしく、とても悲しい。それだけさ」

 それでも守ることはできる。命が燃えている。僕の全部が、ありったけの想いが、冷たく燃焼しているのだ。この若き英雄を退け、見せつけてやろう。

 少しくらいはかっこいい背中を――

 物真似、その域を超えて、修練の果てに自分のモノとした。

(嗚呼、本当に、『お前』はきまぐれ、だなァ)

 そして重なる。かつて視えていたモノが戻ってきた。

 積み重ねたモノと視えていたモノが重なり、燃焼する熱情が蒼く燃え盛る。

(勝ったッ!)

 かつて幾度も重ねた確信。答え合わせでしかない。見えた点、かつてよりもはっきりとくっきりと見えたそれ。手を伸ばせばすぐにでも届きそうで――

(――え?)

 それなのに、僕は届かない。

 より強く、より激しい蒼が、獅子の牙を彩り、僕の全部を飲み込んだ。あのストラクレスにだって届くはずだった己の天賦、それを超えた獅子。

「……強い、ねェ」

 一瞬の出来事。桁外れの強さを持つ獅子の眼に僕はもう映っていない。狙いはただ一点、僕の大事な宝物。それは、いけない。勝つつもりだったけれど、これはこれであり、だ。

(やるべきことは分かっているね? この場で、熱は不要だよ)

 刹那の邂逅。本当に、素早く彼は動いた。やるべきことを躊躇わずやる。ちょっとくらい怪訝に思うなり、少し迷うなりしても良いんじゃないかな、と思うけれど、でも、彼が行く道を考えれば、これで良いのだと思う。

(最後で、ようやく役に立てたよ。君の……は優秀だからさ。役に立つのも一苦労、だね)

 視界が薄れていく。嗚呼、見えていたモノが全部零れて――

 見えなかったものが見えてくる。

「お久しぶり、ヤン」

「……嗚呼」

 あの日の、あの絵のまま、彼女は其処で待っていてくれた。自分の抱いた思いは間違いではなかったのだと、ようやく確信できた。

 永かった、とても、とても永かった。

「あの子を待っているのかい? 残念だけど、彼は来ないよ。彼は誰かの騎士じゃなくて、皆の王を選択したんだ」

「それでも――」

「それでも待つ? わかった、僕も待とう」

「ありがとう、ヤン。貴方ならそう言ってくれると信じていたの。それに、私はあの子と、貴方も待っていたのよ。どうしてももう一度会いたかったから」

「そう、か。嬉しいよ。今度は、今度こそは一緒だ。ようやく、君に会えた。もう離れるのは嫌だ。ずっと一緒だ。永劫、君を離さない」

 二人で待とう。彼が望むと望まずとに関わらず、待ち続けよう。彼を守れなかった罪を謝罪して、共に背負う許しを得るために。共に贖罪の道を歩む家族として――

「頑張れアル。僕の義弟よ!」

 その先に輝く光を、かつて届かなかった未来を夢見て。

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