ファイナルウォー:不敵なるエスタード

「ゥん?」

 ゼノは彼の指揮する大盾部隊、その側面に接近する騎馬隊に不穏な空気を感じた。まだ突撃するほどの距離ではないにも関わらず馬の脚を緩め――

「いかんな、超重装甲ゼノ特選隊散か――」

「なげーよ阿呆!」

「おっとォ! どうやら貴様には奴らのやることが見えているようだなァ」

「付き合いなげーんだよ。あのくそ坊ちゃんたぁな」

 あの間合いは弓のそれ。ゼノは歯噛みする。

「弓、火矢か。密集陣形はまずいか」

「あと、後ろ、気を付けた方が良いぜ」

 クロードの発言を受けて、気配も感じぬのにゼノは咄嗟に後ろを振り向いてしまった。クロード相手には間合いを外していたから、一応確認のため、色々な思惑が錯綜する。

 しかし、案の定後ろは想像通りの景色しかなく、

「俺の、後ろさ」

 振り返ればそこには――

「とう、オスヴァルト見参!」

 クロードの頭を足蹴にして跳躍するベアトリクス・フォン・オスヴァルトの姿があった。

「頭踏む意味あったかよ!?」

 ゼノは体勢不十分のままベアトリクスの剣を受けることとなる。女の細腕、受け切ることは可能とゼノは判断するも、

「斬ルッ!」

 盾から伝わる衝撃は想像をはるかに超え、縦一文字に奔った斬撃は芯をずらすことを怠ったゼノの未熟もあり、真っ二つに両断、ゼノの腕から鮮血が噴き出した。

「ふん、多少腕を上げてもまだまだへなちょこ。私がいなければ全然だめだな」

 ふふんと得意げに語るベアトリクス。クロードはその背中にため息をついた。やはり彼女の立ち姿は美しい。武人として剣では並べないと思ったあの日と同じ感覚を覚える。槍はそのために体得した。彼女と並びたい、その一心で。

「あいつも来ている。私たちの勝ちだ」

 ベアトリクスの視線の先では、ラファエルが矢を放っていた。一射目は袋を結び付けられた矢、それが着弾し袋が弾ける。中身は水っぽい何か。多少の粘り気、つんと香る匂いは――

「油だッ! 全員散開せよッ!」

「遅いよ。とっくの昔に、命運は尽きている」

 ラファエルの部下も同時に油付きの矢を放っており、さらに後列は数秒遅れで火矢を放った。狙いは正確、練度の高い彼らは油が撒かれた部分にしっかりと火矢を叩き込んだ。彼らは複雑な密集陣形を取っており、火がつけられてなお動き出しが遅い。


 中にいるクラビレノたちは――

「……なんて美しくない戦法を。無情なりアルカディア!」

「戦士を火であぶるなど罪人が如し扱い。これでは御霊も報われません!」

「火かー。暑いよねー」

 たぶんアルカディアがやったと仮定し、敵味方交えてアルカディアの悪口を言っていた。野戦で火矢を用いるという手法に非難の嵐である。

「と、まあ言っていても仕方がない。退くぞキケ。シルヴィ殿も達者でな。こんなつまらぬところで死なんでくれよ。この私、クラビレノ・アラニスと互角の勝負を繰り広げていたのだから」

「一騎打ちなら私の方が上でしたが」

「……結果は引き分け、また会おう! さらばだ!」

「じゃあねー」

 のっしのっしとキケはシルヴィの横を過ぎ去り、クラビレノを抜いて味方の壁にそのまま突進し続けた。「まずいキケ様だ!」「あ、死んだわ」などと阿鼻叫喚の部下を尻目に薙ぎ倒しながら速力を緩めず道を作っていく。

「……ほほう、便利ですね」

 残されたシルヴィは――

「うーむ、さて、どうしましょうか」

 ない知恵をめいいっぱい絞って、火勢が強まる中取り残されてしまった。


 火勢強まる自身の特選隊を見てゼノは苦笑した。油断したのはこちらの方、アルカディアの参入を予想していない方が悪い。つまり、己が不徳の致すところ。大人になったつもりでもまだまだ青い。

「笑っている場合か?」

 ベアトリクスは問答無用とばかりに剣を振る。ゼノはそれを半身となった盾で華麗に捌いた。ベアトリクスの眼が大きく見開かれる。その顔は笑っている。だが、眼が、その下にある貌が笑っていない。怜悧なそれを受けてベアトリクスは珍しく後退した。

「ふーむ、我ながら悪ふざけが過ぎた。どうにも、若気ってのはなかなか抜けぬものらしい。まったく、嫌になるぜ、なあ、クロードよォ」

「ふん、三十路面して若者気取りか」

「ベアトリクス、あいつ、俺らとほぼタメだ」

「なん、だと」

 ベアトリクスの驚愕は凄まじいものがあった。クロードでさえほとんど見たことのない呆然とした顔はゼノの「何言ってんだ? ヤング面だろゥ」というとぼけた発言も相まって爆笑を産む。少なくともクロードは耐えられなかった。

「ふはは、笑え笑え。ゼナ、皆を連れていったん退くぞ。俺たちの負けだ」

「えー今すっごい良いところだったのにィ!」

「カンペアドールの指示です」

「退きましょうゼナ様」

「ぶー!」

 三対一、部下も精強となればディオンは敗北寸前となっていてもおかしくはない。事実、青ざめた顔と滝のように流れる汗、強がりなのか普段の飄々とした表情を作ろうとしているが作れていないところも減点ポイント。

「キケちゃんは?」

「先に戻っているさ。あいつは、まあ、タフだからな」

「だねー。んじゃ先に帰るね。ばいばーい糸目のお兄ちゃん」

 すたこらさっさと撤退していくゼナを追う気もわかないディオン。他の者たちも追撃する気になれなかった。主力は火にまかれて窮地に陥っているが、ゼナ率いる部隊はむしろぴんぴんしており退いてくれるならありがたい話。

「さーて、俺も退くとするか」

「お前は逃がさん」

 ベアトリクスは剣を向ける。それを見てゼノは素直に頭を下げた。

「この通りだ。見逃してくれ」

 その対応に毒気を抜かれたベアトリクス。しかし、ゼノの耳を裂く矢は見逃すと言っていない。それを放ったラファエルの眼に慈悲はなかった。

「敵を見逃す道理があると思うか?」

「俺は、そっちのためを思って言っているんだがなァ」

 ゼノの眼が薄く細まった。ラファエルが怪訝な顔をする。この状況で強がる意味はない。何故ならすでに彼には手駒がないのだ。そんな相手の脅しに耳を傾ける意味は――

「状況は正しく理解しろ。このままでは今後複雑になる世界、乗り切れんぞ」

 ゼノの言葉をあざ笑う笑みを浮かべた瞬間、ラファエルの耳に部下の絶叫が響き渡った。何事かとそちらを見てみると、そこには炎をまとったエスタード兵が突進し、馬やその上の騎士たちに抱き着いていた。炎は伝播する、アルカディアにも。

「カンペアドールが指揮するエスタード兵を甘く見るな。俺程度でこれだ。ディノ様たちの兵はこんなもんじゃないぞォ。頭がイカレた連中ばかり。脳みそを太陽に焼かれちまっているのさ。俺も含めて、なァ」

 続々と飛び掛かってくる燃え盛る兵たちの貌に絶望はない。嬉々として彼らに飛び掛かっていくのだ。これが、エスタード。これがカンペアドール。これが、『烈日』の残り火である。

「く、くそ、撤退、撤退だァ!」

 たまらず撤退を指示するラファエルの顔に余裕はなかった。それだけエスタード兵の勢いは鬼気迫るもので、死ぬとなった時の絶望まで燃焼のネタにするのだから性質が悪い。死に怯むことなく戦える戦士集団。これが強兵揃いのエスタード、その底力なのだろう。

「折角そちらの犠牲を出さずに手打ちとしてやろうと思ったのに。贅沢言うからそうなる」

 悠々と歩き去ろうとするゼノ。その背にクロードは、

「正しい状況ってのは何だ? 今後を、テメエは知ってるってのか」

 正しい問いを投げかけた。ゼノは笑みを浮かべる。

「ああ、エスタードは知っている。ネーデルクスも、知っている。おっと、言い過ぎたかなァ。これだとわかっちまうなァ。危ない危ない」

 クロードの頭の上にははてなマークが浮かんでいた。それも仕方がないことなのだ。誰だって想像したくない。想像したくないことは、頭に浮かんでこないもの。

「もうとっくに時代は変わってんのさァ。今回は答え合わせ、エスタードはどっちに転んでも負けぬ手を打った。と言っても、エル・シド様の頭じゃどっちが勝つか、答えは出ているみたいだけどな。これが最後のヒント、お前たちのボスは、本物の化け物だ」

 ゼノは手をひらひらとさせ「アディオス!」とこの場を去っていった。

「何の話だ?」

「俺にゃあわかんねーよ。馬鹿なんだから」

「……ようやく自覚したか。成長したな」

「テメエも同類だけどな」

「死ぬかへなちょこ」

 クロードとベアトリクスが口論している中、ディオンが「あのー」と声をかけてきた。

「うちの猪武者、あの中なんだけど」

「……やべーな素で忘れてた」

「僕も正直忘れてた。まあ、シルヴィのことだからたぶん――」

 アルカディア陣営の視線の先、ひょいひょいと空中で妙な軌道を描く女性の姿があった。

「「槍で何とかするだろ」」

 棒高跳びの要領、超人的な技量で人の頭部や肩を足場にひょいひょいと飛び回る。上手く炎を避けて人の群れを越えてくる様はそれだけでお金が取れるほど意味の分からない光景であった。唖然とするアルカディア陣営。

 その目の前にぴょーんと跳躍し――

「おや丁度いいところに頭が」

 クロードの頭部にしっかりと着地した。かなり距離があったこともありその威力は絶大。クロードの顔面は見事に地面に突き刺さった。そこから悠々と降りてくるシルヴィ。

「体幹がなっていませんね。基礎からやり直しなさい、異人」

「……貴様が足蹴にしているそれは、腐ってもアルカディアの人間なのだが」

「……ほほう。全然、これっぽっちも私にはどうでもいいのですが、一応、この男はネーデルクスの槍使いです。そもそも元はガリアスの生まれ、国籍などあってないようなもの」

「アルカディアの戦士だ」

「異人、起き上がってネーデルクスの槍を見せてやりなさい。それで諦めもつくでしょう」

「早く起きろへなちょこ。お前のへなちょこ槍を倒してもう一度剣を叩き込んでやろう。剣の方が筋が良かった。槍などという邪道、さっさと捨てるが良い」

「殺すぞオスヴァルト」

「やってみろネーデルクス女」

 火花散るベアトリクスとシルヴィをよそにクロードは気絶した振りを決め込んでいた。この二人を邂逅させるべきではなかった。心の底からそう思う。


     ○


「負けましたか」

「……我が身の未熟を痛感するばかり。処分は如何様にでも」

「では強くなってください。私の次、貴方には太陽になって頂きます」

 エルビラの言葉にゼノは「ご勘弁を」と顔を歪める。

「貴方はどう見ますか?」

「……アルカディアの底力、尋常な手では押し切れぬでしょうな」

「つまり?」

「……あの男の勝ちです」

「ふふ、アルカディアではなく、あの男の、ですね」

「ええ、あの男の、です」

 ゼノにとっても答え合わせは完了していた。突如現れた謎の怪物、ネーデルクスから届けられた若き新鋭、これはあくまでただの要素でしかない。無論、なければ状況は悪化していただろう。もしかすると答えが変わっていたかもしれない。それでも彼らはファクターの域を越えないのだ。

 すでに大局の絵図は完成している。この戦が始まるよりも早くに――

 それを知るからこそゼノは笑えないのだ。ここから来る時代の名も、彼は知っているのだから。

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