ファイナルウォー:時代終結

 敗走を続けるメドラウト。幾度かの交戦も何とかしのぎ、ある程度安全地帯まで歩を進められたと思っていた。だが――

「戦闘の痕跡がありますね」

「おそらくは陛下と交戦したのでしょう。こんなところまで足を延ばしているとは」

 戦闘の痕跡、徐々に濃くなる戦の匂い。メドラウト配下の騎士たちは警戒を強めていた。逃げる方向に戦場がある。敵が、いる。

「ここまで来たら出たとこ勝負。サー・ヴォーティガンには悪いが、定めだったということだ。無論、足掻きはするがな。せめて騎士らしく」

「ええ、やってやりましょう!」

 騎士は覚悟を決めた。この先に何が待ち受けていようとも――

「なッ!?」

 メドラウトの覚悟は爆ぜた。騎士たちも呆然と戦意を喪失する。

 激しい戦の痕、その中心で腰を落ち着ける男を見て、

「……んで、貴様が此処にいる? アーク・オブ・ガルニアス!」

 メドラウトは大いに揺れた。

「……物見遊山である」

 へたくそな言い訳もボロボロになった装いを見ていればわかる。彼はこの場でずっと戦っていたのだ。追手から、姉を守るために。

「そうかい、物見遊山で、後ろの連中を倒したってのか?」

 メドラウトが指さす先にはぶすっとした表情の『白雲』ロラン・ド・ルクレールが縛られていた。配下の者たちと一緒に。

「あれは我の手に余る。あそこで絵を描いている男と女、双方ともたまたま命を救う機会があった。その貸しを返してもらっただけよ」

 包帯ぐるぐる巻きの男と杖をついた盲目の女性。一見して王の左右であるロランを倒せる手合いとは思えないが、目の前でボロボロのアークでは確実に勝てないだろうことから多少の真実味を帯びる。絵の題材が景色を見ているのに裸婦であることは無視する。

「メドラウトすら逃がしたのかよ。『黒獅子』の旦那がついていながら、情けねえ話だぜ。ま、此処で捕まっている自分が一番間抜けだがな」

 唯一、王の左右でロマンに流されなかったロランは誰よりも早く戦線を離脱しアポロニアの背を追った。幾人かの捨て石の突貫、騎士の献身により距離は開くも射程圏内。そう思っていた矢先に騎士王と遭遇、交戦することになった。

 そして負けた。あの『怪物』は強過ぎた。

「サー・ヴォーティガンが盾となってくれた。僕は、彼の本質を見誤っていた。それどころか、軽んじ、軽蔑してさえいた。僕は人の上に立つ器量じゃない。生きても、意味がない」

 ロランは頭を捻ってヴォーティガンの名を思い出そうとするも出てこない。メドラウトの代わりに盾と成れるなら相応の人物であろうが、記憶にないということは大したことのないのか――混乱しかけた頭をリセットしてぼけっとした顔になるロラン。考えてもわからないことは考えないが彼のモットーであった。

「あの男はそう思っていないから逃がしたのだ。我よりも遥かに人を見る目があり、誰よりも先んじて危機を察知し、自軍の被害を最小限に抑えた男が、お前を選んだ。それを誇れ。胸を張って生き延びよ。そうでなくば浮かばれまい」

 騎士王の言葉にメドラウトはゆっくりと息を吸った。その言葉を胸の奥にしみこませるように、ゆっくりと、しっかりと、忘れ得ぬように――

「……孫がいる。いつか、会いに来なよ。歓迎はしないけど、部屋くらい貸すからさ」

「心得た。いつか参ろう。我らが故郷、最果ての地、ガルニアへ」

 生きる。メドラウトの眼に宿る光を見てアークは微笑んだ。結局自分はまたしても運命を捻じ曲げてしまった。今日、死ぬはずであったメドラウトの天命をエゴにて伸ばしてしまったのだ。これをせぬために愛する者から離れたというのに――己はどれだけ旅を重ねても変わらない。欲深き愚者のままである。

 ガルニアへ向かうメドラウトの背を一度だけ見る。知らぬ間に大きくなった息子の背中。それを見ただけで後悔が吹き飛ぶ、所詮己は人、王ではなかった。

「さらば戦の時代、こんにちは変革の時代ってね」

 いつの間にか描きかけのキャンパスを放って包帯男が近づいていた。

「馬鹿かよ。戦の時代は変わらねえ。むしろ激しくなるさ。頭からっぽで剣を振り回してりゃ上に行けた時代は終わり、今日から人はひと時も休まずぐるぐる回す。行きつくとこまで行くまで、立ち止まることすら許されない」

 ロランは吐き捨てるように言葉を放った。

「わかってるのに白騎士の味方したんだ? そーいうの面倒くさいタイプでしょ」

「俺は今までの貯蓄で食べていけるからどうでもいいの。国の決めたことには従うさ」

「でも個人的には?」

「楽な方が良い」

「僕もおんなじ」

 包帯男とロランはにやりと笑い合った。

「時代に適さぬ者の場所もある。そのために娘らは生きたのだ」

 アークの言葉にロランは「はぁ」と羨ましそうに吐息をこぼす。

「時の止まった最果ての地、か。いいねえ、俺も今度いこっと。十年くらいのんびりしたい。それを目標に頑張るとするかぁ」

 時代は変わる。否が応でもその時代は来るのだ。頑張れば頑張るだけ報われる世界。頑張りの多様化、何を頑張るのか自分が選び取る時代。その選択次第で未来が決まる。その恐怖をまだ世界は知らない。与えられたことだけをやっていればいい。奴隷だから、市民だから、貴族だから、その言い訳が消える時代。

 もうすぐ来る。それは決して輝かしきモノとは限らない。


     ○


 エルンストがカイルを見る眼、そこに宿る嫌悪にカイルは苦笑を禁じ得ない。彼の語る定義、血と言うモノを抜き取れば、自分ほどエルンストに近しい者はそういないだろう。王の血脈、七王国とは比べるべくもないが、それなりに立派な国で諸国にも目をかけられていた王の息子、母もネーデルクスの王家に連なる血統である。

 それが奴隷の皮を被っているだけでこの目つき。

「王も奴隷もこの布切れと一緒、着ている人間が重要なんだよ」

「黙れ奴隷身分が。僕を見下ろすな。お前たちは見上げていれば良いんだよ」

 人は余裕を失った時に本質が出る。彼は万人に優しかった。だが、その優しさは人が対等の人に向けるものとは異なり、愛玩動物に向ける『愛』だったのだろう。彼は王族、生まれながらの頂点、生まれた瞬間世界の大半が『下』であった。

 エルンストの優しさは己が上、他者が下、その構図でしか働かない。

「こんな男に何故仕える? 忠義なぞ――」

 背後から飛び掛かってくるレスター。エルンストを守るために決死の特攻を仕掛ける。そう、彼はわかっていて戦いを挑んできたのだ。例え背後を取ろうとも――

「この男は屁とも思っていないぞ」

 飛翔する歪んだ黒鷹と化した槍を翼ごと引っ掴み、突っ込んできた勢いに加えて、カイルが槍を引く力、そしてカイルの持つ力を込めた拳を腹に叩き込んだ。血の混じった吐しゃ物を撒き散らしながら宙を舞うレスター。

「当たり前、だからな。こいつらにとっては」

「マァ、モォ、グァァァアア!」

 叫びと狂気が痛みをかき消したのか吐しゃ物と血、涎を撒き散らしながらレスターは再度突貫してくる。半日は動けないはずの一撃、カイルは驚いた顔でそちらを見る。

「いけ、レスター! 僕の騎士。君だけだ。僕が本当に信頼を寄せる騎士は」

 カイルは決死の槍を容易くかわす。そしてまた同じように拳を叩き込んだ。骨が折れる感触、内臓が潰れた感触、人体が壊れた感触が拳に伝わる。

 それでも――

「マァ、ボォ、ルゥ、ンガァァァアアア!」

 レスターは突貫をやめない。カイルの拳が顔面を撃ち抜いた。頭蓋に大きなひびが入る。それでもやめない。腕をへし折る。止まらない。蹴りで足の骨を折る。片足で突っ込んでくる。もう片方も折る。這ってでも近づいてくる。

「マモ、ル、んダ。コ、ンド、コゾォ」

 カイルはあまりにも哀れな男の姿に目を瞑った。彼もまた失い、そして狂った人間なのだろう。その根幹は、決して今のような歪んだ姿ではなかったはず。誰よりも国を愛し、守ることに人生を懸けた。その結果が今――

「何だよ、全然駄目じゃないか! 立てよレスター! 騎士なんだろ!? 僕を守れ! 僕はオストベルグの王、お前の王だ。王を、国を守れよ! 立てよおい!」

 心無い罵声。守るべき者から発せられるそれを聞いてなお彼は前進をやめない。戦う意志が瞳にありありと映っている。殺さねば折れない。殺す気には、なれない。

「カイ・エル・エリク・グレヴィリウス。それが俺の名だった」

「は? 何を言って――」

「王族だ。オストベルグほど立派な国じゃないがな。母方にはネーデルクス王家の血も流れている。だが、今は奴隷身分を買った解放奴隷だ。それ以上でもそれ以下でもない。さっきも言っただろ? 身分は服と変わらない。王という服が脱げれば、そいつは王でも何でもない。ただの人だ。お前も、ただの人。王でも奴隷でもない、ただの人間だ」

 這い寄るレスターを尻目にカイルはエルンストの襟首を掴んで距離を取った。

「くそ、ふざけるな。七王国とそれ以外じゃ意味が違うんだよ。離せ、早く助けろレスター! 僕を守るんじゃなかったのかよ!?」

「オストベルグという国はもうない。あの地はアルカディアと成った。同時に、お前も王ではなくなった。王とは人を導く者、人を背負う者、お前も俺も、今は何も背負っていない。誰も導いていない。王とは振る舞いだ。間違っても、血ではない」

「僕はゲハイムの首領だぞ!」

「その組織も今日滅んだ。お前は二度、自分の国を滅ぼした」

「僕のせいじゃない! あの男が全部悪いんだ! いつも僕の邪魔をする男、ウィリアム・リウィウス! あいつが、あいつさえいなければ、僕は今も皆と幸せに」

「……その怪物を作ったのが身分だ。お前たち七王国が定めたルールが奴を産んだ。貴様が奪われるよりも遥か前に、あいつは奪われた。グラスになみなみと注がれた幸せを享受するお前たちが、たった一欠けらの幸せすら奪い取った。因果応報なんだよ、あいつは秩序の破壊者、当たり前だ。あいつは秩序に全てを奪われたのだから」

「僕には関係がない! 僕は彼から何も奪っていない!」

「いいや、世界のリソースは決まっている。幸不幸の割合も、決まっている。増やさぬ限り、分け与えぬ限り、それは一定で、独占する限りそれは偏ったままだ。お前は一度でも分け与えようと思ったことがあるか? 俺はない。王族であった時、俺はそんなこと考えたこともなかった。尊敬する父、優しい母、忠義者の家来に囲まれて、それを当たり前だと思っていた。ああ、それが特別などと、想ったこともなかったさ!」

「意味が、わからない」

 カイルが力を込めるとエルンストはうめき声を上げる。

「だからお前も俺も、何者にも成れなかった。因果応報だ。特別なことを当たり前と勘違いしていた。地を這う虫けらなんて視界にも入らない。その虫けらが害を及ぼして初めて、お前はそいつを認識しただろ? お前も不幸な奴だ。お前は知らなかっただけなんだ。俺はたまたま早々と堕ちて、知ることが出来た。世界は不平等で、想像を絶するほど幸せってやつは貴重で、そんな貴重なものの大半が独占されているってことを」

 カイルの発言をエルンストは鼻で笑った。

「はん、結局羨ましいから奪ってやろうってか? そして今度はあの男が独占するんだろ? 貴重な幸せってやつをさァ! 僕から奪った、今日負けた『正義』から奪った、幸せをあの男が享受する。ただ再分配しただけ。はは、何も変わらない。あいつだって独占したいのさ。欲深い、下等生物め」

「そうであってくれたら、俺はもっと純粋に応援出来ただろうな」

「ハァ?」

「お前の言う通り、あいつは幸せを集約して再分配するだろう。それは決して平等な分け方ではない。今よりも、偏った分け方をする可能性もある。あいつが求めているのは平等じゃない。幸せの独占でもない。あいつは知っているから。幸せってやつは貴重で、少ないってことを。どう分配したって、みんなが笑えるようにはならない。だから!」

 カイルはエルンストを地面に下ろした。それを好機と捉えたのか全力で逃げ出そうとするエルンスト。背後で這う騎士になど目もくれない。

「あいつは、幸せを増やす道を選んだ。革新、発展、それがあいつの王道だ。あいつ自身が不幸のどん底であっても、どれだけの苦難を背負っても、憎しみを集約してでも、苦しい道を選択し自らもまた苦しみの中にある。それが、王だ!」

 カイルは背負う大剣の柄を握りしめた。

「お前も俺も、王って柄じゃない。お互い、不幸な生まれだったな。分不相応、ってやつだ」

 大股で一歩、エルンストの背に近づき――

「終わりだ」

 一撃で仕留めた。「あっ」今際、エルンストが何を想い、何を感じたのかわからない。ただうつ伏せに倒れた男の表情をカイルは見ようともしなかった。そのままくるりと踵を返し、ゆっくりと歩き出す。

 レスターは空虚な表情で、またもその手からこぼれた守るべきモノを見ていた。

「殺せ」

 短く、発した言葉もカイルは黙殺する。

 カイルはレスターという男を嫌いにはなれなかった。忠義に生き、忠義に死す。歪んでも、狂気に呑まれてもなお騎士道を往く。その徹底っぷりには尊敬に値する。

 それに、戦争はこれで終わりである。ならばこれ以上、背負う気はない。自分は弱いのだから。生まれて初めての大戦、生涯最後と成るかもしれない大戦が終わる。

 帰ろう、アルカスへ。自分の持つすべてを注いでたった一人を守るために。贅沢は要らない。自分にはたった一欠けらでいい。カイ・エル・エリク・グレヴィリウスという英雄の素質、それが産んだかもしれない栄光の未来を投げ売ってでも小さな幸せを選んだ。それが貴重で、得難いモノだと彼は知っているから。

 レスターの慟哭が響き渡る。全てが此処に終結したのだ。


     ○


 エィヴィングは兄の遺体を優しくひっくり返してやった。その顔を見て彼は哀しげな表情を浮かべる。たった一人の肉親、心の底でどう思っていたのかはわからないが、あの国で数少ない自分に優しくしてくれた人物である。

 もうこんな悪いことはやめよう。そう忠言して酷い目にあわされた。アークがたまたま通り掛からなければ殺されていただろう。

 それでも彼にとっては唯一の肉親で、大事な兄で――

 彼は優しく遺体を抱きしめた。いつも自分にやってくれていたみたいに。死んだ先で大事な人と再会して、幸せな食卓を得られるようにと、祈る。


     ○


 こうして大陸を二分するほどの大戦が終結した。かつてない規模の戦争は恐ろしいほどの死傷者を出し、行き過ぎた戦争がもたらす大きなマイナスを世界に知らしめた。これよりしばらくの間、世界は戦争を忌避するようになる。そうする流れをアルカディアとガリアスが作り上げた。

 世界は緩やかに、しかし確実に、変革の時を迎えていた。

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