ファイナルウォー:巨星、墜ツ

 アポロニアの炎、その煌きを『白雲』が打ち消す。消しきれずとも余勢であれば黒獅子の爪牙の前に打ち倒されるのは自明。

 ガルニア最強、その名をさらなる研鑽が高めた至高の剣。それと渡り合っているメドラウトはとてつもない成長を遂げていた。戦女神の右腕としてベイリン亡き後、女王を支え続けてきた騎士。磨き抜かれた知略と武力、どちらもすでに準巨星級。

 だが、互角では駄目なのだ。

 アポロニアの側近の騎士たち。『疾風』の猛攻を前にジリ貧であったところを、途中合流してきた『迅雷』とのコンビネーションを前に風前の灯火となっていた。

 もはや五十万の壁を超えるなどとても出来ない陣容。ガリアスの主力を前に弾き返された形。アポロニアが作り出した勢いの反動はすさまじく、勢いに己が力量と戦力を錯覚した者たちの屍が積み重なっていた。

「諦めな、女王陛下。あんたは此処止まりだぜ」

 何度打ち込んでも手応えのない剣。炎が雲に吸収されていく。剣の相性が悪過ぎた。それでもロランの手に残る痺れはさすが戦女神の剣、女を感じさせぬ一撃の重さ、女性特有の柔軟性が合わさり極大の破壊力を産んでいる。一騎打ちであれば勝てなかった。

 だが、ここは戦場で、自分の隣には黒獅子がいる。消耗は女王の方が上。

「無駄だ。よしんば我らを抜けたとして、今の貴殿らに我がガリアスの総力を抜く力などない。抜けたとしてもその先は、さらなる地獄が待ち受けるのみぞ」

 すでに数の上で主力であったエスタードが退き始めた以上、この数相手ではどうやっても勝てない。兵の質で多少上回ろうと、戦意のある者たちのみに限定すれば十倍以上の戦力差が広がっているのだ。

「諦めなさい。これ以上は、無駄でしょ!」

 リュテスの槍に貫かれた哀れな騎士。死してなお、女王の役に立とうともがくその姿は勝っている方の顔すら曇らせる。エウリュディケの矢に貫かれた者も、四肢の動く限り戦い続けようともがく。もがかせぬよう頭を射抜いてやる憐れみも虚ろな気分にさせる。

 もう勝てない。わかっていても女王が諦めぬ限り戦い抜くのが騎士。

 その重さが――

「私は、ただ思うように、あの、絵巻の中にあった英雄に――」

 女王の心を打ち砕いていく。その献身が痛い。もう自分はとっくに諦めているのに、この戦場では死に場所を、美しい終わりを求めていただけなのに、それでも彼らは承知で付き合ってくれる。共に生き、共に死んでくれる。

 それが痛い。それが苦しい。もう、あの頃のキラキラした思いを戦場に描けない。

 思い浮かべるは寒く、険しく、何もない故郷。何もないがある、島。あれほど出たいと思っていた故郷に、今は安息を求めている。自らの、ではない。今、自らのために死んでいる者たちの、今まで死んでいった者たちの、安らげる場所を――

 アポロニアは周囲を見渡す。騎士たちの顔を見て、久方ぶりに彼らと目が合った。以心伝心、伝わってくる忠義に天を仰ぐ。もうとっくに、彼らには分かっていたのだ。あの場を知らぬ者にさえ、伝わっていた。

 物語はとっくに終わっていたのだと。

 今までの犠牲、その重さでここに止まっていた。自らの想いとは反してローレンシアに巨星として君臨していた。だが、それももう終わり。この敗北は彼女から巨星という英雄の姿を奪った。

「全軍反転ッ! 一路ガルニアを目指す! 帰るぞ、祖国へッ!」

 それは英雄アポロニアの最後の意地。撤退ではなく、反転して進むのだ。逃げ帰るのではない。突き進んだ先に故郷があった。それだけのこと。

「御意ッ!」

 騎士たちが浮かべるは涙。その意味を知るは彼らのみ。

「殿は僕が務める。帰るぞ、みんなッ!」

「応ッ!」

 アークランドの騎士たちに熱が戻る。女王の遅過ぎる決断、それを手遅れにしないために彼らは燃えるのだ。女王の意地に花を添えるため。彼らの中に後悔はなかった。自分たちの英雄は白騎士でも黒狼でもない。『騎士王』と『戦乙女』の血を継ぎし高潔なる英雄、アポロニア・オブ・アークランドなのだから。


     ○


 狂信者の群れを薙ぎ倒すアダンとアルセーヌ。率いるは曲者揃いの双騎士団にガリアスで最も練度が高いとされる黄金騎士団ともなれば抵抗すら難しい。『正義』の本陣であった場所をガリアスはあっさりと占拠した。

「エルンスト様の居場所を私が守るッ!」

 千人斬のカロリーヌ。対峙するは――

「そのエルンストは此処に戻ってこんぞ」

「私をあの人が見捨てるはずない! 私はあの人の右腕なのよ!」

「……おなごは苦手だ。斬り捨てるのに心が痛む」

 せめて苦しまぬように。一刀両断。『牛鉄』の一撃がカロリーヌを頭から一気に裂いた。「あっ」断末魔すら間に合わぬ一撃に、罪人を千人斬ったと噂される処刑人は自らもまた処刑が如く断ち切られ絶命した。

「ひでー奴だねー。男も女もたぶらかして、自分はすたこらさっさと逃げ延びる。彼らの愛は一方通行ってね。響いてないから痛まない。痛まないからあっさり捨てられる。リクハルドのやつも馬鹿だったねえ。陸に対する執着を捨て切れず、烈海すら線引きするしかなかった海の覇者、その最後があれじゃあね。執着に付け込まれ、利用されてポイ、だ。哀れを通り越して笑えて来るよ」

 アダンは苦々しげな笑みを浮かべていた。

「主君を選べるものは少ない。良い主君はもっと少ない。我らは恵まれていた。先代は我らが愛するより深く我らを、国を愛していた。本当に、恵まれていました」

 アルセーヌもこの惨状を嘆いていた。自らが作り出したとはいえこれではあまりにも救いが無さ過ぎる。せめて双方向の愛に殉じれたのなら、救いもあっただろうに。

「不敬だぞアルセーヌ。まるで当代が俺たちを愛していないみたいではないか」

「失敬。しかし、先代ほど深く、広くはない」

「なぁにアルセーヌ。陛下のご決断にケチつける気なのォ?」

 苦い笑みから一転、にやにやと愉快げに笑うアダン。

「決断自体に文句はありません。先代であれば面白い、とノータイムで賛同していたでしょう。私が言いたいのは決断に際する姿勢、そこに尽きます」

「……言いたいことはわからんでもないがな。結局、姫欲しさ、そう言いたいのだろう」

「ええ、同じ私欲でもスケールが違う。しかも国家としてのメリットを自ら見出したのではなく与えられた形。あれでは王としてあまりにも格が落ち過ぎる」

「エードゥアルト王なら似たようなもんでしょ」

「アダン殿にしては見当違いな発言。かの王の在位など残り一年か二年、次代は今回の件で決定したも同然。そのための茶番が今この場であれば――」

「それこそ酷ってもんさ。あいつは嫌いだけど、先代の執着を見れば嫌でもわかる。本当の後継者はあいつさ。時代を背負い、次代へ導く。革新王ウィリアムってね」

「実に不愉快」

「「同じく」」

 ガリアスの猛者たちは苦々しく笑い合った。『正義』の本陣は潰した。エルンストにはうまく逃げられた形だが、いずれ始末する機会もあるだろう。戦の時代が終われば今回のようなカタチを組み上げるのも難しくなる。懸念はあれど、大勢に影響はなし。

 そこまで首を突っ込むほど彼らはこの戦に執着してはいない。熱心ではない。

 アルカディアへの執着、ウィリアムへの憎悪、それが何かしらに転がれば、などと期待すらあった。薄く、そして儚い話であるが。


     ○


「団長! ケツがつつかれ始めてる! 征くんだろ? さっさと征こうぜ!」

「お前、本気で言ってんのかよ!? 陣容見ろよ、メクラかボケ」

「じゃあ退けってのか? テメエこそケツ見ろよ。どこに逃げ場があるってんだ!?」

 ヴォルフ個人としては突っ込みたい思いはある。華々しく散ろうなどという卑屈な考えはないが、ここまで来て退くくらいならほんの少しでも肉薄してビビらせてやる、という暗い考えもあった。何よりも、この先は自分でもわからない領域。これを超えたら正真正銘の『最強』になれる。どう考えても、自らでさえ不可能と思う偉業を成す。

 だが、それにはさらなる犠牲がいる。後ろの皆を、すべて失う覚悟で突き進んで、九割九分全滅するという賭け。あまりにも分の悪い博打。こんなものを引けるのは神がかっていた当時のルドルフくらいのものだろう。

「退くも地獄、進むも地獄、俺は団長の判断に従おう。黒の傭兵団団長、ヴァルホールの王、それらの前にお前は狼だ。好きにすると良い。その背中に俺たちはついてきた」

「俺らだってそうだぜ。何処までだってついて行くさ。今更、鞍替えする気もねえし」

 皆が一様に「そうだそうだ」と言う。アナトールの一言から連鎖するやけくその空元気。皆わかっているのだ。この状況が完全に詰んでいることを。

 ヴォルフだってわかっている。常に勝利と共にあった己の戦歴。この感覚を覚えたのは二度目である。一度目は太陽に焼き尽くされ鍛え抜かれた仲間を、両手両足を失った。今度も同じことが起きる。いつもの、よくわからない、確信にも似た何か、勝利の匂いが欠片もしないのだ。あの時と同じ、否、それ以上に無臭。

「ここで退いたら、二度と追い付けねえ気がする」

「かもしれんな」

 ヴォルフがこぼした言葉に相槌を打つアナトール。

「タイマンなら、ぜってえ負けねえ。俺ァ、最強なんだ」

「俺もそう思う。ここにいる全員、そう思っている」

 ヴォルフは「畜生ォォォォオオッ!」と天が震えるほどの大音量で絶叫した。追手が慄くほどの声量。五十万が一斉に震えた。眼前の五万も一瞬押し黙る。天輪を喰らい誰よりも雄々しく頂点に輝いたシリウスは――

「俺の、負けだ」

 言葉短く、静かに墜ちた。

「わりーなお前ら。付き合わせちまってよ」

「馬鹿言え。好きで来たんだ。謝るくらいなら酒奢れ」

「そうだ! 女だ女! 南の島行こうぜ! 女抱きながら反省会だ!」

「お題目、何故ヴォルフは白騎士に負けたのか。酒の肴にゃぴったりだ」

「テメエら、本当に馬鹿しかいねえのな」

 自分は負けた。本当は最初からわかっていたのだ。決着は最初の邂逅でついている。白黒をぼかしたのは自分。相手の深さに脱帽しながらも、力づくで立場をイーブンに持って行った。最初からして、相手は自分の先に行っていた。

 それでもあの頃は届くかもしれない。否、届く気しかしていなかった。だが、何度も出会う度、自分の得意なフィールドでそれほど離されることなく、自分の知らぬフィールドに精通していた好敵手。その度に驚き、焦り、内心無理かもしれない、と思っていた。

 とうとう、今日、この瞬間、突き付けられた決着。引き延ばしていたものを、ヴォルフはすっと受け入れた。武人として負ける要素はなくとも、人を導く者としての差は明白となった。その差はわかっていたもので、それを己が武力で覆せぬ以上、白黒くっきり明暗が分かれた。

「お前らを、頂点にゃ連れてってやれなかった。本当にすまん」

「だから頭を下げるなって――」

「だがな、南の島には連れて行ってやんよ! 全部俺の奢りだ馬鹿野郎ども!」

「…………」

 一瞬の沈黙。皆の眼にはやけくそではない熱が浮かび始める。

「ま、その前に嫁たちの許可を取らせてくれ。何しろそーいうバカンスだからよ。だから、とりあえず帰ろうぜ。あの頃とは違う。俺らには、帰る場所があるんだからな」

「……ぜってー許可下りねえじゃん」

「相手が引くくらい下げればいける! だから、そこで頭を下げるのくらい許してくれよな。そこまでは、二度と頭は下げねえよ。俺の背中についてこい。家について嫁に頭を下げるまで、俺ァ最強だからよォ!」

 ヴォルフは一人反転する。

 ウィリアムは静かにその背に目をやった。最後まで勝てなかった好敵手。戦わぬ選択肢を取らざるを得なかった。それだけ怖れ、焦がれた。きっと相手も同じ想いを抱いている。例え道は違えても、あの日抱いた敗北感と強さへの憧れは色褪せない。ヴォルフが自分に持たぬモノでウィリアムに負けを認めていたように、ウィリアムもまた自分では届かぬ強さに負けを認めていた。

 時代がウィリアムを選んだだけ。生まれが半世紀遅ければ、きっと立場は逆であった。

「さらばだヴォルフ。お前は、強かったよ」

「あばよウィリアム。テメエの勝ちだ」

 ヴォルフは丘の上を疾駆する。出来る限り敵の薄い部分を突っ切る。その上で目立つ。自分の強さを誇示したいわけではない。自分の姿を見て、駆ける方向を見て、足の差で置いてきた味方に道を示すのだ。

 さあ、帰るぞ、と。

 立ち塞がる敵を粉砕しながら――

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