新たなる地平へ:白の王Ⅰ

 クロードは花屋で適当に見繕ってもらった花束を抱えて歩いていた。今日は特別な日。だからこそ短い間であったが世話になった恩人へ、せめてもの報告をと少し奮発した予算分の花束を墓前に添えようと向かっていた。

「お、マリアンネじゃねーか。あいつも墓参りか」

 見知った顔が先に来ていたので少しばかり気恥ずかしい面持ちになるクロード。花束なんぞ持ってくる柄ではないのは自覚しており、絶対に揶揄われると思ったのだ。

 それも、彼女に近づくまでは、だが――

(あいつ、泣いてんのか)

 マリアンネは墓前の前で静かに涙を流していた。彼女とはそれなりの付き合いになるが、彼女が掴み合いの喧嘩以外で泣いているところをクロードは初めて見た。ゆえにクロードは驚きを隠せない。こういう場では無理してでも笑うのがマリアンネであったはずなのだ。

「おい、なーに泣いてやがんだよ脇役女優」

 だからクロードはあえて茶化すような言葉を投げる。

「……むむ、脇役とは誰のことかなー? マリアンネちゃんわかんないぞー」

 マリアンネは泣いていた跡を隠すことはしなかったがクロードの言葉に乗っかった。

「おめーだよ。少しは上達したのか、演技の方はよ」

「これだからクロードは馬鹿だなあ。この天才少女マリアンネちゃんがいつまでも脇役なわけないでしょー。『今日』からしばらくは公演自体がないけど、前の公演じゃあヒロイン務めたんだから。主役も主役、超評判良かったからね。トップスタァだよ」

「マジかよ。言えよそーいうことは。皆で観に行ったのによ」

「メアリーとベアちゃんとラファエルは来てたよ」

「……俺って同期にハブられてんのか?」

「まー忙しい時期にいなくなってたからねー。思うところはあるんじゃないのー」

「結構ショックでけーぞ」

「冗談冗談。ってかチミ結構忙しかったでしょ? あんまりアルカスにいなかったじゃん。ネーデルクス相手の話し合いだと同席してるだけで話が弾むってベアちゃん言ってたよ。めっちゃキレ気味の顔で」

「あいつら外の人間には隙見せねえけど、身内にゃあ懐ガバガバだからな。ま、釈然としないけど置物やってんよ。ついでで槍術院にも顔出せるし、俺にとっても悪くねえ」

「いよ、アルカディアとネーデルクスの架け橋!」

「間でふらふらしてっと剣馬鹿か槍馬鹿に殺されそうだけどな」

「もてるねえ。色男はつらいよっ!」

「あいつらに限ってそんなんじゃねーだろ。つーかのんびりしててもいいのかよ? 俺もそんな時間ねえし、お前だって今日の式典行くんだろ?」

「……行かないよ」

「行かないってお前。そりゃいくらなんでも薄情過ぎる……だろーが」

 マリアンネがじっと見つめる先、そこには一輪の花がそっと置かれていた。最初はマリアンネが置いたものだと思っていたが、良く見ると彼女の手にはそこら辺で摘んできたのであろう野花が数本握られていた。だから、この花は彼女が置いたものではない。

 そうであるならばこの花は――

「ねえクロード、いっこだけ質問していい?」

「別にいいけど、ってか式典――」

「愛する人と生きる目的、どっちか選ばなきゃいけない。そうなったらクロードはどっちを選ぶ?」

 いきなりの質問にクロードは反射で――

「愛する人」

 こう答えてしまい赤面した。つい本音で言ってしまったが、自分は普段なら生きる目的だと男らしく答えるタイプを気取っている。いきなりで面食らったがゆえの本音。曝け出すのは気恥ずかしいものである。

「いや、あのな、この場合の愛する人ってのは家族とか友達とか、まあ、色んな意味が含まれているわけで。決して恋人とかそういう浮ついた気持じゃ――」

「いやーやっぱりクロードは凡人だね。凡の凡の凡々人だ」

 マリアンネの辛辣な返しに本音が漏れたことを心底後悔するクロード。絶対にこれから半年はこれをネタに揶揄われることは間違いない。そう思って嫌々視線を合わせると、

「私はそんな凡人が好きだなあ」

 マリアンネは満面の笑みを浮かべていた。本当に、心底嬉しそうなのに、どこか寂しげ。この笑顔をクロードはどこかで見たことがある。それはずっと昔、まだ自分がガリアスにいた頃。自分が守りたかった、強くなろうと思ったきっかけの女性と同じもの――

「その顔は……やめろ。お前は俺と同じ馬鹿なんだから、馬鹿みたいに能天気でいりゃあ良いんだよ。何かあるなら言え。俺が守ってやる。さっき言ったろ、色んな意味が含まれるって。一応、お前とかメアリーはその枠に入ってるからよ、お前はおまけだけどな」

 マリアンネは驚いた様子で自分の顔をぺたぺたと触る。

「笑えてなかった?」

「笑ってたさ。でも、一物抱えた笑いだ。笑うなら笑え。無理するくらいなら泣け。それから笑え。似合わねえよ、そーいう面は」

「ほへー、意外と見てるもんだねえ。見直しちゃった」

「それなりの付き合いだからな、たまたまだ。あんま買い被るなよ。基本的に俺は言われなきゃわからんし、察するとか頭使うのは苦手なんだ」

「やっぱ馬鹿クロードだ」

「馬鹿で悪かったな」

「本当に、悪いよ、クロード」

 クロードの胸に頭を打ち付けるマリアンネ。クロードはそのまま何もせずぼーっと宙を眺めていた。今、彼女はきっと見られたくない顔で、見られたくないモノを流している。彼女とクロードはそれなりの付き合いで、彼女が何を見て、何を想い、涙を流しているのか程度の想像はつく。

 マリアンネがこれだけ抱え込み、思い悩むとすればそれはあの人に関することしかありえない。クロードにとっても恩人で、この国での父であり兄のような存在。

 彼女の涙は、そこに添えられた一輪の花が原因。一輪に込められた想い、それはもしかすると先ほどの質問とも交錯するものなのかもしれないが、クロードはあえて深く考えないようにした。

「ごめん、クロード。忙しいのはわかってるんだけど、もうちょっとだけ、時間頂戴」

「別にいいよ。今日の俺は脇役もいいとこだ。脇役同士、ちょっとサボろうぜ」

「ごめんね、本当に、ごめん」

 ぎゅっと握られた掌から伝わる激情。無言の叫びを前にクロードは何も出来ず、何もしなかった。自分がモテ男なら此処で肩の一つでも抱いて、優しく包み込んでやるのだろうが、あいにくそういうことは何も学んでこなかった。

 今日は特別な日。武官であるクロードはそれなりに忙しいのだが、クロードはこの場から動く気にすらなれなかった。それはきっと仕事よりも彼女の想いを受け止めるために突っ立っている方が大事で、やはり自分はあの人のようには成れないのだなあとクロードはクロードで痛感していたのだ。

 澄み渡る青空、雲一つないのにぽつりぽつりと局所的な雨が降る。自分は傘、それでいいやとクロードは適当に自分を納得させた。


     ○


「……サボりかあの野郎」

「へなちょこめ、少し偉くなって勘違いしているな。教育が必要だ」

「……お前たち二人の配置も此処じゃなかったはずだが?」

 ギルベルトの言葉にびくりとするラファエルとベアトリクス。そもそも何故彼がこの場にいるのかと二人は内心悪態をついていたほどである。ベアトリクスにとって敬愛する兄であるが、色々とラファエルを使い『調整』し、この貴賓席の警護に当たれるようにした現場を、期せず規律に厳しい上官に見つかってしまったのだ。

「あ、兄上も、この場ではなくあちらのグレゴール殿やシュルヴィア殿のいる席では」

「言っていなかったな。俺は一応現役を退いた。今日は一般客としてここにいる」

「え!? そ、そんな。まだ兄上の若さで引退など」

「あの男には伝えてある。『今日』から剣は構えるものではなく飾りと成る。ただの剣が居座ってもお前たちの邪魔になるだけ。ゆえに引退を決意した。それで、当初の配置とは違う場所に何故お前たち二人がいる? まさかとは思うが、上手く権限を使ってこの見晴らしの良い場所での警備を手にした、などと言うことはあるまいな?」

「え、え、と、それは、ラファエル、任せた」

「ちょ、無理だよベアトリクス! あ、逃げた」

「偉くなって勘違いしている、か。教育が必要なのはあいつの方だな」

 ギルベルトはため息をついた。戦場での活躍から任せられると思い引退を決意したが、少しばかり早まったと早速後悔する。

「まーまー、今日くらい良いじゃんギルベルト」

「そうは言うがなガードナー」

「今日はこの子たちの親戚が、王様に成る日なんだから」

 ヒルダたちが座る貴賓席、その最前で三人の子供たちが興味津々に其処からの光景を眺めていた。テイラー、ガードナー、そしてリウィウス。

「歴史が変わる。異人が王座を抱くのだ」

「今更異人感はないけどねえ」

「確かにな。最初から流暢に話すあの男から他国を感じたことはあまりない。ただ、商談に成ると凄いらしいな。些細な方言の違いや未だ共通語の浸透していない小国の言葉など巧みに使い分けるらしい。以前、テイラーが言っていた」

「みたいねえ。文字はもっと凄いらしいけど」

「天才、とは違うのだろうな」

「剣と同じでしょ。馬鹿真面目に勉強して覚えたってだけ。あたしたちがぼーっと生きている間に、のろのろ小狡く進むのがあの男のやり方」

「勝てんな」

「ほんとそれ。人間じゃないって。立ち止まる時間って、必要だと思うんだけど」

「必要さ。それを省いたから奴は王に成る。何のために成るのかは知らんが」

「少なくとも、幸せになりたいって感じじゃないよね」

「ああ、そうだな。俺には分らない。テイラーも、わからないと言っていた。自分が背負うものとは何かが違う。規模か、質か、わからない、と」

「じゃあお手上げ。カールでわかんないならあたしたちじゃ無理でしょ」

「その通りだ」

 ギルベルトとヒルダは苦笑する。今日、くだんの男は王と成る。それなりに王宮に精通する彼らは、その道がどれだけ血塗れているかをぼんやりとは知っていた。だからこそ彼らにはわからないのだ。それだけの道の先、一体何があるのか。何を求めてその道をひた走るのかを。幸せではない、その道の先に何があるのだろうか――

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