ファイナルウォー:時は遡り――

 時は遡り『正義』侵攻直後のマァルブルク。

 ヴァルデマールは短い時間であったが尋常ならざる苦悩を頭の中で繰り広げていた。忠誠を誓う第二王子の妹君、アルカディアの太陽、自分にとっても妹のような存在であった。一時はエアハルトから婚約者の打診もあり、真剣に悩んだほどである。

 しかし、その時は自分の分を弁え、忠義の道を選択した。それは間違いではなかっただろう。現に、今、アルカディアには活路が残されているではないか――

(ユリウス陛下は姫様に大きな執着を見せている。今はまだ嫌われたくないという考えが勝り、打診のみに止まっているが、何かあれば力づくも辞さない。そういう雰囲気はあった。だからこそエアハルト殿下も国家の切り札として有象無象の縁談は持ち込ませることすらしなかった。すべてはこの時のため、殿下なら、そうおっしゃるはず)

 それはウィリアムも理解しているのだ。理解していて、動かない。彼が願えばエレオノーラは容易く動くだろう。その機微もまた彼は理解しているはず。それなのに、その役目すら果たそうとしないのだ。

(私に、恨まれ役すらやれと、そう言っているのだな)

 ウィリアムは動かない。そしてヴァルデマールは動く。その確信があるからこそ、やはり白騎士は不動を貫いているのだ。己が副官は優秀で察しが良い。だからすぐに気づく。気づいてすぐに動く。何故ならば、国家と妹のような存在、二つを秤にかけたなら、王家に忠を尽くす彼ならば必ず国家を取る。

 国家存亡の危機。ゆえに迅速に。


     ○


「……貴方も、お兄様と同じなのですね」

 エレオノーラの失望のまなざし。ヴァルデマールの心は大きく揺らぐ。この場ですべて、それこそそう仕向けた男について洗いざらいぶちまけたい気持ちに駆られる。だが、それは出来ないのだ。いくら国のためとはいえ、嫌々ではユリウスは動かないかもしれない。進んで自らを差し出させるためには――

「打つ手がないのです姫様。あの白騎士、ウィリアム・フォン・リウィウスですら手が浮かばぬと苦悩している状況。彼の得手とする理屈では状況を変えられません。山を動かすには、感情に訴えかけるしかない。これしかないのです」

「……ウィリアム様が、お困りなのですね」

 ウィリアムへの恋慕すら利用する。そうすることもあの男の考え通り。自分はあの男の筋書きのまま動いている。嗤ってしまうほどがんじがらめ。自分も、目の前の美しき姫も、もはや往く道は一つだけ。

「はい。それでもなお、あの男がそれを強いぬ意味も、姫様ならわかるはず」

「ウィリアム、様」

 涙ぐむエレオノーラ。この涙を見てもウィリアムという男は表面のみ取り繕った悲しい顔をするだけ、きっと心はさざ波ほども揺れぬだろう。それがわかるからなお憎い。そんな男に何故、そう思う己がいる。

 この役目を押し付けたあの男が憎い。この状況を整えたあの男が憎い。

 ヴァルデマールの瞳には憤怒の色が宿っていた。


     ○


 エレオノーラからの提案。まるで芝居のような一幕は、一切筋書きから外れることなく粛々と行われた。嘆き、愛を告白するエレオノーラ、それを受け止め自分も愛していたと嘯くウィリアム。ヴァルデマールはそれを反吐が出る思いで見届けた。

 むくむくと殺意が湧いてくるのがわかる。どうしようもないほど感情が渦巻いている。

 動くのは早い方が良い。ウィリアムがエレオノーラを背に乗せて単騎でガリアスに赴くことが決まった。その準備にエレオノーラが自室へ戻ってすぐ――

「私は貴様が、貴様だけは許せぬッ!」

 ヴァルデマールはウィリアムの襟首をつかんだ。成すがままにされる白騎士。その顔もまた反吐が出るほど何の感情も浮かんでいない。先ほどまで哀しげにしていた面など微塵も見せていないのだ。

「いつゲハイムの、連合軍の情報を知った? そうでなくばこのタイミングで姫様をこちらへ寄せておくなど出来るはずがない」

「何のことやら……私はただ」

「とぼけるなよウィリアム! お前は、どんな手を使ったのかわからないが情報を握っていた。握った上で、貴様はこの状況を選んだのだ。私も、姫様も、選択の余地すらないこの状況を、貴様が用意した! 事前に情報を握っていたのであれば、どんな手でも使えたはず。アルカディア存亡の危機など、作らぬ道もあった。違うか!?」

「……そんな道はない。他の道じゃ……新しい時代が来ないだろう?」

 ヴァルデマールは己が愚に気づいた。怒りのあまり冷静さを失っていた。

「君は優秀だな。察し鋭く、気づくと同時に姫様を口説いてくれた。殿下が寵愛するのもわかる。俺も君のような部下が欲しかったよ。ヴァルデマール君」

 ここは王宮ではない。アルカスから遠く離れた場所で、この男の領域なのだ。そこで己は踏み込み過ぎた。うつけの振りをして情報をエアハルトに持ち帰ることこそ最善。怒りのあまり自ら手札をさらしてしまった。自分は気づいているぞ、と。

 だからそうなるのは必然で、ヴァルデマールは襟首から手を放し、自らの腹に突き立つ白刃に目をやった。嗚呼、やはり自分は目の前の男が好きになれない。人ひとり、高位の貴族を刺してこの男は微塵も揺れていないのだ。否、見下ろしている。見下している。

「君はこれからアルカスへ情報を伝えるために一人向かう。道中でゲハイムに捕捉され名誉の戦死を遂げる。それが筋書きだ。さようならヴァルデマール君。君はほどほどに優秀だった。とても、動かしやすい駒だったよ」

 ウィリアムは剣を引き抜くと物陰に潜んでいた闇の者に目配せしこの場を去った。すべては筋書き通り。ここからも、喜劇は続く。


     ○


 ウィリアムの愛馬はアンヴァルの種を受け継ぐ灰馬、グラニ。最速の遺伝子を受け継ぎ長距離も速度を落とさず踏破する王の馬である。幼き頃、出来損ないとされていた仔馬をウィリアムが見初め、その眼に浮かぶ強さを見出し己が馬と定めた。

 白騎士が空白の時。力を蓄えたグラニはアルカディア最速の馬として成長し、改めてウィリアムをその背に乗せる。復帰から共に駆け抜けた中で、かの馬が本領を発揮したことはない。その最速を見せつける好機、二人を背に乗せながらも駆け抜ける姿は見事。

「あれは……ヤン様! 白騎士が来ました!」

「そのようだねえ。いやはや、姫を背に乗せた騎士、か。絵になるねえ」

 風よりも速く、その馬はガリアス領内に到達した。

 待ち受けるはガリアスにて王の左右と同等の扱いを受ける『王の槍』ヤン・フォン・ゼークト。他にも何人か名のある百将がちらほらと。

「げえ、ウィリアムが来た。蕁麻疹がァ」

 王の左右、『疾風』のリュテスまで構えている。おそらくは弱った『双方』を喰らうために、ガリアスは用意し始めたところなのだろう。

 当然歓迎ムードではない。超大国ガリアスに土をつけた張本人がやってきたのだ。王の左右筆頭であるダルタニアンを、ユボー家の武人マリーを討ち取った憎き仇。ならば歓迎などされるはずもない。そもそも無事に立ち入れるかもわからないだろう。

「はいはい臨戦態勢を解いてね。後ろ、第二王女エレオノーラ様だよ」

 意味、わかるよね、とヤンが周囲に視線を配る。ガリアス内でもユリウス王がエレオノーラにのみ愛を示していることは周知の事実であった。このままのらりくらりとかわされ続けては世継ぎが生まれぬとトゥラーンでもめたこともある。

 だが、そのごたごたに際してもユリウスは頑として立場を変えなかった。王の頭脳であるリディアーヌの助言すら無視して、王は今もなおただ一人を求めている。嫌われぬために強硬手段こそ取らないが――

 それを知るからこそ、彼らの脳裏に白騎士がやってきた意味が浮かんだ。

 彼はその背の姫君を、ガリアスへ売り込みに来たのだ、と。

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