始まりの悲劇:力を知る者
ヤン自身の発言によって彼の処遇は貴族会の手を離れた。ゆえに貴族会は閉会と成り、各々世間話に興じたり帰路についたり様々な様子を見せる。
話題はもっぱら、極刑に処されるであろうヤンについて。ほとんどは彼を嘲笑するモノであった。勝利を約束された男の失墜、ゴシップとしては最上級のモノであろう。誰もが彼を笑い、愚かな男だと陰口を叩く。
そんな中を――
「面白い見世物だった。青臭く、情熱に溢れ、怖れを知らない」
洒脱な装いで、肩で風を切って歩む男が一人。その後ろには息子であろうか似た顔立ちの少年と青年、その狭間にある男も歩む。
「良い人材だ。手を組むことが出来たなら互いにとって大きなメリットがあったろうに。実に惜しい。火中にあっても拾いに行きたいところだが、時期が良くないね」
金髪碧眼の紳士。髪はオールバック。その男、威圧的に笑う。
「あれだけ喰ってまだ足りないのか、あんたは」
付き従う息子と思しき男の発言。
「もちろんだとも。今のジャンルは食い切った。成長を続けるならば違う領分に手を出す必要がある。彼がいればすぐにでも仕掛けることが出来たんだけどねえ」
獣の如し笑み。この場の雰囲気にそぐわぬ男の視線、その向け先は――
「侯爵、どうされましたか?」
「……あの男、噂のテイラーか」
「テイラー? え、あのテイラーですか? しかし、彼は成り上がりの男爵、このような場に呼ばれることなどないでしょう。どうやって貴族会に?」
侯爵と呼ばれた男は一瞬すれ違った視線に殺気を見た。『足掛かり』さえ得れば一気にお前たちの首を取る、あの眼は言葉よりも雄弁にそう言っていた。
「伝手ならいくらでもあろう。あれが喰らった中には我が友もいた。宝石王と謳われ、アルカディアにその人ありと誰もが知っていた男だ。今はもうこの世にはおらん。誰かの下につく男ではなかったからな。負けた先には死しかあるまい」
「……下衆のやり口です。価格の叩き合いなど、市場にとって百害あって一利なし。あれは商人のやり口ではありません。狂人の商いです」
「ゆえにあの男は乗った。そもそも叩き合いは地力が勝る方に分がある。だが、結果は予想を覆すものだった。当時、他の追随を許さぬ業界シェア一位であったあの男が、三位に昇ってきたとはいえまだまだ力不足であったテイラーに負けたのだ。物流を見直し、仕入れを精査し、我ら旧い商人では考えもつかぬ方法で、コストを削減していた。そうでなければ勝ち目などない。そもそも戦う気も起きない鉄壁の牙城だったのだ」
大方の予想を覆しての勝利。互いのブランドを傷だらけにして、相手が国内で牛耳っていた石の価値を暴落させて、相手を殺す。相手は死んだが、自分も満身創痍。誰もが恐れるやり方である。値下げなど猿でも出来る。やらないのは意味が無いから。
市場を殺して相手も殺した。あの男はそれをする。
「結局、二位の子爵が笑っただけでしょう。あれでは相手の領分を喰い取ってもダシガラでしかない。メリットなど皆無。私はそう思っていたのですが」
「その二位が昨日食われたのだ。此度の貴族会、おそらくはかの子爵が入れ込んだのだろう。資金力もあり歴史もある、きちんとした貴族だ。彼の紹介であれば多くは否とは言うまい。その資金力を喰われたからこその恭順よ」
侯爵の話し相手は信じ難い眼で遠くなりつつある怪物の背を見つめる。
「今度はブランドをかすめ取った。ブランドに胡坐をかき、冷遇していた職人を好待遇と話術でごっそりと引き抜き、子爵の力を弱めた。そして恥ずかしげもなく類似した高品質の商品を売り出し、外には相手の質が落ちたと喧伝、じわじわと削り、勝つ」
汚いやり口、貴族の目にはそう映る。だが、どんな道でも勝った方が正義、やったもん勝ちと言う点は、ある。泥にまみれてでも勝利を掴み、そしてあの男は国内の宝石業を完全に牛耳った。争う相手全てを潰して、競争相手を失った市場に君臨する唯一の王。
「その資金力を持って他の領分にまで手を出してくる日が――」
誰もが恐れる。どんな手段を取ってでも勝ちに来る男。市場は荒れる。勝っても傷を負うのは間違いなく、戦うだけで損をするのは目に見えている。もしかすると、そのイメージ作りのために此処まで荒く戦った可能性すら否めない。
高位の貴族すら手出ししようとは思わせない、アンタッチャブルな男爵。貴族としては最下級ながら、その影響力は分野に限ればもはや貴族上位に値する。商の世界を飛び越えて、政の世界にすら顔を出す足掛かりを得た。
「さて、な。それであればむしろ楽なのだが」
一つの市場を支配して次へ、それであればただの蛮勇、どこかで必ず躓く。しかし、足固めを始めたならば、鉄壁の市場を形成してから次へと進むのであれば、その時にはあの男、自分すら届かぬ巨大な怪物と成っているだろう。
理性ある獣。智と暴を併せ持つ怪物。
「ヤン・フォン・ゼークトと組んでいれば、わしなどひとたまりも無かったろうに」
アルカディアの兵器を司る商の巨人、ディートヴァルト・フォン・ロイエンタール。そんな男でも思う。若く、勢いがあり、実力もある。異分野で活躍する二人が組めば、色々な展望があっただろう。
そんな視線を背に、新鋭にして王、ローラン・フォン・テイラーは男爵とは思えぬ振る舞いで高位の貴族たちを意に介さず堂々と真ん中を歩む。
「ゼークト家でも潰れた。今のやり方を続けていれば、早晩同じ末路を辿るさ」
「アインハルト、それは違うな。彼と私では持っている『力』の種類が違う。彼の『力』は外側に向けたモノ、私のは内側だ。今の私では外敵を倒すことは出来んが、内側に関しては私の方が上だよ。内側の敵に剣は無力だから」
ローランは哀しげに微笑んだ。
「彼は必要な力を見誤った。ストラクレスを討ったとて、大将に成ったとて、彼の望む改変は達成されなかったよ。もっと早い道が在った。私と組み、乱世を牛耳る道が」
もったいない、心底想う。
「剣ではなく金ならば内側の敵も殺すことも出来たのにねえ」
ローランは嗤う。
「……子爵は殺すなよ。ああ成った相手には無意味だ」
「お前も彼と同じでケツが青いなあ。夢を語るのは良いが相手を考えろ。人を美しいモノと置き、賢い手合いと考えて物事を測るから間違える。クズとカス、欲にまみれ愚かで醜い、勝負の場での人とはそういう者だ。奴らに期待するな。お前も間違えたくなければな」
「……あんたって人は。倫理観がないのかよ」
息子の青臭さに苦笑し、いつかの自分を思い出す。
「無い。正しい正しくないは金が教えてくれる。金が多く回る方こそ正義だ。それ以外は不純物、捨てることだ。勝ちたければね」
だからこそローランは示す。勝負師としての勝ち方を。
勝つべくして勝つ。それが王道なのだ。其処に感情は必要ない。
「彼を惜しいと思ったのは金の匂いがしたから。今の彼からはしない。だから興味は無いよ。言っていたことは正論だ。個として納得する者は少なくないんじゃないかな? 特に進行の左大臣家の狸などは内心賛同していた可能性すらある。だが、響かなかった。集団を動かす力が彼には無かった。ゼークトでも、天才でも、足りない。必要なのは奴らを縛る、時には殺せる『力』。私ならば金と答えるがね。それだけであの場の空気感は変化していたと思うよ。賛同せねば死ぬ、そうしてやれば賛成するしかないだろう?」
得るべき力を間違えた。近道だと思った大将軍を討つ道。それは武官として、ゼークトに生まれた者であれば当たり前の道であった。だからこそ、それが遠回りだと彼は気づかなかった。知らなかった。もっとあったのだ。様々な方法が。
もっと弱い頂点など世の中にいくらでも転がっている。そして、その方が文官に、彼の望む明日には近かったのかもしれない。
「金を蓄えても仕方が無いように、力も使いようだ。どれほど力を持っていても、その場に影響力を及ぼせぬ類であれば意味がない。時と場合、彼は様々な力を収集すべきだった。時間をかけて、労を惜しまず、ね。世界を舐め過ぎだ。若者の熱情で動くほど、世界は甘くない。正論だけで揺らぐほど、人は完璧ではないのだ」
市民から貴族の壁を突破し、貴族の底辺から上を目指す。最初から途上にいた者には分からない壁が在るのだ。分厚く、下を寄せ付けぬ厚い壁が。上の彼らはそれを意図的に築いている。攻めさせぬように穴を塞いでいるのだ。
支配構造の変化、上が損をしないためのルール作り。上は下からの突き上げを恐れている。無能ほどその傾向は強い。だからこそ正論で、綺麗ごとで世界は変わらないのだ。感情がそれを忌避しているのだ。打ち破るには、それをも超える力が要る。
「今日を教訓とすればいい。若く、勢いがあり、真っ直ぐな実力者。彼の言葉には道理があった。間違っていない。イーブンな場所であればそれなりの賛同も得られただろう。だが、届かなかった。貴族が、王族が、彼らに都合よく築き上げた世界の中で、正しい言葉など、真っ直ぐな想いなど、クソの役にも立たない」
ローランは背中越しに哀れんだ。彼ら若者は正しく、間違っていない。自分が王であれば彼らの言葉にこそ耳を傾ける。されど世界はそう出来ていない。少なくともアルカディアはそう成っていない。早晩、ガリアスもそうなる。かつて最新最鋭を誇ったネーデルクスが重たい身体を引き摺り、身軽な成り上がりに追い越されてしまったように。
世界を構成する大多数が無能なればそれも必然。
「卑怯で賢しい連中を押し潰すだけの力が要るのさ。言葉よりも明確に、お前たちは間違っていると突き付けられるに足る刃が。若過ぎたな、彼は。嗚呼、もったいない」
ローランはそれを求めている。くだらない世界に間違っていると突き付けられる刃を手に入れるために。『彼女』だけがその生き方に賛同してくれた。その『彼女』を切り捨ててでも前に進んだ。今はまだ途上、一旦は足場固めに戻るべき時期。
次の戦場、其処に踏み込み勝利するだけの切っ掛けを得るまでは――
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