ファイナルウォー:奇跡到来
アルカディアという国が建国して以来、オルデンガルドが抜かれたことはない。それは決してオルデンガルドが堅牢な要塞だからではなく、ここを抜かれることでアルカディアの心臓部、王都アルカスまで一気に攻め込まれるから。つまり、アルカディアという国が存続しているのはオルデンガルドで敵をせき止めていた、ここを通さなかったからに他ならない。ゆえに今、アルカディアは未曽有の危機に直面していたのだ。
王都アルカスはオルデンガルド陥落の報せを聞き、大規模なパニックが巻き起こっていた。王都から逃げ出そうとする者で道という道はすし詰めとなっている。逃げ出す先がなく絶望に打ちひしがれる者も少なくない。
とうとうその日、アルカスの高台に見えてはならぬ景色が映った。色とりどりの旗がたなびく統一感のない光景、それは寄せ集めである『正義』に与する者たちの旗印で、その中心に立つ怪物は遠目から見ても異様な存在感を放っている。
それは絶望の序曲。狼の咆哮、紅蓮の挽歌、昇るはずだった強国アルカディアが今まさに滅亡の手前に至った。
「何故、アルカディアの兵がおらんのだ!?」
完全に突破されてしまったから。少数の騎馬隊は回り込んで敵を威嚇しているが、それで何かが変わるわけではない。本隊が完全に瓦解し後退ではなく散り散りにされた時点で詰みに近い状態であった。
無論、正義側も背後のガリアスを警戒し急ぎに急いだ点も大きい。後背で何が起きてもおかしくないほど不安点を残してきた。無理をした分、揺り返しがあればそれは大きな刃となって彼らを傷つけるだろう。
「ロルフよ、互いにロートルだが、一矢報いてやろうぞ」
「カスパル様に恥じぬ戦を致しますよ、バルディアス様」
王都の前に並ぶは最終防衛ライン。引退して十年以上経っているバルディアスが参戦するほど状況は切迫していた。少しでも腕に覚えのある者は身分や状態に構わずこの場に立つ。片手を失ったヒルダや足の腱を断たれ兵士をやめたイグナーツまでいる。彼らの教え子である商の道を選んだテイラーズチルドレンまで剣を取っているのだからなりふり構っていない。自らの守るべきモノのため、彼らは剣を取った。
「いーい面構えだ。最後の一押し、面白くなりそうじゃねえの」
ヴォルフはアルカディアの布陣を見て笑みを浮かべた。これだけの戦力差を前に怯まず前を向いている。少数かつ一線を退いた者ばかりだが、舐めてかかれば怪我をする可能性もある。ただ、アルカディアにとっての不運は、ガリアスの存在を知る彼ら『正義』に油断など出来ようもないこと。遊びはない。一刻も早く滅ぼし背中の敵に対処せねばならないのだ。だから、油断はない。
「押して参る」
彼らはアルカディアにとっての絶望そのものであった。
前進するたびに地鳴りが響く。外壁に押し掛ける者や高所に家を構える者、屋根の上や高所に陣取り趨勢を見届けようとする者、彼らにとっての絶望が襲い来る。
「間に合ったか!」
ギルベルトらがすんでのところでバルディアスらに合流した。その中にはカイルの姿もあった。ありったけの騎馬隊を集めて、足の速い者のみを厳選し此処まで追いついた。その結果、何かが変わるというわけではないが、それでも多少の時は稼げるだろう。
「希望はあるかオスヴァルトの小僧」
バルディアスは問う。ギルベルトは苦い笑みを浮かべる。
「奇跡を信じるしかない。俺はただ、剣として一兵でも多く断つさ」
それは暗に希望はないと言っているようなもの。ロルフは天を仰いだ。
「俺は諦めんぞ! 最後の一人、これをこぼしたら切り捨ててきた意味がない。この手が届く範囲は誰にも、狼の王すら通さんぞ!」
カイルの咆哮。もはやこの局面で恥も外聞もない。全天に響くような声で剣闘王は覚悟を叫んだ。勝てないまでも消耗はさせられる。自分が死んでも黒狼王を戦闘不能にできれば少しは足しになるだろう。それはきっと、この場では己にしかできない責務。
「あの男は……そうか、世に出たか傑物よ。少しは、勝てる要素が――」
戦場を離れたバルディアスは知らなかった。
今の時代を支配する巨星を。『烈日』のエル・シドを超えて地上最強を継いだ『黒狼王』ヴォルフ・ガンク・ストライダー。『英雄王』を討ち果たし巨星に成り代わった、その後負け無しの『戦女神』アポロニア・オブ・アークランド。
「――ない、か」
近づくほどに感じる力の差。数も、質も、到底及ばない。
「良い戦にしような。アルカディアの諸君」
動き出す怪物。動き出す『正義』。その進撃を阻むには最終ラインはあまりに脆弱であった。滅亡まで、残りわずか。奇跡は、起きるか。
○
死闘は一方的なものであった。ギルベルトやカイルはもちろんのことクロードたち若手も局所的には戦えている部分もある。しかし大多数のアルカディア陣営にとっては一方的な虐殺以外の何物でもなかった。
「くっそがァァアア!」
クロードが槍を振るい一人二人と倒す間に、正義側十人の兵が十人きっちり殺す。如何に英雄たちが奮戦しても数という現実を前には歯が立たない。それに――
「よく頑張ったなクロード少年。だが、此処までだ」
クロードの前に現れたのは黒の傭兵団副団長アナトール。その槍の巧みさはクロードの勢い溢れる若き槍を完全に封殺してのけた。
「ッ!?」
シルヴィらも参戦しようとするが、アナトールやニーカに鍛えられた黒の傭兵団の一部、アナトールが指揮する部隊を前に足止めを余儀なくされる。
ベアトリクスとラファエルはゼノとキケ、ゼナらエスタードを前に沈黙。重傷を負いながらも奮戦するグレゴールとシュルヴィアもクラビレノやエスタードの古豪、ゲハイムのカロリーヌなどの曲者を前に青息吐息。
天獅子が、弓騎士が、蹂躙する戦場。ロルフはトリストラムの矢を受けて膝を屈する。寄る年波には勝てない。バルディアスも若き力の波にのまれかけていた。
それでもアルカディアには最強戦力であり巨星と渡り合える二人がいる。だからこそアルカディアは『正義』を相手にここまで戦い抜いてこれたのだ。だが――
「ふざけるなッ!」
二人を相手取るのは有象無象の兵士たち。名のある将は皆二人を避けて、孤立というには凄まじい絵面だが、そこに力を割かぬ選択を『正義』は取っていた。結果として巨星二人を止める者は誰もおらず、彼らと戦おうにも有象無象の兵士たちが邪魔をする。薬物によって正気を失った彼らは弱い。弱いが躊躇なく勢いがあるために厄介であった。
鬼の形相で雑兵を斬りまくるギルベルト。斬っても斬っても襲い来る兵士。それでも斬って斬って斬り続ける。自分にはこれしかできない。剣は斬るモノだから。
カイルは雑兵の臓物を撒き散らしながら二つの星に手を伸ばす。遠く、さらに離れていく。その手の先には守るべき場所が、守るべき人がいる。
「俺と戦えッ! 黒狼ォ!」
カイルの咆哮。それを聞いてヴォルフは苦い笑みを浮かべた。
「わりーな。今日は勝ちに来た。遊びは、ねえよ」
そちらに振り向くことなく前進を続ける。
もはやアルカスの民に希望はなかった。混戦から突き抜けてきた黒い狼、続くは紅蓮の女王。続々と彼らの仲間が混戦を抜け、アルカディア側は完全に瓦解した。
(また、俺はこぼすのか? この手から。何も、守れないのか?)
カイルは諦めず追い縋る。だが、距離はさらに離れていく。
(最後の一線すら、俺は……何のために生きてきた?)
心が折れていく。自分の手が届かない。昔、騎士王との会話を思い出す。
『世界が卿の守りたいものを奪おうとした時、その時卿はどうする? 何ができる? 千の、万の、人の集合を相手に何ができる? 降り注ぐ矢の雨の中、剣一本で何が守れる? 街が燃え、煙が胸を満たし息を奪うその瞬間、卿に何が出来る?』
何も出来ない。
『何も出来ぬ。個人の強さなどその程度のものよ。守れればそれでよい? 人一人守ることを甘く見るでないわ。自ら行動せぬ臆病者に、守れるものなどありはせぬ』
行動するのが遅すぎた。
『いずれその生き方、後悔を生むぞ』
あの時は後悔しないと言った。今は、後悔しかしていない。友を失い、妻を失い、今度は娘を失おうとしている。自分はいつもこうだ。言い訳ばかりで、逃げてばかりで、何も出来ない。図体ばかり大きい木偶の坊。
もうこの手は届かない。すべて、手遅れであった。
「誰か、助けてくれ」
カイルは初めて他者に救いを求めた。自分ではどうしようもない。剣一本ではなにも救えない。ここから大事なものを守る方法を己は持たない。
心が、砕けていく。
「何か来るぞっ!」
その声がどこから放たれたのか、カイルには分らない。
「凄まじく迅いッ! 何だあの騎馬隊は!?」
それでも、もしかすると、それが救いになるかもしれない。だからカイルは振り返った。祈るような眼で。そしてその目は大きく見開かれた。
「ハッ! 俺たち黒の傭兵団より速い足だァ? んなもんローレンシア見渡してもあいつらくらいだろうぜ。とうとう、来やがったか!」
ヴォルフは自身の群れよりも速い群れの到来を察した。徐々に差を詰めてくる。とてつもない距離をこの速度で踏破してきたのだろう。馬も騎士もすでに満身創痍。それでも一糸乱れず大地を駆け抜ける騎馬隊。整然とした歩みに人は目を奪われる。
「……『疾風』ッ! ガリアスか!」
ローレンシア最速の群れ、王の右足『疾風』のリュテスが率いる騎士団が戦場に参戦する。その速力は大回りをしてなおヴォルフたちより速い。
いきなりの増援に呆気に取られていたのはアルカディアも同じ。アルカスの住人たちは呆然と最速の群れを見ていた。ぐんぐんと近づいてくる騎士団。少しずつ、湧いてくる希望。しかし、まだ足りない。あれだけの戦力では、巨星二人を止めることすら出来ないだろう。それだけでは、希望足り得ない。
「あっ」
その時、誰かが指さした。南東の方角、建国の英雄アルカスが到来したとされる小高い丘の上に白い旗がたなびいていた。その旗はアルカディアに住まう者なら誰でも知っているもので、その御姿に彼らは絶叫する。
誰よりも早くそれに気づいた男は涙交じりに苦笑していた。
いつだって彼は自分では歩めない険しい道を往った。どれだけ苦しくとも、分不相応でも、最善を尽くして乗り越えてきた。自分には出来ない。彼には出来る。それが強さなのだ。腕っぷしではない。覚悟の強さ。
「かっこいいな、やせっぽっちの騎士様は」
心の底からカイルは思う。
「白騎士だッ! ウィリアム・リウィウスが来たぞォ!」
白き救国の英雄、奇跡が来た。
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