始まりの悲劇:独白Ⅱ

 彼の生き方は、嗚呼、傍目に見ていると危うくて仕方がない。

 足りない器に、丁寧に丁寧に努力を積み重ね、己と言うリソースを無駄にせず使い切る、そんな努力の積み方。そもそも足りないならば挑戦しなければいい。以前の僕ならばそう言っていたし、彼の器で戦場の覇者を目指すのはあまりにも厳しいと思った。

 実際に彼は最終的には戦場の王を諦めたし、それで良いのだと思う。そもそも他の星に比べて執着は限りなく薄く見えた。だが、それでも積んでいる。今この時を、彼は全力で積み上げている。足りないことは理解して、補い、高め、少しでも前へと。

「この遊戯は面白いねえ。人の色んな面が垣間見える。僕は軍将棋が好きでね、よく人を測るのに使っているんだ。今の君でもヴィリニュスは落とせるよ。でも、その先行き詰る。巨星を堕とすには、まだ足りない。熱も、冷たさも、ねえ」

 よしよしと頭を撫でてやろうと思ったら存外喰らいついてきたがゆえの両断。思っていたよりも強く、鋭く、深い。だけど、だからこそ此処で負けさせた方が成長につながると思った。なるべく余裕たっぷりに、年上っぽく勝利する。

 よく見ると普通に逃げ場があって焦ったけど、其処を見逃した彼が悪い。あとで解説することでさらなる余裕を演出。背中にちょびっと汗をかいていたことは内緒だ。

 少し詰めが甘い部分がある。その点僕に似ていると思わないかと後にグスタフへ投げかけたが、嬉しがることじゃないとこちらが両断されたのは余談である。

 武も智も、同世代ではトップクラスであろう。弛まぬ修練のおかげげだ。でも、どちらも足りない。武は個人的な観点から言うと論外だし、智も広さは相当なものだが、一分野の深さに特化したスペシャリスト相手では少し、落ちる。

 あくまで彼の強みはジャンルにこだわらない広さ、論理的思考をベースに無数の点を繋げて多様な回答を導き出すことができる点にある。武に比べれば遥かに頂点に近い才能はあれど、最後のひと山を越える才能と熱量は無い。

 本人もそのつもりがないのだろう。あくまですべてが手段、武も、商も、全てが手段ならば、彼の目的が分からなくなってしまう。

 復讐だと思っていたが、出会った時点でそれを成す力は得ている。いつでもやれる。踏み台にするためにあえて、そう考えるしかない。それ以外、僕の考えの中にはなかった。

 北方を征服しての大返し、見事な手際だった。だが、危うい橋である。ギリギリ、何か一つの取りこぼしで全てが破綻する道を平気でひた走る。生き急いでいる。僕が言うのも何だが、どこかそう見えていた。前へ、前へ、彼の眼は真っ直ぐに何かを見ている。

 強迫的なまでのそれ、その原動力は何だと言うのか――

 やはり、その時の僕にはわからなかった。

 全てがギリギリ、細い道、凸凹まみれで踏み外せば奈落の底。そこを駆け抜ける。怖くないわけではないのだろう。時折見せる顔はいつだって余裕などない。笑っている時も、言葉一つ交わす時でさえ、眼の奥にはいつも焦りが見受けられた。

 彼の原動力、分からないまま時が過ぎる。

 復讐の達成。誰が真の下手人かなど僕の立場なら容易に推察できる。報告、と伯爵と使用人の末期、デスマスクを暗殺者から受け取り、それを捨てて様子を窺いに行った。最愛を抱くあの子の姿、全身で愛を叫ぶ彼を見て、涙が零れそうになった。

 だってそうだろう。彼が全てを演出したのだ。復讐の達成など些事、本当は彼女が狙いだったのだ。彼女の喪失、満たされることを拒絶して、さらに前へ。

 目指すべき先が見えた。彼女では足りない。彼が積んでいた理由もわかった。世界で最も広さが必要とされる、彼の天職。

 王を目指しているのだ。

 何のために、僕は自分に問いかける。姉のため、己を捨てることを余儀なくされた自分のため、ひいては、世界のため。その時の僕は彼の復讐が、ヴラドではなく世界の破壊にまで及んだと思っていた。貴族の、王族の、彼らに優位な世界を破壊し、新たな世界を創造するために邁進していたのだと考えた。

「くだらない世界のために、一番大事なモノを捨てられるからさ」

 グスタフに言った言葉。これは間違いではなかった。でも、正解でもなかったのだと僕は後に知る。もしかしたら、最初は復讐だったのかもしれない。自分たちを不幸にした世界への復讐。そのために積み上げたものであったのかもしれない。

 彼が僕に出来なかったストラクレス打倒を成し、同時に僕の友であったヘルベルトが討たれ、入り乱れた状況の中、とうとう彼はギリギリから踏み外した。

 僕と同じように北方へ送り込まれ、其処で家族を成し、平穏に暮らしていると聞いて僕はようやくほっとした。かの地を覆う静寂が、彼を取り巻く愛が、彼の復讐心を押し潰してくれたのだと思ったから。

 だが――

「やあ、大活躍だったねぇ、穴掘りカール大将」

「どうもです。何とか皆のおかげで役目を果たすことが出来ました」

 彼、カール・フォン・テイラーとの会話で、僕の考えが浅かったのだと知る。

「これでネーデルクス方面は一安心かな?」

「だと良いんですけど。ガリアス方面もありますし、まだまだ気は抜けません」

「……一仕事終えたんだから休めばいいのに」

「彼ならそうしないから。僕も彼を倣って頑張ろうかと」

 あの子のモチベーションは復讐心。なればカール君にそれは無い。だから問うた。特に意味は無いけれど、それほど興味があったわけじゃないけれど――

「君や彼は何故そんなに頑張れるんだい?」

 世間話の延長線。

「何故、ですか。いや、確認したわけじゃないですよ。僕が勝手に思っているだけで、全然見当違いの可能性もあるんですけど……僕と彼って少し、似ていると言いますか」

 いや、全然似ていないと思うけどね、僕の方がどちらかと言えば似ていると思うけど、なんてこの時には思ったっけ。結果としては、真逆だったけれど。

「そんなに強くないんです。十人隊の時は良くうなされていました。百人隊に成ってから、うなされては無いんですけど、寝顔を見ると、やっぱり歪んでいて――」

 何故、彼は同僚の寝顔を見に行っているのだろう、と思ったのも束の間。

「その時は全然、理由が分からなかった。上に立って、自分のせいで負けて、逃げて逃げて逃げて、生き延びて、振り返ったら、分かったんです。嗚呼、これが彼の見ていた風景なんだって。たくさんの人が死んで、積み重なって、全部、自分の指示で、それが積まれている。重くて、吐き出しそうで、投げ出したくなる。罪悪感」

 最後の言葉。僕には相変わらず理解出来ないけれど、何故だろう、とても答えに近い気がした。復讐心とは真逆の原動力。真逆ゆえ、裏表であるそれは――

「僕らは弱い。当時の僕は見ようとしなかったけれど、あの頃の彼と言ったら結構すれすれで、いや、たぶん踏み越えていた。その恩恵をあずかっていたので、否定する気はさらさらないですし、戦場で必要ならば僕も躊躇いなくそうする。けれど、残ります。普通の戦争でも残る。消えないんです。仲間の顔が、敵の顔すらも、消えてくれない」

 理解出来なかった。そんな状態でどうやって戦争など出来ると言うのか。僕には、武家として生まれた僕には理解不能な価値観。だからこそ、きっと僕は誰よりもあの子から遠かったのだろう。本当に近かったのは戦友である彼。

「逃げ出してもついてくる。彼らを黙らせる方法は、前へ進むしかありません。嗚呼、それでも黙ってくれないけれど、頑張っている間は、耳が遠くなるのかな、ハハ。僕は彼よりも、たぶん非情です。敵の声は、無視できる。仲間の想いに報いるために、戦っています。彼らの無念を、願いを背負って立っています」

「ウィリアム・リウィウスも同じだと?」

「彼はもっと酷い。きっと彼は、敵すらも無視出来ていない。今も、なお」

 ありえない。そんな彼が今まで様々な手段で、やり方を選ばずに勝ってきた彼が、そんなに繊細なはずがない。元はそうだったかもしれない。でも、今は違うはず。

「罪の意識が駆り立てる。進め、進め、と。立ち止まることを許してくれない。幸福になることを認めてくれない。でも、敵と味方、両方の声を聴いていたら、二進も三進も行かないですね。いやあ、見当外れかもしれないです、はい」

「いや、一つだけ、報いる方法があるよ」

「え?」

 僕は、ようやく、何周も遅れて、辿り着いた。

「世界全部をより良くすればいい。そうしたら、そうして初めて、全員が納得する」

 彼の行動の意味が、彼がギリギリを往く意味が、彼の焦りが、ようやく分かった。

「……ああ、そっか。そうですね、そういう、ことかぁ」

 ギリギリも往くだろう。人の一生は短い。焦りもする。時間は有限なのだ。

「だったら、やはり僕は彼を否定しなきゃ、ですね」

「何故? 他者にとってこれほど有用な人材はいないのに」

「彼が幸せに成れない。僕は彼の親友、のつもりなので、それは許容できないんです。僕は彼よりも非情なので、他国の見知らぬ人よりも親友を優先します」

 それを知ってなお、阻まんとする者。

「人は誰だって生きている限り大なり小なり業を積む。ならば、彼だけが幸せに成っちゃいけない理屈なんてない。確かに彼は多くの罪を犯したかもしれない。僕が知らない罪もあるはずです。それでも僕は幸せを突き付ける。幸せに成ってもいいんだと突き付け続ける。彼を、否定する」

「どうやって彼を否定する気だい?」

「彼に勝って、勝ち続けて、諦めさせます。君じゃ無理だ、僕に任せとけって。彼の壁に成れば、彼は諦めるしかなくなる。進めなくなれば、立ち止まるしかない。この国には、貴方も含めてたくさんの人が彼を愛している。止まった彼を、放っておかない」

 そんな人物のことを、人は親友と呼ぶのかもしれない。

「僕はそのために戦います。それに、悪いことばかりじゃない。彼を目指して僕は強く成れた。彼を超えれば、今の僕よりもずっと多くを守ることができる」

 それは己が擦り減る道。損をする道だと言うのに。

「お得ですよね!」

 屈託なく笑う彼がいる。嗚呼、きっと僕が知らないだけで、他にも多くの友がいるのだろう。僕にもグスタフが、ヘルベルトが、たくさんの戦友が、いたように。

「凄いな、君たちは」

「全部想像ですけどね! あはは」

 だから凄いのだと、僕は心底思った。

 寄り添うのを恐れた自分と、寄り添い続けた彼ら。分かっているのは彼らで、かつてのグスタフに諭されたように、どこまで行っても自分の秤の上。

 情けない話である。

「内側は、君に任せるよ」

「え?」

 今度こそ、本当にやるべきことが出来た。

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