ファイナルウォー:幻想崩壊

 太鼓の音を聞いた瞬間、ゼノらは一斉に剣を止めた。一糸乱れぬ動き、まるでこの合図が来ることをわかっていたかのような――

「……戦わねえのかよ」

 気づけばいなくなったアナトールの代わりにゼノと対峙していたクロード。その腑に落ちない様子にゼノは苦笑を禁じ得ない。彼は馬鹿だが、それゆえに空気で物事を判断している。時折鋭いのはそれゆえ。今回の件も、彼の中で一つの仮説が生まれているはず。だから顔色が優れないのだ。勝利を目前として。

「撤退の合図だからなァ。その辺、エスタードはしっかりしているのだ」

「随分あっさり退くじゃねえか」

「あの大軍を前にして戦う気力など湧こうはずもなし。なァキケェ?」

 ゼノが振り向くとすでに阿吽の呼吸が持ち味の実弟は遥か彼方まで撤退していた。他の将兵も太鼓の音を聞いた瞬間、反転し全速でこの場を離脱していた。この場に残るのは撤退の合図に気づかず継戦していたゼナとその部下、ゼノの兵のみ。

 そのゼナも部下に諭されて撤退の動きを見せていた。

「おいおいィ、孤立無援じゃあないか。ちょっと寂しいねえ」

「ゼノ兄置いてくよー」

「しばし待てィ。なぁ、少し話さんかクロードよ」

 剣を納めたゼノはクロードにウィンクした。その瞬間、とてつもない嫌悪感に襲われるクロード。そんなことはどこ吹く風、ゼノは笑いながらクロードに語る。

「今貴様が浮かべている違和感、俺なら一言で解決してやれるぞ」

「別に違和感なんて――」

「ウィリアム・リウィウスの狙いは王に成ることだ」

「は?」

「白騎士が白の王となる、最後の儀式がこの戦、あとは逆算して考えろ」

「何だよそれ……何でテメエがそんなことを知ってんだよ?」

「エスタードの上層部なら皆知っている」

「裏で繋がってたってことか!?」

「いや、繋がってはいない。ただ知っていた。白騎士の狙いはな。聞く限りでは薄氷、勝算はそれほど高くなかった。ゆえにエスタードは今の立場にいる」

「敵とぶつかってすぐさま逃げるのが立場か?」

「その通り。あちらの展開が遅いのは俺達を逃がすためだ。無駄な血を流さず、必要なことはやり遂げる。巨星を落とし、時代を変えられたなら、それ以上の犠牲は悪でしかない」

 ゼノの言葉はまるで本人から聞いたようであった。だからこそクロードには分らない。

「ウィリアム、さんとエスタードが接触する機会なんてなかったはずだ」

「その通りだ。接触していないからな」

 ゼノは困惑の極みにあるクロードを見て苦笑する。もし彼が気持ちよくこの戦場を終えたいのならば知らぬ方が良い事実。しっかりと功を積み、名を上げた。其処に満足して終われたはず。だが、ゼノはクロードこそ知るべきと思い口を開く。

 道は違えど同世代の傑物。ただの駒で終わるには惜しい。

「エスタードと接触したのも、ゲハイムの、『正義』の尻尾を掴んだのも、あの男が持つ『力』の内、最初に得たモノだ。英雄白騎士が最初に得た『力』、わかったか?」

 クロードは少し考えを巡らせ、そして妹分の顔を思い出しハッと顔を上げる。

「テイラー、商会」

「正解だ。世界各地に張り巡らされた物流網、そこを行き来するやり手の商人たち。彼らが扱う武器で最重要なもの」

「情報、か」

 クロードとてウィリアムの作った学校を出ている。賢い方ではないが、それなりに商売のイロハ、商会の方に通じる学びも受けていた。だからこそ、わかってしまう。

「如何に『正義』が秘密裏であろうと二十万に達する軍勢、そもそも各国の重鎮がひとところに集まればどこからか情報は洩れる。それが欠片であったとしても、多方面から多人数が集めた情報を集約してみろ、それは一枚の絵図になるだろう?」

「あの人は知っていたってことか。くそ。ってか情報を集めたのが商人、それと同じってことは何だ、テメエらは一介の商人と交渉したってのか?」

 一国の宰相が、国の方針を決める重要な話を代理とはいえ商人と行う。そんな馬鹿げた話をゼノは平気で――

「ああ、そうだ」

 肯定して見せた。クロードは呆然としてしまう。

「デニスという男だったか。なかなかの切れ者、まあそれ以上にあの男の語り口、見ている方向、何もかもが白騎士に似ていたと我らが主が言っていた」

「商会の人間は、ある程度知ってんのか?」

「そこまでは知らんよ。だが、デニスという男はこれから先に来る未来絵図まで語ってみせた。アルカディアとガリアスが土壌を作り、そこで多くの国が競争し発展させる。嬉々として語る姿は、異様な説得力があった。俺はそれしか、そこまでしか知らん」

 今、クロードの頭にはゼノの与えた答えからどんどん逆算して様々な絵が浮かんでいた。自分たち武人よりも深くウィリアムと繋がっていた商会の面々。自分たちが潰れ役になったこと。様々な、色々なモノが見えてくる。

 彼はこの戦場で出た犠牲をも踏み台にして、玉座に手を伸ばしていたのだ。

「おっと、そろそろ殺気立ったお友達が押し寄せてくるなァ。俺は帰るとしよう」

「…………」

「まあ、互いに嫌な時代が来る、か。武人には分り辛く、磨いた武を振るう機会も少なくなる。頭の痛いことだ。だからこそ、考えることはやめるべきじゃない」

「わっかんねえよ。俺は、ただあの人の役に立ちたくて、強くなろうと」

「その強さの定義が変わるのだ。我らが愛した『烈日』の時代は終わり、革新王のような人物、と言っても俺は会ったこともないのだが、そんな者たちが『強者』となる時代だ。しっかり見届けろ。俺には出来んが、勝者である貴様なら、見届けることが出来るはずだ。それは必ず今後、貴様の『力』となる。また会おう我が好敵手。時代うつろえど武は武として其処にある。振りかざす力が必要な局面もあるだろう。いつか、戦場で、ではな」

 ゼノはひらひらとキザったらしく手を振りながら去っていった。話し込んだため道中ガリアスに捕捉されるも持ち前の鉄壁とキレのある剣技で颯爽と撤退していく。残されたクロードには大きなもやもやが残った。

「おいへなちょこ! まだ終わりじゃないぞ!」

「異人! さっさと槍を持ちなさい。勝ち戦、共に武功を重ねることを許します」

 睨み合う二人を背にクロードは見つめる。戦場の機微を。時代が、移っていく様を。


     ○


「エルンスト様、撤退してください!」

「あの男、異様です! 真っ直ぐ、こちらへ向かってきます」

「……まだ終わってない。僕が生きている限り、オストベルグは死なないんだ」

 エルンストは猛追する人物を部下に任せて撤退を開始する。エスタード用に開けられた逃げ口を利用しない手はない。ここで逃げて、いつか再起を図る。十年、否、五年もあれば同じ流れは作れるはず。今度こそ失敗しない。

 エルンストの炎はまだ消えぬ。


     ○


 最強、それがこの男の代名詞となって何年経っただろうか。烈日を落とし、そこから一度として負けはなく、アルカディア対ガリアスでは敗勢を覆す逆転の一手としてその力を世界に改めて知らしめた。最強にして無敗、太陽を喰らった狼は膨張を続け――

 今、破裂寸前になっていた。

(腕の、感覚が薄れてきやがった)

 微塵も感じぬ危機感。圧倒的弱者の壁。だからこそヴォルフは今までにない焦りを感じていた。危機感はない。だが、体の消耗は無視できない状態まで来ている。

 それなのに先が見えない。遠い、丘には辿り着いただろうか。丘に辿り着いて、坂に達したから足取りが重いのだろうか。馬の消耗は自分の比ではない。大した距離ではないのに、国一つ跨いだかのような疲労感。

「俺たちが最強だ!」

 ヴォルフの咆哮。背後の団員たちも気づき始める。特に古参の者たちはかなり前から察知していた。今までとは違う今の状況に対する違和感を。其処に直面する自分たちの団長が想像以上の消耗をしていることを。

「負けるかよ。俺とお前で雌雄を決するんだ。今日しかねえ、今日こそはッ!」

 ここが丘かどうかもわからない。後ろは振り向かない。振り向かば見られてしまうから。自分の顔を。最強とは程遠い、弱き一面を。

 丘を越えれば、あの男が待っている。「来てしまったか、山犬」そう言って彼は剣を抜くだろう。消耗は良いハンデ。それを覆してこそ『最強』。最初の出会いからどれだけの月日が経っただろうか。あの日、つけなかった白黒を今、この時に――

「白黒つけようぜェ! ウィリアムッ!」

 見えた頂点。一瞬、天に瞬く星が眼に入った。ヴォルフはそれを掴む。そこが頂点、人類最強。ようやく、到達した。

 丘の上。今この戦場で誰よりも高きにいる男こそ『黒狼王』ヴォルフ・ガンク・ストライダー。人類最強の男にして下層民から王にまで成り上がった男。

 いつだって最後には笑ってきた。あの烈日を相手にして最後は勝利を掴んだ。

「団長! ようやく抜けましたね! このまま白騎士のく、び……を」

 王の到達から数秒待たずなだれ込んでくる黒の傭兵団。彼らとてかなり数は減らしているも残る本陣程度、薄皮を剥くが如く突破してみせる。それだけの力がある。最強に率いられた最強の集団。数百、数千、何てことはない。

 その自負が――折れた。

 眼下に広がる絶望の光景。それは今まで突破してきたアルカディア兵と旧オストベルグに配置されていたアルカディア兵を再編成したもの。その数、五万を超える大部隊。それがぎっしりと弓や槍を構えて万全の状態でそこにいた。

 角笛が鳴る。銅鑼が打ち鳴らされる。槍を持つ兵たちがその音に合わせて掛け声と地面に槍の尻を叩きつけその圧を増大させる。重厚感あふれる光景、その果てで白騎士はストラチェスに興じていた。届かない、景色。自分たちを、見てすらいない。

「まだ、まだァ」

 ヴォルフは嗤う。それが、強がりであることは誰の目にも明らかであった。

 広く展開していたとはいえ五十万の壁を越えた彼らに待っていたのが、この絶望である。希望はない。機会は与えない。お前たちは負けたのだ。そう、突き付けられているような絶望感。最強の背中が等身大になっていた。

 英雄、最強、それらが見せていた魔法が解ける。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る