始まりの悲劇:独白Ⅰ

 そこからの日々は僕にとって特別なモノと成った。

 毎日封書が届かないかなとそわそわし、届いたら何を置いても一番にそれを読む。書かれているのは他愛のないことばかりで、内容はお客様が見える範囲でしかないし、常連ゆえに店長伝手で多少の掘り下げは出来ているが、それでも他愛ないのは変わりない。

 そんな内容でも読むと心が温まる。

「背表紙のへこみ、か。細かい店主だなあ。そんなところ客は見ないよ。怒らないならまあ、良いけど。怒ったなら減点だね。いや、怒られると思ったからびくびくしていたわけで、実はすごく厳しい人なんじゃ……ちょっとアルカスへ行こうかなっと」

「このスットコドッコイ! テメエに反省って言葉は無いのかアアン!?」

「……うるさいなあグスタフは。あっち行ってよしっし。それにしても怒られると思って隠すなんて、子供らしくて可愛いと思わないかい? 胸がきゅんとするよね」

「いや、全然」

「……そう」

 グスタフには理解されなかったけど、他愛のない内容の中に垣間見える『顔』が堪らなく愛おしかった。今思えば、それは一面でしかなく、本当の彼を理解するには直接見てなお足りなかったのだ。僕は知らなかった。

 いや、知ろうとしなかった。知りたくなかったから。

「すごいぞグスタフ! 見ろ、この本を!」

「見たぜ。普通の本だ。で、何だよっと。俺ァ部下をかわいがりに行くんだい」

「あの子が訳したんだ! 元はネーデルクス文字の本だよ。堅すぎるけど、丁寧でしっかり訳せている。あの子がだぞ? 読み書きができない。算術も知らない。そんな子が、二年と半年でこれだ! 天才だよ、本当に、素晴らしい!」

「……マジで天才だな。ネーデルクス文字って確かあの古風でひょろひょろっとした奴だよな? 俺ァ読む気も起きねえよ。んで、店の帳簿とかもつけてんだろ?」

「そう! 算盤もお手の物らしい。凄いよね、本当に凄い!」

「凄過ぎねえかよっと?」

「……え?」

 そう、この時に僕は疑問に思うべきだった。僕の基準でさえ『凄い』と思う学習速度。その根源を推し量ろうとするべきだったのだ。だって、少し考えれば分かるじゃないか。あの悲劇の後で、彼が何のために頑張っているかなんて――

 それでも僕は知りたくなかった。

 あの子が自分以上に壊れていることなんて。

「どした? 吹雪の中ぼうっと突っ立ってよ」

「あの子が、死んだそうだ。今度こそ、火事で……夫妻と共に。酷いと思わないか? 僕は良い。どんな目に遭ったって、自業自得だ。それなのに、何故いつも僕じゃなくてその周りなんだよ!? 何故神は、僕が一番傷つく運命を用意するんだ!」

「……あっちは春か。気が緩む季節だなっと。まあ、仕方ねえよ」

「仕方ないって、何だよ!?」

「誰だっていつかは死ぬ。それがテメエにとって大切だろうと、そうでなかろうと、そんなもん世界にとっちゃ知ったこっちゃねえよ。戦争でも、病気でも、事故でも、今もどっかの誰かが死んでるんだ。割り切れよ、ヤン。お前だって俺だって、戦場ではそうしてきただろ? テメエの大切なもんだけがそうじゃねえなんて、ムシが良過ぎるだろうが」

 グスタフは正しい。それでも僕は割り切れなかった。

 僕にとって残されたあの子が全てだったから。

「旦那様……おやめください。そのような暴挙は――」

「きまぐれだよ爺や。かつて残したしこり、彼が残っていたから、くだらない男を殺した手で彼を抱く気に成れなかったから、見逃していたけれど、それも終わりだ」

「それにしてもやりようがありましょう!?」

「僕は自分が許せない。自分が報われる方法で、直接殺すなんて僕にとってはご褒美だろう? じゃあ、そんな方法は取れないさ。まあ、何とかなるよ、たぶんね」

 かつての罪を裁いて、己も死のう。

 そう思ってかつての己では見出せなかった闇に堕ちる。

 久方ぶりのアルカスに感慨は無かった。爺やの手引きとすでにほとぼりが冷めたこともあり比較的容易く戻ってくることが出来た。そして、その足で闇に向かう。収集した情報と爺やの伝手、様々な糸を伝って、辿り着く。

「……ここが何処か理解しているのか?」

「まあ、ね。君がボス? 暗殺を依頼したいんだけど」

「それで討ち入りとは……俺たちも舐められたものだ」

 強い相手だった。特に、追い詰めてから、独特の『構え』を取ってからは強さの桁が跳ね上がった。それに、この時初めて僕は自分の異変に気付いた。

 かつて見えていた輝ける点。それが、あの時にはすでにぼやけ始めていたから。

『よい、白龍。そやつはゼークト家の元天才、あのストラクレスを追い詰めた男じゃて。如何なお前でも、無賃では割に合わんじゃろうが』

「……あれを? この男が、ですか? 信じられません。あの暴力をこの程度の剣で防ぐなど……あり得ぬことです。それほど『黒金』は安くない」

『それに挫かれ、道を諦めた己の武も安くないと言い聞かせておるようじゃな』

「……っ」

『して、客人。死人のような顔をして闇に何を求む?』

 地の底から響き渡る声。空気ではなく、別の何かを媒介とした意思伝達。僕にとっても当然初めての経験で、根源的な恐ろしさに「お前は死んでいない。死んだつもりに成っているだけだ」と突き付けられているような気がした。

「暗殺の依頼を。あの男が最も傷つく方法で、あの男にとって大事なものすべてをぶち壊して絶望に叩き込みたい。金はある。それなりにお坊ちゃまだからね」

『あの男とは?』

「ヴラド・フォン・ベルンバッハ。タイミングと方法はこちらが指示する。人だけ貸してくれ。腕利きの、目標を達成できる人材をそちらが選定してくれればいい」

『自分でやれば良かろう?』

「僕が救われちゃダメなんだよ」

『歪んでおるのお』

 あの声と遭遇したのはこれが最初で最後。あとは全て闇の者を通して連絡を取った。二度と会いたくないと思う。あれは生者が出会っていい存在ではない。

 彼はどう思ったのだろうか。一度聞いてみたいと思って、そのままだけれど。

 そうして闇に渡りをつけて、機を窺った。

「カール十人隊? 無敵の、へえ、優秀なんだねえ。優秀なのにこっちへ寄越されるのも不思議な話だけれど」

「お前に会わせておきたいんだと。バルディアスの爺さんは元天才に見定めさせたいんだろ? そいつの真価を。期待してるんじゃねえの、わざわざ俺に言い含めるってことは」

「興味ないねえ。あ、お茶飲む?」

「要らねえよっと。姿勢、猫背過ぎだろ。剣に響くぜ?」

「僕が今更剣を握ってどうするんだよ。たぶんもう、手遅れさ。センスってのは、無くなる時はあっさり消えるものだから」

「……そうかよっと」

 あの暗殺者、と言うよりも異国の武人との戦いを経て、自分は枯れたのだと知った。まだ、かすかに残っているけれど、それも時間の問題。固執する気も無く、自分にとってはどうでもいい。あとは待つだけ、機を。その後は、緩やかに死ぬ。

 やけくその、八つ当たり。彼の悪癖を知って、それを止めるためにやるんじゃない。僕が僕自身のために、きまぐれに、そうしようと思っただけ。

「シュルベステル攻略のための作戦概要、か。大それているなあ」

 目の前の野心に燃える百人隊長。彼が考えたにしては少し老練な気がするやり口。嫌いではない。遮二無二勝ちに行くこの内容は。実利ではなく誇りを貴ぶ武人には好かれないだろうが、それでも見込みは感じられた。

 少しだけやり口が僕に似ている。その上であえて問わなかった。補給線を断つ、その一文をどうやって遂行するのか、を。噂のカール十人隊とやらの仕込みであれば、確かにグスタフの言う通りそれなりの人材なのだろう。

 だが、あくまでそれなり。策は良いが、一つ大きな要素が抜けている。これもまた僕は指摘しなかった。小さな戦場である。ならば、あの男の暴力が計算から漏れている。組み立てた者は入れ込んだつもりであろうが、絶対的に足りていない。

(さて、どうなることやら。まあ、今の僕にとってはどうでもいいけれど。バルディアスの爺様主催のパーティ、無駄なことが嫌いなあの人だから、たぶん、論功も兼ねてだろう。そこにあの男が顔を出す。武官との繋がりを求めて。少し弱いけど、ま、此処で良いだろ)

 この抜けをどう埋めるか。この程度のやり方で倒せる男ならバルディアスやベルンハルト、カスパルらがとうに殺している。英雄には英雄たる理由があるのだ。其処をこの程度で埋まると考えているなら、彼らは敗北を喫するだろう。

 当時の僕にとっては至極どうでも良いことであったけれど――


「旦那様、ご報告がございます」

 秘密裏にアルカスに戻り、暗殺の結果を聞いた。バルディアスの爺さんから北方にいるはずの僕宛の封書に記載されていた、王族出席の報せ。もしかして、と思っていた。かの『白熊』を打破して、一国を落としたのだ。

 主攻はウィリアム・リウィウスと言う異人。彼と彼の友人、その特例ゆえ王族が出張る可能性は考えていた。そうなれば、傷はより深くなる。

 だが、そんなことはどうでも良かったのだ。本当に、心底。

 大事なのは――

「ルシタニア……アルカディアに……何故……優秀であればガリアスの方が……僕なら此処は選ばない……アルカディアでなければならなかった? ……いや、逆にルシタニアである必要性を……そして白髪に、仮面」

 ある可能性に行き着いてしまったこと。信じたい、でも、信じたくない。

 だってそれは全てが計画の上であったことを示していたから。本屋に飛び込んだのも知識を得るためで、病弱に見えていたことも、友人をあまり作らないことも、大恩ある夫妻を殺したのも、全ては成り代わるため、別人に成るための手段。

 そしてその理由なんて考えるまでも無い。

 復讐以外ない。自分の手で復讐するために今回の件を止めた。当時の僕はそう考えた。それを見抜けなかった己の浅はかさ、またしても僕は間違えていたのだ。自分だけがそうだと決めつけて、自分よりも愛されていた彼が自分以上の痛みを、苦しみを、絶望を味わっていたのだと想像できなかったから。

 本当に自分が嫌になる。愛していてなお、僕は人の心に疎すぎた。

 少し時が経って、爺やが色々と調べ回ってくれた。報告は、想像通りであった。

「雰囲気は大きく様変わりしておりますが……間違いなく、アル様です」

「……そう、か」

 嬉しい。けれど哀しい。

「フランデレン、いえ、ブラウスタットですか。また武功を上げられた様子。素晴らしい、ですな」

「ああ、優秀な武官なのだろう。どうやって磨いたかは分からないが、剣も相当使えると聞いている。本当に、僕は何一つあの子が見えていなかったんだな、と痛感するよ」

「旦那様の眼である私めの失態にございます」

「やめてくれ。全部、選んだ僕の責任だ」

 山岳戦に見る新時代。集めた情報を組み合わせ、戦場を推察する中で、僕は多くの煌きを見た。ギルベルト、カール、アンゼルムにグレゴール、敵方も面白い人材がそろっているが、やはり目を引くのは二つの星。

 狼の仕掛けには唸らされる。素早く、強く、思いっきりが良い。相手に選択肢を与えぬ速攻は多くの策を空振りにするだろう。自分の売り方もわかっているし、彼は嫌でも伸びていく人材、久しく見なかった綺羅星。そして、それを凌駕したもう一つは、衝撃的だった。まだ十人隊長、そんな立場の人間が、敵方も含めて戦場を支配してのけたのだ。

 信じられないやり口。果たして、全盛期の自分でもこの策が取れたか、思いついたかと自問する。答えは、分からない。僕はこの立場であったことが無いから。

 これしかなかったのだろう。力が足りなかった、苦渋も垣間見える。だが、其処から勝ちに持っていくやり方が、勝利への執念が、直接見ていない僕にも伝わって来るではないか。新しい時代を感じた。ラロを知った時と同種の、境遇を知るがゆえにそれ以上の衝撃。

「何故、バルディアス様は百人隊長に任命しないのでしょうか? 十分な武功かと思われますが。素人目にも抜けているように見受けられました」

「……僕に対する育成ミスで学んだのかな。まあ、それは冗談として、『上』を彼の立場で目指すなら、根回しというのはどうしても必要になる。特別扱いをしてしまえば、それを学ぶ機会を逸することになるからね。甘やかす気はないんだろう」

「……なるほど」

「時間の問題ではあるだろうけどね。視野の広さが図抜けている。彼なら気づくし、彼の輝きに投資する価値あり、と思う輩が涌き出てくるのもそう遠くないさ。いや、水面下ではすでに動いている家もあるだろう。特に、軍部に伝手を持たない文官畑にとっては、美味しい物件とも言える。ウィンウィンの関係に持っていきやすいからね」

 ふと、その時、僕は一つの家を想像した。いくら何でも酷過ぎる運命であるが、条件としてはこれ以上ないほど合致する家。実際大当たりであったのだから、本当に運命と言うのは皮肉が効いている。世界は悲劇と喜劇で満ちている。

 僕はそれを聞いて腹を抱えて笑った後、嗚呼、どうにかしてこの世界を、世界を創った神を懲らしめてやることは出来ないかと思案したものである。

 さらに時が過ぎ、彼は後ろ盾を得て百人隊長に、騎士と成った。

「グスタフ君。君をラコニアへ飛ばします」

「おいこら、何勝手に――」

「彼が来る。僕は見定めねばならない。師団長がいると、どうしてもそこを介す必要があるだろう? それが軍と言うものだから。直接見たいんだ。どうしても」

「……他の連中がポコポコ飛んでんなあと思えば、そんな理由かよっと」

「我らが大将閣下もそれをお望みだ」

「……なら、しゃあねえなっと。一つ忠告だぜ、欲目はやめとけ。戦場は残酷な場所だ。お前の弟もフランデレンっと、ブラウスタットで死んだだろ? オスヴァルト期待の星もあっさり落ちた。生半可じゃ、通じねえ」

「もちろん。僕の眼で見定めるさ。頂点に届かないのであれば、その可能性が無いと判断したら、飼い殺しにしてでも潰すとも。それが、彼のためでもある」

「分かってんなら良い。しかし、頂点ときたか」

「其処に届かないなら縋りつく意味も無いだろう?」

「耳がいてえよ馬鹿野郎」


 今まで何を言っても張り付いてきた男が、あっさりと僕の元から離れていった。彼は本当に、僕以上に僕を理解してくれている。其処に甘えてしまう僕は、やはり甘ちゃんなのだろうな、と思う。これだけ啖呵を切っておいてあれだけれど――

「十年ぶり、か。十一年になる? あれ、歳を取ると計算が――」

 再会を心待ちにしている自分がいた。いや、まあ、彼にとっては完全に初対面なのだけれど。冷静になると当時の自分がヤバ過ぎて我ながら浮かれ切っていたなぁと自嘲してしまう。その時以来の、胸の高鳴り。今か今かと、扉が開くのを待つ。

 僕の人生で、たぶん一番長い半日だった。

 扉が、開く。今も忘れない。其処から現れたあの子を見て、嗚呼、間違いなく、あの日見た僕の――そう思った。思う資格も無いのに、思ってしまった。

「やあやあ、君たちが噂の二人組みか。優秀らしいじゃないか。期待しているよ」

 約十年越しの再会。もちろん、浮かれているのは僕だけで、彼は僕を値踏みしている。冷たい眼である。でも、奥に、彼女と同じ光が見えた。だからこそ、歪なのだろう。強者の雰囲気でありながら、酷く繊細で、ちょっとしたことで壊れそうな脆さもあった。

 変わったが変わっていない。

 彼は僕の気持ちを知らないだろう。知る必要も無い。彼女を守れなかった僕が彼に何を言う資格も無いのだから。

 彼女の大事な宝物が此処にいる。それだけで、良い。

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