始まりの悲劇:秘密の部屋

「おう、英雄白騎士様にお届けもんだぜっと」

 アルカスで戦後処理の事務仕事に追われていたウィリアムの下に、他国の将であるが友軍として王都で療養中であったグスタフが姿を現した。

 ウィリアムでさえ呆気に取られているのは、数日前まで彼は意識不明の重体で生死の境をさまよっていたという報告を受けていたから。そこからこの短期間で回復し、療養所から王宮まで移動して、ウィリアムの前まで現れたのだから驚きもする。

「今度は郵便屋に鞍替えですか?」

「棘があるねえ。まあ良いさ。俺もお前さんのことは好きじゃねえ。いや、お前さんらのことが好きにはなれねえのよっと」

(ら?)

 グスタフの発言、その引っ掛かりにウィリアムは眉をひそめた。

「……まあ、気質は噛み合わぬでしょうね」

「それもあるが、ま、それだけじゃねえ。理由は至極個人的なことだし、其処に関しちゃヤンの奴とも噛み合わねえから仕方ねえ。親友と憧れ、二つを持っていかれたんだ、八つ当たりも……いや、悪いな。さすがに余計が過ぎるぜっと」

 グスタフが差し出した紙片にウィリアムは目をやる。そこにはアルカスの住所が記載されていた。疑問符を浮かべるウィリアム。グスタフの意図がつかめない。

「最初はな、伝える気だった。でも、お前さんを知って、後戻りできないことを知って、こいつは重荷になるとあいつは判断したんだ。だから、伝えなかった。でもよ、俺ァそうは思わねえ。何だって、知らないより知っている方が良いさ。それがクソみたいな悲劇でも、誰も幸せに成らなかった虚しいお話でも、重荷だって、時には抱えたくなるもんだ」

 やはり意図がつかめない。あいつが誰なのかは何となく察しはつく。

 だが、だとしたら尚更分からない。

「何の話でしょうか?」

「ヤンがどうしてお前さんを守って死んだか、知りたくねえか?」

「……あの暴走に、理由があると?」

「無いならあいつはあんなマネしねえよっと。そもそも国を出たりもしない。面倒だろ? 鞍替えなんて。あいつも俺も良い歳だったし、ガイウスの爺さんには冗談みてえな取引持ちかけられて辟易さ。それでも、あいつはそうした」

 ずっと引っ掛かっていた。あのヤンが何故、ああいう行動を取ったのか。彼の能力、頭脳に疑いの余地はない。その底を垣間見ることなく彼はこの世から姿を消したが、片鱗だけでも十分に警戒に値した。あの七年が七年まで伸びたのはアンゼルムの奮闘があったからで、七年で済んだのはヤンがいなくなったから、なのだ。

「答えが知りたかったら暇を見てそこに行きな。話は通してあるぜっと。ただ、良い話じゃねえ。すこぶる気分が落ちる話だ。俺は、もう二度とあんなのは御免だからよ」

「……お話は承知致しました」

 この話を持ち込んだ時点で、ウィリアムの性質ならば必ず行くとグスタフは確信があったのだろう。そういう見通すようなやり口が気に入らないのだ。あの男と同じ、自分の知らぬことを知っているから出来ることで、それは自分の戦い方とも酷似していたから。

「おう、んじゃ俺は帰るぜっと」

「アルカディアに戻ってくるおつもりはありますか?」

「ねえな。別に俺自身はどこでも良いんだ。あいつのいるとこが俺の居場所だった。馬鹿だからな、俺は。もうあいつはいねえ。でも、残したもんは、ある。二つ、な。一つは盤石、もう一つはまだまだ可愛い盛りよ。どっちかって言ったら、可愛い方だわな」

「ああ、お噂は耳にしておりました。内々にご成婚されたとか、ヤン殿とエウリュディケ殿が。お子さんがいらっしゃったのですね。おめでとうございます」

「それが亡命に対するガイウスの条件だからな。どっちの才能も絶えさせるのは惜しいから、とりあえず一回だけ交配してくれたら亡命しても良いよって。それだけは嫌だって断ったんだが、やだやだってぐずりだしてな、何なんだ革新王ってのは、ガキかよって」

「……眼に浮かびますね。欲しいモノのためならば何でもしますから、あの御方は」

「そんな条件、あの男嫌いで誇り高い迅雷がって思ったら即断即決よ。しかも、二人とも良い歳だってのに一発必中だ。何つーか執念を見たぜ、俺ァよ。坊ちゃんは可愛いんだが、未だにあの女は苦手だ。つーか女が苦手だ」

「私も女性が分からない。そこに関しては意見が重なりましたね、ガリアス百将、グスタフ殿。情報提供感謝いたします。いつか、またどこかで」

「おう。いつかなっと」

 颯爽と去って行くグスタフの背。自分を嫌いだと言った男の別れ際とは思えないほど清々しさがあった。すでに亡くなった男の物語、興味はあるが実利は無い。この忙しい時期に時間を割くほどの価値はないだろう。

 だが――


     ○


 ウィリアムは住所の場所に来ていた。好奇心には勝てなかったのだ。

「立派な屋敷だな。それなりの貴族なんだろう」

 ゼークトの遠縁にあたる貴族が管理する敷地。元はヤンの実家があったと聞くと、やはり相当な名家であったことが窺える。武家らしい無骨な門構え、ふた昔前の己であれば入るのを躊躇していたかもしれない。

「ウィリアム大将閣下ですね。お待ちしておりました」

「本日は突然の来訪にご対応いただき感謝いたします。まずは当主の方にご挨拶を、と思うのですが」

「いえ、この屋敷の当主は閣下にお会い致しません。自らは武家でなく文官であるとの立場を貫き、ゼークトの縁者でありながら今もなお何とか生き永らえている状況。軍を統制する大将閣下との接触はお家を揺らがしかねない。どうかご容赦を」

「なるほど。配慮が欠けておりました」

「所詮はつまらぬ見栄。大将閣下にお気遣いを頂く必要はございません。当主も会ってみたいと愚痴をこぼしておりましたが、つまらぬ見栄で成り立っている貴族社会ですので」

「理解しているつもりです」

 特に文官、政を司る者たちはこういったことに敏感で、あることないことを囃し立て、時には白を黒に変えることもある。愚かとは思えども、従うしかないのが現状なのだ。特にこの家は、本家であるゼークトが『二度』、騒動を起こしているから。

「それではこちらへ」

「失礼いたします」

 紳士然とした男に連れられて、屋敷から離れた所へ――

「どこの屋敷にもあるものですね、離れと言うものは」

「ええ、隠し事は、誰にでもあるものですから」

 ぎぃ、と久方ぶりの開放に戸惑うような重苦しい音が扉から響く。

 小さな離れであった。隠し事をするにはうってつけの場所。ただ、家人には隠せない。あくまで外からの眼を断つための場所、そう見えた。

「必要最低限の生活用品、ですか」

「歴代の当主が愛人と逢瀬を重ねるための離れですので。極論、ベッドが一つで充分なのです。下衆な話で申し訳ございませんが」

「構いませんよ。貴族の会話にゴシップは欠かせませんし、こういった物も話のタネです」

「随分、貴族が板についてこられましたね」

「ふっ、北方暮らしの長い田舎者ですよ」

「御謙遜を。おっと、話を戻しましょう。誰にでも隠し事はあると先ほど、私はおっしゃらせて頂きました。しかし、この離れでは家人に筒抜け、ゆえにあまり使われていないのです。外の方がよほど隠し事に向いている。だから、ヤン様以外気づかなかった」

 紳士然とした男は本をいくつか棚から取り出して、棚の奥へと手を突っ込む。そこから閊えであった木板を引っこ抜き、それと同じ動作を別の場所で数回繰り返す。

「本当の隠し事は、隠し事の奥にあるものです。仮面の下にこそ、真実はございます」

 本棚を動かすと、そこの床に小さな出入り口があった。人ひとりが何とか通れるスペースである。確かに、離れに置いておくには無駄に本が多いな、とも思っていたが、それでもその下に仕掛けがあるとまでは考えなかった。

「この出入り口のカギを見つけるのにも苦労されたようです。この本は全てダミー、本家の邸宅にある莫大な蔵書から暗号を見つけだし、全て紐解いて鍵を見つけ出すのに二年かかったとヤン様はおっしゃられておりました。大概、何かあると思ってもここで躓きます。本棚を動かした形跡はあっても、おそらく仕掛けを作った初代様以外、誰一人立ち入った形跡は無かったそうなので」

 存外しっかりとした造りの鍵。扉自体も相当頑丈に造られており、壊して立ち入ることも難しかったのだろう。そもそも挑戦者としての誇りが許さない。加えて隠し部屋を探すという秘密の行為自体、バレたくなければ、やはり破壊は至難の業。

「さあ、こちらへ」

「……いつになっても男と言うものは、こういう浪漫に惹かれるものですね」

「ふふ、私もです」

 ゼークトの秘密。隠し事のさらに奥。

 何も無くとも好奇心が刺激されてしまうだろう。だって男の子だから。


     ○


 ウィリアムは目を見開いた。地下室にはぎっしりと棚一杯に本が敷き詰められていたのだ。しかも、相当古い書物が混じっている。それこそ、建国時、つまり魔術の時代に近い歴史と文化が秘められた書物の数々。何とも好奇心がそそられる光景であった。

 他には机が一つ、椅子が二脚だけの上にも増して簡素な部屋である。

「ん? この一角だけ妙に本が新しいような」

「ええ、そちらはヤン様のスペースですので」

「ヤン殿の?」

「御覧になられますか?」

「拝見いたします」

 ウィリアムはおもむろに本を引き抜く。その本はウィリアムも読んだことがあった。すでに既知、見るべきものはない。それなのに、何故これほど心がざわつくのだろうか。

「これも読んだことがある。これも、これも、いや、全部だ。背表紙で分かる。全部、知っている。子供の頃に読んだ。それに、この本、初めて俺が訳した……字も、俺のだ。なるべく癖が出ないように気遣っているが、間違いなく、これも、そうだ。これも――」

 ウィリアムは本を閉じ、振り返り様に剣を引き抜いて紳士然とした男に向けた。

「答えろ、これは、どういうことだ!」

「見たままでございます」

「あの、輸入本屋にあったレパートリーだ。この本、背表紙の角に僅かなへこみがある。俺が落として、へこませた。売り物に傷をつけることをあの店主は一番嫌っていたからな。バレずにほっとした記憶がある。当時は、捨てられるわけにはいかなかったから」

「なるほど。ご存じありませんでしたか。店主も客もそれを承知で売買したのです。びくびく怯える少年を叱ることが出来ず、常連客に訳を説明して購入してもらったと伝え聞いております。ヤン様も大笑いしておりました、可愛らしいことだ、と」

「笑え、ないな。これは、これでは、全部」

「はい。承知の上、です」

 ウィリアムの眼が鋭く細まった。まさかこんな場所で人を斬るつもりなどなかったが、状況は想定を大きく上回った。危険などと言う状況ではない。

 全てヤンの掌の上、其処で踊る道化であったと知るようなもの。

「答えてもらうぞ。全部だ」

「そのつもりです、ウィリアム閣下。私もヤン様、グスタフ様、私の父から伝え聞いた身ですが、繋げられることの喜びを噛み締めているのです。語るは悲劇、救いは在りません。それでも、私は少しだけ美しいと思うのです。これは、愛が招いた悲劇ですから」

 紳士然とした男が読み込まれていない本を取り出す。

「全ては、遥か昔の事。まだ、ヤン様が麒麟児と謳われていた時代の話――」

 そして男は口を開く。剣を突き付けられながら、そのまなざしの何と柔らかなことか。

「一人の貴族と一人の奴隷が出会う少し前の事――」

 紡がれるは、救いの無い御話である。

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