始まりの悲劇:衝撃の再会
グスタフは稽古でもしようと思いゼークト家を訪ねると――
「お兄様なら出かけていないよー。てっきりグスタフちゃんのとこだと思ってた」
「……ヤンが、出かけた? 仕事でもないのに?」
「御義姉様も同じ顔してたー」
「俺の知らん仕事でもあったのか?」
「知らなーい」
ヤンの妹は飼い犬を追いかけ回して遊んでいた。追いかけられているのではなく、追いかけ回しているのがミソ。兄の熱量を全部引っこ抜いて小さな体に搭載したのが、お転婆が過ぎるヤンの妹であったのだ。
「そー言えば最近妙なことあったんだよねえ」
犬の首根っこをひっ捕まえて引き摺ってくる少女。天真爛漫も度が過ぎると宜しくない。グスタフが「やめなさい」と解放してやると、犬がグスタフにすり寄ってきた。意外と動物に好かれる性質なのだ。
「お稽古のこととか色々聞かれてさー」
「……ヤンに?」
「そうそう。あと女の子の喜びそうなものとか色々聞かれたー」
「……それを聞いて彼女はどんな反応をしてた?」
「彼女? ああ、御義姉様は顔まっかっかにしてたよ」
「だろうな。そろそろ身を固める決心でも付いたのかもしれん。良いことだ」
「御義姉様とじゃ釣り合わないよねえ、あのお兄様じゃ」
「馬鹿言え。これからのアルカディアを背負って立つ人材だぜっと。お似合いもお似合いだ。割って入る気にも成れんくらいにな」
「グスタフちゃんがもう少ししゅっとしてたらお嫁に行ってあげたのにね」
「そりゃあ残念だよっと」
会話に飽きたのか再度、犬を追いかけ回し始める彼女に、グスタフはため息をついた。まだまだ彼女の春は遠そうである。女っ気のない自分に言える立場ではないが。
○
ヤンは綿密な計画を立てる男である。完璧のその先へ、幾度となく戦場で発揮してきたその才能をいかんなく発揮、しようと思ったがあまりにも専門外過ぎ、結果としてまずは情報収集とばかりに偵察行動に出ていた。
「ふむ」
情報は一つ、ベルンバッハに仕えている、と言うことだけ。ならばと隣の屋敷に忍び込み、屋根によじ登って対象の観察を開始する。
何も無いまま二時間が経過。この程度で揺らぐ男ではない。戦場では幾度も待ち伏せを成功させ、相手を恐怖のどん底に叩き落とした男である。
めげずにさらに一時間、動きがあった。
「まってーテレージアお姉さまー」
「もう、ヴィルヘルミーナはいつまで経っても甘えん坊さんなんだから」
「ヴィルヘルミーナ御姉様ばっかり狡い!」
「そーよそーよ」
「ほらほら、喧嘩しない代わりに私が面倒見てあげるから」
「そうそう、次女と三女に向かってどーんときなさいな!」
「「……かたいし良いです」」
「今どこ見て言ったクソガキども!」
「「きゃあああ!」」
可憐なベルンバッハの華が庭を駆け回る。しかし、ヤン、これを華麗にスルー。
「まま、まま」
「……ママじゃありませんよ、ヴィクトーリア様」
ヤン、凝視。
対象を捕捉。赤子を抱いている。髪色や雰囲気から見るに彼女の娘でないことは明らか。そもそもそんな発想はヤンの中になかった。
長く美しい黒髪に素敵な笑顔。容姿と言う意味ではあの姉妹に埋もれてしまうかもしれないが、それでも市井を見渡してもそうはいない美人であることは間違いない。
「あ、アルレットだー」
「アルレットー」
小さな姉妹が彼女の周りに付きまとう。
「ぐ、ぬ、使用人に負けるとは」
「アルレットー。髪結ってー」
「あんたまで!?」
「……わ、私も髪結いたい気分になってきちゃったなー、あはは」
気づけば姉妹たちが群がる大渋滞。ヤンはほっこりとそれを眺めていた。
純粋なのだが、絵面は犯罪のそれである。
「ねえねえテレージアお姉さま」
「なに、ヴィルヘルミーナ」
「私もアルレットのとこに行っていい?」
「……い、良いわよ」
てててと走っていく妹を見ながら、テレージアはしゅんと肩を落とし――
「いいもん。もうすぐお嫁に行くし。別に気にしてないし」
拗ねていた。
「テレージア様ー。お手伝いをお願いしても良いですかー?」
姉妹ラッシュに圧し潰されそうなアルレットを見て、ふふんと鼻を鳴らし、
「んもう、皆、しょうがないんだから。まだまだお姉ちゃんがいないと駄目ね!」
駆け足で姉妹たちに合流した。気づけば九人全員の中心に彼女がいる。
「ふむ、なるほどね」
ヤンは得心がいった。すでに彼女はこの家においてそれなりのヒエラルキーを築いている。姉妹からの信頼、懐かれっぷりを見てもわかる通りに。冷静な思考、論理的解釈から紐解けば、かなり良好な関係性であると考えられる。
ただ、ヤンの得心はそう言った思索的な部分ではなく――
「昼間の彼女もかわいい」
天才はとっくにぶっ壊れていた。
○
ヤンは次の日も、また次の日も出かけた。
重要かつ極秘のミッションである。誰かに知られるわけにもいかない。
使用人の仕事で外に出かけるルート、日程、店などをきっちり把握し、時にはセクハラをした店主を知人の第三軍に通報するなど実力行使にも出た。
「ん、いつもとルートが違うな」
ヤンは変化を感じ取り追跡する。人通りの少ない路地。危険が潜んでいる可能性は跳ね上がる。論理的帰結からヤンは彼女を追いかけた。もしもの場合は、自分が不審な輩から守らねばならないとの炎を燃やし、ヤンは――
「こら、お前、婦女子を付け狙っている怪しげな男だな!」
「え?」
「え? ヤンか?」
「うん。君こそどうしたんだい?」
「いや、そこの女性の通報で」
「……ふむ、なるほどね」
ようやくここで気づいた。不審者は、自分であったと。
自分と同期の第三軍所属の男は疑問符を浮かべながら、ヤンの滅茶苦茶な理屈の応酬、と言う名の言い訳に驚き眼を見張っていた。そもそもヤンが捲し立てること自体相当希少であるし、こんなに下手糞で頭が回っていない彼を見るのは初めての事だったのだ。
「つまり、彼女の名前を聞きたかったんだ」
「それが結論か、麒麟児」
「ああ。教えてくれ、友よ。どうしてこうなった?」
「俺が聞きてえよ」
第三軍所属の男は頭をポリポリかく。
「あー、お嬢さん。こいつは変な奴だけど、一応、結構名家で、実力もあって、あんまり同期としても醜聞を広げたくないんだ。まさか女のケツ追っかけ回してるとは思わなかったが、出来れば許してやっちゃくれないか? と言うよりも、表沙汰にしようとしてもたぶん揉み消されるだけだし、俺の首もやばいし、お嬢さんの首はもっとやばいわけで」
「そんなことはさせないさ」
「全部お前のせいだよ! 同期の星が面汚しになってどうすんだ馬鹿野郎!」
「……面目ない」
「その御方には寛大なご対応を頂いたこともあるので、承知致しました」
「悪いね。また何かあったらいつでも言ってくれ。第三軍は市民の味方だからな」
「奴隷身分でも、ですか?」
「おっと間違えた。美女の味方、だ」
そう言って去って行く伊達男。アルレットの視線を見てヤンは焦る。
「あ、あいつは良い奴だが、女ったらしだよ。軍学校時代常に三人はキープしてたし」
「ストーカーよりもマシかと思いますが」
「……はい、僕もそう思います」
しょんぼりするヤンを見て、アルレットは困った顔をする。
「何故このようなことを?」
「名前を、聞こうと思って」
「それだけですか?」
「……はい」
肩を落とすヤンを見て、アルレットはとうとう我慢の限界を迎えていた。
「あははははははは!」
「っ!?」
お腹を抱えて、貴族の令嬢ならば絶対にしないであろう歯を見せて、心の底から笑っていた。ヤンは女性がこんな風に笑う姿を見たことがない。あの妹でさえもう少し自重する。幼馴染の彼女ならば絶対しないだろう。他の令嬢も同様に。
「ごめんなさい。その、あんまりにもおかしくて。失礼だと、わかっているんですけど」
だから、とても魅力的に映るのだとヤンは思考する。
「いや、全然良いよ。うん、良い。笑ってくれるなら、全然構わない」
ヤンの顔にも笑顔が伝染する。ふと、ヤンは思った。
「「あはははは」」
釣られ笑いとは言え、笑うなんていつぶりだろう、と。
○
「ごめんなさい」
「だ、だよね」
ヤン、まさかのストーカーからの告白を敢行するも華麗に撃沈。
「ほ、ほとんど初対面だし、そもそも第一印象も悪いし、すでに現在進行形で好感度を下げる行動しかしていないわけで、こうなるのは当然の帰結であるからして――」
わかり切っていた勝敗。なのに腰砕けになって崩れ落ちるのは何故だろうか。
「あの、好きとか嫌いとかではなく、今の私があの家を抜けるわけにはいかないんです」
「……どういう、こと?」
「ヴラド伯爵の悪癖は、ご存知ですよね? 私も元々はその要員として招かれたわけです。ただ、たまたま私がお気に召したのか、今は落ち着いています。怯え切っていたお嬢様たちにもようやく笑顔が戻ってきて、これからなんです、あの家は」
「君が守りたいものって、そういう」
「そ、それは少し違いますが……お嬢様にも笑顔でいて欲しいとは思います。だから、伯爵が落ち着かれるまでは、今はただ穏やかな日常を過ごしたいのです。きっと伯爵も奥様を亡くされて傷つかれているのでしょう。それが癒えれば、私の目標も切り出し易くなります。もう少し信頼を勝ち取って、御役に立ってからのことになりますが」
「目標?」
「弟がいるんです。私の、大事な大事な宝物」
ヤンは呆然とアルレットの顔を見る。今までも美しいと思っていた。だが、弟のことを口ずさんだ瞬間、全部が一変したのだ。本当に、なんて美しいのだと、ヤンは思う。
「あの子と一緒に過ごしたい。飢えも、寒さも、病気も、無縁な穏やかな日常を送りたい。それに、あの子は、姉の欲目かもしれないけれど頭が良いの。だから、私は文字も算術も分からないけれど、あの子には勉強ができる環境があればって、思うんです」
全部、弟の事ばかり。自分など、どうでも良いとでも言うように。
「だから、私は貴方の気持ちに応えることが出来ません。今の延長線に、あの子が、アルの幸せがある。だからこそ、一回り、二回り上の伯爵に全てを捧げる覚悟で、私は今を戦っているのです。どうか、ご容赦ください、ヤン・フォン・ゼークト様」
「理屈は分かった」
「ありがとうございます。貴方様のお気持ち、とても嬉しく――」
「ならば尚更、僕を選ぶべきだ!」
「……え?」
いきなり何を言い出すんだという目で、アルレットはヤンを見る。
「アルカスで、いや、アルカディアで僕ほど学問に精通している人間は各界の専門家くらいだ。総合力なら、間違いなく僕が一番だろう。算術にも自信がある。教えるのだってきっと上手いはずだ。教えたことは無いけど!」
「あの、そういう意味では――」
「しかも剣も槍も、弓だって教えられる。武官でも文官でも選び放題だ!」
「私たちは奴隷なんです。武官にも文官にも成れません」
ヤンはアルレットの言葉に首を捻る。
「そんなの変えてしまえば良いだけさ。大したことじゃない」
「……ほ、法律ですよ?」
「おいおい、僕を馬鹿にしないでくれ。当然知っているとも。基本中の基本だ」
アルレットは奇人変人を見る目つきでヤンを見ていた。法律が一個人の手で変わるはずがない。ルールは絶対なのだ。其処をどうやって生きていくか、彼女たちはそればかりを考えて生きてきた。それが当たり前、それしかないのだと、信じてきた。
「でも、僕なら変えられる」
今度はアルレットが気圧される番であった。普通ならば戯言として切り捨てて良いレベルの発言。それなのに、彼の眼にはまじりっけ無しの真実しかなかった。確信が宿る。火が、ついていた。凄まじい熱量で、どんどん燃え広がっていく。
「君が傷つく必要なんてない。そんな覚悟捨ててしまえ! 君は良く戦った! 君の戦いを、僕は知らないけれど、それはきっと、僕がやってきた戦いの何倍も気高く、美しいものだったに違いない。だからこそ、今度は僕の番だ。僕を信じてくれ!」
ヤンはアルレットの手を取って目を見つめる。我慢する必要なんてない。十分頑張った。その想いが、視線を伝ってアルレットにも理解できた。この前、たまたま会ったばかりの青年。いきなり憎まれ口を叩かれ、ちょっと前から今日まで、ストーカーとしてこそこそと付きまとっていた変人。信じる要素はゼロに等しい。
それなのに何故だろう――
「……はい」
何故、涙が零れてしまうのだろう。男の人はいつだって奪う側で、自分を切り売りして生きてきた。学も無く、力も無い自分にはそれしか無いのだと言い聞かせて。今日まで頑張ってきた。誰にも理解されることなく。
「ありがとう。答えは、世界を変えてから聞くよ」
ヤンは立ち上がった。やるべきことが明確に成った。戦う理由が出来たのだ。今まで何もなかった自分が、成すに足る大仕事を得た。それで彼女が手に入るとは思わない。その『程度』で彼女の心を掴めるとは思っていない。
それはヤンにとって『彼女』ほど大きくないのだ。
「私の名前は、アルレットです。その、奴隷身分ですが」
「身分なんてくだらないよ。親や先祖が何処の誰で何をしようと、そいつが何を成すかってだけの事さ。気になるなら、それも僕が壊してあげる。僕も嫌いなんだよ、身分ってやつが。それに胡坐をかいてる無能が、ね。君たち姉弟が胸を張って生きていける場所を創ろう。うん、大丈夫。大体、道は見えてるから」
いきなり現れた衝撃の塊。アルレットにとってヤンは未知の生物であった。それはヤンにとっても同じこと。互いに分からない。分からないから――
「じゃあ、また!」
「……はい!」
惹かれ合う。
○
「グスタフ、ヘルベルト、話がある」
「急にどうした?」
「昨日の酒が抜けなくて……頭に響くから静かに話してくれ」
「すぐにでも軍団長に成りたい。ヘルベルトのコネでネーデルクス方面にねじ込んでくれないか? ルーリャまで一気に押し戻すのと、新しい三貴士を取る」
「「ッ!?」」
グスタフは驚いて腰を抜かし、ヘルベルトは驚愕で酒が抜けた。
それほどの衝撃。だが、本当の衝撃は此処からである。
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