始まりの悲劇:喜劇

 激戦、死闘、どの言葉も軽く聞こえてしまうほど、この地で巻き起こる戦は壮絶なものであった。幾度も喰らいつき、幾度も跳ね除け、その度に傷を増す両者。特に弱者の戦いを徹底する三大将の消耗は凄まじく、三名とも誰よりも傷つきながら、それでも戦い続けた。そして、今、全てが終わる。

「閣下。陛下より王命が届きました。至急南へ戻り、サロモン率いるガリアス、アクィタニア連合軍と交戦し、これを撃滅せよ、と」

「ベルガーを殺した者どもを放っておけと?」

「はっ」

 ストラクレスは天を仰ぎ、そしてもう一度彼らを見る。一つ一つは小さくとも、三つを束ねて食い下がったつわものたちを、見る。

「キモン、わしゃあそうは思わんが、もし、己に才が無いと思うのであれば、あれらを目に焼き付けておけ。あれもまた一つの形じゃァ」

「……はい」

 これだけ戦った。今はもう、怒りよりもリスペクトが勝る。

「退くぞォ!」

「承知!」

 押せば崩れそうなボロボロの敵。もうすぐ、もう少し、そう思って幾日が経過したか。ここで退いても負けではないが勝ちでもない。だが、ただの敗北よりもそれはオストベルグ側にとって苦いモノと成った。

「終わったか」

「……ふぅ」

「さすがに疲れたな。どうだ、ロルフよ、気が済んだか?」

「いいえ、まるで暴れ足りませんな」

 鼻息荒く主の言葉を否定するロルフ。それに頭を抱えてカスパルは笑った。

「……あちらは血気盛んなことだ、お前はどうだ? ホルスト」

「わたくしめも、と言いたいところですが……しばらく休みたいのが本音ですな」

「ふっ、ならば当面、ラコニアを任せるぞ」

「……ほ、ほほう」

「第二軍の立て直しが完了するまでだ。許せ、ホルスト」

「閣下の命なれば」

 何とか死線を乗り切った、そんな弛緩した空気の中で――

「バルディアス様、本国より急報が」

「む、何があった?」

 戦を終え、肩の荷が下りたことに安堵していたのも束の間の事。

「ヤン軍団長の件で――」

「な、んだと」

 バルディアスの顔色が変化する。ストラクレスを前にしても怯まなかった男が、報せを聞いただけで顔色を変じる。そのことにベルンハルトとカスパルもまた嫌な予感を覚えた。聞くまでも無い。あの不動が、これほど取り乱しているのだ。

 これは凶報。それも、とびっきりの――


     ○


 貴族会に出席を要請されたヤンは虚ろな貌のまま馳せ参じた。

 英雄の素養に満ち溢れ、誰もが将来を嘱望した男の姿とは思えぬほどの変わりよう。今の彼がストラクレスを追い込み、ベルガーを討ち果たしたと言って誰が信じるであろうか。

 大勢が見守る中、ただ一人呆然と地を見つめ続ける男の姿を見て、同情的になる貴族もいた。上手くいかない時は、色々と重なるものである。これ以上死人に鞭を打って何とする。名門ゼークト家、その看板もこれ以上なくボロボロと成った。

 ここらで手打ちとしよう。

 今日の会議はそのためにあったのだ。

 無論、納得していない文官は依然として多い。特に、元々支持を表明していた家程、価値の無くなった名家と麒麟児に唾を吐く者は多かった。

「軍を私物化し、己が野心のために戦を仕掛けた罪は重い。しかし、巨星ストラクレスと長年轡を共にした副将ベルガーを討った功績もある。それで相殺には成るまいが、本人もこうして猛省しており、まだ若く、未来もある。よってしばらくの謹慎のみ、降格も検討していたが、人材難と言うこともあり、今後の経過を見ていきたいと思う」

 貴族会の進行を司る左大臣家。貴族、主に文官たちの声を取り纏め、上手く着地させるのが彼の仕事である。

「異存ある方はおられるか?」

 誰も挙手しないと思われた矢先――

「手緩い」

 ヤンの元婚約者、その家の当主が手を上げた。

「そこな男は下賤な奴隷女に入れ込み、そのために軍を興したと聞いている。武官としての野心ならばまだ理解できようが、そんな話は前代未聞であろう」

「それは所詮巷の噂、真に受ける必要は――」

「では何がために戦った?」

 男は娘を溺愛していた。誰よりも美しく、可憐で、気立ての良い自慢の娘だったのだ。それが、奴隷に負けた女などというレッテルを張り付けられ、失意の中死んだ。少なくとも男にはそう見えていた。そしてそれはあらゆる意味で許せないことである。

「誰のために戦った?」

 男の眼は問う。其処に、せめて自身の娘がいたのならば――

 ヤンは自問する。何のために、浮かぶはただ一人。考えるまでも無い。だが、それをこの場で言う理由も無い。誰も得をしない。ヤンが真実をぶちまけたとしても、誰の心にも響かないだろう。世界は強固で、自分が思うよりもずっと、人は弱い。

 それでも――

「貴方方が下賤と呼ぶ女性のために、です」

 ここで建前を吐くわけにはいかない。ここで世界に迎合すると言うことは、彼女と見た明日を、彼女と共に在ったかもしれない未来を、捨てるに等しいから。

「我が娘よりも奴隷身分の女を選んだとぬかすか」

「はい。彼女と共に生きるために、力が必要だった。だから軍を興し、ストラクレスの首を取って、そして、この国での影響力を高める必要があった。ルールを変えるために」

 場が騒然とし始める。

「何だ、その、ふざけた理屈は」

 ヤンは嗤う。自分は何一つふざけていない。正真正銘、取り繕う必要すらなくなったから、自分の命も含めて守るべき者を、すべて失ったから、だから、全部ぶちまけようと思った。これは、力無き敗者の、いわば、負け犬の遠吠えである。

「ヤン、頼む。もう、何も言ってくれるな」

 父の慟哭は、息子には響かない。

「ルール、身分制度を変えるために僕は立った。ずっと昔から思っていたことだ。貴族の子は貴族、市民の子は市民、奴隷の子は奴隷。嗚呼、なんて非効率的なのだろう、と。身分とは不可逆であるべきではない。社会を成り立たせる上で、役割分担は必要だろう。だが、其処に必要なのは役割を果たす能力だ。間違っても、血統ではない!」

 ヤンの眼に力が、残りカスを集めて魂を燃やす。

「貴族そのものを否定する、と?」

 ここは貴族会。多少同情的であった者たちも彼に大きな敵意を向ける。

「いいえ、貴族、管理者と言う機能は必要でしょう。また、ノウハウを持つ家系がその役割を担当するのも理に適っている。それを血統と言い換えるのであれば納得もしよう。だが、この血に、ただの液体に、何か意味があると思うのであれば間違っている!」

 ヤンは指を噛み、血を滴らせる。

「血が人を決めるのではない。その家系が培ってきたノウハウと家人の能力、その総合力が抜きん出ているのであれば文句はない。されど、稀にそれらを吹き飛ばし、より高い適性を、能力を、役割を果たす資質を持つ者が現れたとする。皆さんはどう思う? その両者が入れ替わる仕組みがない現状、本当にフェアだとお思いか?」

「それはありえぬ仮定であろう! 貴族よりも優れたる者が市井にいるはずがない」

「ストラクレスは貴族出身か!? ウェルキンゲトリクスは出自すら不明だ! 私はストラクレスに負けた。過程はどうでも良い。貴族に生まれたヤン・フォン・ゼークトが貴族で無い者に負けたのだ。嗚呼、あの怪物に勝った者など、この国にはいなかったな」

「自らの敗北に縋るとは、恥を知れ!」

「何と言う厚顔無恥か!」

 貴族たちの罵声が飛ぶ。もはやゼークトの当主に力は無い。グスタフも、ヘルベルトも、全てが終わったと天を仰ぐ。この場に味方はいない。ヤンも、求めていない。

「血で倒せると言うのならば、今すぐ倒して見せろ! 自分たちが特別だと言うのならば、それを示すのが道理だろう! それが出来ずして何が貴族、何が優れたる者か!」

 罵声を裂き、ヤンの咆哮が轟く。

「私には出来なかった。ゆえに、私は此処にいる。私は敗者だ。もう二度と、彼らに立ち向かうほどの熱量を持つことは無いだろう。私には出来なかった、私は優れたる者ではなかった。さあ、次は貴方方の番だ。示して見せろ、貴族の証を!」

 誰も答えない。答えられない。

「……此処にいる者のほとんどは文官である。それは武官の仕事であろう」

「畑違い、か。貴方方はいつもそれだな。ならば貴方方はどのようにしてその優を示すのだ? ネーデルクスやガリアスに政の力で、外交、経済で勝ることが出来るのか? 成り上がりのガリアスに追い抜かれ、そのまま距離ばかりが開いていく現状。それの何処に力がある? ただ胡坐をかいているだけだ。先祖が残した、七王国と言う遺産を食いつぶすだけ。勝てない軍人、勝てない商人、勝てない貴族、勝てない――」

「やめろヤンッ!」

 グスタフの、悲鳴のような声が飛ぶ。

「王」

 静寂がこの場を支配した。ここはアルカディア『王国』なのだ。この場にいないことなど何の意味も無い。ここは公的な場所で、私的な空間でさえ憚られること言ってしまった。

「ノウハウが機能していないのであれば、それしか知らぬ管理者など害でしかない。勝てないと言うことは間違っていると言うこと。それを否定したいなら勝てば良い。敵はいくらでもいる。文武、どちらでも構わない。これも畑違いなどとは、言わせない」

 静かにヤンは言い終える。今いる立場は木っ端みじんと成った。極刑は免れないであろう。それでも、スカッとした。ずっと言いたかったのだ。何でお前たち無能が上にのさばって、それが当たり前と成っているのか。そんな理不尽が、不公平がこの国を弱くした。

 だから自分と競い合ってくれる相手がいないのだと、思っていた。

「自分が何を言の葉に乗せたか、分かっているのだな?」

「もちろん。僕、天才らしいので。僕自身がそう思ったことはありませんけどね」

 ヤンは満面の笑みを浮かべて一礼をする。

 広がるは静寂、もはや怒号を飛ばすことすら気が引ける状況。触れてはならぬ、そんな空気が蔓延する。国家を貶すだけでは飽き足らず、王を貶してしまった。

 もう、取り返しはつかないだろう。

 何一つ、この場の大多数には響かなかった。彼女の想いも、悲劇も、彼らの眼には酒の肴、ただの喜劇でしかないのだろう。だから響かない。だから届かない。

 ヤンはため息をついた。

 あれほど美しく、輝いて見えた世界が、また灰色に沈んだから。もう二度とあの日々は戻らない。この世界のために生きる気などない。戦う気など、無い。

 ヤン・フォン・ゼークトと言う英雄は今日死んだのだ。

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