新たなる地平へ:王宮制覇

 王会議としては異例の長さ、長期で行われた話し合いはとりあえずひと段落ついた。次は冬明け、再度王会議が行われる運びとなる。場所はエル・トゥーレ、ローレンシアの中心となるべき都市である。

 ウィリアムは帰国してすぐに王宮へ上がらず、とある貴族の邸宅へ足を向けていた。エル・トゥーレという大事業、それを任せられる人材はそう多くない。数少ない人材のうち、最も適格である人物――

「急で悪いが仕事を頼みたい。お前にしかできない仕事だ」

「喜んで、ウィリアム様。このアンゼルムに出来ることであれば、何でも致しましょう。戦場にて馬を駆ることは出来ませんが」

「新たなる戦場に馬も剣も必要ない。武器は頭と、金だ」

 アンゼルム・フォン・クルーガー。長くウィリアムの副将として戦場を駆け、空白の七年間では大将としてアルカディアの看板であった男。ガリアスの新鋭レノーとの戦で重傷を負っていたが、長い隠居生活のかいあって、日常生活を送れる程度には回復していた。

「では私よりもアインハルトの方が適格なのでは?」

「……あいつは優し過ぎる。今回の案件、任せるには少々不安でな。必要なのは俺のように優しさを抑え込める者か――」

「私のようにそれを持ち合わせていない人間、ですね」

「時代の中心、エル・トゥーレ。現地での差配をお前に任せたい。厳密には二人で協力してもらうことになるだろうが」

「エル・トゥーレ? それに、もう一人いるのですか?」

「詳しく説明しよう。その上で今回の件、受けるかどうか判断してくれ」

「私が貴方の仕事を受けぬ理由はありませんが……まずは聞きましょう」

 もう一度役に立てる。それだけでアンゼルムは翼を得た心地であった。ゆるりと死ぬだけだと思っていた命を必要としてくれる。それも自分の本性を理解し、その部分を生かしてくれる男が。

 アンゼルムは断らない。そして彼は適任なのだ。彼は有能かつ非情で、それ以上に非道な性質を持つ。もう一人の王道と合わせれば、うまく回るだろう。


     ○


 ウィリアムが王宮に帰還する。その情報だけで王宮はてんやわんやの騒ぎとなっていた。あの一件以来、王宮には暗い影が落ち、政争が絶えず血の臭いが充満している。これだけの暗殺合戦、毒、謀殺、何でもありの王宮。

 それでもなお無傷で君臨するのが――

「ウィリアムが帰ってきたのお」

 アルカディア王国第一王女クラウディア・フォン・アルカディア。妖艶なる雰囲気を身にまとう美女は兄である第二王子エアハルトに声をかけた。

「顔色が優れぬぞ兄上。何か気にかかることでもあったかの?」

「この王宮にあって気分の優れる者などいるかな」

「妾は楽しんでおるがのお。毎夜、何が起きるか予想も出来ずわくわくして眠れぬわ。くふ、楽しゅうて楽しゅうて」

「我が妹ながらおぞましい怪物に育ったものだね」

「あの男が帰ってきた。もっと、面白うなるぞ」

「本当に、最悪の気分だよ」

 どれだけ裏の手を使ってもクラウディアには届かない。絶対に自由を許してはならぬ女が自由を謳歌している。咎めるにも彼女を止める裏技はすべて潰された。そして正道ではどうやっても届かない。

「クラウディア! クラウディアはおるか!?」

 その理由が――

「くふふ、父上、そのような格好で出歩いてはなりませぬぞ」

「おお、クラウディア、そこにおったか。余は――」

 アルカディア王エードゥアルト。その病にでも侵されたかのような落ち窪んだ眼、骨ばった体はカラカラに見えるのにどこか脂ぎっている。病的な姿、それに半裸でうろつく姿はもはや王としての尊厳はかけらもない。

 一瞬、エアハルトを見て視線を揺らがせたが、次の瞬間にはクラウディアが寄り添いその揺れを完全に消し飛ばす。

「父上もお疲れでしょう。妾が、寝室までお連れ致します、わ」

 耳元でささやく声は魔性の色香を帯びる。密着する躰は極上の果実。湧き出る香りは百花繚乱の花園。誰も抗えない。たとえ、実の娘であっても。

「うむ、疲れておる。疲れておるぞ。すぐに、すぐ、参ろう」

 エアハルトは父の様子に目を伏せた。

 これがクラウディアが王宮にて絶対となった理由。勝ち誇った笑みをエアハルトに向けて彼女は王と共にこの場を去った。彼女は自らの『力』を使って実の父親を堕としたのだ。かの王が内心自らを怖れ、その反面欲していたことを知っていたクラウディアはゆるりと落として見せた。

 指先をくゆらせ、足先を揺らし、肌を見せ、匂いを当て、胸元を――

 気づけば王は彼女の虜。彼女に他のモノが近づくことすら許さない。彼女が黒と言えばその者は黒、白と言えば白。ささやき一つで王宮に血を舞わせることができる。彼女は無敵の力を手に入れていた。

 表でダメなら裏で、そう思い暗殺者を送ったがすべて不発。むしろ中継させた貴族らが知らぬ間に姿を消していたほどである。

 それにクラウディアは他にも大勢の有力な貴族を落としていた。彼女の勢力は増すばかり。エアハルトの勢力は少しずつその数を減らしていた。もはや王宮の政争は決着寸前。加えてあの男が帰還する。

 エアハルトは苦い笑みを浮かべた。友であるヴァルデマールがあの男の筋書き通り、国を憂う忠臣として散った日から、否、そのずっと前から自分は負け続けてきたのだ。唯一、クラウディアを止められる可能性のあったエレオノーラでさえ筋書き通りガリアスへの献上品となった。ひいてはあの男が天に上るための生贄となったのだ。

 愚かな妹、そして愚かな己。結局王家はとうの昔に怪物に喰われていたのだ。

 ウィリアムが臨時の王会議の話を持ってきた時、誰もが耳を疑った王の名代として王自らが名を挙げた人物。王家の血脈ではなく、英雄であっても王会議に出る資格などない。そんな男の名が出た時にはすでに毒が回り切っていた。

 舌なめずりするクラウディア。病的な笑みを浮かべる父王。

 彼はあの時点で勝利していたのだ。そして自分は、負けていた。


     ○


「――第二王子エアハルトにエル・トゥーレ議員の任を命ずる」

「大役、謹んでお受け致します」

 この日、王宮ですべての決着がついた。クラウディアを擁するウィリアム陣営は戦うことなくエアハルトを別の場所へ放逐し、王宮における敵を排除して見せたのだ。崩れ落ちるエアハルト陣営。

 エアハルトが任を命じられ降壇する途中、ウィリアムとすれ違う瞬間があった。一瞬、皆の緊張が高まる。

「すべてはアルカディアの発展のため」

「わかっている。私は最善を尽くすまでだ」

 本人同士にしか聞こえぬ声量でかわした言葉。やはりエアハルトは愛国者なのだ。やり方を認めることはないだろうが、負けは認めている。自分に与えられた役割をこなすことがアルカディアのためと理解すれば、その通り踊ってくれる。彼は優秀である。きっと彼ら二人はアルカディアに大きな益をもたらすだろう。その結果、また人は前に進むのだ。

「あとは喰らうだけじゃのお」

「まだ時期じゃない。エアハルトが去って、陣営を整理して、盤石の姿勢を整えてから事を運ぶ」

「つまらぬ。それでは楽しゅうない」

「たまには我慢しろ。その先で俺が好きなだけ遊んでやる」

「今から、でも妾は一向にかまわぬぞ」

「お前が楽しめているのは俺が守ってやっているからだ。互いに一蓮托生、長く遊びたいなら大人しくしていろ。それに、いい加減学習したらどうだ? お前の武器は俺に効かん。俺は中身で人を見る。お前は好みじゃないよクラウディア」

 クラウディアはむっとした顔でウィリアムを睨んだ。ウィリアムはそれを見て苦笑する。その表情は百戦錬磨の怪物とは思えぬほど幼く、だからこそ彼女の本質を現していたから。

「いつか必ず喰ろうてやるぞ」

「楽しみにしているよ」

 ウィリアムとクラウディア、二人の怪物は完全に王宮を制圧していた。エアハルトという障害を容易く取り除いて、これで覇道の前に石はなし。

 あとは時機を見て進むだけ。

 天は――近い。

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