ファイナルウォー:それぞれの舞台
アポロニアの撤退と同時に一人の男がこの場を離れた。ヴォルフの咆哮を聞いて包帯ぐるぐる巻きの青年は哀しげに微笑んだ。この戦の趨勢は決した。ガリアスが現れた時点でアルカスが落ちていなかった。その時点で勝負はついていたのだ。
「エルンスト君のとこ、行かなくていいの?」
「いい。俺の言葉、届かないから」
「そう言いながら駆け出そうとしてない?」
「散歩、行ってくる」
そのまま幼さを宿す青年はどこかへ駆けて行った。残されたのは包帯男とその隣に立つ盲目の女性。そして赤毛の壮年が静かに戦場を見ていた。
『貴方は、行かなくて、良いのですか?』
「無理にルシタニア語で話す必要はない。もう、その言葉を使う国もないのだ」
「そ、ならいいや。で、貴方は何を見て何を想う?」
「……憎しみの獣。ああ成れぬ己が弱さを、想う」
「あはは、あれは強さじゃないよ。弱いから、狂気に呑まれるのさ」
「狂気は色々なモノを隠してくれます。眼をそらしたい、本当を含めて」
「それでも俺は、あいつのように成るべきだった。一人の父親として」
壮年の男は静かに目を閉じた。見るべきモノが今、失われたから。
○
ルシタニアの剣士たち。その特異な技を前に多くの将兵が断ち切られた。退き始めた『正義』の軍勢をよそに彼らは憎しみの刃を振るう。すべての元凶であるウィリアム・リウィウスを討たんがために。彼らはエルンストによって歪んだ事実を植え付けられていた。上手く話しをすり替えて憎しみの矛先をウィリアムに仕向けたのだ。
リーダー格である男、ブラッド・レイ・フィーリィン。ウィリアムに殺害されたブリジット・レイ・フィーリィンの父親にしてルシタニアの戦士を束ねる長である。たまたまエルンストがウィリアムの屋敷に潜り込んだ時に見たつがいの剣。その記憶とかの国を滅ぼした際に聞いた様々な噂。それらを統合して見えてきた答えをちらつかせ、ブラッドを落とした。与えられた憎しみが彼らを支配している。
「……あ、がぁ、ぐ、ぐぞォ」
オスヴァルトの剣が何本もブラッドの身に突き立っていた。刺し貫くはオスヴァルトの剣士たち。何人かの犠牲と観察により特異な技を見切ってみせたのだ。いや、見切ったというには少し語弊がある。ブラッドの足元に崩れ落ちる騎士。斬り捨てられた彼らは死力を尽くして足にしがみつき、腕にまとわり、動きを止めた。
それだけしなければブラッドの技はわかっていても止められなかったのだ。
「にぐい、にぐいぞアルカディアァ! のろっでやる、のろでやるぞォ!」
血反吐を撒き散らしながら、臓物がこぼれるのも気にせず凄絶な貌で吼えるブラッド。その眼に宿る狂気は刺し貫いている方にすら恐怖を与えた。
「ゆるぜ、ブリジット、弱い父を、ゆる、せ」
崩れ落ちるブラッド。多くの犠牲を出しながらようやく討ち果たしたルシタニア最強の剣士。オスヴァルトの誇りが勝った形。
「結構やられたみたいねえ。あれ、あんたらのボスは?」
ひょこひょこと現れた隻腕のヒルダ。血で全身染まっているがすべて返り血である。暴風の剣はいまだ健在であった。
「ギルベルト様であれば今は近寄らぬ方がよろしいかと」
「何でよ?」
「今のあの人に敵味方はありません。剣、そのものですから」
「……?」
首を傾げるヒルダ。
それより少し離れた場所にて、部下であり弟子であるオスヴァルトの剣士たちですら近寄らぬ光景が広がっていた。躯の山、百、二百ではきかぬ数。いったいどれほどの激しい戦が行われたのであろうか。幾重にも積み重なる躯の中心で――
「…………」
血みどろのギルベルトが一人立ち尽くしていた。虚空を見上げるその瞳に感情の色はない。斬って斬って斬りまくった。色々なモノを削ぎ落として、最後に残った純粋無垢なる剣で斬り続けた。
こうして生まれた躯の山、その地平。誰も近寄らぬ死地がそこにあった。
気づけばただ一人。ギルベルトは静かに手を伸ばす。天に広がる蒼空へ。自らが求めた本当の居場所を。二度と、その手には掴めぬ本当の想いを、掴む。
「テイラー、俺は――」
ギルベルトは一筋の涙を流した。
○
ヴォルフ、アポロニア共に撤退を決めた時点で『正義』陣営は完全に崩壊した。あとは掃討戦、失墜した巨星を誰が喰らうか、武功の競い合いが始まった。特に若く優秀な者ほどこの先、武功にて成り上がる厳しさを予期し、今が稼ぎ時と判断していた。
だからこそ追撃は苛烈を極めた。墜ちた巨星というのは名を上げるにはうってつけであり、腕に自信がある者ほど彼らに向かっていく。巨星という魔法が解けても彼らは強い。しかし彼らも人間で、消耗がすぐに回復していくことはない。
「だぁ! ウゼェ! こっちゃ家で家族待たせてんだ。邪魔すんな!」
特にずっと先頭を引っ張り続けてきたヴォルフの消耗は激しい。それでもヴォルフは先頭に立ち続けなければならない。それが群れの長としての、王としての彼が為すべきこと。
「私を、なめるなッ!」
それはアポロニアとて同じこと。どれだけ重い疲労を抱えようとも、幾重にも傷を重ねようとも、彼女たちは『戦場の王』なのだ。王とは群れを導く者、いわんや戦場の王とは、少なくともこの時代ではまだ、誰よりも前で誰よりも強く戦う者を指す。
黒狼王も戦女神も人間である。それでも彼らは王であり、人にまで堕してはならないのだ。少なくとも王である限り、ただの人であってはならない。
「さすがは巨星。墜ちてなお輝くか」
だが、敵もただの人とは限らない。
超大国ガリアスに燦然と輝く百将上位の怪物たち。王の左右はもとより、五十位から上は本当の怪物ばかり。圧倒的人口から選び抜かれたエリートたち。その刃が軽いはずもなし。その中で最も輝ける王の左右、剣、槍――
「ゴー、グスタフ」
「応ッ!」
「なっ!?」
ヴォルフが率いる群れ、そのどてっ腹を『戦槍』が貫いた。
「こんだけ他人ん家でおイタしたんだ。今日は帰さねえよっと」
アークランドの騎士を追撃していた王の左右と剣、その牙が完全に喰い込む。彼らから逃げ切るのは至難の業。四方八方敵まみれのこの地を脱出するなど奇跡であろう。
「やってくれたなおい。俺が相手してやんぞゴラ」
「くっ、良いだろう。私が道を切り開いてやる」
足を止めればただでさえか細い道が潰える。わかっていても無視など出来ない。彼らは強過ぎる。自分だけなら逃げ切れるかもしれない。しかし、自分だけが帰っても意味がないのだ。皆を連れて帰ってこその王。負けた王の最後のけじめ。完遂してみせる。
不可能だとしても――
「止まるなヴォルフッ! 真っ直ぐ進め!」
「王の責務を果たせ! 姉さんが死ぬのは、全ての騎士が死んだ後だ!」
王の道を切り開くのは何も自らの手のみではない。
「俺が止める。振り返らず進め。なに、俺も嫁探しの途中、死なんよ」
黒の傭兵団副団長アナトール。
「僕が君を救う。だから君は皆を救え。きっと、負けた姉さんだからこそ出来る役割がある。海を隔てた何もない土地だからこそ、果たせる役目がある。騎士王のような勝手は許さないよ。僕も姉さんも、好き勝手やってきたんだ。残りは、役割に殉じよう」
アークランド王国騎士団長メドラウト。
二人の右腕が王の障害の前に立ちはだかる。その眼は二人とも爛々と命の灯を燃やし、その表情は凛と鮮烈な笑みを浮かべていた。
ローレンシアで知らぬ者のいない秀でた副将の二人がガリアスの前に立つ。どんと立ちはだかるその姿に後退の意志はない。
「「征けッ!」」
期せず同じタイミングで二人の将が捨て石となった。ただし、彼らはただの捨て石ではない。今まで積み上げてきた重み全てを賭けた決死の捨て石。
下手に躓けば、命に関わる。そんな圧を放っていた。
○
すべての決着はついた。勝敗は決し、すでに勝った方にとっては戦後処理をしている感覚。事実、巨星は墜ち、首謀者であるエルンストは姿をくらましていた。主力のエスタードは誰よりも早く戦場を離れていった。
誰も届かない。ウィリアム・リウィウスは勝ったのだ。
「鼻が利くな」
「主譲りだ。……まだ、終わりじゃないぞウィリアムッ!」
そう思っていた。ウィリアムでさえ終わったものと、思っていた。
その緩みを――
「カチコミ、征きますか! 団長の仇ってね!」
「死んでない。ガルム、縁起でもないぞ」
「へーへー真面目なこって」
天獅子が突く。まだ、誰も気づいていない。巨星の輝きが、墜ちた衝撃が彼らの動き、その匂いを消していた。ウィリアム登場と同時に戦場を離れた天獅子。戦場の大外をぐるりと回り込み、五十万を避けるルートを、それどころかその背後にひしめく五万すらかわして、少数精鋭、白騎士の喉元に牙を突き立てる。
「……ほお、これは、想定外だ」
ウィリアムが気付いた時にはすでに獅子の領域。
驚愕と戦慄、獅子はまだ死んでいない。
「あの日、無力だった俺とは違うぞ白騎士ィ!」
獅子の咆哮。子獅子は成長を遂げた。その成長、侮ることなかれ。
○
エルンストは必死で逃げていた。背後に迫る巨大な影。まるで敬愛するストラクレスのような絶対的オーラを持つ怪物。自分が逃げ出す前から、ただエルンストのみを注視し、上手く姿をくらましたはずなのにこの男だけは絶対に視線を外してくれない。
「陛下、ストラクレス様の意志、我らが繋げまする」
「陛下を頼むぞレスター。オストベルグの未来、貴殿に託す!」
ストラクレスの腹心である戦士たち。他の有象無象とは違い彼らを失うのはエルンストの心を十二分に痛めた。同じオストベルグに生まれ育った者同士、偉大なるストラクレスの部下である彼らは大事な存在であった。
「見せてやろう! オストベルグの意地を!」
「我らが誇り、受けて見よ!」
優秀な騎士であった。戦士として一流の彼ら。並の相手であれば彼らに傷一つつけることのできない強者。だが、歴戦の勇士である彼らはまるで雑草を刈るかの如く、胴が宙に舞う。冗談みたいな光景、エルンストの顔が歪んだ。
「悪いな。謝罪ついでに、借りるぞ」
男は断ち切った戦士の槍を拝借し、それを放り投げた。軽く投げたように見えるそれは異常な軌道を描いてエルンストのすぐ後ろ、騎乗する馬を串刺しにする。倒れ伏す馬、エルンストもまた落馬を余儀なくされた。
「ふう、ようやく足を止めてくれたか。鬼ごっこは此処までだ。死んでもらうぞ、王様」
巨躯の怪物もまた馬を降りてエルンストの前に立った。
「不敬だぞ、僕を誰だと思っている!?」
「元、オストベルグの王様だろう? つまり、何者でもないさ、今のお前は」
王族として生まれ、奴隷として育った男、カイルは悠然と仁王立つ。
エルンストはその姿を見てただでさえ歪めていた顔を、さらに歪めた。
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